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『魔法の使えない転生者、忌地の森をひらく』  作者: 森野余白
第六章 「銀髪の研究者」

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第77話 採ったのは私

名前を知った二人は、それぞれの場所へ戻りました。


翌日、ユウマはいつもの目的で南西へ向かいます。

 拠点へ戻った頃には、木々の間から差し込む光がだいぶ低くなっていた。


「間に合ったな」


 空き地へ入って荷物を下ろす。


 ハクアはそのまま水の置いてある方へ向かい、俺は残っていた火を確かめた。完全には消えていない。灰の下を細い枝で崩すと、小さな赤い点がまだ残っている。


「よし」


 乾いた枝を重ね、息を吹き込む。


 火が戻るまでの間に、今日持ち出したものを元へ戻した。


 結局、細沢まで行ったのに石はほとんど見ていない。


 エルネアと話していたら忘れた。


「名前聞いただけのはずだったんだけどな」


 火へ視線を戻す。


 ユウマ。


 エルネア。


 声に出さなくても、その二つが頭へ浮かんだ。


 昨日まで、銀色の髪の人だった。


 今日はもう名前を知っている。


「エルネア」


 試しに口へ出す。


 ハクアが水を飲むのをやめてこちらを見た。


「お前じゃない」


 耳が動く。


「いや、分かってると思うけど」


 ハクアはまた水へ顔を戻した。


「……たぶん」


 言ってから、今日何度も同じことを言ったのを思い出す。


「やめよう。これ癖になりそうだ」


 火が安定した。


 夕方から夜にかけては、いつも通りに過ごした。


 食べるものを用意し、乾かしている草を確かめ、使った石の刃を軽く洗う。


 エルネアのことを考える時間はあったが、明日会おうと約束したわけではない。


 また、この辺で会ったら話そう。


 それだけだ。


 だから翌朝になっても、会いに行くつもりで支度をすることはなかった。


 水を汲み、朝の火を整える。


 昨日見られなかった細沢の石は、また今度でいい。


 代わりに今日は割れ岩の方まで行ってみることにした。


 前に新しい切断跡を見つけてから、まだそれほど日が経っていない。誰かがいると分かった今でも、それを確かめるためだけに行く気はなかったが、あの辺りももう自分で往復できる範囲だ。


