第80話 何属性?
ハクアが《マナヴォル》という種族だと知ったユウマ。
知らなかった名前が一つ増えた翌日、今度はもっと大きな「当たり前」を目にすることになります。
「行くぞ、ハクア」
白い身体が先に細沢へ向かう。
俺もその後を追い、エルネアは少し遅れてついてきた。
結局その日は、最初の目的だった石もちゃんと見ることができた。
流れの浅いところからいくつか拾い上げ、表面の細かさや手触りを確かめる。全部を持ち帰る必要はないので、その中から平らで使いやすそうなものを二つだけ選んだ。
「それ、何に使うの?」
「まだ決めてない」
エルネアが少しだけ首を傾げる。
「決めてないのに持って帰るの?」
「使えそうだから」
自分でも曖昧な答えだとは思う。
けれど、森で暮らし始めてからはそういうものが多かった。
見つけた時には用途が分からなくても、あとになって役立つことがある。もちろん何でも持ち帰るわけではないが、軽くて使えそうなものなら試すくらいはする。
エルネアは俺の手の中の石を一度見て、それ以上は何も言わなかった。
細沢を離れる頃には、陽も少し傾き始めていた。
途中までは三人で戻り、湿地の外縁でエルネアと別れる。
「じゃあ、また」
「うん。またな」
銀色の髪が森の奥へ遠ざかる。
昨日までは、次に会えるかどうか分からない相手だった。
今も約束をしているわけではないが、「また」という言葉が普通に出るくらいには変わってきている。
俺は持ち帰る石を入れた袋を持ち直し、ハクアと拠点へ戻った。
◇
翌朝。
雨避けの外へ出ると、少し強めの風が木々を揺らしていた。
枝の高いところでは葉が擦れ合い、時々乾いたものが空き地へ落ちてくる。
「今日は風あるな」
火の様子を見ながら、飛びそうな軽いものを雨避けの奥へ移す。
乾かしている草も一度確認した。
紐で留めているので飛んでいくことはなさそうだ。
ハクアは空き地の端で座り、風上へ鼻を向けている。
「何か匂う?」
白い耳が動く。
それ以上の反応はなかった。
朝の作業を済ませてから、今日は西の緩尾根の方へ行くことにした。
南西まで降りるほど遠くへ行くつもりはない。
前に目印をつけた木の状態と、近くに生えている植物を少し見るくらいだ。
「行くか」
ハクアが先に森へ入る。
俺も必要なものだけ持って後を追った。
西へ進み、見慣れた目印をたどる。
朝から吹いていた風は森の中へ入ると少し弱く感じたが、上の方ではまだ葉が揺れている。
緩尾根へ近づいた頃、ハクアが前方を見た。
「あ」
俺にもすぐ分かった。
少し離れた木の根元に、銀色の髪が見える。
エルネアはしゃがみ込み、地面から何かを掘り出しているところだった。
「エルネア」
声をかける。
顔が上がった。
「ユウマ」
「今日はここ?」
「うん。この辺のものも見ておきたくて」
俺たちが近づく間に、エルネアは掘り出した植物を持ち上げた。
根の先に土がまとまってついている。
かなり大きな塊だった。
「それも調べるの?」
「植物と、根の周りの土」
エルネアはそう答えると、根を傷つけないよう指で大きな土の塊を崩し始めた。
ぱらぱらと湿った土が落ちる。
俺は少し離れたところでそれを見ていた。
前にも似た作業はしたことがある。
食べられるかもしれない地下部分を掘った時も、土を手で落とした。
けれど、細い根の間へ入り込んだものまでは簡単に取れない。
エルネアも同じらしく、指先だけでは細かな土が残っていた。
「それ、取るの大変そうだな」
「全部手で取る必要はないから」
「そうなの?」
エルネアは根を片手で持ち、もう片方の手を少し離した位置へ添えた。
何をするのか分からず見ていると、指先がわずかに動く。
次の瞬間。
ふっ、と。
弱い風が根の周りを抜けた。
「…………」
細かな土が舞った。
根の隙間に残っていた乾いた粒だけが、外側へふわりと飛ばされる。
足元の枯れ葉も二、三枚だけ動いた。
強い風ではない。
朝から吹いている風とも違う。
目の前の狭い範囲だけに、急に風が生まれたように見えた。
「……今の、風?」
「そうだけど」
エルネアは何事もなかったように根を見ている。
俺は足元の葉を見る。
さっき動いたものはもう止まっていた。
「どうやった?」
「どうやったって……」
エルネアの手が止まる。
今度は俺を見る。
俺も見返す。
「今、ここだけ風が出たよな」
「出したから」
「出した?」
一瞬、言葉の意味が分からなかった。
風は吹くものだ。
少なくとも、自分で作るものだとは思っていなかった。
エルネアは俺の反応を見て、少しだけ眉を寄せる。
「風魔法だけど」
「…………」
聞き間違いかと思った。
「魔法?」
「そう」
あまりにも普通に返された。
エルネアにとっては、説明するほどでもないことらしい。
俺はもう一度、根についた土を見る。
さっきより明らかに少なくなっている。
「もう一回できる?」
「できるけど」
エルネアは少し不思議そうな顔をしながら、別の細い根へ手を向けた。
指先の近くで空気が動く。
今度は見逃さないよう目を凝らした。
やはり何かを扇いだわけではない。
手を大きく振ってもいない。
それでも、根の周りだけを撫でるように風が通り、細かな土が落ちていった。
「……魔法だ」
思わず口に出す。
エルネアがこちらを見る。
「さっきからそう言ってるでしょう?」
「いや、聞いたけど」
分かってはいる。
言葉の意味も知っている。
