第65話 水の通った跡
第65話です。
湿った場所に残っているのは、動物の足跡だけではありません。
今日は、地面に残った水の跡をたどります。
朝の作業を終えてから、もう一度湿った場所へ向かった。
昨日の朝まで様子を見た白い根は、まだ食べられるものだと決めていない。今日は、その続きを試すつもりもなかった。
「急いでも仕方ないしな」
一度食べて、何もなかった。今のところ分かっているのは、それだけだ。
それよりも、あの植物が生えていた場所を、もう少し見ておきたかった。
西側の岩場を越え、高いところまで上る。そこから反対側へ下ると、少しずつ苔が増えてきた。地面の色も濃くなる。
「この辺はもう分かるな」
湿った場所へ入る。
最初に来た時ほど、足元だけを見続けることもなくなった。柔らかい土、滑りやすい根、比較的固い場所。何となく違いが見えるようになっている。
もちろん、油断はしない。一歩ずつ確かめながら進む。
ハクアは少し前を歩いていた。時々止まって鼻を動かすが、今日は特に何かを追う様子はない。
「昨日の足跡、まだあるかな」
白い根を見つけた方へ進む。
やがて、見覚えのある太い木が見えた。その根元には苔があり、少し先には地面からまとまって葉を伸ばす植物がある。
「ここだな」
昨日掘った場所を見る。軽く戻した土は、まだ分かる。その近くには、動物が掘った跡も残っていた。
ただ、今日はそこだけを見ない。周囲へ目を向ける。
同じ植物が数株ある。少し離れたところにも、さらに先にも。
「こっちの方が多いな」
湿った場所の中でも、どこにでも生えているわけではなさそうだ。
昨日採った辺りより、少し低く見える方。そちらに何株かまとまっている。
「湿ってる方がいいのか?」
しゃがんで地面を見る。
土はかなり湿っている。でも、水が溜まっているわけではない。
そのまま周囲を見ていると、少し変なものに気づいた。
「……ん?」
落ち葉。森の中なら、どこにでもある。
でも、一部だけ並び方が違う。
細長い範囲に、葉が同じような向きで重なっていた。
「なんだ、これ」
近づく。
地面は少し窪んでいる。深くはなく、足を置いても気づかないくらいだ。その浅いところに、細かな葉や枝が集まっている。
指で一枚持ち上げる。
下には、細かい砂のようなものがあった。
「砂?」
昨日まで見ていた地面は、黒っぽい土や腐葉土が多かった。ここだけ、粒の細かいものが少し溜まっている。
指先で擦る。泥よりざらつく。
「どうしてここだけ……」
少し先を見る。
同じように落ち葉が寄っている。その間では、草が何本か倒れていた。踏まれたというより、一方向へ寝ている。
「これ……」
立ち上がり、少し離れて見る。
浅く低いところに沿うように、落ち葉が寄っている。細かい砂が残り、草が倒れている。地面も周りより湿っていた。
「水が通った?」
口にしてから、もう一度見る。
今は流れていない。水面もない。
でも、雨が降った時に上の方から水が集まり、ここを流れたと考えれば、落ち葉の並びも砂も草の倒れ方も、何となくつながる。
「だから、この辺が湿ってるのか?」
断定はできない。
昨日までは、湿った場所だから湿っている。それくらいにしか考えていなかった。
けれど、水がどこかから来て低いところを通るなら、湿り方にも理由があるのかもしれない。
「どっちから来てる?」
落ち葉の向きを見る。よく分からない。
草にも目を向けるが、全部が同じ方向ではなかった。
「……難しいな」
水が流れているところなら分かりやすい。今残っているのは跡だけだ。
少し歩いてみる。
高いところへ戻る側と反対側で、地面の高さを比べる。
「こっちの方が低いか」
白い根が多く生えている方へ進む。浅い窪みも続いているように見えた。
「少しだけ追ってみるか」
ハクアを見る。少し先でこちらを待っている。
「今日は水探しになったな」
白い耳が動いた。
「まだ水があるか分からないけど」
浅い跡に沿って進む。
真上を歩く必要はない。柔らかい場所を避け、少し横の固い地面を選びながら、水が通ったように見えるところを確認していく。
「ここにもある」
