第44話 残せない
第44話です。
食べ物を手に入れられるようになっても、すぐに食べるしかないなら、暮らしにはまだ不便が残ります。
今回は、主人公が初めて「明日のために残す」ことを考えます。
池へ通うのは、まだ日課と呼べるほど気軽なものではない。
魚が捕れるとは限らず、捕れたとしても何時間かかるか分からない。それでも昨日、一匹だけとはいえ自分で追い込めたことが、少しだけ気持ちを軽くしていた。
「同じようにやれば……いや、同じようにやっても駄目か」
水辺にしゃがみ込み、流れを見る。
昨日より水面が少し揺れている。風のせいなのか、水の動きそのものが違うのか、それすらまだよく分からない。
「まあ、やるか」
石を置き、小さな隙間を減らしながら、魚が抜けられそうな場所を見て並べ直す。枝を斜めに差し込み、自分が立つ位置も最初から少し横へずらした。
「…………」
魚影が動く。
すぐには追わず、昨日より少しだけ待つことを意識した。
「こっち」
ゆっくり足を進めると、一匹が石の間へ向かう。枝で進む方向を変えた。
「よし……」
魚が逃げる。
「まだ広いか」
石を直し、もう一度試す。今度は反対側へ回り込み、足元から逃げられないようにした。
水が跳ねる。
「っ」
手を伸ばす。
一度滑ったが、浅瀬へ入った魚を両手で囲うことができた。
「捕れた」
昨日と同じくらいの小魚が一匹。
「…………」
ここで止めてもいい。昨日なら、そうしていた。
でも今日は、もう少しだけ試してみたかった。
「もう一匹だけ」
池にどれほど魚がいるのか分からない以上、たくさん捕る気はない。ただ、二匹あれば一匹を今日食べ、もう一匹を明日まで残せないかという考えが浮かんでいた。
崩れた石を直し、再び魚を待つ。
今度はなかなか寄ってこない。
「やっぱり簡単じゃないな」
立つ位置を変え、枝を動かす。魚が囲いへ入っても、すぐに逃げてしまう。
「…………」
何度目かで、一匹が浅い方へ入った。
「今」
慌てずに戻る場所を枝で狭め、手を水へ入れる。
「…………」
掴んだ。
「よし」
二匹目も小さい。
でも、今日はここまでにする。
作った囲いを崩し、石を戻して枝を抜く。魚を二匹持ち、池を離れた。
空き地へ戻ると、ハクアは倒木の近くにいた。
「ただいま。今日は二匹」
魚を見せると、ハクアの鼻が少し動いた。
「食べる?」
聞いてみたが、ハクアは魚を見ただけで、すぐに近付いてくることはなかった。
「今はいらないか」
俺は火の近くへ移動し、二匹を並べる。
「…………」
昨日なら、二匹ともそのまま食べていた。
別に食べ切れない量ではない。
でも、毎回食べる直前に取りに行くのも大変だ。
食べ物が採れる時間、天気、体調。全部が毎日同じとは限らない。
もし今日捕ったものを明日まで残せたら、少し楽になる。
前世なら、冷たいところへ入れておけば済んだ。
「…………」
もちろん、ここには冷蔵庫も氷もない。
「ないな」
塩漬けも考えたが、塩もない。
この森で塩がどこにあるのか、そもそも簡単に手に入るのかも分からなかった。
「干すか」
口にしてみる。
干物や燻製なら、前世で見たことがあるし、食べたこともある。ただ、作った経験はない。
魚を開いて乾かす。煙に当てる。
知っているのは、それくらいだった。
「知ってるって言えるほどじゃないな」
それでも、何もしなければ、この魚は今日中に食べるしかない。
「目標は明日」
何日も持たせるつもりはない。
「一晩だけなら、試してもいい気がする」
一匹は今日食べ、もう一匹は実験に回すことにした。
まず魚を処理する。
石片で腹を開く。
「…………」
昨日より少し早くできたが、身の端が崩れ、腹もきれいには開けない。
「相変わらず汚いな」
それでも内臓を取り除き、水で軽く流す。
一匹目はそのまま焼く。
二匹目は、なるべく平たく開くことにした。
「開くなら……」
石片を入れる。
「うわ」
途中で身が裂けた。
「違う。力が強すぎた」
反対側からやり直すと、左右の厚さが全然違ってしまった。
片方は薄く、片方は厚い。
「これで乾くのか?」
分からない。
でも、やるしかない。
火の近くへ持っていくが、そのまま地面へ置くわけにはいかなかった。
「吊るすもの……」
周囲を見回し、細い枝と少し長い枝を拾う。
「これでいいか」
二本を簡単な支えにして、その上へ横向きに枝を渡す。結び目を作るほどでもないので、ただ乗せただけだ。
「横木っていうほど立派じゃないけど」
魚を植物繊維で軽く結び、吊るす。
「…………」
低い。
火に近い。
「焼けるな」
少し上げる。
「今度は遠い?」