「行くか」


 ハクアへ声をかける。


 白い身体が立ち上がった。


 西の緩尾根を通り、湿地へ下る。


 昨日エルネアと会った細沢の手前も通ったが、銀色の髪は見えなかった。


「まあ、そう毎回いるわけないよな」


 ハクアは先を歩いている。


 湿地から細沢へ進み、いつもの場所で水を渡った。


 足元の石を選びながら進む。


 以前より慣れたとはいえ、濡れた石は滑る。


「ハクアはいいよな」


 白い身体が向こう岸から振り返る。


「四本あるから」


 返事はない。


「二本より安定するだろ」


 やっぱり何も返ってこなかった。


「今のは結構正しいと思うんだけど」


 最後の一歩を渡り切る。


 そこから割れ岩までは、それほど遠くない。


 木々の間を抜け、前にも通った目印を確認しながら歩く。


 やがて、灰色の岩肌が木の向こうへ見え始めた。


「着いた」


 割れ岩の近くへ出る。


 高さのある岩が途中から割れたように立ち、その一面だけ妙に滑らかに見える。


 初めて見つけた時から、ここだけはどうしてこうなっているのか分からない。


 けれど今日は、それより先に別のものが目に入った。


「……あ」


 銀色。


 岩の少し手前。


 低い植物が集まっているところに、エルネアがしゃがんでいた。


 昨日までなら足が止まっていたかもしれない。


 今日は驚きはしたものの、すぐに声を出せた。


「エルネア」


 銀色の髪が動く。


 顔がこちらを向いた。


「ユウマ」


 名前が返ってくる。


「こんにちは」


「こんにちは」


 昨日よりずっと普通だった。


「何してるの?」


 聞いてから、少し近づく。


 エルネアのそばには肩から下げた鞄があり、その横に小さな袋がいくつか置かれていた。


 手元には細い記録帳らしいもの。


 小さな容器も二つほど見える。


 そして腰には昨日と同じ金属のナイフ。


「これを見てた」


 エルネアが目の前の植物を指す。


 俺も少し離れた場所から見る。


「草?」


「草」


「何か違う?」


「生えている場所と状態を見てるの」


「状態?」


「葉の色とか、茎の硬さとか、周りの土がどのくらい湿っているかとか」


「へえ」


 言われて見てみる。


 俺なら、まず使えるかどうかを考える。


 食べられそうか。


 繊維が取れるか。


 火に使えるか。


 何かを包めるか。


 エルネアが見ているのは少し違うらしい。


「それ、何のため?」


「記録するため」


「記録?」


「ここに何があって、どう変わっているか」


 エルネアが膝の上に置いていた記録帳を軽く持ち上げた。


 開かれた紙には細かな線が並んでいる。


 何か書かれているのは分かるが、今は内容まで見る距離ではない。


「ずっとやってるの?」


「この辺だけじゃないけど」


「他も?」


「植物だけじゃなくて、土や水も見る」


「土と水も?」


「そう」


 エルネアは何でもないことのように答えた。


「研究してるから」


「研究」


 聞き慣れた言葉だった。


 けれど、森の中で聞くと少し変な感じがする。


「研究者ってこと?」


「そうなるわね」


「森の?」


「森そのものというより、森の中にあるものを調べてる」


「植物と土と水」


「他にも見るけど、今はその辺りが多い」


「なるほど」


 分かったような、まだよく分からないような。


 それでも、エルネアが何のためにこの辺りを歩いていたのかは初めて分かった。


「だから色んなところにいたんだ」


「色んなところ?」


「湿地とか、沢とか」


 エルネアの目が少し細くなる。


「私を見てたの?」


「違う違う」


 慌てて手を振る。


「姿じゃなくて、跡」


「跡?」


「前から気になってたんだよ」


 すぐ近くの植物を指す。


「こういうの」


 その茎の一部に、切られた跡がある。


 古い。


 今日つけたものではない。


「やたら綺麗に切れてるやつ」


 エルネアが俺の指した先を見る。


「ああ」


「知ってる?」


「知ってると思う」


「思う?」


「この辺のものなら」


 そう言うと、エルネアは腰のナイフを抜いた。


 反射的に少し身体が固まる。


 けれど刃先はこちらへは向かない。


 エルネアはしゃがんだまま、目の前の植物の茎を指で押さえる。


「全部は採らない」


「うん」


「必要なのはここだけだから」


 茎の一部へ刃を当てる。


 すっと動いた。


「…………」


 一度。


 それだけだった。


 細い茎の一部が切り離される。


