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『魔法の使えない転生者、忌地の森をひらく』  作者: 森野余白
第三章「白い子犬」

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第32話 お返し?

第32話です。


昨日、足を痛めてほとんど動かなかった主人公。


翌朝、焚き火の近くには、見覚えのないものが置かれていました。

朝、目を覚まして最初に気になったのは右足だった。


 寝床の中で足首をゆっくり動かしてみる。


 曲げる。


 伸ばす。


「昨日よりはマシか」


 足の甲にはまだ鈍い痛みが残っているものの、何もしなくても痛むほどではない。腫れも少し残っているが、昨日の夕方より悪くなった様子はなかった。


「よかった」


 もし朝になって立てないほど腫れていたら、水を汲みに行くことすら難しくなるところだった。


 靴を履き、ゆっくり立ち上がる。


 右足へ体重をかけると少し痛む。


「今日はまだ無理しない方がいいな」


 昨日途中で止めた棚作りも、急ぐ必要はない。


 そう考えながら屋根の外へ出た。


 朝の空気は少し冷たく、焚き火からは細い煙だけが上がっている。


「火、残ってるな」


 いつものように火種を戻そうと一歩進み。


「…………」


 足が止まった。


「何だ、あれ」


 焚き火から少し離れた地面に、昨日まではなかったものが置かれている。


 最初は枝か何かだと思った。


 けれど、よく見ると毛があり、脚があり、長い耳のようなものも見える。


「動物?」


 反射的に周囲を見回す。


 森の端。


 倒木。


 白いやつ用に作った小さな寝床。


「…………」


 いた。


 地面に横たわる動物の少し横へ、白いやつが座っている。


「お前……」


 こちらをじっと見ている。


「それ、何?」


 もちろん返事はない。


 俺はすぐには近付かず、まず地面のものを遠くから確認した。


 動いてはいない。


 何かに襲われて死んだ動物を、たまたま白いやつが見つけた可能性もある。


 ただ。


「お前が捕った?」


 声をかけると、白い耳がぴくりと動いた。


「…………」


 右足を庇いながら、ゆっくり距離を詰める。


 白いやつは逃げなかった。


 少し前までなら、俺が立ち上がっただけで森へ下がっていたことを考えると、それだけでもかなり距離が縮まっている。


「近く行くぞ」


 数歩手前で止まる。


 そこでようやく、地面の動物がはっきり見えた。


「ウサギ……っぽいな」


 長い耳。


 丸みのある身体。


 前脚に比べて発達した後ろ脚。


 前世で見たウサギによく似ている。


 ただ、普通のウサギより一回りほど大きく、毛は灰色というより灰褐色だった。


「でも」


 一番目立つのは、そこではない。


「尻尾だけ銀色?」


 短い尾だけが、周囲の毛とはまるで違う色をしている。


 日の光を反射しているのではなく、毛そのものが明るい銀色らしい。


「また知らないやつだな」


 魚も。


 青緑色の草も。


 この森には、前世のものによく似ているのに、そのまま同じとは言い切れないものがいくらでもある。


「ウサギっぽい、までだな」


 勝手にウサギだと決めるのはやめておく。


 少し横へ回り、状態を見る。


 動かない。


 呼吸もない。


「死んでるな」


 首の近くの毛が乱れ、その下に傷らしいものが見える。


「噛まれた?」


 白いやつを見る。


「やっぱり、お前?」


 白いやつは何もせず、ただ俺を見返した。


 昨日。


 俺が足を痛めたあと、こいつは一度森へ入っていった。


 しばらくして戻ってきたので、特に気にしていなかったが。


「昨日のあれ?」


 いや、それならその時に持ってきてもおかしくない。


「夜に出たのか?」


 俺が眠っている間なら分からない。


 考えても答えは出ない。


 ただ一つ気になったのは、白いやつ自身の右前脚だった。