魔法。
物語やゲームなら何度も見た。
けれど、それが今、目の前で普通に使われた。
火の玉が飛んだわけでも、雷が落ちたわけでもない。
ただ、根についた土を払っただけだ。
だからこそ余計に、本当に日常の中にあるものなのだと感じた。
「これ、普通なの?」
「何が?」
「魔法使うの」
エルネアの表情がまた少し変わる。
質問の意味を考えているようだった。
「普通……だと思うけど」
「みんなできる?」
「その聞き方だと少し違うけど」
言いかけたところで、エルネアは口を閉じた。
俺もすぐ続きを求めずに待つ。
ハクアは少し離れたところで、こちらの会話には興味がないのか地面の匂いを嗅いでいる。
風が木々の上を抜けた。
今度は自然の風だ。
さっきのものとの違いを説明しろと言われても難しい。
ただ、目の前で起きたことだけは分かる。
「エルネアは風を使える?」
「そう」
「だから風魔法?」
「そういうこと」
短いやり取りのあと、エルネアは採取した植物を袋へ入れた。
土を完全に落としたわけではない。
必要な分だけ払ったらしい。
「便利だな」
「便利?」
「手でやるより早い」
俺が言うと、エルネアは根の入った袋を見る。
「こういう時にはね」
「乾かしたりもできる?」
「できるけど、物による」
そこでエルネアは一度言葉を切り、俺の顔を見る。
何かに気づいたようだった。
「ユウマ」
「何?」
「本当に魔法を知らないの?」
その聞き方に、少し考える。
「知ってると言えば知ってる」
「さっき初めて見たみたいな顔してた」
「実際に見るのは初めて」
エルネアが黙る。
風で少し乱れた銀髪を耳へかけながら、こちらをじっと見ていた。
「今まで誰かが使うところも?」
「ない」
「三か月くらいここにいるんでしょう?」
「人に会ったのがエルネアが最初だから」
そう答えると、エルネアの視線が少しだけ遠くなる。
森の中を見ているようで、たぶん別のことを考えている。
俺は腰の石の刃へ目を落とした。
火を起こす。
草を切る。
水を運ぶ。
土を掘る。
今まで全部、手と道具でやってきた。
魔法が使える世界かどうかなんて、考える余裕もなかった。
「ユウマは?」
「俺?」
顔を上げる。
エルネアは少し首を傾げた。
「何属性?」
「…………」
また知らない言葉が来た。
いや、属性という言葉自体は知っている。
でも、今の会話の流れで聞かれている意味が分からない。
「属性?」
聞き返す。
エルネアの表情が止まった。
昨日、俺がハクアを犬だと思っていたと言った時ほどではない。
それでも、似たような顔だった。
「……ユウマ」
「何?」
「属性も知らないの?」
「魔法の?」
「他に何の話をしてたの?」
それはそうだ。
でも、知らないものは知らない。
「風とか火とか?」
「そう」
そこまでは想像できる。
物語ならよくある。
けれど、それがこの世界でどういう意味なのかまでは分からなかった。
「じゃあ、エルネアは風属性?」
「そうだけど」
「なるほど」
口にしてから、エルネアを見る。
やっぱり少し変な顔をしている。
「何?」
「いや……」
エルネアは何か言いかけ、やめた。
そのまま採取袋の口を閉じる。
「今度は何を考えてる?」
「ユウマのこと」
「何で?」
「知らないことの場所が変だから」
言われても、自分では分からない。
俺にとっては、知らないものを知らないと言っているだけだ。
「マナヴォルも知らなかった」
「うん」
「魔法を見るのも初めて」
「うん」
そこでエルネアは言葉を止めた。
視線が俺の腰の石器へ移る。
少し離れたところにはハクア。
その向こうには、俺が何度も歩いてきた森が続いている。
「でも、三か月ここで暮らしてる」
「大体」
「……やっぱり変」
「そう?」
エルネアは小さく頷いた。
「少なくとも私はそう思う」
その答えに、俺はもう一度周りを見る。
木。
土。
風。
ハクア。
見慣れたものばかりだった。
そこへ今日、魔法が一つ増えた。
俺にとっては、それだけだ。
「まあ、知らなかったものは仕方ないな」
「気にならないの?」
「気にはなる」
俺はエルネアの手元を見る。
「でも、まず今の風の方が気になる」
エルネアが少し目を細めた。
「そこ?」
「目の前で初めて魔法見たんだぞ」
そう言うと、エルネアはしばらくこちらを見ていたが、やがて小さく息を吐いた。
「……そうね」
「何?」
「ユウマなら、その順番なのかも」
「どういう意味?」
「まだ分からない」
エルネアは鞄を肩へ掛け直す。
今日はそれ以上説明するつもりはないらしい。
俺も無理には聞かなかった。
ただ、歩き出す前にもう一度だけ根の周りを思い出す。
何もないところから生まれた、小さな風。
土を払うだけの、静かな魔法。
「風属性か」
「そう」
「俺は何属性なんだろ」
口にすると、エルネアが足を止めた。
俺も止まる。
「分からないの?」
「分からない」
また少しだけ沈黙が落ちた。
エルネアは今度こそ、かなり真剣な顔で俺を見ていた。
その理由は、まだ俺には分からなかった。
第80話を最後まで読んでいただき、ありがとうございます。
エルネアが使ったのは、採取物についた細かな土を払うための小さな風魔法。
ユウマはここで初めて、魔法が実際に使われるところを目にしました。
そしてエルネアから向けられた「何属性?」という問いに、ユウマは答えることができません。




