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『魔法の使えない転生者、忌地の森をひらく』  作者: 森野余白
第七章「森の隣人」

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第92話 研究する場所

森の外について知った翌日も、ユウマの暮らしは変わりません。


そしてさらに翌日。


今度はエルネアから、自分が普段過ごしている場所へ誘われます。

 翌朝、目を覚まして火を見る。


 水を汲む。


 昨日までと何も変わらない。


 森の外には町がある。


 道がある。


 店や市場がある。


 金属の道具も売っている。


 昨日、初めて具体的に聞いた。


 それでも。


「水は勝手に来ないな」


 汲んできた容器を置く。


 外のことを知ったからといって、今ここに金属の斧が現れるわけではない。


「まあ、そのうち」


 いつになるかは分からない。


 腰の石斧を見る。


「まだ頼むぞ」


 何度も直した柄。


 繊維の固定。


 欠けた石刃。


 今まで使ってきたものだ。


 急に悪い道具になったわけではない。


     ◇


 その日はエルネアとは会わなかった。


 午前中は拠点の周りを歩き、午後は東側へ向かった。


 ハクアと歩きながら、使えそうな枝を拾う。


 少しだけ地面の状態も見る。


 いつも通りだ。


 途中で外の町のことを思い出した。


 何十軒も建物が集まっている場所。


 知らない人が道を歩き、店で物を手に入れる。


「想像つかないな」


 木々の間を歩きながら呟く。


 今いる場所には、家らしい家は一つもない。


 俺の雨避け。


 それから、エルネアが使っているという古い建物。


「そういえば」


 エルネアの拠点。


 以前一度、どんな場所か少しだけ聞いた。


 石と木でできた古い建物。


 近くにも使われていない建物がある。


 それ以上は知らない。


「どんなところなんだろうな」


 ハクアの耳が動く。


「お前は知ってたりする?」


 白い身体はそのまま歩く。


 返事はない。


「まあ、知ってたら驚くけどな」


 ハクアは振り返りもしなかった。


 その日は、それで終わった。


     ◇


 さらに翌朝。


 空は晴れていた。


 朝の作業を終えた頃、ハクアが空き地の端から森の方へ顔を向けた。


「来た?」


 枝を踏む音がして、木々の間から銀色の髪が見えた。


「こんにちは」


「こんにちは」


 エルネアが歩いてくる。


 今日は採取袋を持っていなかった。


 鞄だけだ。


「調査は?」


「今日はあとで」


「じゃあ、先にこっち?」


「うん」


 エルネアは空き地の手前で止まる。


「入っていい?」


「もちろん」


「前より迷わなくなったね」


「もう何度も来てるから」


「何度も、って言うほどではないと思うけど」


「俺の中では何度もだ」


「そういうもの?」


「そういうもの」


 エルネアが小さく笑い、中へ入ってくる。


 ハクアへ視線を向けた。


「こんにちは、ハクア」


 白い耳が一度動いた。


「今日も返事はそれだけ?」


「ハクアなりの返事だろ」


「そうなのかな」


「たぶん」


「たぶんなんだ」


 エルネアが笑う。


「今日は何かある?」


 俺が聞く。


「何か?」


「採取袋ないから」


「ああ」


 エルネアは自分の鞄を見る。


 それから俺へ視線を戻した。


「ユウマ」


「何?」


「私のところ、見る?」


「…………」


 一瞬、何を言われたのか分からなかった。


「エルネアのところ?」


「うん」


「研究してる場所?」


「研究もしてるし、暮らしてる場所」


「あ」


 以前、俺がエルネアをここへ入れた時と逆だ。


「行っていいの?」


「うん。来てほしい」


 その言葉に、少しだけ意外な感じがした。


「行く」


 答えはすぐ出た。


 気にはなっていた。


「ハクアも?」


 白い身体を見る。


「一緒でいい?」


「もちろん」


 エルネアもハクアを見る。


「来るかどうかはハクア次第だけど」


「それはそうだな」


「ハクア、行く?」


 エルネアが声をかける。