「お前の脚、大丈夫なのか?」


 俺が巻いた布はかなり汚れていたものの、まだ残っている。


 歩き方は、最初に傷へ気付いた時より明らかに自然になっていた。


「無理したんじゃないだろうな」


 自分も足を痛めているせいか、余計に気になってしまう。


 白いやつが立ち上がった。


 一歩。


 こちらへ来るのかと思ったが、違った。


 地面の獲物の横まで歩き、鼻先を近付ける。


 それから俺を見る。


「…………」


 獲物。


 俺。


 また獲物。


「何?」


 しばらく見ているうちに、妙な考えが浮かんだ。


「これ」


 俺は地面の獲物を指さす。


「俺に?」


 白いやつの耳が立った。


 少し間を置いて。


「ワフ」


「…………」


 短い声。


 さらに尻尾が、ほんの少しだけ動いた。


「え?」


 俺は白いやつを見る。


「今の、タイミング良すぎない?」


 もちろん、俺の言葉に返事をしたとは限らない。


 声を出したから反応しただけかもしれないし、たまたま鳴いただけかもしれない。


「…………」


 それでも。


 獲物を自分で食べるつもりなら、わざわざ焚き火の近くへ置く必要はない気がする。


 しかも白いやつは、その横で俺が起きるまで待っていたらしい。


「…………」


 俺は獲物の近くへしゃがみ込んだ。


 右足へ負担をかけすぎないよう、体重を左側へ逃がす。


「触るぞ」


 白いやつは動かない。


 毛へ指先で触れる。


 まだ完全に冷え切ってはいない。


「そんなに時間経ってない?」


 変な臭いもない。


 腐っている様子も見えなかった。


 首の傷をもう一度見る。


 やはり噛まれた跡のように思える。


「本当にお前が捕ったのか」


 白いやつを見る。


 今度は鳴かない。


「…………」


 ただ、妙に落ち着いた顔で座っている。


「俺より狩り上手なのは間違いなさそうだな」


 そもそも俺は、魚一匹捕まえるだけで何度も逃げられている。


 目の前のウサギっぽい生き物は、後ろ脚を見るだけでもかなり速そうだ。


「俺、これ追いかけても絶対捕まえられないぞ」


 白いやつは森の生き物だ。


 俺より狩りが上手でも、何もおかしくない。


「でも」


 もう一度、獲物を見る。


「何でここに持ってきたんだ?」


 白いやつが最初に拠点へ来るようになった頃。


 俺は、焼いた魚の匂いにつられているのだと思っていた。


 俺がいない時に食べ物を取り。


 少しずつ距離を縮め。


 やがて目の前でも魚を食べるようになった。


 水を置けば飲んだ。


 傷を見せるようになり、手当てもさせた。


「…………」


 俺から何かを受け取る。


 今までは、ずっとそうだった。


 でも。


 今朝は違う。


 白いやつの方から。


「持ってきた?」


 目の前にある獲物を見つめる。


「お返し……とか?」


 そう言うと、白いやつの耳がこちらへ向いた。


「…………」


 人間みたいにそんなことを考えているとは思わない。


 ただ。


 魚。


 水。


 前脚の手当て。


 それらが何か関係しているのだとしたら。


「…………」


 少し嬉しい。


「俺にくれたってことでいい?」


 また声をかける。


「ワフ」


 白いやつが短く鳴く。


「またタイミング合ったな」


 思わず笑った。


「妙に反応いいよな、お前」


 それ以上は深く考えない。


 声の調子や俺の視線を見ているだけかもしれないし、犬のような生き物なら人間の雰囲気を読むくらいはするのかもしれない。


「まあ、いいか」


 今は、そこよりも。


「これをどうするかだな」


 目の前の獲物。


 見た目はウサギに近い。


 だから食べられる。


 そんな判断はできない。


 魚の時も、橙色の実の時も、少しずつ確認した。


「いきなり焼いて全部食うのはなし」


 まず外見。


 匂い。


 状態。


「それから……」


 毛皮を見る。


「捌かないと駄目だよな」


 魚を処理した経験はある。


