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『魔法の使えない転生者、忌地の森をひらく』  作者: 森野余白
第五章「森を少しだけ広く」

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章末閑話 誰かが歩いたあと

誰かが残した痕跡を見つけていたのは、一人だけではなかった。


第五章、章末閑話です。

朝。


割れた大岩の近くで、昨日採ったものを確認する。


小さく切った植物。


少量の土。


薄い布に包んだ試料。


どれも多くはない。


必要な分だけあればいい。


一つずつ状態を確かめ、包み直す。


昨日切った植物の茎も、少し離れたところに残っていた。


切断面は平らで、まだ新しい。


「問題なし」


小さな刃をしまう。


今日は、ここから湿った場所の方へ戻りながら見るつもりだった。


この辺りは何度も来ている。


特別珍しい場所ではない。


割れた岩。


細い水。


湿った土。


その周囲に生える植物。


季節や雨によって少しずつ変わるものを、来るたびに見ている。


だからこそ、歩き始めて間もなく足が止まった。


「……?」


地面を見る。


落ち葉。


小石。


露出した根。


それだけなら、いつもと変わらない。


けれど、一部だけ落ち葉が不自然に沈んでいた。


しゃがむ。


指先で少し持ち上げる。


土が押されている。


「踏んだ跡?」


はっきりした足跡ではない。


形も崩れている。


それでも、獣の足とは違った。


細長く、地面へ均一に力が掛かっている。


一つだけではない。


少し先にもある。


「……新しい」


雨を挟んでいない。


落ち葉も完全には戻っていない。


昨日か、それより少し前。


そのくらいに見える。


立ち上がり、周囲を見る。


木々。


下草。


岩。


誰もいない。


森の音も変わらない。


足跡らしいものを追おうとして、やめた。


「まず、いつものところ」


今日は巡回の途中だ。


正体の分からない跡を見つけたからといって、すぐ後を追う必要はない。


ただ、覚えておく。


向きだけ確認する。


跡は、細い流れの方へ続いているようだった。


割れ岩を離れる。


歩きながら、植物を見る。


地面の湿り。


苔。


葉の状態。


いつも通りのものを確認していく。


しばらくすると、水音が聞こえ始めた。


細い流れ。


木の根を避けながら曲がる水。


その手前で、また足が止まる。


「ここも?」


岸の土。


何度か踏まれたように固くなっている。


動物の足跡はいくつもある。


それとは別だった。


特に、流れを横切る太い根の周囲。


そこだけ、土の表面が少し崩れている。


根の上を見る。


苔が擦れている場所もあった。


一度、偶然動物が通っただけではなさそうだった。


「渡ってる」


根のこちら側。


向こう側。


両方に同じような跡がある。


しゃがみ、泥を見る。


形の残った部分。


やはり獣の足ではない。


「何度か……かな」


一度だけとは言い切れない。


同じところを繰り返し使っている。


そのように見えた。


流れへ目を向ける。


水の底。


砂。


小石。


泥。


少し離れた場所に、砂が溜まっている。


いつも見ている場所だった。


そこへ近づく。


「……減ってる?」


ほんの少し、表面がえぐれている。


水が動かしただけにも見える。


でも、流れ方とは合わない。


端の方から、何かですくったように砂が欠けていた。


指で触る。


すぐ横には、砂を押した跡もある。


「採った?」


少量だ。


大量に持ち去ったような跡ではない。


試すために、ほんの少し取ったようにも見える。


その考えが浮かんで、自分の荷物を見る。


昨日採った植物。


少量の土。


必要な分だけ。


「……似てる」


思わず口にする。


もちろん、同じ目的とは限らない。


何かを採る理由はいくらでもある。


それでも、気になった。


細い流れから離れ、湿った場所へ向かう。


途中、何度か地面を見る。


ここにも。


あそこにも。


はっきりとはしないが、踏まれたようなところが残っていた。


一直線ではない。


柔らかい場所を避けている。


根の上。


比較的固い土。


沈みにくいところ。


「選んで歩いてる……?」


動物なら、もっと別の跡になることが多い。


もちろん、獣にも歩きやすい場所を選ぶものはいる。


それだけでは何とも言えない。


でも、渡河地点、砂、足元の選び方が少しずつ重なる。


湿った場所へ入る。


苔が増える。


腐葉土が厚くなる。


いつもの植物が見えてきた。


長い茎。


縦に裂けやすい繊維を持つもの。


その群れの前で、立ち止まった。


「……減ってる」


数本、なくなっている。


大きく刈られたわけではない。


群生そのものは残っている。


一部だけ、選ぶように採られていた。


しゃがむ。


残った茎の一つを見る。


切断面は荒い。


潰れている。


繊維が何本か飛び出していた。


「これは、私じゃない」


自分なら、こうはならない。


昨日使った小さな刃を出す。


近くの茎を一本だけ選び、途中を軽く切る。


一度、刃が通る。


残った断面は平らだった。


隣を見る。


粗く潰れた跡。


明らかに違う。


「刃物じゃない……?」


少なくとも、よく研がれた金属の刃ではなさそうだった。


硬いもの。


石。


欠けた石片。


そういうものを何度か当てれば、似た跡になるかもしれない。


切り取られた数を見る。


多くない。


何本かだけ。


「何に使ったんだろう」


この植物なら、繊維、結束、加工。


いくつか考えられる。


