第29話・終電
「ありがとうございました。またおこし下さいませ〜」
♪ピロリンピロリン~
コンビニの自動ドアが明るい音を鳴らし、お姉さんの元気な声が後ろから聞こえてきた。しかし、ポジティブな雰囲気とは裏腹に、俺の心には分厚いモヤがかっている。
袋の中は一番安い海苔弁と、緑の野菜ドリンクだけ。三十歳目前の無職生活……情けなさすぎる。
織田女史は『事が落ち着いたら、清里のペンションで雇って貰うのはどうです?』なんて冗談とも本気とも取れない事を言っていた。
……いや、あれは本気の目だったな。
「うわっ、きっつ……」
外に出たとたん真昼の太陽光が直接目に入ってきて、あまりのまぶしさに目をつむってしまった。寝不足の身体にこれはこたえる。
怠さが支配する身体を引きずりながら五分ほど歩くと、築年数のわりに小奇麗なマンションが見えてくる。
「ここも引っ越しを考えなきゃならないのか……」
オートロックを解除してエレベーターに乗り込み、三階のボタンを押す。普段なら階段をさっさと上がるのだが、今日の体調ではとてもそんな気になれなかった。
……とりあえず、貯金が無くなるのが先か望月部長がペンションを引き継ぐのが先か。
もちろん再就職も考えたけど、いつから働けるかわからない上に、悪い意味で有名人の俺を雇う会社などまずないだろう。
「はあ、マジで鬼だったな、織田女史は……」
「——あら、地獄の沙汰も私次第という事ですのね?」
俺の部屋の前で、仁王立ちの織田女史……なんでいるの。
「合鍵渡してあるじゃないですか」
「彼女でもないのに、勝手に入るなんてしませんわ」
「……はあ、そうですか」
近所の目を気にしてほしいな~と思いながら、鍵を取り出そうとポケットに手を入れた時だ。カチャリと音を立てて織田女史はさっさと部屋に入った。
「面倒がないように鍵は開けておきました」
……もう、なんなのこの人。
♢
昨晩、望月部長の家を追われるように飛び出した俺たちは、そのまま電車に飛び乗り富士吉田支社を後にした。
その車内で、織田女史からボールペンとレポート用紙を手渡されたのだった。
「辞表は私が預かって、会社に郵送さた事にして提出しておきますね」
彼女は、退職願いなんてどう書けばよいのかわからない俺に、一字一句助言してくる。
人事部にいて普段から見慣れているのか、はたまた文面まで考えて用意していたのかはわからない。
それでも、大月駅に着くころには、抜かりのない完璧な辞表が仕上がっていた。……結構、いや、かなり複雑な心境だ。
「あの、藤堂さん……」
「なんでしょ?」
なにやら神妙な面持ちの織田女史。『まさか追手でもいたのか?』と周囲に目を光らせたが、深夜という事もあってか俺たち以外の人影は見えなかった。
「あのですね……。もう、終電終わっているみたいです」
「はいぃ?」
深夜の蒸し暑さの中、織田女史の頬に汗が一筋。『彼女でも困惑する事があるんだな』と、失礼ながら人間らしい一面を見た気がした。
それにしても終電がすでに出ているって、なんで……いや、確かに富士急行線とJRは別の会社だけど、それでも乗り継ぎができない時間設定とかありえないだろ。
——23時30分、大月駅前。
真夜中、それも土地勘のない場所に放り出されてしまった。
「まいりましたね。乗り換えすらないとは……」
駅前に待機している数台のタクシー。深夜料金という文字が煌々と踊り、俺たちみたいな、乗り継ぎに失敗した客を狙っている。
財布の中身と今月の生活を天秤にかけていたその時。織田女史はオレの腕を掴み、静かに、それでいて反論を許さない迫力を持って口を開いた。
「明日から無職なのですよ? 余計な出費は抑えるべきです。今夜はどこかに停まって、始発で戻りましょう」
「まあ、そうですが……面向かって『無職』って言われると、結構くるものですね」
「そんなに落ち込まないで下さい。部長も言っていたじゃないですか、Take it easyって」
……それ、あなたが言います?
ツッコミを飲み込みながら、近場のホテルを検索してみると、歩いて行ける範囲に何カ所かビジネスホテルが見つかった。
「え~と、一番安い所は……」
「私にも見せて下さい」
と、オレの肩からスマホを覗き込んでくる織田女史。
身長のある俺と女史とでは、三十センチくらい身長差がある。彼女は俺の後ろから肩に手をかけると、よじ登るように密着してきていた。
至近距離からふわっと甘い香りが……不覚にもドキッとして、声が上ずった。
「こ、これなんてどうです……か?」
「でもそれ、一人分の料金ですよね」
「まあ、そういうもんだと思いますけど?」
「まったく、あなたの経済観念が心配ですわ」
織田女史はスマホを見ながら歩きだした。なにかを検索しているらしく、声をかけても気のない返事しか返ってこない。
それから十分ちょっとは歩いただろうか、薄暗い道路の先にあるのは、決して趣味がいいとは言えない建物。嬌艶なピンクのネオン看板が光る入口。
「ここなら二人で泊っても格安で済みますわ」
「あの、ここってどうみてもラブホ……」
「はいはい、行きますよ」
スタスタと入っていく織田女史。
……俺は貴女の貞操観念の方が心配です。
※ ラブホテル:最近ではファッションホテルという言い方をしますが、藤堂堅治がアラサーという事であえて『ラブホ』という略称を使わせています。
ちなみにファッションホテルという言い方は、単に風営法をかいくぐる為の誤魔化しだそうです。ホテルという形態の業種は一般ホテルとラブホテルの2種類しかないと言われています。