 エルネアは採った部分を小さな袋へ入れた。


 俺は植物に残った切り口を見る。


「これ」


「何?」


「これだ」


「これ?」


「前に見たのと同じ」


 しゃがみ込む。


 切り口は滑らかだった。


 潰れていない。


 細い繊維がぐしゃぐしゃに飛び出してもいない。


 自分が石の刃で何度も押したり引いたりした時とは、まるで違う。


「これ、本当にずっと気になってた」


 エルネアが俺を見る。


「切った跡が?」


「そう」


「そんなに?」


「最初は一本だけだったんだよ。それなら何か知らない獣かもしれないと思った」


「獣」


「でも、別の場所でも似たのがあって、その後また新しいのを見つけて」


「ああ……」


「それで誰かいるのかもって思った」


 エルネアは切り取った植物の入った袋を見る。


「それ、たぶん私」


「やっぱり?」


「この辺で植物を採ってるのは私だから」


「湿地のも?」


「どの辺?」


 場所を説明する。


 水の溜まるところから少し外れた場所。


 繊維の取れる草を最初に見つけた辺り。


 するとエルネアは少し考えてから頷いた。


「そこなら行ってる」


「じゃあ、あれも?」


「たぶん」


「また、たぶん」


「見てないものまで断定できないでしょう?」


「それはそうだけど」


 昨日まで自分が言っていた言葉を、今度はエルネアが使っている。


「じゃあ、掘った跡は?」


「掘った跡?」


「白いところがある植物の近く。必要なところだけ掘ったみたいな、小さい跡」


 エルネアの表情が少し変わる。


「白い地下の部分がある植物?」


「そう。それ」


「採った?」


「俺?」


「うん」


「少しだけ。食べられるか試した」


「…………」


「何?」


「食べたの?」


「ちゃんと少しずつだよ」


「そういう問題?」


「いきなり大量には食べてない」


「そこじゃなくて」


「じゃあどこ?」


 エルネアは何か言いかけ、少し考えたあと口を閉じた。


「……今はいい」


「何だよ」


「それより、その掘った跡なら私の可能性が高い。状態を見るために少し掘ったことがあるから」


「やっぱり」


 ずっと分からなかったものが、次々とつながっていく。


 草の切り口。


 整った掘り跡。


 割れ岩近くの新しい切断跡。


「全部エルネアだったのか」


「全部とは言ってない」


「だいたい」


「それなら、たぶん」


「そこはたぶんなんだ」


「だから断定できないものは――」


「分かった、分かった」


 思わず笑う。


 エルネアが少しだけ眉を寄せた。


「何?」


「いや、すっきりした」


「そんなに気になってた?」


「誰がいるのか分からなかったから」


 切り口を見る。


「これを見て、足跡見て、それからエルネア見た」


「そうだったの」


「そっちは気づいてなかった?」


 そう聞くと、エルネアの視線が俺の腰へ向いた。


 石の刃。


「気づいてた」


「え?」


「ユウマの方も」


「俺?」


「最初は誰か分からなかったけど」


 エルネアが立ち上がる。


「草の切り方が途中から変わった場所があった」


「切り方?」


「粗い」


「…………」


「石で何度か押して切ったみたいな跡」


「それ、たぶん俺」


「でしょうね」


「何で即答なんだ」


「それを持ってるから」


 石の刃を指される。


「確かに」


「それだけじゃない」


 エルネアは指を一本立てた。


「白い地下部分のある植物を掘った跡」


 二本目。


「細沢の砂が減っていた場所」


 三本目。


「それから、同じところを何度も渡った跡」


「そんなのも分かる?」


「分かる。石の位置が少しずつ変わってたし、岸の草も同じところだけ踏まれてたから」


「…………」


 自分では普通に歩いていたつもりだった。


「結構残ってるんだな」


「残るわよ」


「俺、そんなに跡だらけ?」


「だらけとまでは言ってない」


「でも色々見つかってる」


「何度も同じところを通ればね」


「そうか……」


 今まで、自分が森に残された痕跡を探している側だと思っていた。


 でも、反対だったらしい。


 俺が草を切った跡も、地面を掘った跡も、砂を持ち帰った場所も、水を渡ったところも。


 エルネアには見られていた。


「じゃあ、エルネアも誰かいると思ってた?」


「思ってた」


「いつから?」


「正確には分からないけど、あなたが私を見つけるより前」


「俺も」


「そうでしょうね」


「何で分かる?」


