第16話 後輩は中学生
「先輩って、何歳ですか」
開始三分で、来た。
管理局の訓練室。地下四階。天井が高い。壁には分厚い防弾加工が施されている。訓練中に壁を壊す魔法少女がいるからだ。十六年間で壁を壊した回数は、鏡花が四十七回で、最多記録を保持している。
宮前あおいは目をきらきらさせて、ひまりを見ていた。十四歳。ポニーテール。背が高い。百五十五センチ。ひまりより、十五センチも高い。十四歳に身長で負けている、二十九歳。
「二十九」
ひまりが答えた。
あおいが三秒、固まった。
処理に時間がかかっている。脳内でエラーが起きている。が、十四歳のフリーズは、だいたい三秒で解ける。
「えっ」
「二十九」
「歳?」
「歳」
「同い年くらいかと、思ってました」
「知ってた。そう来ると思ってた」
ひまりの顔が引きつった。十六年間で、数え切れないほど聞いたリアクションだ。カフェの子供、マチアプの相手、コンビニの店員、居酒屋の店員、合コンの相手、結婚相談所のカウンセラー。全員、同じ反応をする。人類は、進歩しない。
「慣れてるから」
ひまりが笑って、流そうとした。
あおいが首をかしげた。
「慣れなくて、いいと思います」
ひまりの笑顔が止まった。
「嫌なことに慣れるのって、我慢してるだけですよね。嫌なら嫌って、言っていいと思います」
十四歳に、真正面から正論を言われた。
ひまりは、返す言葉が見つからなかった。
訓練室の反対側では、鏡花が倉橋凛に剣術を教えていた。
凛。十四歳。黒髪のボブカット。目つきが鋭い。表情が動かない。身長百六十八センチ。細い。無駄な肉がない。鏡花を一回り小さくしたような少女だった。
「構えを見せる」
鏡花が木刀を持った。正眼の構え。
「これが基本形だ。ここから八方向に斬撃を展開する。見ろ」
八連撃。空気が裂けた。訓練室の床に、八本の線が走った。凛の前髪がふわりと揺れた。
「以上だ。質問はあるか」
「ありません」
「では、構えろ」
凛が木刀を持った。正眼の構え。鏡花と、同じ形。完璧ではないが、筋はいい。
「氷室先輩」
「何だ?」
「私、人と話すのが苦手です」
唐突な告白だった。剣術の訓練中に、対人スキルの悩みを打ち明ける少女。
「合コンとか、絶対無理です」
鏡花が木刀を下ろした。
「安心しろ。私も無理だ。十六年やっても、無理なものは無理だ」
「先輩でも、無理なんですか」
「先輩だから、無理なんだ」
意味がわからない。だが、迫力はあった。鏡花にしか出せない説得力だった。
凛が少しだけ口角を上げた。笑ったのかもしれない。鏡花並みに表情が動かない少女なので、確認が難しい。
「もう一度、構えを見せてください」
「いい返事だ」
鏡花が木刀を上げた。
訓練室の、さらに奥では、るるが園田ほのかにフォーメーションを教えていた。
ほのか。十三歳。三人の中で、一番年下だ。
丸い目。柔らかい声。髪を二つに結んでいる。笑顔が多い。るるに似ている。るるを十三歳にしたら、こうなるだろう、という少女だった。
「フォーメーションCは、中央が浄化役で、左右が攻撃役なの。中央は二人を守りながら、敵の動きを止める役割だから、一番大変なポジション」
「先輩は、ずっと中央だったんですか」
「うん。十六年間、ずっと」
「すごい」
ほのかが、目を丸くした。
「すごくないよ。慣れただけ」
「先輩、お茶入れましょうか」
ほのかがポットに手を伸ばした。
るるの手も、同時に動いた。
二人の手が、ポットの取っ手で重なった。
「あ」
「あ」
二人で、譲り合った。あなたがどうぞ。いえ、先輩が。いえいえ、ほのかちゃんが。
三十秒間、ポットの取っ手が宙に浮いていた。
ひまりが横から歩いてきた。
「二人とも、ストップ。今日は、るるさんが入れてもらう日」
「でも」
「座って」
ひまりが、るるの肩を押して椅子に座らせた。百四十センチの力は弱いが、命令の迫力は強い。
ほのかがお茶を入れた。るるに渡した。
「どうぞ」
「ありがとう」
るるがお茶を受け取った。受け取れた。
ほのかが嬉しそうに笑った。
休憩時間。
六人が訓練室の端に座った。先輩三人と、後輩三人。お茶と、スポーツドリンク。鏡花だけ、缶コーヒー。自販機から買ってきた。訓練室に自販機がある。管理局で唯一、まともな設備だ。
「先輩たちって、すごいですね。十六年間も、やってたんですか」
あおいがスポーツドリンクを飲みながら言った。
「すごくないよ。辞められなかっただけ」
ひまりが言った。
「辞めたかったんですか」
「毎日、辞めたかった。でも、代わりがいなかった。あなたたちが来るまで」
あおいが真剣な目になった。
「先輩。魔法少女になって、よかったですか」
ド真ん中の直球だった。十四歳の直球は、速度も角度も、容赦がない。
ひまりは少し考えた。
「十六年間、ほぼ毎日、後悔してた。外見は十二歳で止まるし、マチアプでは年齢確認で弾かれるし、合コンでは子供扱いされるし」
あおいが息を呑んだ。
