第33話 半分こ
第33話です。
白いやつが持ってきた、銀色の尾を持つ獲物。
今回は、知識だけを頼りに初めての解体へ挑戦します。
灰褐色の獲物を前にして、俺はしばらく動けなかった。
「……さて」
見れば見るほどウサギに似ている。
長い耳に、発達した後ろ脚。丸みのある身体もそうだが、普通のウサギより一回り大きく、短い尾だけが妙に目立つ銀色をしていた。
見た目だけなら食べられそうに思える。
でも、ここは俺が知っている世界ではない。
ウサギに似ているからといって、前世のウサギと同じものだと決めつけるのは危ないだろう。
「問題は……これをどうするかだよな」
魚なら何度か処理した。
最初は酷いものだったけれど、腹を開いて内臓を取り、火を通すところまでは何とかできるようになった。
でも、今回は魚じゃない。
毛がある。
皮がある。
身体もずっと大きい。
「難易度、一気に上がってない?」
当然、返事はない。
少し離れた場所では、白いやつが座ったままこちらを見ていた。
「そんな期待されても困るんだけど」
白い耳がぴくりと動く。
「捕ってきたお前がやってくれた方が早そうなんだけどな」
動かない。
「ですよね」
俺は棚から、比較的薄くて縁の鋭い石片を取り出した。
本物の刃物には遠く及ばないが、今持っているものの中では一番使えそうだ。
「包丁が欲しいなぁ」
この森へ来てから、何度そう思ったか分からない。
金属の刃物が一本あるだけで、木の加工も食材の処理もかなり楽になるはずだ。
でも、ないものは仕方がない。
「今はこれでやるしかないか」
獲物を作業場所へ移し、大きめの樹皮を何枚か地面へ敷いた。
直接土の上で処理するよりは、多少マシだろう。
しゃがみ込むと、昨日痛めた右足に鈍い痛みが走った。
「まだ少し痛いな」
歩けないほどではないが、完全に治ったわけでもない。
できるだけ左側へ体重を預け、獲物へ向き直る。
「まずは皮……だよな」
前世で見た映像を思い出す。
小さな獣なら脚の辺りから切れ目を入れ、そこから皮を剥いでいた気がする。
ただ。
「見たことがあるのと、できるのは別なんだよな」
ここへ来てから、それは嫌というほど分かっている。
石片を後ろ脚の皮へ慎重に当てた。
軽く押す。
「…………」
切れない。
「まあ、そうだよな」
角度を変え、少し引くように動かす。
一度。
二度。
何度か繰り返して、ようやく小さな切れ目が入った。
「お、いけた」
そのまま広げようとした瞬間、石片が毛の上を滑った。
「うわっ」
反射的に手を引く。
指を見る。
「……切ってない」
大丈夫だ。
昨日は木材を足へ落としたばかりなのに、今度は手まで切ったとなればさすがに笑えない。
「ゆっくりやろう」
無理に大きく動かすのをやめ、少しずつ切れ目を広げていく。
時間はかかったが、ようやく指先が入るくらいになった。
「ここから……剥がす?」
皮と肉の間へ指を入れ、引っ張る。
「っ……」
思ったより硬い。
少し剥がれたものの、すぐ途中で止まった。
引っかかっている場所へ石片を入れる。
「ここを切れば……」
慎重に動かしたつもりだった。
「あ」
皮だけでなく、肉まで少し削ってしまった。
皮の裏側に赤い肉が残っている。
「もったいない」
前世で見た解体映像では、もっと簡単そうに剥がれていた。
でも、あれは慣れた人が、ちゃんとした刃物を使っていたからだ。
「初めての俺が石でやってるんだから、同じになるわけないか」
皮を引っ張り、止まったら石片を入れる。
少し剥がす。
また止まる。
それを何度も繰り返していく。
しばらくすると、灰褐色の毛が手にまとわりつき始めた。
「うわ……」
肉の方にも何本か張り付いている。
「これ、後で取るの面倒そうだな」
指で払ってみる。
取れた。
と思ったら、別の場所へ付いた。
「……面倒だ」
思わず白いやつを見る。
「お前、こういうのどうやって食べてるの?」
白いやつが首を少し傾げた。
「聞いても分からないか」
そもそも、野生のこいつが人間みたいに皮をきれいに剥いでから食べているとも思えない。
俺は再び作業へ戻った。
皮を引き。
石片を入れ。
肉を削ってしまっては顔をしかめる。
どれくらい時間が経ったのか。
ようやく大部分を剥がし終えた頃には、手も石片も随分汚れていた。
「……一応、剥げた?」
出来上がりを見てみる。
きれいとは言い難い。
皮側に肉が残っているところもあれば、肉の方には毛が付いている。
「下手だなぁ」
自分で見ても分かる。
ただ、中身を見るところまでは来た。
