第18話 引き継ぎの指輪
「命令は聞かなくていい。自分で考えろ」
鏡花が凛に新型指輪を渡した。
管理局の地下指令室。モニターが十二面。今日は全部青い。警報なし。平和な日に、授与式をやる。当たり前のことだが、この三人にとって、平和な日は貴重だった。
凛が指輪を受け取った。両手で。茶道の作法みたいに、丁寧だった。
「はい」
即答した。
「今のは、命令ではない」
「はい」
「だから、はいと答える必要はない」
「はい」
「聞いているか」
「はい」
鏡花が口を閉じた。無限ループだった。前回の訓練から、進歩していない。
ひまりが次に、あおいの前に立った。
新型指輪を手のひらに乗せた。銀色の細い輪。旧型と形は同じだ。重さも同じ。だが、中身が違う。代償を生まない指輪。白城が一ヶ月半で作り上げた、指輪だ。
「あおいちゃん。この指輪は、あなたを壊さない。約束する」
あおいが指輪を見つめた。目がきらきらしている。十四歳の目だ。十三歳の自分も、こんな目をしていただろうか、とひまりは思った。たぶん、していた。
「先輩」
「なに」
「一つだけ、先輩命令、してもらっていいですか」
「先輩命令って何? そんな制度ないよ」
「今、作りました」
「作らないで」
あおいが笑った。ひまりも笑った。
「何でも言ってください。先輩の言うこと、聞きます」
ひまりは少し考えた。
「年齢を聞かれたら、正直に答えること。嘘ついても、バレるから」
「先輩って、本当に二十九歳なんですか」
「免許証、見せようか」
「大丈夫です。信じます」
あおいが真顔になった。
「信じますけど、見た目は信じません」
「後輩、手厳しい」
あおいが指輪を薬指にはめた。光った。白い光。新品の光だ。旧型の光とは、微妙に色味が違う。こちらのほうが、澄んでいた。
るるがほのかの前に膝をついた。目線を合わせるためだ。ほのかは百四十八センチ。ひまりより、少し大きい。
「ほのかちゃん」
「はい」
ほのかの目が潤んでいた。まだ何も言っていないのに、泣きそうだった。
「この指輪、大切にしてね。でも、指輪より大切なものがある」
「なんですか」
「仲間。隣にいる二人。あおいちゃんと、凛ちゃん。この子たちを、大事にして。指輪は外せるけど、仲間は外せないから」
ほのかの涙がこぼれた。
「泣かないの」
「だって、先輩が」
「泣かせてない。まだ泣かせること、言ってない」
「先輩が優しすぎて、泣くんです」
るるが困った顔をした。ひまりが横から「るるさんの遺伝子だ」と言った。血は繋がっていない。
ほのかが指輪をはめた。光った。
三人の新型指輪が光っている。白い光が、三つ。
次に、コンパクトを渡した。
新型コンパクト。デザインは旧型と似ている。だが、軽い。薄い。鏡の面が、澄んでいる。
あおいがコンパクトを開いた。鏡に、自分の顔が映った。
「先輩たちも、こうやって始まったんですか」
「そう。十六年前に。同じように開いた」
「どんな気持ちでしたか」
ひまりは、覚えている。十三歳の自分が、コンパクトを開いた瞬間。光が溢れた。体が変わった。空を飛べると思った。何でもできると思った。
「怖くて、嬉しくて、全部がきらきらしてた」
あおいがコンパクトを胸に抱いた。
凛がコンパクトを静かに閉じた。鏡花と、同じ動作だった。師弟は、所作が似る。
ほのかがコンパクトを両手で包んだ。るると、同じ持ち方だった。
赤城が部屋の隅で、腕を組んで見ていた。何も言わなかった。目が少し赤いように見えたが、照明のせいだと言い張るだろう。
授与式が終わった。
後輩三人が帰っていった。あおいが廊下で「変身していいですか」と叫んで、鏡花に「施設内での変身は禁止だ」と制止された。凛が「家でやります」と言って、鏡花に「家でもやるな。屋上か公園でやれ」と指導された。ほのかがるるに手を振って、振りすぎて、指輪が光りまくって廊下が眩しくなった。
先輩三人が残った。
鏡花が赤城を見た。
「局長。少し、話がある」
「なんだ?」
「二人きりで」
ひまりとるるが、顔を見合わせた。鏡花が赤城と二人で話したいと言うのは、初めてだった。
「外で待ってて。すぐ終わる」
鏡花が廊下の方を顎で示した。
二人が出た。ドアが閉まった。
廊下で、ひまりがるるの腕をつかんだ。
「何、話すんだろ?」
「聞こえないよ、防音だし」
「気にならない?」
「なる。すごく、なる」
二人でドアに耳をつけた。聞こえなかった。防衛省の会議室の防音性能を、なめてはいけない。
五分後、鏡花が出てきた。
何も言わなかった。
