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『魔法の使えない転生者、忌地の森をひらく』  作者: 森野余白
第六章 「銀髪の研究者」

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第79話 マナヴォル

ハクアへの興味を隠せないエルネア。


それでも距離を守りながら、一緒に細沢へ向かいます。

 三人で歩き始めても、並び方は自然と決まっていた。


 少し前をハクアが歩き、その後ろを俺とエルネアがついていく。


 細沢へ近づくにつれ、地面には湿った場所が増えてきた。ハクアは迷うことなく乾いたところを選び、時々こちらがついてきているか確かめるように振り返る。


「ほら、ああいうの」


「何?」


「ちゃんと後ろ見てるだろ」


 エルネアは返事をせず、少し前を歩く白い身体を目で追った。


 ハクアはこちらが遅れていないと分かると、そのまま先へ進む。


「いつも?」


「大体。俺が止まると、先で待ってることもある」


 そう答えると、エルネアの視線が少し鋭くなった。


 警戒している時とは違う。


 何かを確かめる時の目だ。


 また質問が来るかと思ったが、今度は黙っている。


「何?」


「見てるだけ」


 素直にそう言われると、今度はこちらが困る。


「本当に一個ずつ守ってる?」


「守ってるでしょう?」


 さっきまでなら続けて二つ三つ聞いてきそうだったのに、今はハクアの歩き方を見るだけで満足しているらしい。


 細沢の水音が少しずつ近くなる。


 ハクアが倒木の横を抜け、俺たちもその後へ続いた。


 途中、細い枝が道へ張り出している。


 俺が避けようと身体を傾けるより先に、ハクアは枝の下をくぐった。


「そっちは楽だな」


 声をかけると、白い耳が動く。


「俺は引っかかるんだよ」


 横からエルネアの小さな笑い声がした。


「何?」


「ハクアに文句を言っても仕方ないでしょう?」


 確かにその通りだ。


 枝を押し上げて通り抜けると、エルネアもその下を抜けてくる。


 その間にハクアは少し先で止まり、またこちらを見ていた。


「……やっぱり賢い」


「それは俺もずっと思ってる」


 今度はエルネアがその場で立ち止まった。


 視線がハクアから俺へ移る。


「ユウマ」


「ん?」


「一つ言ってもいい?」


 妙に慎重な聞き方だった。


 質問ではないらしい。


「いいけど」


 俺も足を止める。


 ハクアは少し先まで歩いたあと、俺たちが来ないことに気づいたのか戻ってきた。


 すぐそばまでは来ず、少し離れた場所からこちらを見ている。


 エルネアはその姿をもう一度確かめた。


「たぶん……マナヴォルだと思う」


「マナヴォル?」


 聞いたことのない言葉だった。


 エルネアが頷く。


「この子の種族」


「種族……」


 ハクアを見る。


 白い身体。


 四本の脚。


 耳と尾。


 最初に森で出会った頃から、俺の中ではずっと一つの認識しかなかった。


「犬じゃなかったのか」


「……犬?」


 エルネアの顔が止まった。


 今まで見たことのないくらい、きれいに止まった。


「うん。犬」


「…………」


 ハクアを見る。


 俺を見る。


 もう一度ハクアを見る。


 何かがおかしいらしい。


「何その顔」


「ユウマ、本当に犬だと思ってたの?」


「違うの?」


 俺としては、かなり普通の判断だった。


 少なくとも最初に見た時は白い子犬にしか見えなかったし、少し大きくなった今でも基本的な形は犬に近い。


 もちろん妙に賢かったり、森の中を平気で歩き回ったりするところは普通ではない気がしていた。


 それでも。


「犬の仲間くらいだと思ってた」


「マナヴォルを?」


「その名前を今初めて知ったんだけど」


 エルネアは何か言おうとして、一度口を閉じた。


 そのまま額へ手を当てる。


「大丈夫?」


「ちょっと整理してる」


 俺が何をそんなに驚かせたのか分からない。


 ハクアは相変わらず少し離れたところにいる。


「ハクア」


 呼ぶと、白い顔がこちらへ向いた。


「お前、犬じゃなかったらしいぞ」


 耳が一度動いただけだった。


「反応薄いな」


「本人は最初から知ってるんじゃない?」


 エルネアの言葉に、少し考える。


「自分の種族を?」


「少なくとも、ユウマよりは自分のことを知ってるかもしれないでしょう?」


「それはそうか」


 勝手に犬だと思っていたのは俺だ。


 ハクアが自分をどう認識しているかなんて、一度も確かめようがなかった。


 そもそも名前すら俺がつけたくらいだ。


「マナヴォル……」


 もう一度口にする。


 知らない言葉だから、まだハクアと結びつかない。


「珍しいの?」


「かなり」


 エルネアの答えは短かった。


 ただ、そのあとすぐには続けない。


 俺がさっきまで質問を一個ずつにしろと言っていたからかもしれない。


「どのくらい?」


「私も生きている個体をこんな近くで見るのは初めて」


 それなら確かに珍しいらしい。


 研究者のエルネアがこの森をあちこち歩いていて、それでも初めてという程度には。


 俺はハクアを見る。


 当の本人は、珍しいと言われても何も変わらない。


 地面の匂いを少し嗅ぎ、近くの草へ目を向けている。


「へえ」


「……それだけ?」


 エルネアがこちらを見た。


「何が?」


「珍しいって聞いて」


「珍しいんだなって」


 それ以上の感想が出てこなかった。


