第25話 俺の場所
第25話です。
何もなかった空き地に、少しずつ暮らしの形ができてきました。
第二章「生きる場所を作る」、最終話です。
朝。
目が覚める。
最初に見えるのは、樹皮と葉を重ねた屋根の裏側だった。
「…………」
雨は降っていない。
身体を起こす。
横には石斧。
少し離れた棚に石片と植物繊維。
屋根の端には、昨日乾かした樹皮の水容器。
「ある」
何がどこにあるか分かる。
それだけで、朝が随分楽になった。
外へ出る。
焚き火には火種が残っている。
細い枝を足し、息を吹き込む。
小さな炎が戻る。
「よし」
最初の日は、火を起こせただけで大仕事だった。
今でも簡単ではない。
雨が続けば乾いた材料を探すのに苦労する。
完全に消えれば、また火起こしからやり直す必要がある。
それでも。
「前よりは慣れたな」
水を汲みに行く。
樹皮の容器を抱え、いつもの道を歩く。
湧き水までの道も、最初ほど長く感じない。
水を汲み、漏れきる前に戻る。
「半分以上」
今日も残った。
十分だ。
必要な分だけ加熱するなら、石を使えばいい。
「…………」
空き地を見回す。
倒木。
片流れの屋根。
焚き火。
薪置き場。
簡単な棚。
材料を置く場所。
青緑色の草を残した一角。
地面へ描いた周辺の地図。
「増えたな」
建物と呼べるものはない。
畑もない。
金属の道具もない。
水の容器だって漏れる。
魚も毎日捕れるわけではない。
塩は見つかっていない。
保存食も作れない。
「できないことの方が多い」
数えればきりがない。
それなのに、不思議と焦りは前より少なかった。
「明日やればいいって思えるんだよな」
明日もここにいるつもりだからだ。
今日失敗しても、続きがある。
屋根が漏れたら直す。
紐が切れたら撚り直す。
魚に逃げられたら仕掛け方を変える。
知らない草は、分からないまま残して観察する。
「前だったら」
前世を思い出す。
やってみたいことはたくさんあった。
外へ出たい。
キャンプをしてみたい。
自分で何かを作ってみたい。
でも、その前に身体のことを考えた。
今日は動けるか。
無理をしたら明日はどうなるか。
途中で体調を崩さないか。
結局、知識だけが増えて、実際にはできなかったことも多い。
「今は」
石斧を見る。
不格好だ。
切れ味も悪い。
それでも木を切った。
屋根を見る。
歪んでいる。
雨も少し漏れる。
それでも身体へ直接雨が落ちにくくなった。
魚を思い出す。
捕るのに苦労した。
一度は逃げられた。
それでも、自分で捕って焼いて食べた。
「上手くないけど、やってる」
そのことが、妙に嬉しい。
昼。
薪を集める。
棚の結び目を一つ直す。
植物繊維を短く撚る。
大きな出来事はない。
午後、池へ行って魚を狙う。
一匹目は逃げた。
「おい」
二匹目も逃げた。
「…………」
三度目で、小さな一匹を何とか浅瀬へ追い込む。
「やっと」
拠点へ戻り、十分に火を通して食べる。
塩はない。
「それでもうまい」
日が落ちる。
森の中が暗くなる。
焚き火へ薪を足す。
ぱちっ、と火の粉が上がる。
「…………」
炎の向こうに、今日一日使った場所が見える。
ここへ来た時は、ただの空き地だった。
俺が目を覚ましたから使い始めただけの場所。
今は違う。
「ここへ戻れば」
火がある。
雨を避ける場所がある。
水を置く場所がある。
道具がある。
眠れる。
明日また何かを試せる。
「俺の場所」
小さく呟く。
誰かに認めてもらったわけではない。
土地を買ったわけでもない。
境界線もない。
それでも、自分が手を動かした跡がここにはある。
「…………」
その時。
森の端で白いものが動いた。
「あ」
昨日見た、小さな白い生き物。
犬か狼に近い何か。
木の陰から出てくる。
ただし、近くはない。
焚き火の明かりが弱く届くあたりで止まる。
「…………」
俺は立ち上がらない。
呼ばない。
食べ物も投げない。
ただ焚き火へ視線を戻す。
ぱち。
薪が鳴る。
白い生き物も、すぐには逃げなかった。
しばらくして、その場へ座る。
「…………」
火からは十分に離れている。
こちらからも手の届く距離ではない。
「今日は帰らないんだな」
小さく言った。
白い耳が少し動いたように見えた。
でも、それだけ。
「まあ、いいか」
俺も火を見る。
一人と一匹。
同じ空き地にいるが、まだ一緒にいるとは言えない距離。
それでいい。
火を見ながら、今日のことを考える。
水を運んだ。
魚を捕った。
棚を直した。
何でもない一日だった。
でも、こういう日を積み重ねる場所ができた。
「…………」
森の音が続く。
火が少し小さくなる。
枝を一本足す。
その時。
視界の端で白い身体が動いた。
「ん?」
こちらへ走ってきたわけではない。
ただ。
ほんの一歩。
さっき座っていた場所より、焚き火の方へ近付いている。
「…………」
俺は何も言わなかった。
見つめれば逃げるかもしれない。
だから、また火を見る。
口元だけが少し緩む。
「一個ずつ、か」
屋根も。
水も。
食べ物も。
そして、たぶん。
森の端にいるこいつとの距離も。
急ぐ必要はない。
昨日より少しだけ。
それでいい。
火の向こうで、白い生き物はしばらく座っていた。
俺も、何もせず焚き火を眺めていた。
少し前まで、ただ生き延びるためにしがみついていた空き地。
今は。
俺が明日も戻ってくるつもりの場所になっていた。
第二章 生きる場所を作る 了
第25話を最後まで読んでいただき、ありがとうございます。
第二章「生きる場所を作る」、これにて完結です。
まだ家も畑もなく、道具も食料も十分ではありません。
それでも、何もなかった空き地には「明日もここへ戻る」ための暮らしの形が少しずつ残り始めました。




