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第6話 敵か味方か


白城誠は、生ビールを注文した。


三人の最強の魔法少女が、隣で殺気を放っている居酒屋で。

眉ひとつ動かさず、生ビールを、注文した。


「あの、お通しは?」


店員が聞いた。三人の只ならぬ空気を察してか、声が少しこわばっている。


「お願いします」


白城が、微笑んだ。あのデートの時と、寸分違わない笑顔だった。その自然さに、ひまりの胃が裏返りそうになった。


「何しに、来たんですか?」


ひまりの声が、低い。ジョッキを握る手に、力がこもっている。中のビールが、小さく波打っていた。


「取材ですか。今度は三人まとめて記事にするつもりですか。見出しはもう決まってるんですか。『最強の魔法少女、居酒屋で枝豆を食べる』とか」


「取材では、ありません」


白城が、ポケットから一枚の名刺を出した。テーブルに、静かに置く。


白城誠。ジャーナリスト。


その名刺の裏に、一行だけ、手書きの文字があった。


『元・防衛省魔法少女管理局 調査課』


鏡花の目が、すっと細くなった。


「調査課は、五年前に解散したはずだ」


「よく、ご存じですね」


「自分たちの管轄組織くらい、把握している」


鏡花が、ウーロン茶のグラスを、テーブルに置いた。

音を、立てなかった。それが、逆に怖い。静かな鏡花は、怒っている鏡花だ。長い付き合いの二人には、それがわかる。


「解散じゃない。潰されたんです」


白城の声のトーンが、変わった。カフェで見せていた、あの綿のような柔らかさが消えて、芯の通った、硬い声になった。


「調査課は、魔法少女制度の問題点を検討する部署でした。とくに……代償に関する、データを集めていた」


「代償?」


るるが、こてんと首をかしげた。


白城の目が、一瞬だけ、るるの左手に向いた。ほんの、瞬きほどの間。


るるは、何も気づかなかった。

ひまりも、気づかなかった。

鏡花だけが、その視線の動きに、気づいた。


「今日は取材ではなく、警告をしに来ました」


白城は姿勢を正した。


「あなたたちは、利用されて……」


しかし白城は止まった。

言いかけた言葉を、ぐっと喉の奥に飲み込み、ビールを一口飲んだ。喉が、上下する。


「いや……すみません。順序が、違う。まず謝らせてください」


白城が、ひまりに向き直った。テーブルの上で、両手を膝に戻して。


「蓮見さん。いえ――ひまりさん。マッチングアプリであなたに接触したのは、魔法少女の実態を取材するためでした。最初の動機が、純粋なものでなかったのは、事実です。本当に、申し訳ありませんでした」


