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ファントム・シェイド ~5000マイルの絆~  作者: 幸運な黒猫
第四章:虚言・怨恨・逆恨み(日本)

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第33話・種の肥料

 1DKの単身者用マンションには、通気性なんてないに等しい。玄関と窓を全開にしてもそよ風が通る程度だ。


 トリスの通信を開始した途端、高熱を発してサウナと化してしまった俺の部屋には、その程度の撫でるような風はほぼ無力だった。


 そんな中、あまりの()()()顔が真っ赤になってしまった織田女史。


 ……なんか、本当に申し訳ない。


「ちょっと、買い物に行ってきます」


 俺の買い物メモをひらひらさせる女史。引き籠るのに必要な物を書き出しておいたリストだ。


「他に必要な物があったらメールでお願いします」

「はい。ホントに申し訳ないです」

「……なんであなたが謝るのですか」


 彼女の表情を見るに、謝っている理由が本当にわからないようだ。それともとぼけているのだろうか?


「え、だって部屋が暑すぎて……」

「はぁ!? ――知りません!」


 顔を真っ赤にしたまま、ぷいっと背を向けて出て行ってしまった。『トリスが繋がったらすぐに電話下さい』と言い残して。……わからん、彼女の怒りスイッチってどこにあるのだろう?


 さすがにこれは、電力会社に連絡してアンペア上げてもらわないと駄目かな? なんて考えていた時だった。


 突然、スマホから着信音が流れる。一瞬、『トリスが繋がったか?』と思ったけど、眼の前に鎮座する本体はまったくの無反応。どうやら普通の電話着信らしい。


 画面を見ると、そこに表示されていたのは会社の番号。これはもう、間違いなく辞表の件だろう。


「ふう……」


 仕方がない。俺は元上司の小言を聞く覚悟を決めて、通話アイコンを押した。……さっさと終わってくれるのを願うばかりだ。


 だが、スマホから聞こえてきた声は、まったくの別人だった。


〔もしも~し〕


 あれ……この声って、誰だっけ?


〔藤堂さんの携帯ですよね?〕

「はい、そうですが」

〔ああ、よかった。言問(こととい)です、富士吉田支社の。覚えてます?〕

「あ、はい……お久しぶりです」


 言問(こととい)葉一(よういち)、富士吉田支社の営業マンで、出向で行った時に何度か話をした事がある。


 今ひとつ腰の落ち着かないタイプで、『営業職なんてできるのか?』と最初は思ったりもした。しかし、彼特有のあっけらかんとした明るさは客先のウケもよく、太いパイプとそこそこの業績で将来を嘱望されているらしい。


 ……そして彼は、零士・ベルンハルトの先輩でもある。

 

〔藤堂さんどうしちゃったんです? 今本社にきたら辞めたって言われて〕

「ん〜、まあ、一身上の都合ってヤツですよ」

〔……やはりアレですか〕

「ええ、あの件です」


 電話口から乾いた笑いが漏れてきた。あの件とは、もちろん俺のテロリスト報道だ。


「あの、言問さん。要件はなんですか?」

〔あ、そうそう。実はですね……〕


 彼は声のトーンを落として小声になった。多分、周りの社員に聞かれたくないのだろう。コソコソとした声で早口気味に話し始める。


〔望月部長から、渡すようにと預かっている物があるのですが〕

「渡すもの?」

〔ええ。『種の肥料』言えばわかると……〕


 種の肥料? 種……seed……トリスの、部品? 

 

 ――まさか、このトリスは不完全だったのか? 


