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『魔法の使えない転生者、忌地の森をひらく』  作者: 森野余白
第六章 「銀髪の研究者」

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第80話 何属性?

ハクアが《マナヴォル》という種族だと知ったユウマ。


知らなかった名前が一つ増えた翌日、今度はもっと大きな「当たり前」を目にすることになります。

「行くぞ、ハクア」


 白い身体が先に細沢へ向かう。


 俺もその後を追い、エルネアは少し遅れてついてきた。


 結局その日は、最初の目的だった石もちゃんと見ることができた。


 流れの浅いところからいくつか拾い上げ、表面の細かさや手触りを確かめる。全部を持ち帰る必要はないので、その中から平らで使いやすそうなものを二つだけ選んだ。


「それ、何に使うの?」


「まだ決めてない」


 エルネアが少しだけ首を傾げる。


「決めてないのに持って帰るの?」


「使えそうだから」


 自分でも曖昧な答えだとは思う。


 けれど、森で暮らし始めてからはそういうものが多かった。


 見つけた時には用途が分からなくても、あとになって役立つことがある。もちろん何でも持ち帰るわけではないが、軽くて使えそうなものなら試すくらいはする。


 エルネアは俺の手の中の石を一度見て、それ以上は何も言わなかった。


 細沢を離れる頃には、陽も少し傾き始めていた。


 途中までは三人で戻り、湿地の外縁でエルネアと別れる。


「じゃあ、また」


「うん。またな」


 銀色の髪が森の奥へ遠ざかる。


 昨日までは、次に会えるかどうか分からない相手だった。


 今も約束をしているわけではないが、「また」という言葉が普通に出るくらいには変わってきている。


 俺は持ち帰る石を入れた袋を持ち直し、ハクアと拠点へ戻った。


     ◇


 翌朝。


 雨避けの外へ出ると、少し強めの風が木々を揺らしていた。


 枝の高いところでは葉が擦れ合い、時々乾いたものが空き地へ落ちてくる。


「今日は風あるな」


 火の様子を見ながら、飛びそうな軽いものを雨避けの奥へ移す。


 乾かしている草も一度確認した。


 紐で留めているので飛んでいくことはなさそうだ。


 ハクアは空き地の端で座り、風上へ鼻を向けている。


「何か匂う?」


 白い耳が動く。


 それ以上の反応はなかった。


 朝の作業を済ませてから、今日は西の緩尾根の方へ行くことにした。


 南西まで降りるほど遠くへ行くつもりはない。


 前に目印をつけた木の状態と、近くに生えている植物を少し見るくらいだ。


「行くか」


 ハクアが先に森へ入る。


 俺も必要なものだけ持って後を追った。


 西へ進み、見慣れた目印をたどる。


 朝から吹いていた風は森の中へ入ると少し弱く感じたが、上の方ではまだ葉が揺れている。


 緩尾根へ近づいた頃、ハクアが前方を見た。


「あ」


 俺にもすぐ分かった。


 少し離れた木の根元に、銀色の髪が見える。


 エルネアはしゃがみ込み、地面から何かを掘り出しているところだった。


「エルネア」


 声をかける。


 顔が上がった。


「ユウマ」


「今日はここ?」


「うん。この辺のものも見ておきたくて」


 俺たちが近づく間に、エルネアは掘り出した植物を持ち上げた。


 根の先に土がまとまってついている。


 かなり大きな塊だった。


「それも調べるの?」


「植物と、根の周りの土」


 エルネアはそう答えると、根を傷つけないよう指で大きな土の塊を崩し始めた。


 ぱらぱらと湿った土が落ちる。


 俺は少し離れたところでそれを見ていた。


 前にも似た作業はしたことがある。


 食べられるかもしれない地下部分を掘った時も、土を手で落とした。


 けれど、細い根の間へ入り込んだものまでは簡単に取れない。


 エルネアも同じらしく、指先だけでは細かな土が残っていた。


「それ、取るの大変そうだな」


「全部手で取る必要はないから」


