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第2話 ロリ顔詐欺と完璧な彼


「ひまりちゃん、それ三回目の着替えだよね?」


るるのビデオ通話越しの声が、戦場のように散らかった部屋に響いた。


ベッドの上に服が十七着、山になっている。脱いだそばから積み上げて、もう原型をとどめていない。床にはアクセサリーが散乱して、ピアスの片割れがさっきから一個行方不明だ。クローゼットの扉は開けっ放し、ハンガーが半分床に落ちている。怪獣を倒すより、自分を可愛く見せるほうがよほど手間がかかる。


ひまりは姿見の前で、ワンピースの裾を両手で引っ張っていた。少しでも丈を伸ばそうとするように。


「大人っぽく見えるかな。ねえ大人っぽいかな?」

「かわいいよぉ」

「かわいいじゃなくて大人っぽいかって聞いてるの」


スマホは充電ケーブルにつないだまま、本棚に立てかけてある。画面が二分割されていた。上半分がるる。下半分が鏡花。


鏡花は自宅で、かたなを研いでいた。

画面の手元では、砥石の上を刃がゆっくりと往復している。しゃ、しゃ、と規則正しい音が、通話の向こうから途切れずに聞こえてくる。デート前の友人の相談に付き合いながら、片手間に刃物を研ぐ女。器用なのか不器用なのか、もうわからない。


「鏡花ちゃんも何か言って」

「服装に関する知見がない」

「知見がなくていいから印象を言って」

「幼い」


ひまりが、姿見に額をぶつけた。ごつ、と鈍い音がして、鏡の中の自分が揺れた。


「もう少しオブラートに包んで」

「幼く見える」

「変わってないよそれ」


るるが、画面の向こうで首をかしげて考え込んだ。後ろにやわらかな部屋の灯りが見える。


「ヒールは? ヒール履くと大人っぽくなるよ」

「七センチ履いても一四七センチ」

「あっ」

「身長の『あっ』は傷つくからやめて」


砥石の音が、一瞬だけ止まった。鏡花なりの、沈黙の気遣いだったのかもしれない。


結局、四回目の着替えで落ち着いた。

ベージュのブラウスに、くるぶし丈のロングスカート。少しでも背を高く、少しでも大人に見えるように。ヒールは九センチ、手持ちでいちばん高いやつ。


メイクに一時間半かかった。

アイラインを三回描き直した。一回目は太すぎ、二回目は左右がそろわず、三回目でようやく落ち着いた。チークを足して、濃すぎて消して、また少しだけ足した。

鏡の中の自分が、いつもより少しだけ大人に見える気がする。気がするだけかもしれない。でも「気がする」なら戦える。


化粧ポーチの底で、コンパクトが小さく光った。

変身用のコンパクトだ。開けば、最強の魔法少女ティアラになれる。一秒で、十数メートルの怪獣を見下ろす存在に変われる。


でも、今日は使わない。

今日は、魔法なしで可愛くならなきゃいけない日だ。世界でいちばん難しい変身だ。


ひまりはコンパクトをポーチの底に押し込むと、深呼吸をひとつして、家を出た。



待ち合わせは、表参道のカフェだった。


ガラス張りの、天井の高い店だった。観葉植物の鉢が間隔を置いて並び、午後の光が大きな窓から斜めに差し込んでいる。豆を挽く低い音と、ミルクスチーマーの蒸気の音。客の話し声は控えめで、あの夜の居酒屋とは何もかもが違う、品のいい静けさがあった。コーヒーの香ばしい匂いに、焼き菓子の甘い匂いがうっすら混じっている。


白城誠は、写真どおりの人だった。

穏やかな目。整った眉。少しくせのある前髪。笑うと目尻が、ゆるやかに下がる。立ち上がると身長は一七五くらいで、ヒールを履いたひまりが見上げて、ちょうどいい高さだった。


