第46話 煙の向き
第46話です。
一度目の保存実験は失敗しましたが、失敗したからこそ、次に変えるところが少し見えてきました。
今回は欲張らず、「一晩だけ」を目標にもう一度試します。
次に魚を残してみようと思った時、最初に決めたのは、前よりうまく作ることではなかった。
「一晩だけでいい」
昨日の魚を今日まで。
それ以上は考えない。
何日も保存できるものを作ろうとすれば、今の自分では何を確かめればいいのか分からなくなる。それなら、まずは前回失敗したところを少しだけ変えてみる方がいい。
池で捕れたのは、小さな魚が一匹だった。
何度か逃げられ、石の並びを直しながら追い込んだ末の一匹なので、今日のうちに食べてしまいたい気持ちもある。
それでも、今回は最初から試すために来た。
「頼むぞ」
魚へ言っても仕方がないが、そう声をかけて空き地へ戻った。
ハクアは倒木の近くにいて、俺が魚を持って戻ってくると一度だけ顔を上げた。
「今日は俺が食べるんじゃなくて、明日の俺に残す」
白い耳が少し動く。
「まあ、明日食えるかはまだ分からないけどな」
まずは魚を処理する。
腹を開いて内臓を取り除き、水で流すところまでは前と同じだった。
違うのは、その先だ。
「厚いところを減らす」
石片を使い、なるべく身を平たくする。
金属の刃物のようにきれいには切れず、削いだ身が少し崩れたが、前回のように片側だけ厚く残らないよう注意する。
「これ以上やると、身がなくなるな」
欲張らず、そこで止める。
葉の上へ置き、表面の水気を少し取る。布があるわけではないので、乾いた葉を軽く当てては替え、触った時に水が指へつかなくなる程度まで待った。
「前よりは平たい」
見た目は相変わらず不格好だが、それでいい。
昨日使った簡単な横木を焚き火の近くへ置く。
二本の支えへ長めの枝を渡しただけのものなので、持ち上げればすぐ動かせる。
「これが一番大事かもしれないな」
立派ではない。
でも、風が変われば動かせる。
魚を吊るしてから、すぐに火をいじるのではなく、まず煙を見ることにした。
焚き火から細く上がった煙が、少し斜めに流れている。
「こっちか」
横木を煙の先へ動かす。
魚の表面を白い煙がかすめ、そのまま森の方へ流れていった。
「…………」
しばらく見ていると、煙は同じ方向へ流れ続けるわけではない。
強くなったり弱くなったり、急に横へずれたりする。
木の葉も同じだった。
高い枝の葉が揺れたあと、少し遅れて空き地の低い草が動く。
「風って、ずっと同じじゃないんだな」
当たり前のことなのだろう。
でも、これまで火を保つ時には、火が消えないかばかりを見ていた。
煙を使おうとすると、風の向きまで気になる。
しばらくして煙が横へ逸れたので、横木を少し動かす。
「この辺」
近すぎない。
遠すぎない。
たぶん。
「…………」
魚の表面を確認する。
すぐに変化が出るわけではない。
焦らず待つ。
薪を少し足し、煙の量を見ながら火を保つ。
途中で風が強くなり、煙が倒木の方へ流れ始めた。
「ん?」
見ると、その先にはハクアの休む場所がある。
ハクアは伏せていたが、耳を動かし、流れてくる煙の方へ顔を向けた。
「あ、ごめん」
横木ではなく、まず火の周りを見る。
煙の出方そのものを変えるのは難しい。
なら。
「こっちを動かす」
魚を吊るした横木を持ち上げ、少し反対側へ移す。
煙の流れを追っていたせいで、いつの間にかハクアの方へ寄せてしまっていたらしい。
「お前のところまで煙だらけにしたら意味ないな」
ハクアは立ち上がることなく、顔を前脚へ戻した。
俺ももう一度位置を確かめる。
魚には煙が当たる。
ハクアのところへは、さっきほど流れない。
「よし」
これならいい。
昼を過ぎても、魚は横木に吊るされたままだった。
時々向きを変え、片側だけが火に近くなり続けないようにする。
薄くしたおかげなのか、前より表面の乾き方は揃っているように見える。
「…………」
とはいえ。
それだけで成功と決めるつもりはない。
前回だって、外から見ただけならそれらしくなっていた。
夕方が近付くころ、魚を指で軽く押してみる。
端は固い。
中央にはまだ少し柔らかさがあるものの、前回ほど極端ではなかった。
「ここからどうするか」
前はそのまま雨避けの下へ移した。
今度も夜露は避けたい。
