第33話・種の肥料
1DKの単身者用マンションには、通気性なんてないに等しい。玄関と窓を全開にしてもそよ風が通る程度だ。
トリスの通信を開始した途端、高熱を発してサウナと化してしまった俺の部屋には、その程度の撫でるような風はほぼ無力だった。
そんな中、あまりの暑さに顔が真っ赤になってしまった織田女史。
……なんか、本当に申し訳ない。
「ちょっと、買い物に行ってきます」
俺の買い物メモをひらひらさせる女史。引き籠るのに必要な物を書き出しておいたリストだ。
「他に必要な物があったらメールでお願いします」
「はい。ホントに申し訳ないです」
「……なんであなたが謝るのですか」
彼女の表情を見るに、謝っている理由が本当にわからないようだ。それともとぼけているのだろうか?
「え、だって部屋が暑すぎて……」
「はぁ!? ――知りません!」
顔を真っ赤にしたまま、ぷいっと背を向けて出て行ってしまった。『トリスが繋がったらすぐに電話下さい』と言い残して。……わからん、彼女の怒りスイッチってどこにあるのだろう?
さすがにこれは、電力会社に連絡してアンペア上げてもらわないと駄目かな? なんて考えていた時だった。
突然、スマホから着信音が流れる。一瞬、『トリスが繋がったか?』と思ったけど、眼の前に鎮座する本体はまったくの無反応。どうやら普通の電話着信らしい。
画面を見ると、そこに表示されていたのは会社の番号。これはもう、間違いなく辞表の件だろう。
「ふう……」
仕方がない。俺は元上司の小言を聞く覚悟を決めて、通話アイコンを押した。……さっさと終わってくれるのを願うばかりだ。
だが、スマホから聞こえてきた声は、まったくの別人だった。
〔もしも~し〕
あれ……この声って、誰だっけ?
〔藤堂さんの携帯ですよね?〕
「はい、そうですが」
〔ああ、よかった。言問です、富士吉田支社の。覚えてます?〕
「あ、はい……お久しぶりです」
言問葉一、富士吉田支社の営業マンで、出向で行った時に何度か話をした事がある。
今ひとつ腰の落ち着かないタイプで、『営業職なんてできるのか?』と最初は思ったりもした。しかし、彼特有のあっけらかんとした明るさは客先のウケもよく、太いパイプとそこそこの業績で将来を嘱望されているらしい。
……そして彼は、零士・ベルンハルトの先輩でもある。
〔藤堂さんどうしちゃったんです? 今本社にきたら辞めたって言われて〕
「ん〜、まあ、一身上の都合ってヤツですよ」
〔……やはりアレですか〕
「ええ、あの件です」
電話口から乾いた笑いが漏れてきた。あの件とは、もちろん俺のテロリスト報道だ。
「あの、言問さん。要件はなんですか?」
〔あ、そうそう。実はですね……〕
彼は声のトーンを落として小声になった。多分、周りの社員に聞かれたくないのだろう。コソコソとした声で早口気味に話し始める。
〔望月部長から、渡すようにと預かっている物があるのですが〕
「渡すもの?」
〔ええ。『種の肥料』言えばわかると……〕
種の肥料? 種……seed……トリスの、部品?
――まさか、このトリスは不完全だったのか?
この発熱が異常事態だとか、それとも通信ができていないとか。もしくは見えていない他の不具合かもしれない。
「わかりました。すぐに受け取りに行きますよ」
〔あ、いや、自分が持って行きますよ。内密に渡すようにと厳しく言われているので〕
「あ、ああ。そうですね……」
本社内で、支社の人間と辞めた人間が会っていたら目立ちすぎる。
……考えなしで動く所だった。落ち着かなければ。
〔それに、もし零士と連絡が取れるのなら謝りたいんです。あいつをドバイに行かせた責任は、自分にもあるから……〕
「そうですか。場所はわかりますか?」
〔ええ、社員台帳にはまだ登録があったので確認しました〕
「ああ、まだ残っていたんですね」
そう言いつつも、辞めたのは今朝だから、まだデータが残っていてもおかしくはないだろう。
しかし……なにか引っかかる。ものすごく大事な事を忘れているような?
♢
しばらくしてマンションのエントランスから呼び出し音が鳴った。モニターを見ると、そこには高級スーツを着込んだ黒髪の男性が立っていた。
軽いパーマが掛かった髪に黒縁の眼鏡。富士吉田支社に行った時に何度か見ている顔。間違いなく言問さんだ。
エントランスのロックを解除すると、なんのためらいもなくスイスイと入ってきた。この辺り、外回り営業で慣れているのだろう。
「どうも~、お久しぶりです」
「ああ、どうも……」
軽い挨拶をかわし部屋の中に招きいれると、彼は脱いだ靴を180度回して置き直した。
軽い印象を受ける人だけど、礼儀がしっかりしているのが営業成績に繋がっているのだろう。これもギャップ萌えの類か?
「ってか、めちゃくちゃ暑いですね」
「ええ、トリスの熱量が凄くて……」
「原因はコレですよ」
と、部長から預かったという、トリスの部品を取り出した。それは、手の平くらいのサイズで小さいモニターとスイッチがついている箱だった。
「トリスの冷却機能制御パーツです。多分これが無くて冷却ファンが動いていないのかと」
「マジですか……」
「なくても、すぐに壊れるって事はないと思いますけど……こんなに暑くなるくらいじゃ、明日にはヤバかったんじゃないでしょうか」
言問さんは説明書を見ながらモニター横の部品を外すと、俺に手渡してきた。
「これ、ダミーなんですよ」
「……は?」
持ってみるとあまりに軽く、どう考えても中身が無い。指先で小突くと、箱の中でコンコンと小さく響いた。
「伽藍洞ですね、音からして」
言問さんがパーツを繋ぐと、すぐさまファンが回る音が聞こえてきた。排熱口から“ブオォォ”と、熱風が物凄い勢いで吐き出される。本体が熱くなっているせいもあってか、モニターにはファンの回転数が『MAX』と表示されていた。
……しかし、俺にはこのやかましい音が、扇風機よりもずっと頼りになる気がした。
「これで、発熱は抑えられるはずです」
「でも、なんでこんな重要なパーツが別になっていたのでしょう?」
普通に考えたらありえない。車でいえばラジエーターがないまま走らせているようなもので、熱暴走して壊れるのが目に見えているのだから。
「それ、自分も思ったんですよ。部長は『もし盗難に遭った時の対策に』と言っていました。そして、それを『渡し忘れた』とも……」
「あ~、部長らしい……」
その時、玄関でガチャリと音がしてドアが開いた。織田女史が買い物から戻ってきたようだ。
「ただいま戻りました」
「あ、お帰りなさい。ありがとうございます」
「スーパーで特売していたので、ちょっと多く買いすぎちゃいまし……」
買い物袋を受け取ろうと手を出した時、急に織田女史の動きが止まった。
「――っ」
袋をその場にドサッと落とすと、彼女の視線は俺の後ろを見つめたまま固まっていた。ネギやオレンジが袋から飛び出して、フローリングの床を転がっていく。
「織田さん? え……あれ、藤堂さんと? なんで?」
その声に振り向いてみると、言問さんまでもが動きを止めていた。おかしな雰囲気を感じながらも、俺は状況を見ているしかなかった。
――織田女史は言問さんをにらみつけて、声を絞り出した。
「なんであなたがここにいるのですか……」