「そうなの?」


 エルネアは根を片手で持ち、もう片方の手を少し離した位置へ添えた。


 何をするのか分からず見ていると、指先がわずかに動く。


 次の瞬間。


 ふっ、と。


 弱い風が根の周りを抜けた。


「…………」


 細かな土が舞った。


 根の隙間に残っていた乾いた粒だけが、外側へふわりと飛ばされる。


 足元の枯れ葉も二、三枚だけ動いた。


 強い風ではない。


 朝から吹いている風とも違う。


 目の前の狭い範囲だけに、急に風が生まれたように見えた。


「……今の、風?」


「そうだけど」


 エルネアは何事もなかったように根を見ている。


 俺は足元の葉を見る。


 さっき動いたものはもう止まっていた。


「どうやった?」


「どうやったって……」


 エルネアの手が止まる。


 今度は俺を見る。


 俺も見返す。


「今、ここだけ風が出たよな」


「出したから」


「出した?」


 一瞬、言葉の意味が分からなかった。


 風は吹くものだ。


 少なくとも、自分で作るものだとは思っていなかった。


 エルネアは俺の反応を見て、少しだけ眉を寄せる。


「風魔法だけど」


「…………」


 聞き間違いかと思った。


「魔法?」


「そう」


 あまりにも普通に返された。


 エルネアにとっては、説明するほどでもないことらしい。


 俺はもう一度、根についた土を見る。


 さっきより明らかに少なくなっている。


「もう一回できる?」


「できるけど」


 エルネアは少し不思議そうな顔をしながら、別の細い根へ手を向けた。


 指先の近くで空気が動く。


 今度は見逃さないよう目を凝らした。


 やはり何かを扇いだわけではない。


 手を大きく振ってもいない。


 それでも、根の周りだけを撫でるように風が通り、細かな土が落ちていった。


「……魔法だ」


 思わず口に出す。


 エルネアがこちらを見る。


「さっきからそう言ってるでしょう?」


「いや、聞いたけど」


 分かってはいる。


 言葉の意味も知っている。


 魔法。


 物語やゲームなら何度も見た。


 けれど、それが今、目の前で普通に使われた。


 火の玉が飛んだわけでも、雷が落ちたわけでもない。


 ただ、根についた土を払っただけだ。


 だからこそ余計に、本当に日常の中にあるものなのだと感じた。


「これ、普通なの?」


「何が?」


「魔法使うの」


 エルネアの表情がまた少し変わる。


 質問の意味を考えているようだった。


「普通……だと思うけど」


「みんなできる?」


「その聞き方だと少し違うけど」


 言いかけたところで、エルネアは口を閉じた。


 俺もすぐ続きを求めずに待つ。


 ハクアは少し離れたところで、こちらの会話には興味がないのか地面の匂いを嗅いでいる。


 風が木々の上を抜けた。


 今度は自然の風だ。


 さっきのものとの違いを説明しろと言われても難しい。


 ただ、目の前で起きたことだけは分かる。


「エルネアは風を使える?」


「そう」


「だから風魔法?」


「そういうこと」


 短いやり取りのあと、エルネアは採取した植物を袋へ入れた。


 土を完全に落としたわけではない。


 必要な分だけ払ったらしい。


「便利だな」


「便利?」


「手でやるより早い」


 俺が言うと、エルネアは根の入った袋を見る。


「こういう時にはね」


「乾かしたりもできる?」


「できるけど、物による」


 そこでエルネアは一度言葉を切り、俺の顔を見る。


 何かに気づいたようだった。


「ユウマ」


「何?」


「本当に魔法を知らないの?」


 その聞き方に、少し考える。


「知ってると言えば知ってる」


「さっき初めて見たみたいな顔してた」


「実際に見るのは初めて」


 エルネアが黙る。


 風で少し乱れた銀髪を耳へかけながら、こちらをじっと見ていた。


「今まで誰かが使うところも?」


「ない」


「三か月くらいここにいるんでしょう?」


「人に会ったのがエルネアが最初だから」