ひまりの心臓が、喉のあたりまでせり上がってきた。


「蓮見さん?」

「は、はい。蓮見です。ひまりです。あっ、今のは名前です。蓮見ひまりです」


日本語が崩壊している。九センチのヒールの中で、つま先に力が入った。


白城が笑った。馬鹿にするような笑い方じゃなかった。やわらかく、ほどけるような笑い方だった。


「座りましょうか」


窓際の、二人掛けの席。午後の光がテーブルの木目に落ちて、白いカップの影を長く伸ばしている。向かい合って座ると、思っていたより距離が近かった。メニューを開くひまりの指が、まだ少し震えている。膝の上のスカートを、何度も意味もなく直してしまう。


「こういうお店、実はあんまり来なくて」


ひまりは、声を半音だけ低めに出した。落ち着いた大人の女性のつもりだった。自分でも芝居がかっているのはわかっていた。


「僕もです。自分で淹れる方が好きで」

「へえ、凝ってるんですね」

「凝ってるというか、出不精なだけです」


白城が、照れたように肩をすくめて笑う。

その自然な仕草に、張りつめていた肩の力が、すっとほどけた。テーブルの上の距離が、目に見えないところで少しずつ縮まっていく感覚があった。


いける。

今回は、いけるかもしれない。


カフェラテを注文した。白城はブラックコーヒー。

運ばれてきたカップを両手で包むと、ひまりの冷えた指先に、じんわり温かさが伝わった。


会話は、驚くほど滑らかに流れた。

仕事の話。休日の過ごし方。最近読んだ本のこと。白城はよく聞き、よく笑い、ひまりの話を一度も遮らなかった。話が途切れそうになると、さりげなく次の話題を拾ってくれる。


三十分が、五分に感じた。

カフェラテの表面のラテアートが、いつのまにか崩れて、ただのミルクの渦になっていた。


「蓮見さんのお仕事って、何されてるんですか」


来た。

この質問は想定済みだ。鏡花と練り上げた、回答マニュアルがある。


「公務員です」

「公務員。安定してていいですね」

「ええ、まあ。体を動かす系の」


嘘は言っていない。給料は税金から出ている。怪獣を殴るのは、たしかに体を動かす仕事である。


「お仕事、大変でしょう」


白城の声は、どこまでも柔らかかった。

でもその一瞬――ほんの瞬きの間だけ、伏せた目の奥に、何か硬いものが走った気がした。コーヒーカップに伸ばす指が、わずかに止まった、ような。


気のせいだと思った。

気のせいだと、思いたかった。


そのとき、隣の席から、舌足らずな声が飛んできた。


「おねえちゃん、なんねんせい?」


五歳くらいの女の子が、椅子の背もたれに顎をのせて、まんまるな目でこちらを覗いていた。


時間が、凍った。

午後の光も、コーヒーの香りも、滑らかだった会話も、ぜんぶ一瞬で固まった。


ひまりの頬が、笑顔の形のまま引きつった。


「に、にじゅう、きゅう」


声が、見事に裏返った。


女の子が、ふしぎそうに小首をかしげた。


「うそだあ。おねえちゃん、りなとおなじくらいじゃん」


りな、というのはおそらく、近くにいる小学三年生くらいのお姉ちゃんのことだろう。つまり、九歳。九歳と同じくらい、と言われた。


ひまりは、笑顔を維持するための表情筋が、静かに限界を迎えていくのを感じた。指先が冷たくなる。せっかく温まったカフェラテの熱が、どこかへ逃げていく。


白城が、口を開いた。


「若く見られるのは、将来得ですよ」


完璧なフォローだった。

笑顔の温度も、声のトーンも、差し込むタイミングも、何ひとつ過不足がない。


完璧すぎた。

まるで、この状況が起こることを、あらかじめ知っていたみたいに。


女の子の母親が、慌てて「すみません」と頭を下げ、娘の手を引いていった。


「大丈夫ですか」

「慣れてるので」


慣れてる。

そう、慣れている。二十九年間、そのほとんどの期間を、子供に、それもローティーンに、間違われて生きてきた。慣れたくなんてなかった。でも、慣れてしまった。慣れるしかなかった。


