第13話 暮らすために必要なもの
第13話です。
第二章「生きる場所を作る」の始まりです。
生き延びるだけだった毎日から、少し先の暮らしを考え始めます。
ここで暮らしてみよう。
昨日そう決めたからといって、朝になった瞬間に何かが変わるわけではなかった。
「…………」
目を覚ました俺の視界に入るのは、いつもと同じ倒木の裏側だった。
枝を組み、その上へ樹皮と大きな葉を重ねただけの屋根。
身体の下には細い枝と乾いた葉。
少し離れたところでは、昨夜から残しておいた焚き火が赤く燻っている。
「まあ、そうだよな」
昨日までと同じ。
当然だ。
ここで暮らすと決めたのは俺であって、森がそれを聞いて家を建ててくれるわけではない。
「むしろ、決めたからここからか」
身体を起こし、倒木の下から這い出す。
朝の空気は少し冷たかった。
大きく伸びをすると、背中と肩が軽く鳴る。
「っ……」
多少の疲れは残っている。
それでも身体は普通に動いた。
「よし」
まず焚き火。
残っていた火種の上へ乾いた葉を少し置き、細い枝を重ねて息を吹き込む。
ふう。
ふうっ。
煙が上がり、やがて小さな炎が生まれた。
「これは慣れてきたな」
最初の日は火を起こすだけで大仕事だった。
今では完全に消さないよう気をつけておけば、朝に戻すくらいならそれほど苦労しなくなっている。
「できること、増えてるんだよな」
火を眺めながら、昨日のことを思い出す。
ここで暮らしてみたい。
そう思った。
なら。
「何からやる?」
口に出してみた。
「…………」
返事はない。
当たり前だ。
「だよな」
今までなら、目の前で困ったことを一つずつ解決していけばよかった。
喉が渇いたから水を探す。
寒くて暗いから火を起こす。
腹が減ったから食べ物を探す。
雨が降ったから屋根を直す。
木を加工できないから石斧を作る。
必要になったものへ、その都度対応してきた。
でも。
「ここで暮らすなら、ちょっと違うよな」
困ってから動く。
それだけでは、いつまでも追いかけられる側だ。
雨が降ってから屋根を直すのではなく、雨が降る前に直したい。
腹が減りきってから食べ物を探すのではなく、ある程度は確保しておきたい。
「準備、か」
前世なら当たり前だった。
水道をひねれば水が出る。
冷蔵庫には食べ物がある。
雨が降っても屋根がある。
必要な道具は店へ行けば買える。
それら全部を、自分で用意する必要なんてなかった。
「改めて考えると、とんでもないな」
でも。
今はそれを一つずつ作るしかない。
「じゃあ、まず整理するか」
俺は立ち上がり、空き地の中央へ向かった。
地面には、これまで枝で描き足してきた簡単な地図が残っている。
中心に空き地。
近くに水源。
片側には、巨大な足跡を見つけた危険な獣道。
そして別方向には、昨日見つけた池。
「場所はこれでいいとして……」
地図の横へ、新しく線を引く。
「今あるもの」
文字を書くほど綺麗な地面でもないので、自分に分かる程度でいい。
まず。
「水」
水源がある。
飲むたびに歩いて取りに行っている。
今のところ身体に異常は出ていないが、安全だと証明されたわけではない。
「火」
維持できるようになってきた。
ただし雨には弱い。
「食べ物」
橙色の実。
少なくとも少量ずつなら、今のところ問題は出ていない。
池には魚もいた。
「魚は……まだ食べ物じゃないな」
見つけただけだ。
捕まえられないものを食料に数えるのは早い。
「道具」
石斧。
それから、石を割って作った刃物代わりの石片。
便利かと聞かれれば困るが、ないより遥かにいい。
「寝床」
倒木の下を見る。
「……ある、にはある」
毎朝どこかしら痛い。
雨漏りもする。
それでも夜を越す場所ではある。
「材料」
昨日切った木。
細い枝。
太い部分。
樹皮。
葉。
蔓。
それに池の近くで見つけた、葦に似た植物。
「粘土」
その言葉で、視線が焚き火の近くへ移った。
地面には、昨日作った小さな器が置いてある。
器。
と言っていいのかは怪しい。
乾かしている途中で底へひびが入った、失敗作だ。
「これもあるな」
手に取る。
完全に割れてはいない。
でも亀裂が入っている以上、水を運ぶためには使えない。
「…………」
少し考える。
「あるもの、意外と多いな」
最初の日に持っていたものなんて、自分が着ていた服くらいだった。
今も持ち物が豊富とは到底言えないが、それでもゼロではなくなっている。
「じゃあ次」
今度は地面へ別の線を引く。
「足りないもの」
考える。
すぐに浮かんだ。
「水を持って帰るもの」
これは何度も思っている。
喉が渇くたび水源まで行く。
石斧を作っている途中にも。
木を切っている途中にも。
毎回作業を中断している。
「一回で持って帰れたら全然違うよな」
それに、拠点に水があれば火の近くでも使える。
飲むだけではない。
何かを洗う。
粘土を捏ねる。
将来的には、食べ物を調理する時にも使うかもしれない。
「水、優先度高いな」
次。
「屋根」
空を見る。
今日は晴れている。
だからこそ、前に降った雨で困ったことを忘れないうちに対策した方がいい。
「雨降ってからじゃ遅いしな」
屋根を広げたい。
焚き火も雨から守りたい。
薪を濡らさない場所も欲しい。
「……屋根だけで三つあるな」
苦笑する。
次。
「食料」
これも重要だ。
今は橙色の実にかなり頼っている。
それがいつまで採れるのかも分からない。