「でも、二人に会えたのは、魔法少女になったからだから。差し引きすると、ぎりぎりプラスかな」
ひまりが鏡花とるるを見た。
鏡花が缶コーヒーを飲んでいた。聞こえているはずだが、何も言わない。耳が赤い。
るるが微笑んでいた。目が潤んでいた。
「それでも、ぎりぎり、なんですね」
「ぎりぎり。でも、プラスはプラスだよ」
凛が鏡花の横に座っていた。距離が近い。師弟の距離だった。
「氷室先輩。訓練の後、剣の手入れを教えてもらえますか」
「いいだろう」
「先輩の剣、見てもいいですか」
「構わない」
鏡花が腰の剣を外した。鞘ごと、凛に渡す。凛が恭しく受け取った。鞘を抜く。刃が蛍光灯の光を反射して、白く光った。
「きれいですね」
「手入れをしている。毎日」
「毎日。すごいですね」
「好きだからな。これが一番の趣味だ」
ひまりが横から口を挟んだ。
「鏡花ちゃん、それ合コンで言って何回失敗したか、覚えてる?」
「合コンの話は、関係ない」
「刃物の手入れが趣味って言って男が震える話、凛ちゃんにも教えてあげなよ」
凛が鏡花を見た。
「先輩も、合コンに行くんですか」
「行った。過去形だ。二度と行かない」
「私も、行きたくないです」
「行かなくていい。合コンに行かなくても、人は死なない」
「戦場では、死にますか」
「戦場では死ぬ。だが、合コンよりはましだ」
凛が頷いた。真顔で、頷いた。
ひまりが頭を抱えた。師弟で、合コンを戦場より危険視している。この系譜は、途絶えない。
ほのかが、るるの隣に座っていた。るるの左手を、じっと見ていた。
「先輩の指輪、きれいですね」
るるが左手を見た。指輪が、かすかに光っている。蛍の光。
「きれいだけど、重いよ」
「重い?」
「うん。十六年間、ずっとつけてた。外せなかった。きれいだけど、重かった」
ほのかが自分の手を見た。まだ指輪はない。新型指輪は、来週の授与式で渡される。
「それでも、ほしいです」
るるが黙った。
自分も、そうだった。十五歳の時、指輪を見て、きれいだと思った。強くなれると思った。誰かを守れると思った。代償のことなんか、何も知らなかった。
「ほのかちゃん。一つだけ、約束して」
「はい」
「困ったら、助けを呼ぶこと。一人で抱え込まないこと」
「先輩みたいに、強くなりたいです。みんなを守れる人に」
るるは微笑んだ。
「守りたいって気持ちは、大事だよ。でもね、覚えておいて」
ほのかが背筋を伸ばした。
「守ってもらうのも、守るのと同じくらい大事」
「守ってもらう?」
「一人で全部やろうとしないこと。私は、それに十六年かかったから。ほのかちゃんは、もっと早く気づいてね」
ほのかの目が潤んだ。
「泣かないの」
「だって、先輩がかっこいいから」
「かっこよくないよ。ただの、お姉さんだよ」
「お姉さん」
ほのかが呟いた。
「お母さんじゃ、なくて」
「お母さんじゃ、ないよ」
るるが笑った。
「お姉さん。先輩。仲間。そういうのが、いいな」
ほのかが鼻をすすった。
「はい。先輩」
訓練が終わった。
六人が訓練室を出た。管理局の廊下。先輩三人と後輩三人が、並んで歩いている。
あおいがひまりの横で喋っている。声が大きい。元気がある。
凛が鏡花の半歩後ろを歩いている。無言。だが、距離が近い。
ほのかが、るるの腕にくっついている。甘えている。るるが、苦笑している。
「私たちの、コピーか」
鏡花が小声で言った。
「コピーじゃないよ。偶然だよ」
るるが笑った。
「偶然が、怖いよ」
ひまりが天を仰いだ。
エレベーターの前で、後輩三人が立ち止まった。
あおいが振り返った。
「先輩。私たち、先輩たちみたいに、なれますか」
ひまりが少し考えた。
「ならなくていいよ。私たちみたいになったら、婚活で詰むから」
「婚活?」
「十年後にわかる」
「十年後って、二十四歳ですけど」
「早めに始めた方がいいよ。マジで」
鏡花が口を挟んだ。
「趣味を聞かれたら、刃物と答えるな。人生が詰む」
凛が頷いた。
「先輩がそう言うなら」
「私の失敗から学べ」
るるがほのかの頭を撫でた。
「ほのかちゃん。取り分け過ぎないようにね。お見合いで、相手が息子になるから」
「息子?」
「十年後にわかるよ」
後輩三人が首をかしげたまま帰っていった。十年後にわかることが多すぎる、先輩たちだった。
三人だけになった廊下で、鏡花のスマホが鳴った。
施設からだった。
「薫さんの状態に、変化がありました。面会をご希望されますか」
「行く」
即答だった。
電話を切った。
凛が廊下の角から顔を覗かせていた。忘れ物を取りに来たのだろう。鏡花の背中を、見ていた。
「先輩にも、守りたい人がいるんですね」
小さな声だった。鏡花には、聞こえていなかった。
ひまりとるるには、聞こえていた。
二人は顔を見合わせて笑った。
十六年前。自分たちも、ああだった。先輩の背中を見て、追いかけたくなる。――もっとも、自分たちには、追いかける先輩は、いなかったけれど。
今度は、いる。
あの子たちには、先輩がいる。




