第8話・仮説
立川駅の近くにある、古めかしいラーメン屋の店内。油交じりのにおいが染みついた壁には、ビールを持った水着美女のポスターが鮮明に映えている。
行き掛り上ではあったが、俺は今ここで織田女史とテロリスト報道についての議論を交わしている。……はずだった。
「当社社員の拉致、そして一連の報道。全て仕組まれています」
一瞬、言葉を失ってしまった。テレビで流れているバラエティ番組の嘘くさい笑い声だけが聞こえてくる。
「……はい?」
この人、そんな漫画みたいな陰謀論を言う人だったか?
「ま、信じらないでしょうね」
「はぁ……」
俺の表情を見て察したのか、織田女史は少し自虐的に笑っていた。
「まず、あなたの代わりに渡航したのは、零士・ベルンハルト。富士吉田支社の設計技師です」
「名前だけは聞いています」
富士吉田支社は、自衛隊の北富士演習場の近くにあって、HuVerの設計・開発と、運用実験を行っている部署だ。
そして、北富士演習場の近くにあるのにはもう一つ別の意味があった。
——HuVerの軍事利用。
もちろん、自衛隊は専守防衛限定での運用。しかし、世界を見たわすと、軍用HuVerの開発は極々普通の事だった。
建築現場から被災地、軍用と、この汎用性の高さがHuVerの売りの一つだ。
――だが時としてそれは、犯罪に使われるケースもある。
角橋重工は、自衛隊にHuVerの技術や無力化方法を提供、犯罪に対する対処策の研究と、万が一の場合に備えてのバックアップ体制を構築している。もちろん、政府公認の依頼として。
「起動試験や調整で何度か出向しましたが、その彼には一度も会った事がないですね。基本的に技術スタッフとのやりとりがメインでしたから」
実際はそんなものだ。事務職と現場職が直接絡む事は滅多にない。
「あの子ったら、あまり表に出たがらないのよね」
グラスのストローをクルクルと回しながら、嬉しそうに『あの子』と口にする織田女史。なにやら特別な感情がありそうな気配だ。
俺はそんな彼女を見て微笑ましく感じたのかもしれない。いつの間にか顔がほころんでしまっていた。彼女は、そんな俺の表情を見ると恥ずかしそうに横を向き、バツが悪そうに烏龍茶を一口飲んだ。
「そ、その彼と連絡が全く取れなくなっています。そして、持って行ったHuVerも行方不明のままです」
「でもそれだけの情報だと、単に拉致されたかもしれないって話にしかなりませんよね?」
「ええ、ですがマスコミ報道はどうでしょう?」
織田女史の陰謀論で、気になったのがこれだ。病院のベッドの上で俺が感じていた疑問。人事部の彼女ならなにか知っていてもおかしくない。
「あの報道って、情報ソースはどうなっているんです?」
「それがわからないのです」
「は? ……意味なくないですか?」
思わず口をついて出てしまった。彼女が言い切った”陰謀“の証拠ともいえる部分なのに『わからない』ってのは、話が根本から覆る事になる。
女性に対して『ちょっと言葉がキツかったかな?』と反省しかけたが、織田女史は全く意に介していなかったみたいだ。彼女は、むしろ俺がそういう反応をすると見越していたかのように平然と話を続けた。
「わからないという事実が、この話の根幹なのです」
わからなければそれで話は終わってしまうと思うのだが……
「今回の報道内容は、角橋重工の人事管理システムを介していません」
「……?」
「つまり藤堂さん、あなたの経歴や顔写真は、会社からマスコミへ正式に提供されたものではないという事です」
「社員の個人情報は社外秘扱いですよね?」
「もちろんです。個人の登録データから行動予定まで、たとえ小さな交通違反だったとしても、幹部以上の許可なくして表に出る事はありません」
織田女史は口に手を当てて、自身の考えを整理するかのようにゆっくりと言葉を繋げた。
「社員データを管理している人事部からは、一切の情報提供の痕跡がありませんでした。その上で社員データがマスコミの手にある。この条件から考えられる事はなんだと思います?」
「……スパイ、ですか? それも人事部のデータを勝手に閲覧できるレベルにいる人物」
織田女史は黙ったまま頷き、そして、俺にとってはかなり恐ろしい仮説を口にした。
「そして肝心なのは……藤堂さん、あなたの情報が流れる手はずになっていたとしたら?」
「最初から俺は――拉致される予定だったって事ですか!?」
「あなたが緊急入院したため代理社員が渡航する事になった。その事実を知らないマスコミは提供されたあなたのデータを使って公表した」
確かに辻褄は合う。俺と零士・ベルンハルトでは体格差もかなりあるし、普通は間違いなんて起きないと思う。
……だけど、こんなの、どうすればいいんだ?