 とはいえ、小さな魚の腹を開き、内臓を取り出すだけでもかなり苦労した。


 今回は魚ではない。


 皮がある。


 毛がある。


 肉の付き方も全く違う。


「解体、か」


 前世で映像を見たことはある。


 本で読んだこともある。


 でも、当然ながら実際にやった経験はない。


「また、知ってるだけのやつだな」


 獲物を軽く持ち上げる。


「重っ」


 魚とは比べものにならない。


「これ、食べられるなら結構あるぞ」


 そこで。


 白いやつを見る。


「…………」


 捕ったのは。


 おそらくこいつだ。


「全部俺がもらうのも違うよな」


 俺へ持ってきたのだとしても。


 それを捕まえたのは白いやつだ。


「食べられるなら」


 少し考える。


「半分こ、かな」


 白い耳がまた動いた。


「お前が捕ったんだから、それくらいが普通だよな」


 まだ食べられるかも分かっていない。


 何をどう処理すれば安全なのかも分からない。


「先にそこだけど」


 石片。


 石斧。


 棚に置いてある道具へ目を向ける。


「包丁欲しいな」


 新しいことへ挑戦するたび、同じようなことを考えている気がする。


 木を切れば鋸が欲しい。


 魚を捌けば包丁が欲しい。


 穴を掘ればスコップが欲しい。


「前の道具、本当に便利だったんだな」


 金属の刃物。


 それ一つあるだけで、随分違うだろう。


「まあ、今は石でやるしかないけど」


 白いやつが立ち上がった。


「ん?」


 獲物へ近付き、鼻先で軽く押す。


 灰褐色の身体が、俺の方へ少しだけ動いた。


「…………」


「早く何とかしろって?」


 さすがにそこまでの意味はないだろう。


「でも、置いといても仕方ないよな」


 白いやつはまたその場へ座る。


「分かったよ」


 獲物を自分の前へ引き寄せる。


 灰褐色の毛。


 銀色の尾。


 名前も知らない。


 何なのかも分からない。


 食べられる保証もない。


「それでも」


 たぶん。


 白いやつが俺へ持ってきた。


「ありがとう」


 自然に言葉が出た。


 白い耳がこちらへ向く。


「食えるか分からないけど、ちゃんと調べるから」


 薄くて比較的鋭い石片を棚から取る。


 そして。


 もう一度白いやつを見る。


「食べられたら、お前の分もちゃんと残す」


 白いやつは何も言わない。


 ただ、その尻尾が一度だけ地面を軽く叩いた。


「…………」


 少し笑う。


「今日はやたら反応いいな」


 それが俺の言葉への反応なのか。


 声や動きを見ているだけなのか。


 まだ分からない。


 でも。


 一つだけ。


 昨日までとは、はっきり違うことがある。


 俺は今まで。


 白いやつへ魚を分け。


 水を置き。


 傷を洗った。


 こいつはそれを受け取る側なのだと、どこかで思っていた。


「違ったんだな」


 右足を痛めた翌朝。


 焚き火の近くに、見たこともない獲物が置かれていた。


「こいつ」


 白いやつを見る。


「ただ飯食いに来てるだけじゃないんだな」


 白い耳が小さく動く。


「…………」


 俺は石片を握り直した。


 右足はまだ痛い。


 棚も途中。


 できないことは、相変わらずいくらでもある。


 それでも今日、この空き地には昨日までなかったものが一つ増えていた。


 灰褐色の、銀色の尾を持つ獲物。


 そして。


 俺が一方的に何かを与えているだけではない。


 そんな関係が、ほんの少しだけ形になり始めていた。

第32話を最後まで読んでいただき、ありがとうございます。


主人公にとっては、見た目がウサギに似ているというだけで、まだ名前も食べられるかどうかも分からない生き物です。


白い存在の反応も、今の主人公には「妙にこちらをよく見ている」程度。


本当にどこまで意思が通じているのかは、まだ分かりません。

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