頭を、下げた。深く。テーブルに、額がつきそうなほど。


ひまりは、黙っていた。


怒りは、ある。当然ある。

あのデートの帰り道、星は見えないけれど星はある、とそう思えた夜。

あの全部が嘘だったのかと思うと、今すぐ手元の枝豆を、この男の整った顔に投げつけてやりたい。


でも。


あの、子供にからかわれた時の、自然なフォロー。

あの、チーズケーキの気遣い。

あの、「また会えますか」の、声。


あれも全部、取材のための、演技だったのか。


わからない。

わからない、というのが、一番つらい。

怒り切ることも、許すこともできない。


「謝ったら、許されると思ってるんですか」


声が、震えた。怒りなのか、悲しみなのか、自分でも区別がつかなかった。


「思っていません。ただ……謝らないまま次の話をするのは、不誠実だと思いました」


白城が、顔を上げた。

その目を、鏡花は、じっと見ていた。


嘘を、吐いていない。


鏡花は、十六年間、戦場で人間を見てきた。命のやり取りの場で、嘘を吐く人間の目が、どう揺れるかを知っている。白城の目は、今、嘘を吐いていなかった。


だが。それが、余計に厄介だと、鏡花は思う。

敵なら、斬ればいい。だが、嘘のない敵は、どう扱えばいいのか。


「管理局を辞めた理由は?」


鏡花が、低く切り込んだ。


「それを話すと……あなたたちを、巻き込むことになります」


「すでに巻き込まれている。ひまりは、お前のせいで泣いた」


白城の表情が、わずかに、揺れた。痛いところを突かれた顔だった。


「……分かりました。これを」


白城が、鞄から封筒を取り出した。薄い茶封筒。透かしに、防衛省の紋章が入っている。


「管理局の内部文書のコピーです。代償に関する資料が入っています。読んでください。読んだ上で……もう一度、話をさせてほしい」


封筒をテーブルに置いた。


るるがそれに無意識に手を伸ばしかける。


その手より先に、鏡花が封筒を取った。


「ここでは、開けない」


封筒をスーツの内ポケットにしまった。


白城が、立ち上がった。生ビールを、半分以上、残したまま。


「もう一つだけ」


白城が、るるを見た。

今度は、るるも気づいた。自分の左手が、見られていることに。


「その指輪の光――薄くなっていませんか」


るるが、はっとして、自分の左手を見た。指輪は、いつもどおり、光っている。ように、見えた。少し暗い気もするが、それは、店の照明のせいかもしれない。きっと、そうだ。


るるは、無意識に、左手をテーブルの下へ隠した。


白城が、レジで会計を済ませた。三人の分も払おうとして、鏡花にひと睨みされ、自分の分だけ払って、店の戸口へ向かった。


去り際に、一度だけ、振り返る。


「普通の生活がしたいなら。その文書を読んでください」


引き戸がからりと閉まった。


三人が後に残された。


そして、潮が満ちるように、店内の喧騒が戻ってきた。

さっきまで、三人の放つ殺気で、半径三メートルの客がぴたりと黙り込んでいたのだ。

今ようやく、隣のサラリーマン集団が、何事もなかったように息を吹き返し、遅れた乾杯をしている。


「……なにあれ」


ひまりが、ジョッキの残りを、乱暴に飲み干した。


「信用できる? できないでしょ! マチアプで近づいてきた時点で、信用ゼロでしょ」


「ゼロでは、ない」


鏡花が、言った。


「なんで?」


「嘘を吐いていなかった。少なくとも、今日の発言に虚偽はない。目を見ればわかる」


「鏡花ちゃんの嘘発見器、たまに壊れるからね」


「壊れたことは、ない」


「去年の合コンで、相手が既婚者だったの、見抜けなかったじゃん」


「あれは嘘ではなく、詐欺だ。カテゴリが違う」


「一般的には、同じだよ」


その軽口の応酬の隣で、るるが、おしぼりを絞っていた。

きつく、絞っていた。とっくに水なんて出なくなっているのに、白い布をねじり続けている。指の関節が、白くなるほど。


「るるさん。おしぼり、それ以上やっても、もう出ないよ」


ひまりが、そっと言った。


るるの手が止まった。


「……ごめん。ちょっと、考えごとしてた」


笑った。いつもの、笑顔で。


ひまりは少しだけ安心して、でも、完全には安心できなかった。

るるの笑顔が、いつもより、ほんの少しだけ、薄いような気がしたのだ。


鏡花は、内ポケットの封筒に指で触れた。

もう一つ。今日の戦闘で拾ったあの金属の装置も、同じポケットに入っている。二つの手がかり。


今は、二人に見せない。情報を、自分の中で整理してからだ。確証のないことで、二人を揺らしたくない。


「帰るか」


鏡花が、立ち上がった。



三人で店を出た。

渋谷の夜はうるさい。スクランブル交差点が、深夜だというのに人であふれている。広告ビジョンの光が絶えず色を変えて、行き交う顔を青や赤に染めていく。信号待ちの間に、ひまりがるるの袖をくいと引っ張った。


「るるさん、大丈夫?」


「大丈夫だよぉ。白城さんのこと? 大丈夫、大丈夫」


「それもあるけど。さっき――左手、隠したでしょ」


るるが一瞬だけ目を逸らした。視線が、横断歩道の白い縞の上を泳いだ。


「……照明のせいだよ。指輪、ちょっと暗く見えただけ」


信号が青に変わった。三人が、人波と一緒に歩き出す。


渋谷のネオンが、三人の影をアスファルトの上に長く伸ばしていた。歩幅の違う、三つの影。


ひまりがふと空を見上げた。ビルとビルの細い隙間。東京の空には、今日も星が見えない。


「ひまりちゃんは、大丈夫?」


今度は、るるが聞いた。


白城の件。デートが取材だった件。本当は、全然大丈夫じゃないはずだ。一番、傷ついていい立場のはずだ。


「大丈夫じゃないけど、大丈夫」


ひまりがまっすぐ前を向いた。


「二人が、いるから」


鏡花がほんの少しだけ歩く速度を落とした。前を行く二人に合わせるように。

いつもは、歩幅の小さい二人が背の高い鏡花に合わせるのだ。それが今日は、鏡花のほうから合わせた。


三人の足音が、自然と揃った。



帰宅した鏡花は、上着を脱ぐより先に、机に向かった。


封筒を開いた。

ポケットから、あの金属の装置を出す。


二つを机の上に並べた。


PCを開く。画面の光だけが、暗い部屋にぼうっと浮かんだ。


文書の一ページ目。防衛省のロゴ。「機密」指定の、赤いスタンプ。


タイトルが目に入った。


『魔法少女代償進行記録 ――通称・代償リスト』


ページをめくった。


三人分の記録があった。


蓮見ひまり。代償区分、身体固定型。詳細、外見年齢の恒久的固定。


知っている。ひまり本人も知っている。あの十二歳の顔は、姿は、力の代償だ。それは、ずっと前からわかっていたことだ。


豊科るる。代償区分、感情吸収型。詳細、他者感情の浄化に伴う、自己感情の漸進的希薄化。


鏡花の指が止まった。


るるの、代償。

他者の感情を吸収して浄化する、その代わりに――自分自身の感情が、少しずつ薄れていく。


指輪の光が薄くなっていたのは、気のせいではなかった。あれは、るるの感情がすり減っている証だ。みんなを甘やかし、敵を抱きしめ、誰かのために動き続けたぶんだけ、彼女自身の心が削れていく。


鏡花は、しばらくその一行を見つめていた。

それから、ページをめくった。


三人目。


氷室鏡花。代償区分、感情喪失型。詳細、感情の、段階的喪失。最終段階――完全な無感情。


鏡花は、文書から目を上げた。


窓の外に、東京の夜景が広がっていた。

無数の光があった。ビルの窓。車のヘッドライト。赤い航空障害灯の明滅。


きれいだと思うべき景色のはずだった。


きれいだと思っているのか。

それとも、こういう景色はきれいだと思うべきだと頭で判断しているだけなのか。

鏡花には、もうその区別がつかなかった。

いつからつかなくなったのかも、思い出せなかった。


静かにファイルを閉じた。

部屋が、暗くなった。



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