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『魔法の使えない転生者、忌地の森をひらく』  作者: 森野余白
第七章「森の隣人」

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第93話 森の隣人

第七章最終話です。


エルネアの帰る場所を知った翌日。


今度はエルネアが、再びユウマたちの拠点を訪れます。


何かを教えるためでも、何かを見せるためでもない時間が、少しずつ増えていきます。

 翌朝。


 目を覚ます。


 火を見る。


 水を汲む。


 昨日と同じ。


 ただ。


 水場から戻る途中で、ふと割れ岩の向こうを思い出した。


 古い道。


 木々の間に残っていた壁。


 いくつかの建物。


 エルネアが暮らしている場所。


「本当にあったんだよな」


 昨日、自分で見た。


 それでも少し不思議だった。


 今まで。


 エルネアは森の中から現れて。


 森の中へ帰っていった。


 その先を知らなかった。


 今は。


 どこへ帰るのか。


 少しだけ想像できる。


「机に向かってたりして」


 昨日見た記録帳の山を思い出す。


「いや、朝から植物見てるか」


 どちらもありそうだ。


 拠点へ戻る。


 ハクアは火の近くで伏せていた。


「お前も昨日、普通に伏せてたな」


 白い耳が動く。


「初めての場所だったのに」


 返事はない。


 でも。


 嫌なら外へ出ていただろう。


 それくらいは分かる。


「また行くか」


 ハクアの尾が一度地面を叩いた。


「今の返事?」


 もう一度待つ。


 何もない。


「たぶん違うな」


 俺は笑って、朝の作業へ戻った。


     ◇


 午前中。


 石斧の柄を直す。


 昨日、エルネアに言われたからではない。


 元々少し緩んでいた。


「壊れる前に、か」


 巻いていた繊維を外す。


 石刃を抜く。


 柄の溝を見る。


 少し削れている。


「ここ直した方がいいな」


 石の刃で削る。


 一度合わせる。


 まだ少しずれる。


 もう一度削る。


 そんなことを繰り返していた。


 ハクアは空き地の端。


 今日は森へ出る気がないのか、身体を伸ばして寝ている。


 日が少し高くなった頃。


 白い耳が動いた。


「ん?」


 俺も手を止める。


 ハクアは起き上がらない。


 ただ。


 耳だけが森の方へ向いている。


「誰かいる?」


 少し待つ。


 枝を踏む音がした。


 俺はもう立ち上がらなかった。


 そのまま石斧の柄を持って、森の方を見る。


 木々の間。


 銀色の髪が見える。


「あ」


 エルネアだ。


 姿がはっきりするまで待つ。


「来たのか」


 声をかける。


「来たよ」


 エルネアが答える。


「今日は驚かないんだ」


「昨日も会ったからな」


「そういう理由?」


「もう来ること自体は珍しくない」


 言ってから。


 少しだけ変な感じがした。


 エルネアも一瞬、俺を見る。


「……そう」


「何?」


「何でもない」


 空き地の手前まで来る。


「入っていい?」


「いいよ」


 いつものやり取り。


 でも。


 最初の頃ほど構える感じはない。


 エルネアもそのまま入ってくる。


「こんにちは、ハクア」


 白い耳が一度動いた。


「起きないね」


「眠いんじゃない?」


「私が来ても?」


「今さら?」


 エルネアが少し笑う。


「それ、いい意味?」


「たぶん」


「またそれ」


 エルネアは火の近くへ歩く。


 いつも座ることが多い場所。


 ただ、今日はそこに俺が外した繊維と細い枝を置いていた。


「あ」


「何?」


「そこ使う?」


「別に。空いてるところでいい」


 エルネアは少し横へ移動し、何も置いていない地面へ腰を下ろした。


 専用の椅子があるわけでも。


 場所を空けて待っていたわけでもない。


 来た時に空いているところへ座る。


 それだけだ。


「今日は調査?」


「途中まで」


「途中まで?」


「朝から少し見てきた」


 エルネアが鞄を下ろす。


「この近くも確認したから、今日はもう戻ってもよかったんだけど」


「じゃあ何で来た?」


 聞く。


 エルネアは鞄から記録帳を出した。


「寄ろうかなと思って」


「それだけ?」


「それだけ」


「何か聞きたいとか?」


「今はない」


「植物見るとか?」


「今は見なくていい」


「ハクア?」


「会えたら嬉しいけど、それだけじゃない」


「じゃあ」


 俺は少し考える。


「本当に寄っただけ?」


「そう」


 エルネアは記録帳を開く。


「駄目?」


「別に」


 むしろ。


 理由がないのが少し不思議だった。


 今まで。


 エルネアがここへ来る時は、近くを調べている途中だった。


 何かを聞く。


 何かを見る。


 文字を教える。


 そういうものがあった。


 今日は。


 近くの調査はもう終わっている。


 それでも来た。


「まあ、いいか」


 俺は石斧へ視線を戻す。


「何してたの?」


「柄を直してる」


「昨日言ったから?」


「元々緩んでた」


「本当に?」


「本当に」


「昨日はまだ使えるって言ってた」


「使えるのと、直さなくていいのは別」


