第45話 これは駄目だ
第45話です。
昨日、初めて「明日まで残す」ために魚を乾かし、煙へ当てました。
見た目がそれらしくなっていても、それだけで食べられるとは限りません。
今回は、時間をかけたものでも危険だと思えば捨てる、そんな小さな判断の回です。
朝、目を覚まして最初に視線が向いたのは、火でも水でもなく、雨避けの下に吊るしておいた魚だった。
昨日、時間をかけて乾かし、煙へ当て、そのまま一晩置いてみたものだ。
「どうなったかな」
身体を起こしたものの、すぐに魚へ手を伸ばすのはやめた。朝の空気はまだ冷たく、焚き火には灰の下にわずかな赤みが残っているだけで、ハクアも倒木の近くで身体を丸めたままだ。
まずはいつもの朝を整える。
灰を寄せて火種を探し、乾いた葉と細い枝を重ねて息を吹きかけると、しばらくして小さな炎が戻ってきた。
「よし」
それから水で指先を流し、改めて昨日の魚へ近付く。
遠目に見るだけなら、昨日よりずっとそれらしくなっていた。表面は乾き、生の時とは色も少し変わっていて、近付けば煙の匂いも残っている。
「これだけなら、食べられそうなんだけどな」
薄い端へ触れてみると、昨日よりかなり固くなっていた。少し力を入れれば曲がるものの、水気はずいぶん抜けているように感じる。
問題は、開いた時に厚く残ってしまったところだった。
指でそっと押すと、表面こそ乾いているのに、その奥にはまだ柔らかさが残っている。
「ここだけ全然違うな……」
鼻を近付ける。
最初に感じるのは煙と魚の匂いだったが、その奥に、昨日はなかったような違和感が混じっている。
「ん?」
もう一度確かめたが、やはり気になる。
強烈な腐った匂いというほどではない。それでも、昨日焼いて食べた魚とも、生の魚とも違う、あまり口へ入れたいと思えない匂いだった。
「これ、駄目じゃないか?」
数時間かけて捕り、慣れない手つきで処理して、火と煙を見ながら何度も場所を動かし、虫まで払い続けた魚だ。
捨てるのは、やっぱり惜しい。
「もう一回しっかり火を通せば……」
そこまで言って、口を閉じた。
何が原因でこの状態になったのかも、どこまで加熱すれば安全なのかも分からない。そんな状態で、手間をかけたからという理由だけを頼りに食べるのは違う。
「知らないものを、大丈夫ってことにするのは危ないよな」
ここには薬もなければ、具合が悪くなった時に診てもらえる相手もいない。腹を壊すだけで済む保証すらなく、水を汲みに行けなくなるだけでも生活には十分な痛手になる。
そう考えると、迷う理由はなくなった。
「駄目だ。これは食わない」
後ろで草が擦れる音がして振り返ると、ハクアが起きてこちらを見ていた。
手元の魚とハクアを交互に見てから、首を横へ振る。
「お前にもやらないからな」
自分で危ないと思ったものをハクアへ食べさせ、平気そうなら自分も食べる、なんてことをするつもりはない。
魚を吊るしていた植物繊維ごと外したところで、今度は捨てる場所に迷った。
焚き火へ放り込めば簡単だが、傷んだ食べ物を生活場所の中で燃やすのは少し気になる。埋めるにしても、今の粗い道具では大きな穴を掘るだけでも手間がかかるし、何より寝床や火の近くへ残したくなかった。
「少し離した方がいいか」
水場へ向かう道でも、池への道でも、普段薪を拾う方向でもないところを見る。
ほとんど使っていない方向なら、今の生活動線からは外れている。
「ハクアはそこで待っててくれ」
白い耳が一度動いた。
魚を持ち、森の奥へ入りすぎない程度に空き地から距離を取る。焚き火の匂いが少し薄くなったところで足を止め、地面を見回した。
「この辺ならいいかな」
そのまま放るのも気になったので、大きな葉の上へ魚を置き、枯れ葉を軽く被せる。
これが正しい処分方法かは分からない。虫が集まるかもしれないし、何かに持っていかれるかもしれない。
