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『魔法の使えない転生者、忌地の森をひらく』  作者: 森野余白
第二章「生きる場所を作る」

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閑話 火のそばへ

第二章完結後の閑話です。


森の端から空き地を見つめていた、小さな白い存在の側から描きます。

火は怖い。


 熱い。


 明るい。


 乾いた枝が突然弾け、大きな音を立てることがある。


 森の中にはない匂いもする。


 だから白い小さな獣は、最初から火へ近付こうとはしなかった。


 火のそばには、人間がいる。


 それも怖かった。


 森を歩く獣とは違う。


 二本の脚で立つ。


 木を切る。


 枝を組む。


 同じ場所へ何度も戻り、夜になっても火のそばから離れない。


 白い獣は、ずっと遠くから見ていた。


 右の前脚を地面へつくたび、少し鈍い痛みが走る。


 走れないほどではない。


 森を歩くこともできる。


 けれど、余計な距離を動きたくはなかった。


 腹も減っていた。


 まだ一匹で獲物を得るのは上手くない。


 匂いを追っても逃げられる。


 近付く前に気付かれる。


 だから、あの人間の場所から流れてくる焼けた魚の匂いは強く気になった。


 人間がいなくなった夜、空き地の端まで近付き、残っていた魚をほんの少しだけ食べたこともある。


 それでも、魚の匂いだけなら何度も近付かなかったかもしれない。


 火がある。


 人間がいる。


 本来なら、もっと遠くへ離れればいい。


 なのに。


 白い獣は、何度離れても同じ方向を振り返った。


 人間の近くには、何かがある。


 匂いではない。


 音でもない。


 目に見えるものでもない。


 森の中で今まで感じたどれとも違う。


 怖いものではない。


 むしろ、その近くへいると妙に静かになる。


 痛む前脚も、空腹も、警戒して張っていた身体も、ほんの少しだけ力を抜いていいような気がする。


 だから離れきれない。


 理由は分からなかった。


 ある夜。


 人間の場所から魚の匂いがした。


 白い獣は茂みの奥で伏せたまま、長い時間待った。


 人間が屋根の下へ入る。


 火はまだ残っている。


 すぐには動かない。


 さらに待つ。


 森の音が戻る。


 白い獣は立ち上がった。


 前脚を庇いすぎないよう、ゆっくり歩く。


 一歩。


 止まる。


 匂いを嗅ぐ。


 人間は動かない。


 また一歩。


 火には近付かない。


 明かりの外側を回る。


 葉の上に、焼いた魚の身が少し残っていた。


 鼻先を近付ける。


 焦げた匂い。


 魚の匂い。


 人間の匂い。


 少し迷う。


 それでも腹が鳴った。


 白い獣は小さく一口だけ食べた。


 熱くない。


 変な苦みもない。


 もう一口。


 すぐに食べ終える。


 そして、何かが起きる前に森へ戻った。


 翌日も、遠くから見た。


 人間は地面を見ていた。


 昨日魚があった場所。


 小さな足跡。


 枝に残った白い毛。


 人間が森を見る。


 白い獣は身体を低くした。


 追ってくるかもしれない。


 そう思った。


 けれど、人間は来なかった。


 足跡を辿らない。


 茂みへ入らない。


 しばらくすると、いつものように木や枝を触り始めた。


 白い獣は、少しだけ顔を上げた。


 その日の後。


 人間は橙色の実を少しだけ割り、自分の寝床から離れた平たい石の上へ置いた。


 そして何かを言った。


 声が届く。


「食うなら勝手に食え」


 白い獣は橙色の実と人間を交互に見た。


 人間は、その場で待った。


 白い獣は出なかった。


 人間がいる。


 火もある。


 まだ無理だった。


 しばらくして、人間は水を取りに森へ入った。


 白い獣は待つ。


 足音が遠くなる。


