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『魔法の使えない転生者、忌地の森をひらく』  作者: 森野余白
第二章「生きる場所を作る」

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第17話 塩が欲しい

第17話です。


魚を食べられるようになると、今度は味や保存のことが気になり始めます。


暮らしが少し先へ進んだことで生まれた、新しい欲です。

翌朝。


 目を覚ました俺が最初にしたのは、腹へ手を当てることだった。


「…………」


 痛くない。


 気持ち悪くもない。


 身体が妙に熱いわけでも、痺れているわけでもなかった。


「今のところ大丈夫そうだな」


 昨日食べた魚。


 見た目は普通の魚に近く、しっかり火を通した上で少しずつ食べた。


 それから一晩。


 少なくとも、すぐに分かるような異常は出ていない。


「食べられる候補に入れても良さそうか」


 もちろん、一匹食べただけで完全に安全だと決めつけるつもりはない。


 それでも、橙色の実以外に食べ物の候補が増えたのは大きかった。


「魚か……」


 昨日の焼き魚を思い出す。


 焚き火でじっくり焼いた、小さな魚。


 塩もなければ、醤油もない。


 当然、調味料なんて何一つ使っていない。


 それでも。


「うまかったな」


 思い出しただけで腹が減る。


「…………」


 そして同時に。


 昨日、魚を食べながら何度も頭へ浮かんだものも思い出した。


「塩」


 欲しい。


 ものすごく欲しい。


「焼き魚に塩……絶対うまいだろ」


 言ったところで出てくるわけではない。


 分かっている。


 でも、欲しいものは欲しい。


 俺は寝床から出ると、いつものように焚き火の状態を確認した。


 火種は残っている。


 乾いた枝を重ね、息を吹き込む。


 小さな炎が戻ったところで、樹皮の水容器を手に取る。


 昨日より内側が乾き、少し形が戻ろうとしていた。


「長く置いとくのは無理だな」


 水を運ぶだけなら役に立つ。


 今はそれで十分だ。


 残っていた水を少し飲む。


「…………」


 味は普通だ。


 少なくとも、俺にはそう感じる。


 塩気なんて当然ない。


「水から塩が取れる……わけないよな」


 前世で塩といえば、まず海だった。


 海水を煮詰めれば塩が残る。


 それくらいは知っている。


「海、どこだよ」


 空き地から見えるのは木ばかりだ。


 少し探索した範囲にも森しかない。


 池は見つけた。


 水源もある。


 でも、海なんて影も形もない。


「そもそも、この森がどれくらい広いのかも分からないしな」


 海を探して歩く。


「なし」


 即決だった。


 塩のためだけに、帰れるかどうかも分からない距離まで探索する気はない。


「じゃあ、岩塩?」


 これも知識としては知っている。


 地面から採れる塩。


 鉱山のようなところで掘る。


「…………」


 岩場を見る。


 空き地の端にある、小さな岩場。


「まさか、あそこに落ちてたりしないよな」


 少し期待する。


「いやいや」


 自分で否定する。


 そんな都合よくいくなら苦労しない。


 でも。


「見るだけならただか」


 朝飯の橙色の実を一つ食べてから、岩場へ向かった。


 石斧を作る時に散々調べた場所だ。


 灰色。


 茶色。


 白っぽいもの。


 赤みがかったもの。


「塩の石って、どんな見た目だったっけ」


 透明。


 白。


 薄い色。


「……その程度しか知らないな」


 しかも、この世界の岩石が前世と同じものなのかも分からない。


「舐める?」


 一瞬、そんな考えが浮かぶ。


「いや、駄目だろ」


 知らない鉱物を片っ端から口へ入れる。


 どう考えても危ない。


 石には塩以外のものだっていくらでもある。


「食べ物では慎重なのに、石で死んだら笑えないな」


 白っぽい石を一つ拾う。


 表面を観察する。