「捨てる場所も、そのうち考えないと駄目だな」
暮らしていると、作ることだけではなく、いらなくなったものをどうするかまで考えなければならないらしい。
空き地へ戻ると、ハクアは倒木の近くで待っていた。
「ただいま」
耳だけがこちらを向く。
水を少し飲み、焚き火へ薪を足してから、朝食代わりの木の実を口へ運ぶ。
本当なら、昨日残した魚を食べるつもりだったので少し物足りない。
「まあ、危ないもの食べるよりはいいか」
噛みながら、昨日何が悪かったのかを考える。
まず思いつくのは、魚を開いた時の厚さだった。片方は薄く、もう片方はかなり厚く残っていて、今朝も薄いところは乾いていたのに、厚いところには柔らかさが残っていた。
「厚さはありそうだな」
ただし、それだけが原因とは限らない。
夜の湿気もある。
雨こそ降らなかったが、この森では朝になると草に露がつく。魚は雨避けの下へ移していたものの、空気そのものの湿り気まで避けられたわけではない。
それから煙。
昨日は多すぎて目が痛くなった時もあれば、風向きが変わってほとんど魚へ当たらなくなった時もあった。
「時間も分からないし、塩もない」
前世で見た干物や燻製には、塩を使っていたものが多かった気がする。
だからといって、塩がないから絶対に無理だと決めつけられるほど詳しいわけでもない。
原因として考えられるものは、いくつもあった。
厚さ、夜の湿気、煙の当たり方、時間、それに塩がないこと。
「これ全部を一気に変えたら、たまたま成功しても何が良かったのか分からないな」
それなら次に変えるものは、もっと少なくていい。
昨日の魚を思い出しながら、焚き火のそばへ置いた横木を見る。
「まずはもっと薄くして、試す量も少なくする」
一匹全部をうまく残そうとするのではなく、小さく、できるだけ厚みを減らして試す。
それから、風と煙をよく見る。
昨日作った横木は、二本の支えへ枝を渡しただけの粗末なものだったが、簡単だからこそ風向きに合わせて位置を動かせた。
「これは、そのままでいいかもしれないな」
丈夫な設備を固定して作るより、今は動かせる方が使いやすい。
昨日の魚は捨てることになった。
けれど、全部が無駄だったわけではない。
厚さが違えば乾き方も変わること、風が変われば煙も外れること、夜を越せば湿気の影響があるらしいこと、それに横木は動かせる方が便利だということ。
「分かったことはある」
成功しなかったからといって、何も残らなかったわけではない。
ハクアが立ち上がり、森の方へ身体を向けた。
「行くのか?」
一度だけこちらを見たので、「気をつけてな」と声をかける。
白い姿はそのまま木々の間へ消えていった。
俺は焚き火へ視線を戻し、今日もう一度試すかどうか考えたが、すぐに首を横へ振った。
「今日はいいか」
魚を捕るだけでも時間がかかるし、昨日の失敗を急いで取り返す必要もない。
食べ物を残せるようになれば暮らしは楽になるだろう。でも、危ないものを作って無理に食べるくらいなら、今はまだ、その日に食べる分をその日に用意する方がましだ。
「次は、少しだけ変えてやってみよう」
焚き火がぱちりと小さく弾けた。
俺は乾いた枝を一本足し、ゆっくり広がる火を見ながら、次に試す時のやり方を頭の中で組み直していった。
第45話を最後まで読んでいただき、ありがとうございます。
見た目はそれらしく乾いていましたが、厚い部分の柔らかさと違和感のある匂いから、今回は食べないことにしました。
時間をかけたものを捨てるのは惜しくても、安全か分からないものを無理に口へ入れないことも、この森で暮らしていくためには大切です。
次は「薄くする」「試す量を減らす」「風と煙を見る」と、変える条件を少しだけ絞って再挑戦します。




