第5話 腹が減った
第5話です。
初めての夜を無事に越えた主人公。
次に待っていたのは、とても単純で避けられない問題でした。
空腹です。
「食べ物か……」
朝から何度目か分からない腹の音を聞きながら、俺は空き地の向こうに広がる森を眺めた。
昨日から、まともなものは何も食べていない。
身体が若返ったらしいからといって、食事まで必要なくなるような都合のいい話ではないらしい。
「まあ、そりゃそうだよな」
むしろ、これだけしっかり腹が減ることが少し新鮮だった。
前世では体調のせいで食欲が落ちる日も珍しくなかった。
そう考えると、空腹を感じられること自体は悪いことではない。
悪くはないのだが。
「腹は減る」
それとこれとは別だった。
「探すか」
まずは空き地の周辺から始める。
昨日歩いた時にも、木の実やキノコらしいものはいくつも見つけていた。
問題は、それらを食べていいのかどうか分からないことだ。
赤い実。
黒紫色の実。
大きな傘を持つキノコ。
木の幹から生えている白い塊。
「種類、多いな……」
食べ物になりそうなものが少ないわけではない。
むしろ、ありすぎる。
だからこそ怖かった。
前世の植物なら多少知っているものもあるが、この森に生えている植物は、知っているものに似ていてもどこかが違う。
「似てるから大丈夫、が一番危ないんだよな」
昔読んだ本に、そんなことが書いてあった気がする。
俺が持っている知識は、あくまで本やテレビで覚えたものだ。
実際に野外で食べられる植物を見分けて生活した経験など、一度もない。
だから、知っているつもりになるのが一番怖い。
しばらく周囲を調べていると、枝先に小さな茶色い実をつけた木を見つけた。
その根元には、割れた殻がいくつか落ちている。
「何か食べてるな」
しゃがんで確認する。
殻には、小さな歯で齧ったような跡が残っていた。
「小動物かな」
何かが食べている。
それは一つの手掛かりにはなる。
ただし、動物が食べられるからといって人間にも安全とは限らない。
「候補、くらいだな」
一つだけ拾う。
殻は硬く、指では割れそうにない。
石の上へ置き、別の石で軽く叩く。
ぱき、と割れた殻の中には、薄い黄色をした実が入っていた。
「ナッツっぽい」
匂いを確認する。
特に刺激臭はない。
指先でほんの少し触れ、皮膚に異常が出ないか待つ。
「……今のところ大丈夫」
本当なら、もっと時間をかけた方がいいのだろう。
ただ、今は空腹でもある。
次に、ごく小さな欠片を舌先へ触れさせた。
「苦っ!」
すぐに吐き出す。
「これはやめとこう」
食べられないのか、あるいは灰汁抜きや加熱などの処理が必要なのか。
今の俺には判断できない。
「知識だけじゃどうにもならないな」
別のものを探す。
木の実。
草。
キノコ。
いくつ見ても、確信を持てるものは一つもなかった。
「森に食べ物があっても、食べ方知らなきゃ意味ないんだな……」
空腹が強くなるにつれ、知らない木の実まで美味しそうに見えてくる。
これは危ない。
一度頭を冷やすことにして、水源へ向かった。
湧き出した冷たい水を少し飲み、ゆっくり息を吐く。
「落ち着こう」
腹が減っているからといって、知らないものを大量に食べて倒れれば終わりだ。
ここには医者もいなければ薬もない。
今は慎重すぎるくらいでいい。
水源の周辺を少し調べると、湿った地面に足跡が残っていた。
「これ……蹄か?」
二つに割れた跡。
鹿や猪のような動物を思わせる。
ただ、少し大きい。
「追いかけるのはなしだな」
武器もない。
狩りの経験もない。
そもそも、正体も分からない動物を追い回すなんて今の俺には無理だ。
その近くに、一枚の羽が落ちていた。
「綺麗だな」
青と緑が混ざったような色。
拾い上げようとして、ふと顔を上げる。
少し先の枝に、一羽の鳥が止まっていた。
鶏より少し小さいくらいだろうか。
鮮やかな青緑色の羽を持つ、見たことのない鳥だった。
「…………」
鳥もこちらを見ている。
「…………」
しばらく見つめ合う。
なぜか、逃げない。
「近くないか?」
一歩進む。
そこでようやく飛び立ったものの、逃げ去るわけではなく、ほんの数メートル先の枝へ移っただけだった。
「……野生の鳥って、こんな感じだったっけ」
もっと人間を警戒するものだと思っていた。
ただ、この鳥がどういう生き物なのか俺には分からない。
「俺が知らないだけか」
鳥は近くの枝へ移ると、その先になっていた小さな橙色の実を一つついばんだ。
「それ食べるのか」
思わず目を凝らす。
鳥はもう一度、実をついばむ。
「候補にはなるな」
二つだけ採る。
皮を少し裂くと、柑橘を思わせる爽やかな香りがした。
「……うまそう」
空腹の腹がまた鳴る。
「我慢」
果汁を少量だけ皮膚につけ、しばらく待つ。
次に唇。
それから舌先。
刺激や痺れは感じない。
味は酸味が強く、その奥に少し甘さがあった。
「お……」
ごく小さな欠片だけ口へ入れる。
すぐには飲み込まず、口の中に異常がないか確かめ、それから飲み込んだ。
しばらく待つ。
「…………」
何も起こらない。
もちろん、それだけで安全だと判断できるわけではない。
遅れて症状が出るものもあれば、少量では分からない毒もある。
それでも今は、少しずつ試すしかなかった。
「もう一口だけ」
時間をかけて量を増やす。
「……うまい」
酸っぱい。
でも、何も食べていなかった身体には十分すぎる味だった。
結局、その日は一個だけを時間をかけて食べ、もう一個は空き地へ持ち帰ることにした。
「今日のところはこれでいいか」
腹が満たされたとは言い難い。
それでも、食べられる可能性が高いものを一つ見つけた。
「十分だな」
空き地へ戻る途中、何となくここ数日のことを思い返す。
水。
火。
食べ物。
「一個ずつだな」
本当に、一つずつ。
派手なことは何もない。
それでも昨日より前へ進んでいる。
「悪くない」
空き地へ戻り、焚き火の残り火を確認する。
まだ消えていない。
「よし」
今日こそ、寝床をもう少しまともにしよう。
そう考えながら空を見上げる。
「……雲、多くないか?」
昨日より明らかに空が暗い。
「雨、降らないよな?」
誰に問いかけたわけでもない。
当然、答えもなかった。
そして数時間後。
森は、そんな俺の希望などまるで聞いていなかったかのように、容赦なく雨に包まれた。
第5話を最後まで読んでいただき、ありがとうございます。
今回は、初めて食べられそうなものを見つけました。
ただし、動物が食べているから人間にも安全、というわけではありません。
主人公自身もそれを理解しているため、完全な安全確認にはならないと分かったうえで、少しずつ慎重に試しています。
次回は、初めての雨です。




