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ファントム・シェイド ~5000マイルの絆~  作者: 幸運な黒猫
第四章:虚言・怨恨・逆恨み(日本)

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第30話・代償

「あの、こんなところを、もし会社の人に見られたら……」

「そうですわね、見つけたら人事部としてしっかりと注意します」

「いや、そういう意味じゃなくてですね……」


 彼女にその気がないのはわかっていても、生物学的男としては色々と考えてしまう。モヤモヤしてしまう。多分これは正常だ、正常なはずだ。


 しかし、うかつに手を出すのはヤバイ、危険だ。無職で人生設計が狂ったのに、これ以上おかしな事になったら破滅してしまう。


 ……よし、大丈夫だ。ちゃんと判断できている。


「藤堂さん、なにをしているのですか?」

「あ、いや、大丈夫です! ちゃんと正常です!」

「……?」


 首をかしげる織田女史。……まあ、気にしないでほしい。


 エレベーターから降りて通路を進むと、点滅しているアクリルプレートが『ココダヨ!』と部屋の位置を教えてくれていた。


 ドアの番号を見ながら、ここに至ってなお、入っていいのか考えてしまう。


「どうしました? さっきから変ですよ?」

「いえ、なんだか緊張してしまって……」


 その時、通路の先の方でドアの鍵がカチャリと鳴り、開き始めた。どうやら事後の客が帰るのだろう。俺は急に恥ずかしくなって、重たいドアに足をぶつけながら、慌てて部屋の中に入り込んだ。


 ピンクと薄紫で照らされた室内。そこに鎮座するのは無駄にデカいテレビとソファ。……そしてキングサイズのベッド。


「ホント、趣味悪いわね」


 これが彼女の第一声だ。そもそも利用客の目的は、テレビを見るためでもソファでくつろぐ事でもないのだから、内装や調度品のセンスなんてどうでもいい話なのだろう。


「藤堂さんはベッドを使って下さい。私はソファで十分なので」

「いやいや、逆ですって。女性にそんな事させられませんから」

「あら……」


 織田女史は口に手を当てて考え始めた。俺、なにかおかしな事を言ったのかな?