池には魚がいる。
「捕れれば大きいんだけど」
そのためには。
「紐」
また出た。
石斧にも使う。
魚を捕る仕掛けにも使えるかもしれない。
枝を組むにも、何かを吊るすにも役立つ。
「紐、本当に何でも使うな」
蔓をそのまま使う方法は、石斧で一応成功している。
でも細かい作業をするには太く、扱いにくい。
植物の繊維からもっと細いものを作れれば、できることは増えるはずだ。
「そのうちちゃんと試したい」
地面へ印を追加する。
「それから……」
空き地を見渡す。
石斧は倒木へ立てかけている。
石片はその近く。
薪は何となく積んである。
昨日持ち帰った植物は、地面へ置いたまま。
粘土も同じ。
「物を置く場所」
今はまだ少ないから何とかなっている。
これが増えれば、絶対に邪魔になる。
「棚……までは無理でも」
地面へ直接置かなくて済む場所くらいは作りたい。
「それと」
森の方を見る。
巨大な足跡。
高い爪痕。
「獣への対策」
今のところ、危険な大型動物を直接見てはいない。
だからといって、安全とは思わない。
柵。
見張る仕組み。
音が出るもの。
「何かは欲しい」
ただ。
「今すぐじゃないか」
本当は重要だ。
でも、今の俺に大きな獣を完全に防げる柵を作る力はない。
材料を集めるだけでも大仕事になる。
できる範囲から考えるしかない。
「あと……」
地面へしゃがみ込んだまま、青緑色の草を見る。
「お前」
抜いた場所では身体が重くなり、草が残っている場所では少し楽になった。
「何なのか分からない」
分からない以上、今は残してある。
「これは、必要なものじゃなくて……調べたいものか」
別枠だ。
今すぐ答えが出るとは思えない。
「…………」
一歩離れ、自分で描いたものを見る。
相変わらず地図なのか落書きなのか分からない。
でも。
「結構あるな」
水。
屋根。
食料。
紐。
物を置く場所。
獣への対策。
それに、謎の草。
「全部やったら何日かかるんだよ」
いや。
何日で済むのかも分からない。
屋根一つだって、どの程度まで作れば完成なのか。
食料だって、一度魚を捕まえたら終わりではない。
「これ、終わりないな」
少し考えて。
「……そりゃそうか」
暮らすというのは、そういうものなのかもしれない。
一度何かを作れば全部終わるわけではない。
壊れれば直す。
足りなければ増やす。
もっと良くしたくなれば作り直す。
「前の生活だって同じだったな」
家の中で暮らしている時は気にしていなかっただけで、食べ物を買い、水道代を払い、壊れたものは直していた。
それを今は、自分の手で最初からやるだけだ。
「規模が違いすぎるけど」
思わず笑う。
それでも。
目の前に並んだ「必要なもの」を見ていると、不思議と嫌にはならなかった。
「一個ずつ」
また、その言葉が出る。
全部を同時にやる必要はない。
「優先順位だな」
まず、生きるために重要なもの。
次に、毎日困っているもの。
そのあと、生活を楽にするもの。
「水」
真っ先に口から出た。
毎日必ず必要になる。
何度も水源へ往復している。
そして。
俺は、地面に置いたひび割れた器へ視線を向けた。
「材料もある」
池の岸には粘土がある。
一回目は失敗した。
でも。
「失敗したってことは、次に変えるところもある」
器を手に取り、ひび割れを指でなぞる。
厚さはばらばら。
底はかなり厚いのに、側面の一部は薄い。
「これ、見るからに駄目そうだな」
作っていた時は、それなりに器に見えて満足していた。
今見ると、かなり雑だ。
「もう少し厚さ揃えて」
乾かし方も変える。
前回は焚き火の近くへ置いた。
直接火へ当てたわけではないが、乾く速度に差が出たのかもしれない。
「もっとゆっくり乾かした方がいい?」
正解は分からない。
でも、試せる。
「よし」
今日やることが決まった。
池へ行く。
粘土をもう少し持ち帰る。
そして。
「水を持って帰れるものを作る」
立ち上がる。
その瞬間。
「…………」
少しだけ、変な感覚があった。
昨日までは、必要なものに追い立てられるように動いていた。
喉が渇いたから。
腹が減ったから。
雨が降ったから。
でも今日は。
明日困らないために、今から何かを作ろうとしている。
「これが、暮らすってことなのかな」
生き延びる。
それだけなら、今日一日を越えればいい。
でも暮らすなら。
明日。
その次。
もう少し先のことまで考える必要がある。
「……悪くないな」
石斧を手に取る。
杖代わりの棒も持つ。
池へ向かうための準備をしながら、もう一度空き地を見る。
倒木。
寝床。
焚き火。
切った木。
地面の地図。
ひび割れた器。
そして、今描いたばかりの「これから必要なもの」。
「随分、ごちゃごちゃしてきたな」
でも。
最初の日とは違う。
何もないから困っているのではない。
今は。
できることが増えたから、次に欲しいものが見えている。
「なら、順番に増やせばいい」
まずは水。
「今度こそ、持って帰るぞ」
ひび割れた器を一度見てから、俺は池のある方向へ歩き始めた。
ここで暮らすと決めた場所を。
少しずつ。
本当に少しずつ。
暮らせる場所へ変えるために。
第13話を最後まで読んでいただき、ありがとうございます。
この世界では、知識があっても道具や材料がなければすぐには形になりません。
まずは「完成品」ではなく、今必要な役目を果たすところから始めていきます。