 特に結晶のようなものは見えない。


 別の石。


 これもただ白っぽいだけに見える。


「分からん」


 石斧を作る時と同じだった。


 塩が欲しい。


 岩塩というものがある。


 そこまでは知っている。


 でも。


「実物を見分けられない」


 知識と経験は違う。


 何度目になるか分からない現実を、また突きつけられた。


「まあ、そんな簡単には見つからないか」


 岩を元の場所へ戻す。


 塩探し、開始から数分。


「終了」


 早かった。


 でも、適当な石を舐め続けるよりはいい。


 焚き火へ戻る途中、ふと昨日の魚の骨が目に入った。


 食べ終わったあと、使えるかもしれないと思って残しておいたものだ。


「そういえば、これもあったな」


 骨の中から、比較的長く真っすぐなものを一本拾う。


 釣り針。


 昨日はそんな使い道を考えた。


「削れば……」


 小さな石片を使い、先端を慎重に擦ってみる。


 ざり。


 ざり。


「硬いけど、いける?」


 力を入れすぎれば折れそうだ。


 少しずつ削る。


「…………」


 細くなってきた。


「これ、針っぽくできそうだな」


 問題は糸だ。


 昨日、魚を待っている間に葦に似た植物を細く裂き、簡単に撚り合わせることはできた。


 それをもっと長く。


 もっと丈夫にできれば。


「魚捕るの、昨日より楽になるかもしれない」


 そう考えて。


「…………」


 手が止まった。


「捕ったあと、どうする?」


 一匹なら、その日に食べればいい。


 昨日もそうした。


 でも。


 もし二匹。


 三匹。


 もっと捕れたら。


「全部食う?」


 今の俺の食事量を考える。


「無理だな」


 小さな魚なら数匹くらい食べられるかもしれない。


 でも、いつも小さいとは限らない。


 それに、たくさん捕れたからといって全部その日のうちに食べる必要はない。


「残せた方がいい」


 明日。


 明後日。


 魚が捕れなかった日に食べられる。


 食料を毎日探し回らなくていい。


「保存か」


 また新しい問題だった。


 前世なら。


 魚を冷蔵庫へ入れる。


 冷凍する。


「冷蔵庫……」


 辺りを見る。


「あるわけない」


 分かっている。


 言いたくなっただけだ。


「昔はどうしてた?」


 考える。


 干物。


 燻製。


 塩漬け。


「また塩だ」


 思わず笑う。


「お前、思ったより重要だな」


 昨日までは、塩が欲しい理由なんて味付けだった。


 焼き魚に塩があれば美味しい。


 その程度。


 でも。


「保存にも使うんだよな」


 肉や魚へ塩を使う。


 水分を抜く。


 腐りにくくする。


 そういう話は知っている。


 正確にどれだけ塩を使うのか。


 何日保つのか。


 そこまでは分からない。


「身体にも必要だったよな」


 汗を舐めた時に塩辛い。


 人間の身体には塩分が必要。


 その程度の知識はある。


 今すぐどうにかなる話なのかは分からない。


 食べているものの中から多少は取れているのかもしれない。


「でも、ずっと無しで大丈夫とは思えないな」


 少しだけ、塩を見る目が変わった。


 味付け。


 保存。


 身体。


「欲しいものじゃなくて、必要なものかもしれない」


 とはいえ。


「だからって、急に生えてこないんだよな」


 塩が実る木でもあれば楽なのだが。


「あるわけ……」


 そこまで言って止まる。


「いや、この世界なら絶対ないとは言えないのか」


 青緑色の草を見る。


 抜くと身体が重くなり、残っている場所では少し楽になる。


 前世の常識だけで判断できないものが、すでに身近にある。


「だから余計に、適当なもの食べられないんだよな」


 塩っぽく見えるから食べる。


 それは危険だ。


「見つけたとしても、確認する方法が必要か」


 先の長い話になりそうだった。


 俺は魚の骨を置き、焚き火へ薪を一本足した。


「塩がないなら……」


 保存を諦める?