 この発熱が異常事態だとか、それとも通信ができていないとか。もしくは見えていない他の不具合かもしれない。


「わかりました。すぐに受け取りに行きますよ」

〔あ、いや、自分が持って行きますよ。内密に渡すようにと厳しく言われているので〕

「あ、ああ。そうですね……」


 本社内で、支社の人間と辞めた人間が会っていたら目立ちすぎる。


 ……考えなしで動く所だった。落ち着かなければ。


〔それに、もし零士と連絡が取れるのなら謝りたいんです。あいつをドバイに行かせた責任は、自分にもあるから……〕

「そうですか。場所はわかりますか?」

〔ええ、社員台帳にはまだ登録があったので確認しました〕

「ああ、まだ残っていたんですね」


 そう言いつつも、辞めたのは今朝だから、まだデータが残っていてもおかしくはないだろう。


 しかし……なにか引っかかる。ものすごく大事な事を忘れているような?

 




 しばらくしてマンションのエントランスから呼び出し音が鳴った。モニターを見ると、そこには高級スーツを着込んだ黒髪の男性が立っていた。


 軽いパーマが掛かった髪に黒縁(くろぶち)の眼鏡。富士吉田支社に行った時に何度か見ている顔。間違いなく言問さんだ。


 エントランスのロックを解除すると、なんのためらいもなくスイスイと入ってきた。この辺り、外回り営業で慣れているのだろう。


「どうも~、お久しぶりです」

「ああ、どうも……」


 軽い挨拶をかわし部屋の中に招きいれると、彼は脱いだ靴を180度回して置き直した。


 軽い印象を受ける人だけど、礼儀がしっかりしているのが営業成績に繋がっているのだろう。これもギャップ萌えの類か?


「ってか、めちゃくちゃ暑いですね」

「ええ、トリスの熱量が凄くて……」

「原因はコレですよ」


 と、部長から預かったという、トリスの部品を取り出した。それは、手の平くらいのサイズで小さいモニターとスイッチがついている箱だった。


「トリスの冷却機能制御パーツです。多分これが無くて冷却ファンが動いていないのかと」

「マジですか……」

「なくても、すぐに壊れるって事はないと思いますけど……こんなに暑くなるくらいじゃ、明日にはヤバかったんじゃないでしょうか」


 言問さんは説明書を見ながらモニター横の部品を外すと、俺に手渡してきた。


「これ、ダミーなんですよ」

「……は?」


 持ってみるとあまりに軽く、どう考えても中身が無い。指先で小突くと、箱の中でコンコンと小さく響いた。


伽藍洞(がらんどう)ですね、音からして」


 言問さんがパーツを繋ぐと、すぐさまファンが回る音が聞こえてきた。排熱口から“ブオォォ”と、熱風が物凄い勢いで吐き出される。本体が熱くなっているせいもあってか、モニターにはファンの回転数が『MAX』と表示されていた。


 ……しかし、俺にはこのやかましい音が、扇風機よりもずっと頼りになる気がした。


「これで、発熱は抑えられるはずです」

「でも、なんでこんな重要なパーツが別になっていたのでしょう?」


 普通に考えたらありえない。車でいえばラジエーターがないまま走らせているようなもので、熱暴走して壊れるのが目に見えているのだから。


「それ、自分も思ったんですよ。部長は『もし盗難に遭った時の対策に』と言っていました。そして、それを『渡し忘れた』とも……」

「あ~、部長らしい……」


 その時、玄関でガチャリと音がしてドアが開いた。織田女史が買い物から戻ってきたようだ。


「ただいま戻りました」

「あ、お帰りなさい。ありがとうございます」

「スーパーで特売していたので、ちょっと多く買いすぎちゃいまし……」


 買い物袋を受け取ろうと手を出した時、急に織田女史の動きが止まった。


「――っ」


 袋をその場にドサッと落とすと、彼女の視線は俺の後ろを見つめたまま固まっていた。ネギやオレンジが袋から飛び出して、フローリングの床を転がっていく。 


「織田さん? え……あれ、藤堂さんと? なんで?」


 その声に振り向いてみると、言問さんまでもが動きを止めていた。おかしな雰囲気を感じながらも、俺は状況を見ているしかなかった。


 ――織田女史は言問さんをにらみつけて、声を絞り出した。


「なんであなたがここにいるのですか……」

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