「それなら安心した」


「そんなに気になってた?」


「少し」


 エルネアは記録帳へ何か書き始める。


「何書いてる?」


「今日見たところ」


「俺の斧じゃない?」


「違う」


「ならいい」


「記録してほしかった?」


「いらない」


 短いやり取りが終わる。


 俺は柄を削る。


 エルネアは書く。


 ハクアは寝ている。


     ◇


 少し経った。


「…………」


 誰も話さない。


 鳥の声。


 風。


 火の中で枝が割れる音。


 時々。


 エルネアの筆記具が紙の上を動く音。


 俺は柄へ石刃を合わせる。


「……まだ少し」


 外す。


 削る。


 もう一度。


 隣で紙をめくる音がした。


「終わった?」


 俺が聞く。


「まだ」


「結構書くな」


「見たものが多かったから」


「今日何見た?」


「土」


「また?」


「またって何?」


「前も土見てた」


「場所が違う」


「土でも?」


「土でも」


 そこで会話が終わる。


 エルネアはまた書き始める。


 俺も作業へ戻る。


 何か話さないと。


 そんな感じはなかった。


 最初にここへエルネアを入れた時。


 何を見ているのか。


 何を考えているのか。


 少し気になった。


 勝手に物を触らないかとか。


 どこまで見せていいかとか。


 そういうことも考えた。


 今は。


 エルネアが記録帳を開いているなら、書いている。


 ハクアが伏せているなら、休んでいる。


 俺は自分の作業をする。


 それで済む。


「…………」


 少し身体を動かそうとして。


「狭いな」


 口から出た。


 エルネアが顔を上げる。


「何が?」


「ここ」


「空き地?」


「いつもより」


 俺の道具。


 外した繊維。


 エルネアの鞄。


 記録帳。


 そして三人。


 元々。


 一人とハクアで使っていた場所だ。


 一人増えると。


 少しだけ物を避けて歩く必要がある。


「邪魔?」


「そこまでは言ってない」


「でも狭い?」


「少し」


 エルネアが周囲を見る。


「私のところより狭いね」


「建物と比べるな」


「じゃあ、昨日の場所に来る?」


「一人で行けない」


「そうだった」


「忘れるなよ」


 エルネアが笑う。


「じゃあ、今度迎えに来る」


「今度?」


「行きたいって言ってたでしょう?」


「言った」


「なら」


「分かった」


 それだけ決まる。


 いつなのかは決めない。


 今日ではない。


 そのうち。


 それでいい。


     ◇


 昼を過ぎる。


 エルネアはまだいた。


「昼、どうする?」


 俺が聞く。


「どうするって?」


「食べる?」


「いいの?」


「ある分なら」


 俺は置いてある食べ物を見る。


 特別なものはない。


 いつも食べているもの。


「豪華じゃないぞ」


「期待してない」


「失礼だな」


「ユウマが先に言ったでしょう?」


「それもそうか」


 少しだけ分ける。


 エルネアも持っていたものを鞄から出した。


「持ってるじゃん」


「帰るまでに食べるつもりだったから」


「じゃあ自分の食べれば?」


「交換する?」


「交換?」


 エルネアが差し出したものを見る。


 俺が普段食べているものとは違う。


「少しだけ」


「俺のも?」


「うん」


「じゃあ」


 互いに少量ずつ交換する。


 俺が渡したのは、昨日の帰りに湿地で採り、今朝、十分に火を通しておいた白い根だ。


 大したことではない。


 食べる。


「…………」


 エルネアが俺を見る。


「何?」


「どう?」


「普通に食べられる」


「それだけ?」


「初めて食べたから、それ以上分からない」


「味は?」


「ちゃんと味がする」


「雑」


「エルネアは?」


 俺が渡したものを食べている。


「これ、前に話してたやつ?」


「そう」


「少し甘い」


「言っただろ」


「本当だった」


「疑ってた?」


「確認」


「便利な言葉だな、それ」


 俺が笑う。


 エルネアも笑った。


 食べ終わる。


 それから。


 また別々のことをした。


     ◇


 俺は石斧の柄を組み直す。


 繊維を巻く。


 固定する。


 一度軽く振る。


「どう?」


 エルネアが聞く。


「前よりいい」


「見せて」


 渡そうとして。


 一度止める。


「刃、触るなよ」


「分かってる」


 柄の方を向けて渡す。


 エルネアが持つ。


「重い」


「石だからな」


「これをずっと?」


「使ってる」


「やっぱり金属の斧を見たら欲しがりそう」


「もう欲しがってる」


「そうだった」


 すぐ返してくる。


 俺は元の場所へ置く。


 エルネアの記録帳も。


 鞄も。


 俺の拠点には残らない。


 帰る時には全部持って帰る。


 俺も。


 エルネアのところへ昨日行ったけれど。


 向こうへ何かを置いてきたわけではない。


 それぞれ。


 自分のものは、自分の場所にある。


「…………」


 ハクアが身体を起こした。


 そのまま水を飲みに行く。


 エルネアが見る。


 でも、追わない。


 呼ばない。


 ハクアは水を飲み。


 戻って。