「いや」


 別の方法もある。


「干す」


 水分を減らす。


 それなら塩がなくても、何もしないよりは長持ちするかもしれない。


「燻す」


 煙。


 火。


 これはある。


「できるか?」


 燻製というものを食べたことはある。


 作り方も、テレビか動画で見た覚えがあった。


 ただ、実際に作ったことはない。


「いつものやつだな」


 知っている。


 やったことはない。


 それでも。


「試すことはできる」


 問題は、試すための魚をもう一度捕まえなければならないことだ。


「今日は……」


 池へ行くか。


 少し迷う。


 昨日一日かけて魚を捕ったばかりだ。


「食料の方法を考えてるなら、行く価値はあるか」


 ただし。


「捕れなかったら終わり」


 それも仕方ない。


 俺は石斧と杖を持ち、魚の骨も一緒に持っていくことにした。


「使えるか分からないけどな」


 葦に似た植物を細く裂いたものも数本。


 まだ釣り糸と呼べるようなものではない。


 短い。


 太さもばらばら。


「今日は魚を大量に捕るんじゃなくて、材料を見る」


 目的を決める。


 池へ向かった。


 いつもの目印を辿る。


 森を歩きながらも、塩のことが頭から離れなかった。


「海」


 ない。


「岩塩」


 見分けられない。


「塩っぽい泉」


 そんなものがあるかどうかも分からない。


「動物はどうしてるんだ?」


 野生動物だって塩分は必要なはずだ。


 植物から取るものもいる。


 土や岩を舐める動物もいた気がする。


「…………」


 そこで足を止める。


「動物?」


 獣道。


 蹄の跡。


 巨大な足跡。


「いやいや」


 首を振る。


「塩探すために、あっち行くのはなし」


 危険だと判断して引き返した場所だ。


 動物が何かを舐める場所があるかもしれない。


 だから何だ。


「命と塩なら命だろ」


 当然だった。


 歩き始める。


「今は今できる範囲」


 それでいい。


 やがて池が見えた。


 いつも通り、近付く前に周囲を確認する。


 大型の動物は見えない。


「よし」


 岸へ向かう。


 昨日作った仕掛けは片付けてある。


 水面を見ると、今日も魚影があった。


「ちゃんといるな」


 少し安心する。


 昨日一匹捕ったくらいで魚がいなくなるはずはないが、それでも姿を見るとほっとした。


「今日はまず、これ」


 池の近くに生えている葦に似た植物。


 昨日、茎を縦に裂けることは分かった。


 一本採る。


 石片で端へ切れ目を入れ、指でゆっくり裂いていく。


「お……」


 細長く分かれる。


 途中で幅が変わる。


 最後まで綺麗には裂けない。


「難しいな」


 もう一本。


 今度は最初から細く裂く。


「さっきよりまし」


 何本か作り、水へ軽く浸す。


「柔らかくなるかな」


 石斧の蔓を水へ浸した時と同じ発想だった。


 しばらく待ち、引き上げる。


「曲げやすい」


 二本を撚り合わせる。


 ねじる。


 片方へ巻き付ける。


「…………」


 短い。


 でも。


「紐っぽい」


 引っ張る。


「っ」


 切れない。


 少し強く。


「…………」


 まだ大丈夫。


「これ、ちゃんと作れば使えるかもしれない」


 昨日より一歩進んだ。


 今度は魚の骨を取り出す。


「針」


 石片で先端を削る。


 慎重に。


「折れるなよ……」


 少しずつ尖る。


 ただ。


「曲げられない」


 当然だ。


 骨は曲がった釣り針の形をしていない。


「真っすぐでも釣り針にできる方法、あった気がするんだけどな」


 記憶を探る。


 真っすぐな骨や木片を餌の中へ仕込み、魚が飲み込んだところで横へ引っかける。


「……ゴージフック?」


 名前まで正しいか自信はない。


「そんな感じのやつ」


 知識は曖昧だ。


 でも、試す価値はあるかもしれない。


「問題は結び方だな」


 作った細い紐を骨へ巻く。


 一周。


 二周。


「ほどける」


 結び直す。


「細かい……」


 石斧作りとは違う難しさだ。


 指先で細い繊維を扱う。


 何度かやり直して、ようやく骨が外れにくくなった。


「釣り道具……」


 持ち上げる。


 短い植物の紐。


 先には尖らせた骨。


「……の部品」


 釣り竿どころではない。


 糸も短い。


「今日はこれでいい」


 完成していない。


 でも。


