第32話・朴念仁
無事始発に乗り込み、織田女史はそのまま会社へ。俺の“涙の辞表”を会社として受領したあと、半休を取ると言っていた。
そして……無職の俺は、急いでマンションへ戻る。
ジェラルミンケースを開き、付属のACアダプターを差した。初めての通信開始だ。
昨夜は仕様を調べるだけだったから通信はしていない——だから知らなかった。トリスがこんなにも電力を食う化け物だったなんて。
とにかく、発する熱量がものすごい。契約電力のほとんどを食っているのだから仕方ないけど、電子レンジやエアコンはおろか、退屈しのぎのテレビも我慢だ。
窓を全開にして玄関のドアを開け、扇風機をまわす。じわじわと浮き出てくる汗と格闘。
そんな時、ぐうぅぅぅ……となんとも盛大な腹の音がなった。
一刻も早く起動する事ばかり考えていたから、昼飯や引き籠もりに必要な物の用意を完全に失念していた。
午後二時すぎ。近くのコンビニで弁当と野菜ドリンクを購入。
もうちょっと早く買いに出るつもりだった。スマホリンク機能は設定したけど『もし自分の操作が間違っていて届かなかったら?』と疑ってしまい、買いに出るタイミングを逃したのが原因だった。
『お前は真面目過ぎる。気楽にやれよ。Take it easyってやつだ』
部長の“あのひと言“が、頭の中でグルグルと回っていた。
♢
そして今、帰宅した俺を仁王立ちで出迎える織田女史。鍵を開けようとする俺を横目に、『開けておきました』といいながら入って行った。
「なに……よ、これ……」
さすがの女史も、部屋に渦巻く熱気には勝てなかったと見える。数歩進んで立ち止まると、俺に先に行くように促した。
つまり……『さっさと窓を開けろ』って事なのだろう。
「ちょっと、藤堂さん、ゴミは分別しなきゃ駄目じゃないですか」
「すみません、クセで……」
女史は、部屋に入る早々チェックの鬼と化した。僅か数分でゴミ袋から冷蔵庫の中、部屋の間取りまで把握されてしまった。
それでも、昨日ずっと一緒にいて、悪い人じゃないのはよくわかっている。むしろ彼女は細かい所に気がつく女性だ。今もオレがだらしなく散らかした部屋をテキパキと片づけてくれている。
こういう人が彼女や嫁だったりしたら、家庭内の事は全て任せて、男は会社でバリバリ働けるのだろう。
……彼女に惚れ込まれている零士・ベルンハルトを、ちょっとだけうらやましく思ってしまう。
「あ、これ。宅急便の伝票とかはちゃんと宛名を消さないと駄目です。マジックで塗るかアルコールスプレーをかけてから捨ててください」
「あ、はい……」
「それから光熱費支払いの控えは捨てずにちゃんと保管してくださいね。会社辞めたのですから、確定申告は自分でしなきゃならないのですよ!」
……そうでもないか。
「ああ、もう。本はちゃんと順番に並べてください。順番が前後していると気持ち悪いじゃないですか」
鬼の小言を聞き流しながら、買って来た海苔弁の蓋を開けた。朝食は駅の売店で買った焼きそばパンだけだったから、今なら大抵のものが極上の味に感じる事だろう。
……しかし、白身フライの下に入っている薄緑の”これ“だけは駄目だ。
よく『世の中に無駄な事なんてないのです』みたいな綺麗事を言う人がいる。だけど、コンビニ弁当に入っている、小さいしなしなレタスって本当に無駄だと思う。
「これのどこに栄養があるんだよ」
箸でつまみ上げた”しなしな“をプラプラさせていると、織田女史はクスリと笑い、肉じゃがをスッと出してくれた。
「一昨日作った残りですけど」
「え、いいんですか?」
どうやら、わざわざ家に戻って持ってきてくれたらしい。
「ちゃんと栄養を摂ってくださいね。身体が資本ですので」
ほんのりと漂ってくる香りが鼻孔をくすぐった瞬間、オレは思いっきり香りを吸い込んだ。牛肉、ジャガイモ、白滝に玉ねぎ。定番だけど見ているだけで幸せな気持ちになってくる。
……鬼とか言ってごめんなさい。
「はい、ありがとうございます」
「食べ終わったらしばらく缶詰です。この部屋から出られないので頑張って下さい」
……やはり鬼だ、この人。
「ところで織田さん、気になっていることがあるのですが」
「ダシは昆布とサバ節です」
「肉じゃがの話じゃありません」
「あら、なんですの?」
「出社するのは危ないのでは?」
俺たちが部長の家にいると知って、警告してくるくらいだ。本社か富士吉田支社にスパイがいる可能性が高く、ある程度は行動がバレていると思った方がいい。
「でも、普通に出社した方が、敵に『なにもつかんでいない』と思わせる事ができるのではないかしら?」
「それも一理ありますね……」
「それに会社から離れたらスパイを見つける事が難しくなりますわ。こういう時こそ、人事部の情報網を使い切らないと」
そうか……本当に強いんだな、この女性は。しっかりとした目的がないとこうは行かないだろう。
「では、これだけは約束してください」
「なんでしょう?」
「絶対に一人になる時間を作らない事。必ず誰かの目がある場所に居るように。あ、あと盗犯ベルを携帯してください」
「藤堂さんって……」
ああ、いつもの流れだ。『意外と~』ってくるのでしょう。
「意外と心配性なのですね」
「そうです、意外ですか? あなたの事が心配なんです」
思ったより危機管理が弱い織田女史には、このくらいしっかりと警戒をしていてもらわないと困る。俺はここから離れられないのだから。
「一緒にいる時は俺が守ります」
「……」
織田女史は黙ったままうつむき、そそくさとキッチンに行ってしまった。……なにかまずい事でも言ってしまったのだろうか?
「ほ、ほんと、もう……部屋が暑すぎます。エアコンを入れられるように、500Aくらいの契約にしてください」
「……めちゃくちゃ言わないでください」