煙の流れを見ると、白っぽい煙が魚の横を通って森側へ流れていた。
「煙に当てるんだから……」
横木を少しずらす。
「…………」
今度は煙がまともに顔へ来た。
「げほっ」
目が痛い。
「人間が無理なら、魚にも多すぎるだろ」
また動かす。
これでいいのかは分からないが、煙は当たり、火からも少し離れた。
「とりあえず、これで待つか」
その間に、今日食べる分の魚を焼く。
匂いが広がると、ハクアの顔が上がった。
「今度は食べる?」
焼けた魚から少し身を取って見せると、ハクアは立ち上がり、近くまで来た。
「今日は食べるらしいな」
「熱いぞ」
少し冷ましてから、大きな葉の上へ置く。ハクアは匂いを確かめ、それから食べ始めた。
「そっちは今日の分」
俺も残りを食べる。
味はいつも通りだった。塩がなくても、焼きたてならそれなりにうまい。
「問題は、こっちだな」
横を見る。
吊るした魚の表面が少し白くなっていた。
「乾いてる?」
触りたい。
でも、まだ早い気がする。
しばらく待ち、火へ薪を足すと煙が少なくなった。
「煙も必要なんだよな?」
たぶん、乾かすだけなら風、燻すなら煙だ。
「どっちにする」
自分で聞いてから、首を傾げる。
「両方?」
あまり自信はない。
湿った木を少し入れると煙が増えた。
「…………多いな」
煙が目に刺さるので、慌てて木を動かす。
「これも違う。難しいな」
火を保ち、焼きすぎないようにしながら煙も当てる。そのうえで乾かさなければならない。
「全部同時か」
魚を見ると、薄い方の端が少し固くなってきていた。
「お」
触ってみる。
「乾いてる」
ただ、厚いところはまだ柔らかい。
「差が出るな」
開き方が雑だったし、厚さも違う。当然、乾き方も変わる。
「次にやるなら、もっと揃えないと駄目か」
そう思ったところで、風向きが変わった。
「ん?」
煙が横へ流れ、魚から外れていく。
「そっち?」
横木を少し動かすと、今度は火に近付きすぎた。
「…………」
魚の端が縮む。
「焼けてる」
慌てて離す。
「駄目だ」
乾かしたいのに、焼けている部分がある。厚いところはまだ湿ったままだ。
見た目だけでも、ずいぶん差が出てしまった。
「思ってたより難しい」
前世で見た干物や燻製は、きれいに開かれ、同じくらいの厚さで、全体がきちんと乾いていた。
「そうなるまでのやり方があるんだろうな」
知らない。
今の俺には、観察するしかなかった。
虫が一匹近付いてくる。
「うわ」
手で払うが、また寄ってきた。
「虫もか」
外に食べ物を置けば、当然寄ってくる。
「これ、ずっと見張るの?」
乾かすこと、煙、火、虫、風。
「…………問題が多いな」
夕方になっても、魚は完成したようには見えなかった。
「そもそも、完成って何だ」
端は乾いている。一部は火が入りすぎ、厚いところには柔らかさが残っている。
「…………」
これを明日の朝まで、どう置くか。
地面は駄目だ。虫も来るし、湿気や夜露も気になる。
「屋根の下か」
横木ごと雨避けの下へ移動する。
魚が地面につかない高さにし、火からは離した。
「…………これなら、少なくとも雨は直接当たらない」
湿気まではどうにもならない。夜の空気がどれほど湿るのかも分からなかった。
魚を見る。
見た目だけなら、少しそれらしくなっている。
「食えるかは別だな」
手間をかけたから、もったいないからという理由だけで口に入れるわけにはいかない。
「明日、匂いと触った感じ、それから中もちゃんと見る」
少しでも変なら捨てる。
「もったいなくても、それは仕方がない」
焚き火へ戻ると、ハクアは倒木の近くで伏せていた。魚を気にしている様子はない。
「お前は今日食べたしな」
耳が動く。
「俺も食べた。今日の飯は終わりだ」
あの一匹は、明日のために残した。
「残せるかな」
小さく呟いても、返事はない。
聞こえるのは火の音と森の音、そして雨避けの下で吊るされた魚だけだった。
食べ物を捕るだけでも時間がかかった。捕ったものを残すためにも、さらに手間がかかる。
「暮らすって、思っていたよりやることが多いな」
それでも、今日やらなければ明日も分からないままだ。
「失敗しても、一回はやる」
魚をもう一度見る。
乾いているようにも、まだ湿っているようにも見えた。今の俺には、それ以上のことは分からない。
食料を得るだけでなく、「後で食べる」ための工夫を初めて試しました。
知識として乾燥や燻しを知っていても、実際には厚さ、火との距離、煙、風、湿気、虫など、考えることがいくつもあります。
今回はまだ成功ではありません。
まずは一晩置き、翌朝の状態を確かめるところからです。