 珍しいからといって、昨日までのハクアが変わるわけでもない。


「もっと驚くと思った」


「名前を知らなかっただけだし」


 俺にとっては、ハクアがハクアであることの方が先だった。


 マナヴォルという名前があとから増えただけだ。


 エルネアは少し不思議そうな顔をしたが、それ以上は何も言わなかった。


 また歩き始める。


 細沢まではもう近い。


 ハクアが先へ進むと、エルネアもその後ろ姿を見ながら隣を歩いた。


「マナヴォルって、どんなの?」


「とても賢いって言われてる」


「それは知ってる」


 思わず答えると、エルネアがこちらを見る。


「知ってたの?」


「マナヴォルって名前は知らなかった。でもハクアが賢いのは知ってる」


 名前を呼べば反応する。


 危ない場所では勝手に突っ込まない。


 俺より先に何かへ気づくこともあるし、こちらの簡単な言葉もかなり理解しているように見える。


 それは一緒に暮らしていれば嫌でも分かる。


「そういう意味じゃなくて……」


 エルネアは言いかけて、やめた。


「何?」


「何でもない」


 少しだけ考えるような顔をしたまま、ハクアを見る。


 俺が種族について何も知らないのに、個体としてのハクアのことは当然のように知っているのが不思議なのかもしれない。


 細沢の手前へ着く。


 水音がはっきり聞こえ、木々の間から細い流れが見えた。


 ハクアはいつもの渡河地点へ行かず、少し手前の乾いた場所で足を止める。


 俺たちも近くで休むことにした。


「他には?」


「何が?」


「マナヴォル」


 荷物を下ろしながら聞く。


 エルネアは少し考えてから答えた。


「むやみに人を襲う種ではないと言われてる」


「言われてる?」


「数が少ないから、何でも分かってるわけじゃないの」


 それ以上は知らないというより、確かなことだけを選んでいるような言い方だった。


 研究者だからなのか、エルネア自身がそういう性格なのかはまだ分からない。


「でもハクア、俺を襲ったことないよ」


「それは見れば分かる」


 エルネアは乾いた地面へ腰を下ろした。


 俺も少し離れた場所に座る。


 ハクアは俺たちの間ではなく、少し横の草の上へ伏せた。


「最初から?」


「最初は近づいてこなかった」


 出会った頃を思い出す。


 こちらが近づけば離れ、食べ物を置いてもすぐには寄ってこなかった。


 俺も無理には触らなかった。


「少しずつ近くに来るようになった」


「ユウマが連れてきたんじゃないのね」


「うん」


 エルネアの視線がハクアへ向く。


 さっきまでの「珍しいものを見る目」と少し違った。


「じゃあ、自分でユウマのそばにいるの?」


「たぶん」


 そう答えてから、ハクアを見る。


 俺が縄をつけて連れているわけでもない。


 拠点から自由に森へ出ていき、勝手に戻ってくる。


 俺が探索へ行けばついてくることも多いけれど、来ない時があったとしても止められない。


「出ていこうと思えばいつでも行けるし」


「それでも戻ってくる?」


「戻ってくる」


 それはもう何度も確かめている。


 朝いなくなっても、夕方には戻る。


 森の中で別に行動しても、いつの間にかまた合流する。


 理由は聞けない。


 でも、今ここにいる。


「……そっちの方が気になる」


「珍しいことより?」


「うん」


 エルネアは即答した。


 そのあと言葉を続けず、伏せているハクアを静かに見ている。


 ハクアも視線に気づいたらしく、顔だけを上げた。


 二人の目が合う。


 エルネアは近づかない。


 ハクアも立ち上がらない。


 少しすると、白い顔はまた前脚の上へ戻った。


「何か分かった?」


「ユウマのそばにいるのを嫌がってはいない」


「それは俺も分かる」


 自分で言って、少し笑う。


「少なくとも、嫌なら三か月近く一緒にはいないだろ」


「三か月近く?」


「あ、ハクアとはそこまで長くない」


 エルネアがこちらを見る。


 また質問したそうな顔になった。


「その顔」


「まだ何も聞いてない」


「二つくらい考えた?」


「……三つ」


「増えてるじゃん」


 エルネアは少しだけ目を逸らした。


 やっぱり分かりやすい。


 俺は水の流れへ目を向ける。


 今日の目的だった石を見るのを、また忘れるところだった。


「今度はちゃんと石見るからな」


「私、邪魔してる?」


「半分くらい」


 エルネアの眉が動く。


 すぐに俺は笑って首を振った。


「冗談。俺が勝手に話してる」


「ならいいけど」


 立ち上がり、細沢の方へ歩く。


 ハクアも少し遅れて身体を起こした。


「マナヴォルか」


 もう一度呼び名を口にする。


 ハクアがこちらを見る。


「いや、お前の名前はハクアだからな」


 白い耳がぴくりと動く。


 それを見て、俺は少し安心した。


 マナヴォル。


 珍しくて、賢くて、むやみに人を襲わないらしい種。


 今日知ったことは増えた。


 でも俺が呼ぶ名前は変わらない。


「行くぞ、ハクア」


 今度はすぐに白い身体が歩き出した。


 その後ろで、エルネアが何も言わずに少し笑っていた。

第79話を最後まで読んでいただき、ありがとうございます。


ハクアの種族名は《マナヴォル》。


非常に珍しく、賢く、むやみに人を襲う種ではないとされています。


けれどユウマにとっては、種族名を知るより前から、ハクアはずっと「ハクア」でした。

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