 匂いも離れる。


 そこで初めて、平たい石へ近付いた。


 鼻先を寄せる。


 甘酸っぱい匂い。


 人間が何度も食べていた実だ。


 小さく一口だけ食べる。


 すぐ戻る。


 人間が帰ってくる前に、茂みの奥へ。


 そこから見ていると、人間は空になった平たい石を見つけた。


 怒らなかった。


 罠も仕掛けなかった。


 森へ追ってこなかった。


 白い獣は、次の日もその場所の近くまで来た。


 食べ物がなければ、それで終わり。


 何も置かれない日もある。


 ある日だけ、平たい石にほんの少し橙色の実が残される。


 人間がいなくなってから食べる。


 それを何度か繰り返した。


 少しずつ。


 人間が何をするのか分かってきた。


 朝は火を見る。


 水を運ぶ。


 木を触る。


 時々、魚を捕りに行く。


 食べ物を置かない日も、その人間の動きは変わらない。


 使ったものは同じ場所へ戻す。


 突然こちらへ走ってくることはない。


 白い獣は、前より少し近い茂みから見るようになった。


 ある日の昼。


 人間が枝を削っていた。


 白い獣は木の陰に立っていた。


 いつもより前へ出ていたことに、自分でも気付いていなかった。


 人間の手が止まる。


 顔が上がる。


 目が合った。


 白い獣の身体が固まった。


 逃げる準備をする。


 右の前脚へ力を入れすぎないよう、後ろへ重心を移す。


 けれど。


 人間は立たなかった。


 手を伸ばさない。


 近付かない。


 ただ見ている。


「……犬?」


 声が届く。


 白い獣は動かない。


 人間も動かない。


 長い時間に感じた。


 本当は、それほど長くなかったのかもしれない。


 先に下がったのは白い獣だった。


 一歩。


 もう一歩。


 人間は追わない。


「じゃあな」


 また声がした。


 白い獣は森へ戻った。


 その日の夜も、遠くから火を見た。


 怖い。


 やはり火は怖い。


 枝が爆ぜるたび、耳が動く。


 人間もまだ怖い。


 目が合えば身体が強張る。


 近付けば、何をされるか分からない。


 それでも。


 昨日より、遠くへ戻ろうとは思わなかった。


 次の日。


 人間がいつものように動くのを見た。


 水を運ぶ。


 火を使う。


 魚を焼く。


 暗くなる。


 白い獣は森の端へ出た。


 今までなら、見つかった瞬間に隠れていた場所。


 今日は、そのまま立つ。


 人間が気付く。


 けれど、立ち上がらない。


 呼び寄せようともしない。


 火を見る。


 白い獣も、火から十分離れた場所へ座った。


 ぱち。


 炎が鳴る。


 耳が少し伏せる。


 それでも逃げない。


 人間の近くにある、説明できない何かが今日も静かに感じられる。


 あれが何なのかは分からない。


 ただ、森のどこにいる時とも違う。


 少しだけ落ち着く。


 人間が何か呟く。


 白い獣は耳を向ける。


 ただ、その場に座ったまま動かない。


 火を見る。


 人間を見る。


 また火を見る。


 そして。


 自分でもなぜそうしたのか分からないまま。


 白い獣は前脚を一つ出した。


 ほんの一歩。


 火のそばへ。


 人間のいる方へ。


 進んだ。


 人間は振り向かなかった。


 追ってもこなかった。


 火はまだ怖い。


 人間もまだ怖い。


 右の前脚も、少し痛い。


 それでも白い獣は、その夜すぐには森の奥へ戻らなかった。


 なぜ何度もここへ来てしまうのか。


 食べ物だけではない理由を、まだ自分でも知らないまま。


閑話「火のそばへ」を最後まで読んでいただき、ありがとうございます。


同じ空き地でも、森の側から見れば火も人間もまだ異物です。


白い存在が感じているものについては、今はまだ名前のないままです。


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