根の裏に、細かな砂が溜まっている。
少し先には倒れた草。さらに先には、小さな枝が何本か引っ掛かっていた。
「やっぱり流れたのかな」
雨水だけかもしれない。一時的に流れるだけかもしれない。それとも、もっと先にはいつも水があるのかもしれない。
今は分からない。
ただ、跡は低い方へ続いている。
「高いところから下ってきて、さらにこっちが低い」
頭の中で、今まで歩いてきた場所をつなぐ。
拠点から西へ進み、少しずつ上る。高いところを越えて下ると、湿った場所に出る。さらに、その中の低い方へ水が通ったような跡が続いている。
「地面って、結構つながってるんだな」
今までは、高い場所、湿った場所、白い根を一つずつ見つけていた。
でも、高いところから下った先だから湿っているのかもしれない。さらに低いところへ水が集まっているのかもしれない。
別々に見ていたものが、少しだけつながった気がした。
そのまま進んでいたが、すぐに足を止めた。
「……思ったより進んだな」
振り返る。
白い根を見つけた辺りは、もう木の陰に隠れている。ここから高いところへ戻り、さらに拠点まで歩かなければならない。
「今日はここまでにするか」
水の跡はまだ続いている。もう少し先へ行けそうだ。
でも、行けるからといって、行く必要があるわけではない。今日は、ここまでを覚えておく。
「戻るぞ、ハクア」
そう言った時だった。
「……ん?」
動きを止め、耳を澄ます。
葉が揺れる音。虫の声。遠くの鳥。
その中に、かすかに別の音が混じった気がした。
「まただ」
高いところで聞いた、水のような音。
あの時は一度だけで、すぐに分からなくなった。
今は、低い方からごく小さく、途切れずに何かが聞こえている。
「あっち……か?」
しばらく待つ。
風が止まった瞬間、また聞こえた。
さらさらというより、かすかな流れる音だった。
「水、あるのか?」
一歩進みかけて、止まる。
「……いや」
今日はここまでと決めた。音が聞こえたからといって、予定を変える必要はない。
それに、どれくらい先かも分からない。すぐそこかもしれないし、かなり遠いのかもしれない。森の中では、音の距離もよく分からなかった。
「明日でいいな」
ハクアが低い方を見ている。
「行かないぞ。今日は帰る」
来た道へ向く。
今度は、水の跡を逆にたどる。細かな砂、寄った落ち葉、倒れた草を一つずつ確認していく。
白い根が生えている場所まで戻った。
「ここにつながるのか」
昨日は植物だけを見ていた場所だ。今日は、その近くを水が通った跡があると分かった。
さらに戻る。
湿った場所の外側へ出ると、上り坂になった。地面が乾いてくる。高いところまで戻れば、もう迷わない。
「よし」
拠点へ戻り、水を飲んでから、地面に描いた線の前へ座る。
高いところ。そこから下る線。湿った場所。足跡。白い根。
「この辺から……」
白い根の印の近くに、細い線を一本足す。真っ直ぐではなく、少し曲げた。
「水が通った跡」
実際に水を見たわけではない。池や湧き水のような印にはせず、跡が続いていた方向だけを少し伸ばす。
その先は、まだ空白だ。
「音は、この辺からだったかな」
枝先を動かしかけて、やめる。
音だけで場所を描くのは違う。
「明日確かめればいいか」
枝を置き、地面を見る。
高い場所。湿った場所。その中を通る細い線。昨日までなかったものだ。
「水が流れたなら、どこかにつながってるよな」
どこから来て、どこへ行くのかは、まだ分からない。
今の湧き水とつながっているのか。池へ流れているのか。それとも、全く別なのか。
ただ、あの湿った場所には水が通った跡がある。そして、その先から水のような音が聞こえた。
「次は、そこまでだな」
近くにいたハクアが顔を上げる。
「今度は本当に水かもしれないぞ」
白い尾が一度だけ動いた。
第65話を最後まで読んでいただき、ありがとうございます。
湿った場所で見つけた、落ち葉の並びや細かな砂、倒れた草。
それらをたどるうちに、水が通ったような跡が続いていることに気づきました。
さらに、その先からは、かすかに流れる音も聞こえてきます。