 魚を捕る手段が、昨日の石囲いだけではなくなるかもしれない。


「塩探しに来たわけじゃないのに」


 少し笑う。


 塩がない。


 だから魚を保存したい。


 魚を保存するなら、まず安定して捕りたい。


 安定して捕るなら、道具が欲しい。


「全部つながるな」


 一つ欲しいものが増えると、必要なものが何個も見える。


「本当に終わらない」


 でも。


「嫌じゃないんだよな」


 池の水面を見る。


 魚影が一つ、ゆっくり通り過ぎる。


「今日は捕らない」


 まだ昨日食べた魚の影響を完全に判断したわけではない。


 連日大量に食べる必要もない。


「次に捕れたら」


 その時は。


 一部を焼いて食べる。


 もし余れば。


「干すか、燻す」


 試してみる。


「塩なしで、どこまでできるか」


 そして。


 塩そのものは。


「いつか探す」


 海を見つけた時。


 妙な地層や鉱物を見つけた時。


 動物が特定の場所へ集まって何かを舐めているところを、安全な距離から見られた時。


「その時に考えればいい」


 今。


 命をかけて探すものではない。


「忘れないようにはしとこう」


 塩。


 今すぐ手に入らない。


 でも、いつか必要になるもの。


 そう頭に刻む。


 そのまま池の岸を少しだけ見回した。


 白い結晶。


 不自然に色の違う岩。


 動物が舐めたような跡。


「…………」


 もちろん。


「ないよな」


 そんな簡単に見つかるはずもなかった。


「今日は帰ろう」


 裂いた植物繊維と、試作した骨の部品を持って空き地へ戻る。


 帰り道。


 途中で橙色の実を一つ採った。


「今日の飯は、またこれか」


 昨日は魚。


 今日は果物。


「贅沢言うなって話だな」


 食べられるものがある。


 それだけでもありがたい。


 空き地へ戻る。


「ただいま」


 いつもの言葉。


 焚き火は残っていた。


「よし」


 拾ってきたものを決めた場所へ置く。


 葦のような植物。


 細く裂いた繊維。


 骨。


「物が増えてきたな」


 改めて見ると、かなり雑然としている。


 石斧。


 石片。


 樹皮の容器。


 加熱に使う石。


 枝。


 蔓。


 魚の骨。


 新しく作った細い繊維。


「そろそろ本気で置き場考えないとな」


 何となく地面へ並べているだけでは、近いうちに何がどこにあるのか分からなくなりそうだ。


「やること、また増えた」


 笑う。


 そして、焚き火へ薪を足そうとして屋根を見上げた。


「…………」


 樹皮。


 葉。


 枝。


 前の雨で何度も直した、粗末な屋根。


 端の一部が少し垂れ下がっている。


「これもだな」


 空を見る。


 今日は晴れている。


 でも。


「次の雨がいつ来るか分からない」


 塩。


 魚。


 保存。


 道具置き場。


 屋根。


「一個ずつ」


 また口にする。


「塩は後」


 今すぐ見つからないものを追いかけても仕方ない。


 それより。


 次に雨が降った時、また火と寝床を守るために慌てることになる方が困る。


「雨漏り」


 前に味わった冷たさを思い出す。


「……もう嫌だな」


 焚き火の上へ視線を移す。


 火も。


 薪も。


 寝床も。


 今よりちゃんと守りたい。


「次は屋根か」


 そう決めると、少し気持ちが軽くなった。


 塩は見つからなかった。


 それでも今日、何も進まなかったわけではない。


 塩が味付けだけではなく、保存にも必要になることへ気付いた。


 塩がなくても、干すことや煙を使う方法を試せるかもしれない。


 魚を捕るための細い紐も、少しだけ形が見えた。


「見つからないものを探し続けるより、今できることを増やす」


 今の俺には、それが合っている。


 橙色の実を一口齧る。


「酸っぱい」


 昨日の焼き魚を思い出す。


「塩……」


 やっぱり欲しい。


「いつか絶対見つける」


 今は、それでいい。


 欲しいものが一つ増えたということは。


 それだけ。


 ここでの暮らしを、昨日より少し先まで考えられるようになったということなのだから。

第17話を最後まで読んでいただき、ありがとうございます。


塩は味付けだけでなく、保存や身体の維持にも関わる大切なものです。


ただし、この森でどこから手に入るのかは、まだ分かっていません。

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