「何、話したの?」
「秘密だ」
「秘密って。三人で共有するんじゃ、なかったの」
「これは個人的な頼みだ。赤城に。迷惑はかけない」
ひまりは追及したかったが、鏡花の目が「これ以上は聞くな」と言っていた。十六年間の付き合いで、覚えた目だった。
管理局を出た。
ひまりとるるが、駅に向かった。
鏡花は、別方向に歩いた。
「どこ行くの?」
「施設。週三の日だ」
「煎餅は?」
「鞄に入っている」
鏡花が歩いていった。背中が、夏の西日に細長く伸びていた。
ひまりとるるは、駅前のカフェに入った。
「るるさん、今日この後、予定ある?」
「うん。藤野さんと会うの。三回目」
ひまりの顔が輝いた。
「行ってらっしゃい。報告、待ってる」
るるが出て行った。
ひまりは一人で、カフェラテを飲んだ。一人は、久しぶりだった。最近、いつも三人でいたから。
スマホを見た。
白城からメッセージが来ていた。
『明日が、最終戦闘です。残存する次元裂けの痕跡を、全て掃討します。三人の、最後の出動になります。よろしくお願いします』
明日。
最後。
ひまりはカフェラテを飲み干した。
三時間後。
るるから電話が来た。
「ひまりちゃん」
声が弾んでいた。声のトーンで、デートの成否がわかる。弾んでいるから、成功だ。
「どうだった?」
「楽しかった。すごく」
それだけ言って、るるは少し黙った。言葉を探しているようだった。
「あのね。前は、お見合いに行く前、いつも緊張してたの。失敗しないようにって。相手に合わせなきゃって。でも今日は、行く前にね、楽しみだったの」
「楽しみ?」
「会いたいなって思った。失敗するかもじゃなくて、会いたいなって。それ、生まれて初めてかもしれない」
ひまりの目が、熱くなった。
「るるさん、それ」
「うん。わかってる。たぶん、そういうことなんだと思う」
るるの声が、少し照れていた。
「指輪も、ずっと光ってた。藤野さんといる間、ずっと。帰り道も、まだ光ってる」
「よかったね。るるさん」
「うん。ありがとう。ひまりちゃん」
電話の向こうで、るるが笑った気配がした。自然な、やわらかい笑いだった。
電話を切った後、ひまりはスマホを見つめた。
アプリを開いた。
白城のプロフィールが、まだ残っている。削除ボタンは、画面の右上にある。指を伸ばせば、消せる。
消せなかった。
気づいてた。消せていなかった自分に気づいた。
なぜ消せないのかは、もう、わかっている。
許したいのだ。
まだ許していない。でも、許したいと思っている。許したいと思うことは、すでに半分、許しているのかもしれない。
明日、最終戦闘。
明日で、全部終わる。
コンパクトを返す日が来る。指輪を外す日が来る。魔法少女でなくなる日が、来る。
怖い。
でも、怖さの向こうに、何かがある気がする。あの夜、星が見えなくても星はあると思えた、あの夜と同じ感覚。
今は、違う。
見えなくても星はある、ではない。
星はあるのだ。見えないなら、見えるところまで行けばいい。
ひまりはカフェを出た。
夏の宵の東京。日が落ちて、街の灯りがともり始めている。駅前の広場に、夏祭りの提灯が連なって揺れていた。浴衣の若者が、笑いながら通り過ぎていく。風に、屋台のソースの匂いが乗っていた。
来年の夏は。
考えて、やめた。
まず、明日を終わらせる。
スマホが鳴った。鏡花からだった。
「施設から戻るところだ。姉さんが煎餅を三枚食べた。自己ベストだ」
「薫さんも自己ベスト出してるね」
「明日の準備はできているか」
「もちろん。鏡花ちゃんは?」
「できている」
「るるさんは?」
「連絡した。できていると返事が来た。語尾にハートマークがついていたから、機嫌がいいのだろう」
「るるさんがハートマーク。相当、機嫌いいね」
「藤野という男のおかげらしい。借りを作った」
「それ借りって言わないよ。恋っていうんだよ」
鏡花が三秒、黙った。
「明日、六時に管理局集合。遅れるな」
話題を変えた。恋の話になると逃げる癖は、まだ治っていない。
「了解。遅れない」
電話を切った。
明日の朝。
最後の変身。
最後の戦闘。
最後のフォーメーション。
ひまりはポケットのコンパクトに触れた。
ピンクゴールドの角が、指先に当たった。十六年間、いつもポケットにあった感触。
明日で、この感触ともお別れだ。
寂しい。
でも、寂しさの奥に、ほんの少しだけ、楽しみがある。
魔法少女でない蓮見ひまりは、何者になるのだろう。
それを知るのが、少しだけ、楽しみだった。