白城が、メニューをそっと持ち上げた。


「ケーキ、頼みませんか。ここのチーズケーキ、おいしいらしいですよ」


話題を、自然に変えてくれた。波風を、なかったことにしてくれた。

ひまりの胸が、少し痛くなるほど、この人は優しかった。優しすぎて、その優しさのなめらかさが、後からじわりと怖くなるくらいに。



帰り道、表参道の並木が、夕日でオレンジ色に染まっていた。

街路樹の葉の隙間から、傾いた西日がちらちらと差し込む。行き交う人の影が、歩道に長く伸びている。一日でいちばん、街がやさしい顔をする時間だった。


「今日は楽しかったです」


白城が、駅の改札の前で言った。


「また、会えますか」

「はいっ。ぜひ」


即答してしまった。

言ってから恥ずかしくて顔が熱くなったけれど、後悔はしなかった。


白城が改札を通り、ふと振り返って、小さく手を振った。

ひまりも、手を振り返した。

ヒールの中のつま先が痛かったけれど、見送ったあとの指先は、まだ温かかった。



スマホを取り出して、るるに電話した。


呼び出し音が一回鳴る前に、つながった。待っていてくれたのだ。


「るるさん」

「どうだった?」

「すごく、いい人だった」


声が、自分でも驚くほど震えた。


「いい人だったの。ちゃんと話聞いてくれて、子供に間違えられたときも自然にフォローしてくれて、ケーキも頼んでくれて」

「ひまりちゃん」

「私、ちょっと期待していいかな」

「いいに決まってるでしょ。ひまりちゃんは可愛いんだから」


るるの声が、いつもよりさらに柔らかかった。電話越しでも、あの聖母みたいな笑顔が見える気がした。


「今度、三人でご飯しよ。報告するから」

「うん。鏡花ちゃんにも言っとくね」

「ありがとう。るるさん大好き」

「私もだよぉ」


電話を切って、ひまりは夜空を見上げた。

星は、見えない。東京の空だから。ビルの灯りと広告の光が、星の出る隙間を全部埋めてしまっている。


でも、見えなくても、星はちゃんとそこにある。

今日は、なぜだか素直にそう思えた。



帰宅した。

玄関で靴を脱いで、九センチのヒールから解放された足の裏に、心の底から感謝した。出かける前のまま散らかった部屋を横目に、ベッドに倒れ込む。布団が、まだ少し昼間の陽だまりの匂いがした。


スマホを、もう一度開く。

白城誠のアプリのプロフィールを、もう一度見る。柔らかく笑う、あの写真。何度見ても、いい人そうだった。


ふと、指が滑った。


気づいたら、白城誠、と検索窓に打ち込んでいた。


フリーライター。記事が、あるだろうか。

読んでみたい。この人が、どんな文章を書く人なのか知りたい。あの優しい声で、どんなことを書くんだろう。


検索結果が、表示された。


ひまりの指が、止まった。


画面の中で、白城誠の名を冠したウェブサイトが開いていた。

ジャーナリスト。フリーライター。元・防衛省関連メディア勤務。

その肩書きの文字が、なぜか、やけに冷たく見えた。


最新記事のタイトルが、目に飛び込んできた。


『独占 魔法少女の私生活 最強の代償とは』


ひまりの手から、スマホが滑り落ちた。


ベッドの上で一度バウンドして、仰向けになった画面の中で、白城誠が笑っている。

あの、柔らかい目で。

あの、完璧なフォローの口元で。


全部、取材だったのだろうか。

あの笑顔も、あの優しさも、ケーキも、「若く見られるのは得ですよ」も、ぜんぶ。


ひまりは、枕に顔を埋めた。

泣かない、と決めた。最強の魔法少女だ。怪獣の前でも泣いたことなんてない。こんなことで泣くわけがない。


泣いた。

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