第7話 代償リスト
「るる。大事な話がある」
鏡花が言った。
自宅のリビング。テーブルの上に封筒と金属の装置が並んでいる。カーテンは閉めてある。部屋の照明は白い。鏡花は白い照明しか使わない。暖色系は情報の読み取りを阻害するからだ。
ひまりとるるが向かいに座っている。
鏡花は姿勢を正した。ポケットからメモを取り出した。
「怖がらなくていい。これから話すことは事実だが、対処法がないわけではない。まず落ち着いて聞いてほしい」
棒読みだった。
完全な棒読みだった。音読発表会で緊張した小学生の方がまだ感情がこもっている。
ひまりがるるの顔を見た。るるがひまりの顔を見た。
「鏡花ちゃん、それ読んでるよね」
「読んでいない」
「メモ持ってるよ」
「持っていない」
持っている。A5のメモ用紙。文字がびっしり書いてある。
るるが手を伸ばした。
「見せて」
「だめだ」
鏡花がメモを背中に隠した。
ひまりがテーブルの反対側から回り込んだ。二人がかりの挟撃。鏡花は戦闘では人類最速だが、自宅のリビングで友人二人に追い詰められると案外弱い。
るるがメモを奪った。
「怖がらなくていい、バージョン1。怖がらなくていい、バージョン2。怖がらなくていい、バージョン3。全部消してある。バージョン7まである」
ひまりが横から覗き込んだ。
「鏡花ちゃん七回書き直してる」
鏡花の耳が赤くなった。
「返せ」
「やだ。これ家宝にする」
「するな」
るるがメモを胸に抱えて笑った。
「鏡花ちゃん。大丈夫だよ。怖がらないから話して」
鏡花は耳を赤くしたまま椅子に座り直した。メモなしのぶっつけ本番。鏡花が最も苦手とする状況である。
「管理局の内部文書を読んだ。白城が渡してきたものだ」
封筒から資料を出した。三人分の代償記録。
「まずひまり。お前の代償は外見年齢の恒久的固定。知ってのとおりだ」
「知ってる。見ればわかるし」
ひまりが自分の顔を指さした。今さらショックはない。
「問題はるるだ」
鏡花がるるを見た。
るるが背筋を伸ばした。
「るるの能力は他者の感情を吸収して浄化する力だ。代償は、浄化のたびにるる自身の感情が薄くなっていく」
部屋が静かになった。
エアコンの音だけが響いている。
「敵を浄化すればするほど、お前の喜びや悲しみや怒りが削れていく。文書にはそう書いてある」
るるは黙っていた。
五秒。十秒。
「知ってた」
静かな声だった。
「たぶん、薄々」
ひまりが息を呑んだ。
「最近ね、お見合いの時に相手が面白いこと言っても、すぐ笑えなくなってきてたの。前は自然に笑えたのに。今は、面白いって頭ではわかるんだけど、笑うまでに一拍かかる」
るるが自分の左手を見た。指輪の光が薄い。
「この指輪も最近暗いなって思ってた。でも考えたくなかったの」
「るるさん」
ひまりの目が潤んだ。
「泣かないでひまりちゃん。泣くのは私の役目でしょ」
るるが笑った。笑えている。まだ笑えている。でもその笑顔がいつまで自然に出るのか、もう誰にもわからなかった。
ひまりが鼻をすすった。
「鏡花ちゃん。対処法があるって言ったよね」
「白城は代償を止める方法があると匂わせていた。まだ具体的には聞いていない」
「じゃあ聞きに行こう。今すぐ」
「焦るな。白城を完全に信用するのは早い。管理局にも確認を取る必要がある」
鏡花がテーブルの上の金属装置を指で弾いた。
小さな装置。親指の先ほどの大きさ。黒い金属。表面に微細な回路のようなものが刻まれている。
「これは先日の戦闘で現場に落ちていた。次元獣の体内ではなく、外部から設置されていたものだ」
「それ何?」
「分析した。管理局の技術に酷似している。つまり、あの次元獣は自然発生ではなく誘導された可能性がある」
ひまりの顔色が変わった。
「誘導って、誰かがわざと怪獣を呼んだってこと?」