「藤堂さんって、意外と紳士なのですね」

「意外と、は余計です」


 彼女は『シャワー浴びてきますね』と、バッグをソファに投げ捨てた。その中には俺の魂が籠もった辞表が入っているのだから、もうちょっと丁寧に扱ってほしいと思う。


 ……って。


「織田さん、ちょっと待って!」

「どうしました?」

「いや、『どうしました?』じゃなくて――風呂場がスケスケなんです」


 全面ガラス張りで中の様子がクッキリハッキリ見え、シャワーなんて使ったら湯気で微妙に、いや、かなりイヤラシイ絵面になる事は間違いがない。


「丸見えなんですよ、ま・る・み・え」

「かまいませんわ。見られても減るものじゃありませんし」


 ……はい? なにを言ってんだこの人は。


「ただし、代償は大きいですわよ」


 ニコッと笑う女史。社会的に抹殺されそうな笑顔だ。


 オレは背を向けてソファに座り、テレビをつけた。よくわからないバラエティ番組をダラダラと眺め、しばらくして飽きるとリモコンのボタンを押す。


 三十分くらいだろうか。そんな、箸にも棒にもかからない番組を切り替えている中で、聞こえてきたひと言に引っかかりを感じて手を止めた。


〔ワシは、ドゥラの最高指導者に()うた事があるで〕


 この発言は、元放送作家で現在は政治団体代表の肩書を持つコメンテーターのものだった。


 今の俺にとって、もっとも興味を引く一言だ。


 彼が言うには、反政府組織:ドゥラの最高指導者であるハリファは、元々バジャル・サイーア共和国の政府高官だったらしい。


〔十五年ほど前、番組の企画で()うたんや。とにかく、物静かで聡明な男やったな〕


 その言を引き出したのは、冷静な口調を崩さない司会者の女性だった。


〔反政府運動が活発化し始めたのも、そのころでしたよね?〕

〔そやな、原因は低賃金と重税による貧富の差の拡大、それに加えて不作による物価高騰やエネルギー問題等だったはずや〕

〔国民を困窮させたら、そうなるのは当たり前だと思います〕

〔歴史上、様々な国が証明しとる。同じ事やるのはアホの所業やで〕

〔ですが、政府高官が反政府組織を作るまでには、なにか相当な理由があると思いますが?〕


 まさしくここが一番気になるところだ。そして、最も興味深い話が始まろうとしたその時——


 織田女史が、カチャリと音を立て、白いバスローブに湯気をまといながら出てきた。フワっと広がるシャンプーの香りと濡れ髪が、無駄に色気を増幅する。


「……」


 一瞬目を奪われかけ、慌ててテレビに視線を戻す。煩悩を知識欲で押さえ込んで、俺は心音を誤魔化すかのように音量を上げた。


「なにか新しい情報がありまして?」

「えっと、新しくはないのですが……」


 と、テレビを見るように促した。正直、俺が話すより、専門家の話を聞いていたいってのが本音だ。


〔治安がどんどん悪くなっていったんや。ハリファがそん時、『これ以上国民の不満を爆発させるわけにはいかない』()うて、政治団体を組織したのが始まりやな〕

〔彼自身が、国民感情の受け皿になったわけですね〕

〔そうや。ただ……最初のころは、生活改善を掲げて政府側と根強く交渉を続けていたんやが、今から三年ほど前やったかな、突然、武力抵抗を始めおってな〕


 それがドゥラの始まりか。そのころにはすでに、大量の兵器が配備されていたらしい。ライフルや戦車、そして軍用HuVer(フーバー)


 イスラエルのメルクHVと呼ばれる機体やロシアのKVHシリーズ、中国のHV99式といった、様々な国の使い古された軍用HuVerが、入手経路不明のままドゥラの手に渡っている。


〔ワシは、どこかの国が後ろにいる思うとるで〕

〔そうですね……可能性は否定できませんが、確定的な情報はまだありません〕


 司会は言葉を濁していたけど、誰がどう考えても、仲介している組織もしくは国がある事は確かだ。困っている人や国を食い物にしようとするヤツは、どこにでもいる。今までは漠然と考えていたけど、今は違う。


 ……どっぷりと、俺の生活を脅かしているのだから。


「普通の生活に戻りたいなぁ……」


 ……今はただ、それだけを願う。


「ん? なにかいいました?」


 織田女史は着替え終え、スッと俺の横に座りテレビを見始めた。


 丁度そのタイミングだった。画面にテロップが流れ、司会にメモ書きが渡される。


〔緊急速報です。NATO:北大西洋条約機構が、バジャル・サイーア共和国の内戦に軍事介入するそうです〕


 無意識の天然なのか、それともあざとく計算しているのか、織田女史は上目遣いで首を傾げながら、唇に人差し指を当てて聞いてきた。


「あの、藤堂さん。こういう報道って、テロ組織もチェックしているはずですよね?」

「だと思いますけど……」

「そしたら、『今から攻撃します』なんて言ったら意味がないのではありませんか?」


 織田女史の疑問は至極普通だと思う。攻撃する事を前提とするのなら当然の話なのだから。


 俺はテレビ画面を指差した。丁度その疑問の答えを言っていたからだ。口下手な俺が解説するよりもずっとわかりやすい。


〔これは、意図的に流しとんのやろな。戦争をやめへんと武力介入する()う警告やで〕

〔なるほど。本音は戦いたくないって事ですか〕

〔いや、逆や……〕


 コメンテーターが口にした『逆』の意味が今一つ理解できない女史。目をパチクリさせながら言葉の続きを待っている。 


〔NATOは、この戦争が止まらへんとわかっとる〕

〔つまり?〕

〔警告はした、それでも止めへんなら仕方なく攻撃する()う意思表示や〕


 ……だけどこれは欺瞞の塊。嘘だらけの建前だ。


〔つまり、攻撃を正当化するためのブラフやな〕

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