 そう答えると、エルネアの視線が少しだけ遠くなる。


 森の中を見ているようで、たぶん別のことを考えている。


 俺は腰の石の刃へ目を落とした。


 火を起こす。


 草を切る。


 水を運ぶ。


 土を掘る。


 今まで全部、手と道具でやってきた。


 魔法が使える世界かどうかなんて、考える余裕もなかった。


「ユウマは?」


「俺?」


 顔を上げる。


 エルネアは少し首を傾げた。


「何属性?」


「…………」


 また知らない言葉が来た。


 いや、属性という言葉自体は知っている。


 でも、今の会話の流れで聞かれている意味が分からない。


「属性?」


 聞き返す。


 エルネアの表情が止まった。


 昨日、俺がハクアを犬だと思っていたと言った時ほどではない。


 それでも、似たような顔だった。


「……ユウマ」


「何?」


「属性も知らないの?」


「魔法の?」


「他に何の話をしてたの?」


 それはそうだ。


 でも、知らないものは知らない。


「風とか火とか?」


「そう」


 そこまでは想像できる。


 物語ならよくある。


 けれど、それがこの世界でどういう意味なのかまでは分からなかった。


「じゃあ、エルネアは風属性?」


「そうだけど」


「なるほど」


 口にしてから、エルネアを見る。


 やっぱり少し変な顔をしている。


「何?」


「いや……」


 エルネアは何か言いかけ、やめた。


 そのまま採取袋の口を閉じる。


「今度は何を考えてる?」


「ユウマのこと」


「何で?」


「知らないことの場所が変だから」


 言われても、自分では分からない。


 俺にとっては、知らないものを知らないと言っているだけだ。


「マナヴォルも知らなかった」


「うん」


「魔法を見るのも初めて」


「うん」


 そこでエルネアは言葉を止めた。


 視線が俺の腰の石器へ移る。


 少し離れたところにはハクア。


 その向こうには、俺が何度も歩いてきた森が続いている。


「でも、三か月ここで暮らしてる」


「大体」


「……やっぱり変」


「そう?」


 エルネアは小さく頷いた。


「少なくとも私はそう思う」


 その答えに、俺はもう一度周りを見る。


 木。


 土。


 風。


 ハクア。


 見慣れたものばかりだった。


 そこへ今日、魔法が一つ増えた。


 俺にとっては、それだけだ。


「まあ、知らなかったものは仕方ないな」


「気にならないの?」


「気にはなる」


 俺はエルネアの手元を見る。


「でも、まず今の風の方が気になる」


 エルネアが少し目を細めた。


「そこ?」


「目の前で初めて魔法見たんだぞ」


 そう言うと、エルネアはしばらくこちらを見ていたが、やがて小さく息を吐いた。


「……そうね」


「何?」


「ユウマなら、その順番なのかも」


「どういう意味?」


「まだ分からない」


 エルネアは鞄を肩へ掛け直す。


 今日はそれ以上説明するつもりはないらしい。


 俺も無理には聞かなかった。


 ただ、歩き出す前にもう一度だけ根の周りを思い出す。


 何もないところから生まれた、小さな風。


 土を払うだけの、静かな魔法。


「風属性か」


「そう」


「俺は何属性なんだろ」


 口にすると、エルネアが足を止めた。


 俺も止まる。


「分からないの?」


「分からない」


 また少しだけ沈黙が落ちた。


 エルネアは今度こそ、かなり真剣な顔で俺を見ていた。


 その理由は、まだ俺には分からなかった。

第80話を最後まで読んでいただき、ありがとうございます。


エルネアが使ったのは、採取物についた細かな土を払うための小さな風魔法。


ユウマはここで初めて、魔法が実際に使われるところを目にしました。


そしてエルネアから向けられた「何属性?」という問いに、ユウマは答えることができません。

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