ただ、実際に何をしたのかは分からない。


立ち上がる。


周囲を見る。


この場所。


前に来た時。


こんな跡はなかった。


少なくとも、自分が覚えている限りでは。


さらに奥へ進む。


白い地下部を持つ植物が増える場所。


そこで、もう一つ見つけた。


「あ」


土が掘られている。


最初は獣かと思った。


ここには元々、地下部を掘り返す動物が来る。


広く散らされた土。


爪や鼻先で掻いた跡。


それなら珍しくない。


けれど、目の前のものは少し違った。


掘り方は粗い。


自分が調査で採る時よりずっと大きく崩している。


それでも、株を丸ごと抜いてはいなかった。


地中の白い部分が途中で切られている。


周りには、まだ同じ植物が残っていた。


「全部は採ってない」


一株を丸ごと。


周囲までまとめて。


そういう取り方ではない。


必要な分だけ切っているように見えた。


切断面を見る。


ここも荒い。


細い根も何本か切れている。


「さっきと同じ?」


確証はない。


でも、裂かれた茎、掘られた地下部、沢から減った砂、踏まれた渡河地点。


どれも最近できた跡だった。


一つだけなら、動物、水、倒木、偶然。


いくらでも考えられる。


けれど。


「……多いな」


立ち上がる。


周囲をゆっくり見る。


誰もいない。


木々の間にも。


下草の向こうにも。


動く影はない。


音も、いつもの森だった。


それでも、何かが変わっている。


以前から使っている観察地点。


何度も歩いた場所。


自分が来ない間にも、当然、獣は通る。


雨も降る。


植物も伸びる。


それとは違うものが、ここには増えていた。


「誰か……」


口にしかけて、止める。


まだ早い。


人型のものだと決まったわけではない。


足跡も綺麗には残っていない。


切断跡だけで判断するのも危ない。


追えば、もう少し分かるかもしれない。


踏まれた土をたどる。


採取跡の向きを見る。


そうすれば、どちらから来ているのかくらいは分かるかもしれない。


でも。


「今日はやめよう」


荷物を持ち直す。


相手が何なのか分からない。


敵意があるのかも。


ただ採取しているだけなのかも。


何も分からない状態で追う必要はない。


まず、ここで何が変わったのか、もう少し見る。


白い地下部の採取跡から離れる。


湿地の外側へ向かう途中にも、地面の擦れをいくつか見つけた。


一つ。


二つ。


形はどれも薄い。


それでも、足を置きやすい場所に続いている。


「向こうから来てる?」


自分が普段ここへ入る方向とは違う。


もっと、森の反対側。


今まで自分があまり気にしていなかった方だ。


少しだけ進む。


追跡ではない。


周囲を確認するだけ。


そう決めて、十数歩。


そこで、一本の植物に目が止まった。


途中から切れている。


また粗い切断面だった。


「これも」


しゃがむ。


指先を近づける。


潰れた繊維。


何度か刃を当てたような跡。


植物そのものは古くない。


切られた部分も、まだそれほど時間が経っていない。


指で、断面をそっとなぞる。


ざらつく。


自分が残した跡とは違う。


昨日、割れ岩の近くで切った植物を思い出す。


あちらは、小さな刃を一度通しただけで切れた。


平らで、滑らかな断面。


これは、何度か少しずつ切ったような跡だった。


「……」


指を離す。


もう一度、森を見る。


誰もいない。


何も聞こえない。


それでも、この切り口はここにある。


「歩いてるんだ」


誰か、とはまだ言わない。


何なのかも分からない。


でも、何かが植物を切り、地下部を掘り、砂をすくい、同じ根を使って流れを渡っている。


偶然できたものではない。


少なくとも、そう思えるだけの跡があった。


「いつから?」


分からない。


数日。


もっと前。


自分の巡回の間隔では、正確には絞れない。


ただ、新しい。


それだけは分かる。


荷物へ手を添える。


自分が採った植物。


自分が採った土。


自分が残した切断面。


そして、今、目の前にある粗い切り口。


こちらが気づいたように、向こうも自分の残した跡を見ている可能性がある。


その考えに気づき、少しだけ黙った。


「……そっか」


昨日、割れ岩で植物を切った。


その跡は、まだ残っている。


もし、この痕跡を残したものが今日あそこへ行けば、見るかもしれない。


自分が、今これを見ているように。


「お互い様、か」


小さく呟く。


もう一度、粗い断面を見る。


追わない。


消しもしない。


印もつけない。


そのまま残す。


代わりに、場所だけ覚える。


ここから。


湿った場所。


細い流れ。


割れ岩。


いくつもの跡が、少しずつ重なっている。


「また来よう」


次に来た時、増えているのか、消えているのか、同じ場所を使っているのか。


それを見ればいい。


今、急いで答えを出す必要はない。


立ち上がる。


来た方とは違う方向へ体を向ける。


いつも、自分が森の奥へ戻る方。


歩き出す前に、一度だけ振り返った。


湿った地面。


折れていない草。


掘られた跡。


さらに向こうには、細い流れ。


今は見えない割れ岩。


以前は、ただ巡回するだけの場所だった。


今日は、少し違って見える。


ここには、自分ではない何かが何度も歩いたあとが残っていた。

主人公が見つけていた、滑らかな切断跡や整った採取跡。


今度は、その痕跡を残していた側が、主人公の粗い切断跡や採取跡を見つけました。


まだ互いの姿は知りません。


けれど、それぞれが歩いていた森の範囲は、すでに重なり始めています。

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