第2話 まずは水を探そう
第二話です。
丈夫な身体を手に入れた主人公ですが、知識があることと実際にできることは別物。
まずは、生きるために欠かせない水を探します。
水を探す。
そう決めたのはいい。
「……で、どっちに行けばいいんだ?」
俺は早速、森の前で立ち止まっていた。
右を見ても木。
左を見ても木。
正面を見ても、やっぱり木。
当然ながら、
『水源はこちら』
なんて親切な看板が立っているわけもない。
「そりゃそうだよな……」
さっきまで、走れることに感動していた男とは思えないほど早く現実にぶつかった。
水を探す方法。
知識としてなら、いくつか覚えている。
低い土地を探す。
地面の傾斜を見る。
植物が密集している場所。
動物の痕跡。
虫。
鳥。
あとは、運が良ければ水の流れる音。
そういうものを手掛かりにする。
テレビで見た。
本でも読んだ。
「……実際にやるのは初めてだけど」
そこが最大の問題だった。
知っている。
でも、やったことはない。
前の俺なら、こんな森の中を歩くなんて最初から選択肢に入らなかった。
知識はほとんど、いつかやってみたいという憧れから集めたものだ。
「まあ……何も知らないよりはマシか」
まず足元を見る。
今いる空き地は完全な平地ではない。
よく見ると、片側へ向かってわずかに低くなっている。
「こっち……かな?」
確信はない。
それでも、何となくで歩き出すよりはいい。
――その前に。
「戻れなくなったら最悪だな」
振り返る。
大きな倒木。
岩場。
今のところ、あそこが俺にとって唯一の拠点だ。
水を探しに行って、そのまま迷子になりました。
……笑えない。
俺は足元から石を一つ拾った。
進む方向にある木の根元へ置く。
もう一つ。
少し先にも。
「いや、石じゃ分かりにくいか」
全部の木の周りに石なんて転がっている。
考えてから、落ちていた枝を三本拾った。
木の根元へ三角形になるよう置いてみる。
「……これなら多少は分かるか」
少なくとも自然にできた形には見えない。
完全な目印とは言えないが、何もないよりはいいだろう。
俺は時々振り返りながら、森へ入った。
空き地から数歩離れただけで、景色は大きく変わった。
「暗いな……」
頭上を木々が覆っている。
先ほどまで全身に当たっていた日差しが、細かな木漏れ日に変わった。
足元には落ち葉。
苔。
名前の分からない草。
太い根が地面から何本も盛り上がっている。
うっかりしていると、簡単につまずきそうだ。
慎重に足を運ぶ。
一歩。
また一歩。
「…………」
楽しい。
いや。
こんな状況で言うことではないのかもしれない。
水もない。
食料もない。
ここがどこかすら分からない。
それでも。
知らない森の中を、自分の足で歩いている。
それだけで気持ちが浮き立つ。
目に映るもの全部が珍しかった。
「でかいな、この木……」
近くの幹に手を当てる。
俺が両腕を広げても、とても回りきらない。
上を見れば首が痛くなるほど高い。
その隣には、幹の表面が赤みを帯びた木。
さらに先には、見たことのない青い小さな花。
「これ、なんだろうな」
しゃがみ込みそうになり――。
「いやいや、水」
自分に言い聞かせる。
今は植物観察をしている場合じゃない。
気になるけど。
かなり気になるけど。
「後でだな」
帰る場所さえ作れれば、いくらでも見られる。
そう思うと、少し嬉しくなった。
しばらく進む。
体感では十分ほどだろうか。
時計がないので正確には分からない。
「……思ったより疲れないな」
呼吸は少し早くなっている。
額にも汗が浮いている。
でも身体はまだ動く。
以前なら、こんな足場の悪い場所を十分歩くなんて考えただけで嫌になった。
「健康ってすごいな……」
さっきからそればかり言っている気がする。
けれど仕方ない。
俺にとっては、何もかもが初めてなのだから。
そのまま歩いていると、地面に少し変化が出てきた。
「……湿ってる?」
しゃがんで土に触れる。
指先に黒っぽい土がつく。
先ほどまでより、明らかに湿気が多い。
周囲の植物も少し密集しているように見えた。
「これ、当たりじゃないか?」
期待が膨らむ。
こういう時は低い方向へ――。
「低い方向……」
周囲を見る。
「どっちだ?」
困った。
微妙な傾斜なんて、素人にはほとんど分からない。
テレビの中の人たちは、
『地形を見れば分かります』
みたいな感じで当然のように判断していた。
「……全然分からんぞ」
実際に森へ来てみると、木の根や落ち葉で地面そのものが見えにくい。
どちらが低いのか。
どちらへ水が流れるのか。
さっぱりだ。
「テレビだと簡単そうだったんだけどな……」
思わずぼやく。
とりあえず、土の湿っている場所を探しながら歩いてみることにした。
一度戻る。
少し方向を変える。
また進む。
「……ここは乾いてる」
戻る。
別方向。
「こっちは……さっきより湿ってるな」
そんなことを何度か繰り返した。
非常に地味だ。
俺が想像していたサバイバルというものは、もう少し格好良かった気がする。
木を見ただけで方角が分かるとか。
地面を見て水源を一発で当てるとか。
そんな感じ。
現実の俺は、
歩いて。
しゃがんで。
土を触って。
違うと思ったら戻る。
「……まあ、初めてなんだし」
誰に言い訳しているのか分からない。