「さっき言ったでしょう。切った跡を何度も見てたって」


「ああ」


 互いに顔を知るより先に、相手が森へ残した跡を見ていた。


 名前も知らず。


 姿すら知らず。


 片方は滑らかな切り口を見て。


 片方は粗い切り口を見て。


「俺のだけ粗いの、ちょっと嫌だな」


「石なら仕方ないでしょう」


「それ」


 エルネアの腰のナイフを見る。


「やっぱり金属?」


「そうだけど」


「切れそうだな」


「切れるから使ってる」


「そりゃそうか」


 俺の石の刃を見る。


 切れないわけではない。


 これまでずっと役に立ってきた。


 ただ、目の前で一度ですっと植物を切られると、違いはかなり分かりやすい。


「便利そう」


「石よりは」


「また比べる」


「ユウマが見てるから」


「見てたけど」


 エルネアは採取袋の口を閉じ、それを肩掛け鞄へ入れた。


 続いて記録帳を開き、何かを短く書き込む。


「今のも記録?」


「そう」


「切った場所とか?」


「場所と、植物の状態。あと土の湿り方」


「細かいな」


「調べるなら必要でしょう?」


「俺なら、使えるかどうかで終わる」


「使えるか?」


「食べられるとか、紐にできるとか、燃やせるとか」


 エルネアの手が止まる。


「……それで植物を見てるの?」


「大体」


「全部?」


「全部じゃないけど」


「食べられるか試す時は?」


「少しずつ」


「さっきも言ってた」


「ちゃんと時間も空ける」


「誰に教わったの?」


「誰にも」


 エルネアが顔を上げた。


「じゃあ、どうして?」


「いきなりたくさん食べたら危ないだろ」


「それはそうだけど」


「だから少し食べて待つ」


「…………」


「何?」


「ユウマって」


「うん」


「変なところは慎重なのね」


「変なところ?」


「知らない相手は追わないのに、知らない植物は食べる」


「…………」


 言われてみる。


「いや、ちゃんと少しだぞ」


「やっぱりそこなの?」


「大事だろ」


 エルネアが額へ指を当てた。


「何その反応」


「考えてる」


「何を?」


「ユウマの基準」


「普通だと思うけど」


「たぶん違う」


「今たぶんって言った」


「言った」


「俺だけじゃないじゃん」


「そこ?」


 ハクアが少し離れたところで伏せた。


 俺たちの会話にはもうあまり興味がないらしい。


「ハクア」


 耳だけが動く。


「エルネアもたぶんって言ったぞ」


「ハクアに報告しなくていい」


「昨日俺ばっかり言われたから」


「まだ気にしてたの?」


「少し」


「……そう」


 エルネアの口元が緩む。


「また笑った」


「少し」


「それも昨日から変わらないな」


 俺も笑った。


 岩のそばを風が通り、草の葉が揺れる。


 昨日までは、エルネアが何者なのか分からなかった。


 今日は一つ分かった。


 森の植物や土、水を調べる人。


 研究者。


 そして、俺がずっと気にしていた滑らかな切断面を残していた人。


 一方でエルネアも、俺が歩き、採り、持ち帰った跡を見ていた。


 顔を見る前から。


 名前を知る前から。


 互いに森の中へ残したものだけを先に知って、誰がいるのだろうと考えていたらしい。


「エルネア」


「何?」


 さっき切った植物を指す。


「これ、本当にすっきりした」


「切ったのが私だって分かって?」


「うん」


 少し考える。


「かなり」


「そう」


 エルネアは小さく頷いた。


「私も」


「え?」


「粗い切り口が誰のものか分かったから」


「また粗いって言った」


「事実でしょう?」


「もう少し言い方ない?」


「石の道具にしては頑張ってる」


「それ褒めてる?」


「褒めてる」


「ならいいか」


「単純ね」


「何か言った?」


「何でもない」


「聞こえてるぞ」


 今度はエルネアがはっきり笑った。


 俺もつられて笑う。


 まだ聞きたいことはいくらでもある。


 けれど、一度に全部知る必要はない。


 今日は、森に残っていた跡の一つに答えが出た。


 それだけでも十分だった。

第77話を最後まで読んでいただき、ありがとうございます。


森に残されていた滑らかな植物の切断面。


その主は、植物や土、水などを調べている研究者のエルネアでした。


そしてエルネアもまた、ユウマが森へ残した採取跡や渡河の痕跡を以前から見つけていました。

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