「断定はできない。だが装置の製造技術は管理局のものと一致する」
三人が黙った。
管理局。自分たちの上司。自分たちを魔法少女にした組織。
その組織が、敵を意図的に作り出していたとしたら。
自分たちは何のために戦ってきたのか。
「今日わかったことをまとめる」
鏡花がテーブルに指を立てた。得意のブリーフィングモードだ。
「一つ。三人の魔法少女としての能力には代償がある。管理局はそれを知っていて隠していた。二つ。直近の次元獣は人為的に誘導された可能性がある。装置の出所は管理局に類似。三つ。白城誠は元管理局調査課。代償と装置の両方について情報を持っている可能性が高い」
「三段論法みたい」
「三段論法ではない。三つの事実の並列だ」
「鏡花ちゃんに冗談は通じないの知ってたけど毎回やっちゃう」
ひまりが枝豆の殻を皿に放った。鏡花がおやつに枝豆を出していた。居酒屋以外で枝豆を出す人間を初めて見た。
「方針を決めたい」
鏡花が三本目の指を折った。
「管理局には直接聞く。白城にはこちらから連絡を取る。ただし三人一緒に動く。単独行動はしない」
「賛成」
るるが手を挙げた。
「賛成。鏡花ちゃんが一番危ないもん。一人で全部やろうとするから」
「していない」
「七回メモ書き直す人がそれ言う?」
鏡花が黙った。反論できなかった。
ひまりが封筒の資料をめくった。
ページの端に手書きの付箋が貼ってある。白城の字だ。
三人目のページ。氷室鏡花。
「鏡花ちゃんの代償は?」
ひまりが聞いた。
鏡花が資料を取り上げた。速かった。ひまりが読む前に回収した。
「重要ではない」
「重要だよ。三人のことでしょ」
るるが真剣な目で言った。さっきまでの笑顔ではなかった。
「次に話す。今日はるるの件が優先だ」
「鏡花ちゃん」
「次に話す」
声が硬かった。
ひまりとるるは顔を見合わせた。
引き下がるべきタイミングだと二人とも理解していた。十六年間の付き合いだ。鏡花の壁がこれ以上押しても開かないことはわかる。しかし。
「約束して」
るるが言った。
「次は話して。絶対に一人で抱えないで」
鏡花が窓の方を見た。カーテンの隙間から夜景の光が細く差し込んでいる。
「約束する」
小さな声だった。
帰り際、ひまりが玄関で靴を履いた。
「鏡花ちゃん。ありがとう。私たちのために全部調べてくれて」
「礼は……」
「いらないって言うのは知ってる。でも言いたいの。ありがとう」
鏡花は何も言わなかった。ドアを開けて、二人が出ていくのを見送った。
ドアが閉まった。
一人になった。
リビングに戻って、資料を開いた。
三人目のページ。
氷室鏡花。代償区分、感情喪失型。詳細、感情の段階的喪失。最終段階、完全な無感情。
ページの下に進行度のグラフがある。縦軸が感情応答値。横軸が年数。
十六年前を起点として、線は緩やかに下降している。
現在値。正常範囲の下限。まだぎりぎり範囲内。
だが線は確実に下がっている。
鏡花は自分の胸に手を当てた。
今日、ひまりが泣いた時、自分は何を感じたか。
るるが笑った時、自分は何を感じたか。
感じた。確かに感じた。
でもそれは本当に感じたのか。感じるべきだと判断して、脳が感情を模倣しただけではないのか。
区別がつかない。
窓の外の夜景を見た。
きれいだと思う。
思っているのか。
思うべきだと判断しているのか。
鏡花は静かにファイルを閉じた。
テーブルの上のメモ用紙が目に入った。七回書き直した「怖がらなくていい」。るるに奪われたはずだが、いつの間にかテーブルに戻されていた。
メモの裏に、るるの丸い字で一行書いてあった。
『鏡花ちゃんは優しい人だよ。私が決めたの。』
鏡花はそれを長い間見ていた。
長い間見ていたということは、何かを感じていたのだと思いたかった。