ただ、屋根の下だからといって地面の近くへ吊るせば、湿気は多そうだ。
「少し高くするか」
雨避けの中で、地面からなるべく離せるところを探す。
完全に風を遮る場所はない。
むしろ、それが今は都合がいい。
雨が直接当たらず、空気が動くところ。
「ここかな」
横木を移し、魚を地面から離した位置へ吊るす。
火からは十分に遠い。
「一晩」
魚を見る。
「頼むから変な匂いにならないでくれよ」
夕食は木の実と採っておいた草で済ませた。
ハクアはいつの間にか森へ出ていて、陽が落ちる少し前に戻ってきた。口元に何かついている様子もなく、何をしてきたのかは分からない。
「おかえり」
声をかけると、ハクアはいつもの場所へ向かう。
俺は火を弱く保ちながら、ときどき雨避けの下の魚を見る。
見たところで、夜の間に何が起きているかなんて分からない。
「…………」
結局。
待つしかない。
夜が深くなり、火のそばへ横になる。
魚を残せるかどうかだけで眠れなくなるほどではないが、それでも昨日より少し気になった。
「明日の朝だな」
そう呟いて目を閉じた。
朝。
目を覚ますと、最初に焚き火の灰を確かめ、そのあと雨避けの下へ向かった。
「…………」
魚は。
ある。
当然だ。
「問題は中身」
まず匂いを嗅ぐ。
煙の匂い。
魚の匂い。
前回感じたような、嫌な違和感は今のところない。
「次」
表面へ触る。
ぬめり。
「…………」
ない。
指に妙なものもつかない。
色。
「昨日より濃い……かな」
焼けたようなところ。
煙が強く当たったところ。
多少むらはある。
「ここまでは」
問題なさそう。
でも。
前回は中が駄目だった。
石片で少しだけ身を開く。
「…………」
中央。
完全に乾き切っているわけではない。
でも。
妙な柔らかさは感じない。
匂いも。
「変じゃない」
だからといって。
そのまま食べる気にはならなかった。
「もう一回、ちゃんと火を通す」
焚き火を起こす。
細い枝から炎を育て、十分に熱が出てから魚を火へ近付ける。
表面だけではなく、中まで熱が通るよう、何度か向きを変える。
「…………」
魚の脂が少し落ち、火が小さく鳴った。
焼く。
かなりしっかり。
「これなら」
火から外す。
すぐには食べず、少し冷ます。
それから。
「…………」
ひとかけら。
口に入れる。
噛む。
「苦い」
思わず顔がしかめる。
煙の匂いが強い。
昨日の焼き魚とはかなり違う。
「煙臭いな……」
もう一口。
うまいかと聞かれれば。
「…………」
普通に焼いた方がうまい。
でも。
変な酸味。
嫌な臭い。
妙なぬめり。
そういうものは感じない。
「食べられる」
少しずつ食べる。
途中で身体の具合がおかしくならないか気にしながら、急がず口へ運ぶ。
ハクアがこちらを見ていた。
「お前はいいぞ」
今回は自分で確かめる。
「煙臭いし」
耳が動く。
「たぶん、お前もいらないと思う」
魚を食べ終える。
量は少ない。
味もいいとは言えない。
それでも。
「…………」
昨日捕った魚を。
今日の朝。
食べた。
「できた……?」
言いかけて。
首を振る。
「いや」
保存食。
そう呼ぶには。
まだ早い。
何日持つのか分からない。
今回がたまたま大丈夫だっただけかもしれない。
魚の厚さ。
天気。
風。
煙。
全部。
次も同じにはならない。
「保存食じゃないな」
火のそばへ座る。
「昨日の飯を、今日まで残せたくらいか」
でも。
今は。
「それで十分」
一晩。
たったそれだけ。
それでも。
昨日までできなかったことが、一度だけできた。
火の向こうで、ハクアが身体を伸ばしている。
俺は空になった横木を見る。
立派な道具でもない。
魚も特別うまくはなかった。
それでも昨日より少しだけ。
食べ物を扱える時間が長くなった。
「次も同じようにできるとは限らないけどな」
そのくらいでいい。
今はまだ。
一回できた。
それだけを覚えておくことにした。
第46話を最後まで読んでいただき、ありがとうございます。
前回の失敗から、魚を薄くすること、試す量を減らすこと、風と煙を見ながら横木を動かすことを試しました。
今回は翌朝まで持たせることができましたが、長期保存ができるようになったわけではありません。
「昨日の飯を今日まで残せた」。
まずは、その小さな一回目の成功です。