剥いだ皮を持ち上げる。
「これも使えそうなんだけどな」
前世なら、皮を加工して革にすれば、袋や服、敷物なんかにもできたはずだ。
問題は。
「どうやって革にするんだ?」
言葉なら知っている。
「なめす……だよな」
肉や脂を落として。
そのあと何かをして。
「…………」
思い出せない。
適当に乾かせばいいというものではなかったはずだ。
このまま放っておけば腐るだろうし、中途半端な知識で何とかできる気もしない。
「今日は無理だな」
使えそうだからといって、使えるとは限らない。
今の俺にはまだ扱えない。
皮を脇へ置き、残った身体へ目を向ける。
「次は腹か」
こっちの方が怖い。
中には内臓がある。
胃。
腸。
それ以外にもいろいろ。
「下手に破ったらまずいやつ、あるよな」
正確な位置までは覚えていない。
「胆嚢とか……?」
口にしてから、自分の知識の薄さに不安になる。
「頼りないなぁ」
本やテレビで見た覚えはある。
でも、目の前の生き物が前世の動物と同じ身体の作りをしている保証もない。
「慎重にいこう」
石片を腹へ当てる。
深く入れない。
できるだけ表面だけ。
少しずつ切れ目を作っていく。
「石だと加減が難しいな」
切れないから力を入れたい。
でも力を入れすぎれば、一気に刃先が中へ入るかもしれない。
切れ目へ指を入れて少し持ち上げ、その下へ石片を滑らせる。
「これなら中まで切りにくい……はず」
時間をかけて、少しずつ腹を開いていった。
「うっ」
途中から、匂いが一気に強くなる。
「まあ、そうだよな」
生き物の腹を開いているのだから、いい匂いがするわけがない。
魚の内臓で少しは慣れたと思っていたけれど、これはまた違った。
顔をしかめながら中を見る。
「…………」
分からない。
「どれがどれだ?」
袋のようなもの。
細長く続くもの。
色の濃い大きな部分。
「これは……肝臓?」
位置と色から、何となくそう思う。
食べられる内臓もあるのだろう。
前世でも、ちゃんと処理して食べる部位はいくつもあった。
でも。
「今回はやめよう」
何が安全なのか分からない。
処理の仕方も分からない。
「肉だけでいい」
食べられるものを捨てるのは惜しい。
それでも、無理をして腹を壊すよりはずっといい。
できるだけ内臓を傷つけないよう、まとまったまま外へ出していく。
「ゆっくり……」
少しずつ。
少しずつ。
ところが途中で、手元が滑った。
「うわっ」
柔らかい何かが破れた。
嫌な匂いがさらに強くなる。
「やった……」
すぐに手を引いた。
「これ、肉についた?」
近くを確認する。
はっきりとは分からない。
「…………」
迷った末、汚れた可能性がある部分を少し大きめに切り落とした。
「もったいないな……」
かなり惜しい。
でも仕方がない。
「初めてだしな」
最初から全部きれいにできる方がおかしい。
外した内臓を樹皮の端へまとめると、それまで座っていた白いやつが立ち上がった。
「ん?」
鼻先をこちらへ向け、しきりに匂いを嗅いでいる。
「これ、食べる?」
内臓を見る。
白いやつを見る。
「…………」
こいつなら、普段から生の獲物を食べているのだろう。
もしかすると、俺が捨てようとしているところも普通に食べられるのかもしれない。
でも。
「いや、やめとく」
今回は俺自身が処理を失敗している。
「俺がよく分かってないものを渡すのも嫌だしな」
白いやつはしばらくこちらを見たあと、その場へ座り直した。
「そんな残念そうにしないでくれ」
本当にそう思っているのかは分からないが。
「肉はちゃんと分けるから」
作業へ戻る。
次は肉だ。
前脚。
後ろ脚。
背中。
「どこから取ればいいんだろ」
骨の位置を指で確かめながら、石片を少しずつ入れていく。
上手く肉だけを取れる場所もある。
逆に、骨へ刃が引っかかって全然進まない場所もあった。
「……骨に肉めっちゃ残ってる」
何とか削り取ろうとしてみる。
「今度は細かくなるし」
思わずため息が出た。
「難しいな」
魚を初めて処理した時もそうだった。
本や映像を見れば、何となくできそうな気になる。
でも実際には、刃を入れる場所も、力の加減も、持ち方も、引っ張る方向も分からない。
やってみて初めて分かることばかりだ。
「次やったら、もう少しマシになるかな」
そこまで言って。
「…………」
白いやつを見る。
「次がある前提になってるな」
自分で言って苦笑する。
「別に、また狩ってこいって意味じゃないからな」
白い耳がぴくりと動いた。