 今度はさっきより俺たちに近いところへ伏せた。


「近い」


 エルネアが小さく言う。


「そうだな」


 それ以上は言わない。


 エルネアも手を伸ばさない。


 少しして。


 記録帳へ視線を戻した。


「もう慣れた?」


 俺が聞く。


「何に?」


「ハクアが近くにいるの」


「少し」


「前はもっと見てた」


「見すぎると嫌がられそうだから」


「学んだな」


「ユウマに言われたから」


「俺?」


「追わない方がいいって」


 ハクアと会った頃の話。


「それ、俺がハクアにしたことだぞ」


「同じでしょう?」


「どうだろ」


「少なくとも、無理に近づかないのは同じ」


「それはそうか」


 また静かになる。


     ◇


 午後。


 日差しが少し傾く。


 俺は乾かしている草を裏返した。


 エルネアは記録帳を閉じた。


「終わった?」


「今日の分は」


「じゃあ帰る?」


 聞く。


 エルネアは少し空を見る。


「もう少しいてもいい?」


「別にいいよ」


 答える。


 特に理由はない。


 エルネアも何かを始めるわけではなかった。


 記録帳を鞄へしまう。


 そのまま座っている。


「何する?」


「何もしない」


「研究者なのに?」


「研究者でも何もしない時くらいあるよ」


「昨日も似た話したな」


「ユウマが私を研究しかしない人みたいに言うから」


「今日もずっと書いてたじゃん」


「今は書いてない」


「確かに」


 俺も。


 急ぎの作業は終わっていた。


 火を見る。


 木々を見る。


 風が吹く。


 ハクアの毛が少し揺れる。


 三人いる。


 でも。


 何も起きない。


「…………」


 不思議だった。


 最初にエルネアを見た時。


 誰かがいる。


 それだけで警戒した。


 知らない足跡。


 知らない匂い。


 銀色の髪。


 今は。


 同じ空き地にいるのに。


 何もしなくていい。


「ユウマ」


「何?」


「眠い?」


「何で?」


「ぼーっとしてる」


「何もしてなかっただけ」


「珍しい」


「エルネアもだろ」


「私は休んでる」


「俺も休んでる」


「じゃあ同じね」


「そうだな」


 それで会話が終わる。


 また静かになる。


 今度は。


 その静かさが。


 一人の時と少し違った。


     ◇


 日が傾く。


 空き地へ入る光が橙色に近づいた頃。


 エルネアが立ち上がった。


「そろそろ帰る」


「うん」


 鞄を持つ。


 記録帳が入っていることを確かめる。


 何も置き忘れていない。


「忘れ物ない?」


「ないと思う」


「確認した?」


「した」


「本当に?」


「ユウマ、昨日の仕返し?」


「確認」


「便利に使ってる」


 少し笑う。


 ハクアが顔を上げた。


「ハクア、帰るね」


 白い耳が動く。


 エルネアはそれを見て。


 今度は大きく喜ばなかった。


 ただ。


「またね」


 そう言う。


 空き地の端へ向かう。


 俺も少しだけ見送る。


 その背中を見ながら。


 ふと。


 口が先に動いた。


「次は?」


 エルネアが止まる。


 振り返る。


「…………」


 俺も。


 言ってから気づいた。


 今までなら。


 エルネアが来るかどうか。


 予定があるか。


 そんなふうに聞いていた。


 今日は。


 次は。


 と聞いた。


「何?」


 少しだけ気まずくなって聞き返す。


「いや」


 エルネアが小さく笑う。


「……数日後かな」


「数日後?」


「調査の予定があるから。近くに来るのは、そのくらい」


「分かった」


「急ぎ?」


「違う」


「じゃあ?」


「聞いただけ」


「そう」


 エルネアはまだ少し笑っている。


「じゃあ、また」


「うん。また」


 今度こそ歩き出す。


 銀色の髪が木々の間へ入る。


 やがて見えなくなる。


「…………」


 俺は少しだけその方向を見る。


 でも。


 姿が消えたあとまで立ってはいなかった。


「戻るか」


 火の方へ向く。


 ハクアも伏せ直す。


 空き地には。


 俺。


 ハクア。


 それから。


 さっきまでエルネアが座っていた場所。


 そこに特別なものはない。


 椅子も。


 荷物も。


 エルネアの道具も残っていない。


 次に来た時。


 また空いているところへ座るだけだ。


 それでいい。


「数日後か」


 火へ枝を一本足す。


 ぱち、と音がする。


 次に何を話すか。


 何をするか。


 決めていない。


 何か聞きたいことが出るかもしれない。


 何もないかもしれない。


 それでも。


 また来る。


 そう思えることが。


 いつの間にか。


 特別ではなくなっていた。


     ◇


第七章 森の隣人 了


第七章完結です。


第93話を最後まで読んでいただき、ありがとうございます。


何かを教えるためでも、調査のためでもなく、同じ場所でそれぞれの時間を過ごした三人。


共同生活が始まったわけではありません。


それぞれに帰る場所を持ったまま、「また会う」ことだけが少しずつ当たり前になっています。

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