けれど。
不思議と嫌ではなかった。
むしろ、少しずつ正解へ近づいている感覚が楽しい。
そして。
「…………ん?」
立ち止まる。
何か聞こえた気がした。
風。
葉。
鳥。
それとは違う。
「…………」
息を止める。
耳を澄ます。
――さらさら。
「水?」
小さい。
本当に小さな音だ。
聞き間違いかもしれない。
俺は音がしたと思った方向へ歩いた。
一歩。
二歩。
木々の間を抜ける。
音が少し大きくなる。
「……ある」
足が自然と速くなった。
「あるぞ……!」
最後の低木をかき分ける。
その向こう。
岩が重なった小さなくぼみから、
透明な水が流れ出していた。
「……水だ」
思わず声が出た。
大量ではない。
大きな川でもない。
岩の隙間から湧いた水が、細い流れとなって森の奥へ続いているだけだ。
でも。
今の俺には宝の山よりありがたかった。
「やった……!」
近くまで駆け寄る。
しゃがむ。
水は澄んでいた。
底の小石までよく見える。
手を入れてみる。
「冷たっ」
思わず手を引っ込める。
冷たい。
気持ちいい。
もう一度手を入れて、今度は両手ですくった。
透明な水。
喉が鳴る。
「…………」
飲みたい。
ものすごく飲みたい。
さっき走った。
森の中も歩いた。
身体は確実に水分を欲しがっている。
両手を口元へ持っていき――。
「……待て」
止めた。
水を見る。
綺麗だ。
どこからどう見ても綺麗だ。
「でも、生水だよな」
前世で聞いた話が頭をよぎる。
透明だから安全とは限らない。
細菌。
寄生虫。
動物の糞尿。
上流で何があるか分からない。
しかも。
「ここ、そもそも地球かどうかも怪しいんだよな……」
水の中に異世界特有の何かがいます。
なんてことだって、ないとは言い切れない。
せっかく丈夫な身体になったのに。
初日に腹を壊して動けなくなりました。
それはあまりにも情けない。
「……煮沸したいな」
火を起こす方法なら知っている。
問題は。
「容器がない」
俺は自分の両手を見る。
当然、鍋にはならない。
「…………」
周囲を見る。
岩。
木。
草。
「ないな」
当然だ。
森の中に鍋が落ちているわけがない。
「水を見つければ何とかなると思ってた……」
早くもサバイバル知識の穴が出てきた。
水源を見つける。
煮沸する。
そこまでは知っている。
では鍋も容器も持っていなければどうするのか。
「本で読んだ気がするんだけどな……」
木の皮で容器を作る。
石を熱して水へ入れる。
竹のようなものを使う。
色々あったはずだ。
問題は。
「ちゃんと覚えてない」
知識が、肝心なところで曖昧だった。
俺は水の前にしゃがんだまま頭を抱える。
「飲める水を見つけたのに……」
いや。
飲めるかどうかはまだ分からない。
だから困っている。
「とりあえず……」
水をすくう。
口には入れず、顔を洗った。
「っ……冷たい!」
でも気持ちいい。
汗と土が流れる。
首筋。
腕。
手も洗う。
それだけで随分さっぱりした。
「水がある場所は分かった」
まずは、それでいい。
煮沸方法はこれから考えればいい。
最悪、何か容器になるものを探す。
俺は周囲を見渡した。
岩の間から湧いた水。
その周囲には、濃い緑色の苔が生えている。
少し離れた場所には、背丈の低い植物が密集していた。
空き地からも、それほど遠くない。
「五分……いや、十分もかからないくらいか?」
かなり運がいい。
少なくとも毎日水を汲みに来られる距離だ。
……水を運ぶ方法もまだないけど。
「問題が一個解決すると、次が出てくるな」
思わず笑ってしまった。
でも。
嫌じゃない。
一つずつ。
今できることから考えればいい。
「よし」
まずは拠点へ戻る。
そして火を起こす。
次に、水をどうやって煮沸するか考える。
俺は来た方向を振り返った。
「…………」
木。
木。
木。
「……どっちだっけ?」
一瞬。
本気で焦った。
だが少し歩くと、木の根元に置いた三本の枝が見つかった。
「よかった……!」
思った以上に安心する。
「目印、大事だな」
知識として分かっていたこと。
それを今日初めて、身体で理解した。
俺は目印を確認しながら来た道を戻っていく。
行きより足取りは軽い。
まだ飲めてはいない。
けれど。
水源を見つけた。
自分の足で探した。
それだけで小さな達成感があった。
やがて木々の向こうが明るくなる。
見覚えのある倒木。
岩場。
小さな空き地。
「戻った……」
思わずほっと息を吐く。
そして、すぐに気付いた。
太陽がさっきより傾いている。
「……時間、そんなにないな」
水を見つけただけでは生きていけない。
夜までに。
火。
そして最低限、身体を休められる場所。
「次は火か……」
昔。
テレビで何度も見た。
本でも読んだ。
木と木を擦り合わせて火を起こす方法。
「……まあ、何とかなるだろ」
俺はこの時。
本気でそう思っていた。
数時間後の自分が、
火のつかない木の棒を握りしめながら、
テレビの中の達人たちに心の底から謝ることになるとも知らずに。
第二話を読んでいただき、ありがとうございます。
水源は見つかりましたが、「見つけた=すぐ生活が楽になる」わけではありません。
知識はあっても実践経験のない主人公と一緒に、一つずつ試して失敗しながら森での暮らしを形にしていきます。
次話は火起こしです。