「その脚もまだ治りきってないんだから」
右前脚には、俺が巻いた布がまだ残っている。
この獲物をどうやって捕まえたのかは知らない。
でも、簡単だったとは思えない。
「結構大変だったんじゃないの?」
白いやつは何も言わない。
ただ、こちらを見ている。
「なら、なるべく無駄にはしたくないよな」
もう一度石片を握った。
下手でもいい。
今の俺にできる範囲で、できるだけ肉を残す。
何度も手を止めながら作業を続ける。
やがて、樹皮の上にいくつかの肉の塊が並んだ。
「……少な」
元の身体の大きさを考えれば、かなり減っている。
骨にもまだ肉が残っている。
皮にも残した。
途中で汚して捨てた部分もある。
「これが今の実力か」
悔しい。
もっと取れたはずなのに、と思う。
でも。
「初めてなんだから、こんなもんだよな」
今日できなかったことは、次に少しでも上手くできればいい。
「だから、次がある前提やめろって」
自分で突っ込んで笑う。
肉に付いた毛を一つずつ取り除き、少量の水も使って表面の汚れを落とした。
「水も貴重なんだけど……食べるものだしな」
できるだけきれいにする。
ここからなら、俺にも経験がある。
「焼くか」
大きな塊のままだと中まで火が通りにくそうなので、石片で小さく分けた。
細い枝へ刺してみる。
「…………」
肉の重みで枝が曲がる。
「駄目か」
少し太い枝へ替えた。
「こっちならいけるな」
肉を刺し、焚き火へ近付ける。
しばらくすると、肉から落ちた脂が火の中へ落ちた。
じゅっ、と音がする。
「お」
一瞬だけ炎が大きくなった。
「うわ、近い近い」
慌てて串を引く。
「焦がすところだった」
火へ直接当てすぎないよう、少し距離を取る。
ゆっくり串を回していると、表面の色が少しずつ変わり始めた。
「…………」
匂いも変わる。
「いい匂い」
焼いた魚とは違う。
もっと濃い。
はっきりと、肉を焼いている匂いがする。
横を見る。
白いやつの鼻が忙しそうに動いていた。
「分かりやすいな」
思わず笑う。
「まだだからな」
白い耳が立つ。
「ちゃんと中まで焼いてから」
表面は十分に火が通っているように見える。
でも、中までは分からない。
石片で端を少し切る。
「まだ赤いな」
もう一度火へ戻した。
しばらく焼いて、また切る。
「今度は……」
赤い部分はほとんど見えない。
「念のため、もう少し」
焼きすぎかもしれない。
でも、未知の生き物の肉だ。
「生よりはいい」
十分に火を通したところで、串を焚き火から外した。
すぐには口へ入れない。
まず匂いを確かめる。
「変な臭いはしない」
見た目も、普通の焼いた肉にしか見えない。
それでも、一気に食べるのは怖い。
「まず少しだけ」
指先ほどの大きさへ切り分ける。
白いやつが、じっとこちらを見ていた。
「お前は食べたことあるんだろうけどな」
白いやつにとって食べられるものでも、俺に安全だとは限らない。
小さな肉片を口へ入れた。
噛む。
「…………」
柔らかい。
思っていたより、ずっと。
もう一度噛む。
肉の味が広がった。
「……うまっ」
思わず声が出た。
「何これ」
魚も美味かった。
初めて焼いた魚を食べた時も、木の実や草とは比べものにならないと思った。
でも、これはまた違う。
「肉だ」
我ながら酷い感想だった。
「ちゃんと肉だ」
柔らかい。
噛むほど味が出る。
嫌な臭みもほとんどない。
「ウサギってこんな美味かったっけ?」
前世の記憶を探る。
「…………」
食べた覚えはない。
「比較できないじゃん」
もう一口食べたい。
でも、そこで手を止めた。
「待とう」
一口食べて美味しいからといって、安全だと決まったわけじゃない。
未知の食べ物だ。
「少し様子見」
残った肉を火の近くへ置いた。
白いやつの視線も、その肉へ向いている。
「食べたい?」
耳が動く。
「まあ、お前が捕ったんだもんな」
食べられるなら分ける。
それは最初から決めていた。
「半分こ」
焼いた肉を二つに分ける。
きっちり同じ量にはならない。
少し迷ったあと、大きい方を白いやつ側へ回した。
「お前が捕ったんだからな」
平たい樹皮の上へ肉を置く。
「食っていいよ」
白いやつは肉を見た。
それから俺を見る。
「…………」
少し前までなら、俺がこの距離にいるだけで食べようとはしなかった。
でも今は。
白いやつが立ち上がる。
一歩。
もう一歩。
俺から逃げるのではなく、肉へ向かって近付いてくる。
鼻先を肉へ寄せ、匂いを嗅ぐ。
もう一度だけ俺を見る。
そして。
一口。
「食った」
続けてもう一口。
「美味い?」
白い耳がぴくりと動いた。
「まあ、自分で捕ったやつだしな」
俺も残していた肉を少し取る。
最初に食べてから多少時間も経った。
身体に変な感じはない。
「大丈夫そうかな」
もう一口。
「…………」
「やっぱり美味い」
白いやつも食べる。
俺も食べる。
同じ焚き火のそば。
同じ獲物。
少し前まで、白いやつは俺がその場を離れなければ魚にも近付かなかった。
それが少しずつ距離を縮め、俺の見ている前でも食べるようになった。
そして今は。
「近いな」
ほんの数メートル。
俺が食べていても、白いやつは逃げない。
白いやつが食べていても、俺はわざわざ離れる必要がない。
やがて、白いやつが先に食べ終えた。
「早いな」
俺の手にはまだ肉が残っている。
白いやつの視線がそこへ向いた。
「ないぞ」
白い耳が動く。
「もう自分の分食べただろ」
じっと見ている。
「これは俺の」
思わず笑う。
「半分こって言ったじゃん」
意味が分かっているとは思わない。
それでも、白いやつは取りに来なかった。
少し離れた場所へ座り、こちらを見ているだけだ。
「偉いな」
つい口から出た。
俺も残りを食べる。
「うまいなぁ」
この森では、これが普通なのだろうか。
それとも、このウサギみたいなやつが特別に美味しいのか。
今の俺には分からない。
「まあ、食べられるならありがたいか」
最後の肉を飲み込む。
腹の中に、久しぶりにしっかりしたものが入った感じがした。
「満足感あるな」
魚。
木の実。
食べられる草。
それだけじゃない。
肉。
ちゃんと食事をした。
そんな感じがする。
「ありがとな」
白いやつを見る。
白い耳がこちらへ向いた。
「ごちそうさま」
言ってから少し考える。
「これ、お前に言うの変か?」
獲物を捕ったのは白いやつ。
解体したのは俺。
焼いたのも俺。
「まあ、いいか」
食べ終えれば、今度は片付けが残っている。
内臓。
骨。
皮。
「これ、その辺に放置するのはまずいよな」
匂いで他の獣を呼ぶかもしれない。
前に拠点の近くを調べた時には、大きな獣がこの辺りを避けているような痕跡もあった。
でも。
「それに頼るのはなし」
本当に避けているのか。
何を嫌っているのか。
そもそも俺の考えが合っているのか。
何一つ分かっていない。
「食べ残し放置は危ない」
使わないものは拠点から離して処理した方がいい。
ただ、右足はまだ完全ではない。
「今日はあんまり遠くまで行かないようにしよう」
骨を見る。
「これ、何かに使えるかな」
魚の骨よりずっと太い。
削ったり割ったりすれば、何かの道具になるかもしれない。
「…………」
考えて。
「今は置いとくか」
皮も同じだ。
使い道はありそうに見える。
でも、扱い方を知らない。
「できないものは、できない」
今日はそこまで手を広げなくていい。
「肉を取れただけでも十分だろ」
白いやつが倒木の方へ歩いていく。
「腹いっぱい?」
いつもの乾いた草の近くまで行くと、そのまま身体を伏せた。
「…………」
俺はその姿を見ながら、作業場所をもう一度振り返った。
ひどい出来だ。
肉を無駄にした。
毛も付けた。
内臓も一部破った。
皮もきれいには剥げなかった。
「解体できた……って言うには、まだ微妙だな」
それでも。
獲物から食べられる肉を取り出し。
火を通し。
食べるところまではできた。
「初回にしては、まあ」
少しだけ考える。
「……いや、甘いか?」
苦笑する。
次に同じことをする機会があれば、今日よりは少し上手くやりたい。
「次はもう少し――」
白いやつが顔を上げた。
「あ」
俺はすぐに言い直す。
「また捕ってこいって意味じゃないからな」
白い耳がぴくりと動く。
「無理すんなよ」
右前脚だって、まだ完全ではない。
白いやつはしばらく俺を見ていたが、やがてもう一度身体を丸くした。
焚き火が、ぱちりと小さく鳴る。
同じ火のそば。
同じ獲物を。
一人と一匹で分けて食べた。
「半分こ、か」
ほんの少し前なら、考えもしなかった光景だ。
俺は火の向こうで丸くなっている白い姿を見て、少しだけ笑った。
第33話を最後まで読んでいただき、ありがとうございます。
今回、主人公は初めて獣の解体に挑戦しました。
知識として知っていても、実際に皮を剥ぎ、内臓を避け、肉を取るとなると話は別です。
皮の加工や内臓の利用、保存などはまだ手を出さず、今回は「肉を取って、十分に火を通して食べる」ところまでになりました。