 白い耳がこちらを向いた。


「俺たちが行く場所だ」


 ハクアはしばらく俺とエルネアを見比べる。


 それから、ゆっくり立ち上がった。


「来るみたい」


「分かるの?」


「立ったから」


「それだけ?」


「嫌な時は、もっと動かない」


「なるほど」


 俺が立ち上がると、ハクアも身体を起こした。


「行く?」


 白い耳が動く。


「じゃあ準備するか」


     ◇


 必要なものだけ持つ。


 水。


 石の刃。


 いつもの簡単な装備。


 エルネアはそれを見ていた。


「そんなに持っていくの?」


「知らない場所だから」


「私がいても?」


「森が危なくなくなるわけじゃない」


「私がいれば大丈夫、くらい言ってもいいと思う」


「大丈夫なのか?」


「そこは、うんって言うところじゃない?」


「じゃあ、うん」


「遅い」


 エルネアが笑う。


「でも、持っていく」


「結局そこは変わらないんだ」


「変わらない」


「慎重」


「森の中では、普通だ」


「ユウマの普通ね」


「最近その言い方するな」


「便利だから」


「研究対象にするな」


 エルネアが笑う。


 三人で森へ入った。


 最初は知っている道だった。


 西の緩尾根を越える。


 湿地へ下り、細沢を渡る。


 何度も歩いた場所だ。


 俺なら一人でも戻れる。


「こっちまでは分かる」


「本当に?」


「森の中では、断言しない方がいい」


「それは確かにそう」


 エルネアが先を歩く。


 ハクアは俺たちの少し前と横を行き来していた。


 細沢を越え、さらに進む。


 割れ岩。


 久しぶりに近くで見る。


 不自然なくらい滑らかな面。


 最初に見つけた時から気になっている場所だ。


「ここも通るんだ」


「近くをね」


「この先?」


「この先」


 今まで一人では進んでいない場所だ。


 少しだけ足が止まる。


 エルネアが振り返った。


「どうしたの?」


「ここから先、ちゃんと行ったことないから」


「少し見たことはあるんだ」


「遠くから、安全そうなところまで」


「じゃあ、今日は初めての続きね」


「そうなるな」


「私から離れないでね」


「分かった」


「ハクアも」


 ハクアは少し先で振り返った。


 白い耳が動く。


「聞いてるみたい」


「なら大丈夫ね」


 目印をつけようとは思わなかった。


 今日はエルネアの場所へ行くだけだ。


 一度通ったからといって、一人で歩ける道になるわけではない。


 再び歩き出す。


     ◇


 最初のうちは、景色はほとんど変わらなかった。


 木。


 草。


 地面。


 時々、岩。


 森はどこまでも森だった。


 エルネアが前を歩く。


「結構行く?」


「もう少し」


「エルネアの少しは、長いことがあるからな」


「今日はそんなに長くないよ」


「信じていい?」


「案内してる私を疑うの?」


「疑ってるわけじゃない。確認だ」


「同じようなものじゃない?」


 少し笑いながら歩く。


 しばらくして、足元が変わった。


「ここ」


 俺は前を見る。


 木々の間が歩きやすい。


 草が少ない。


 獣道とも違う。


「道?」


「昔はね」


 エルネアが答える。


「今はほとんど使われてない。たまに私が使うけど」


「誰かが作った道?」


「そう」


「アルヴェイン?」


「うん」


「ここだけじゃないのか」


「昔はいくつかの場所をつないでたみたい」


「今は?」


「森に戻りつつある」


「道も、建物も?」


「そう」


 地面には木の根が横切り、落ち葉も積もっている。


 それでも、左右に続く形がある。


 知っている森の中に、人が作ったものの跡が残っていた。


 それだけで景色が少し違って見える。


 さらに進む。


 木々の向こうに、妙に真っ直ぐな線が見えた。


「何あれ」


「壁だと思う?」


「最初は」


「正解」


 近づくと、灰色の面が見えた。


 ところどころ苔がついている。


「昔の建物?」


「そう。正確には、壁だったもの」


「石なら残るんだな」


「木よりはね」


 さらに数歩進むと、木々が少し開ける。


「……本当にある」


「疑ってた?」


「話で聞くのと、見るのは違う」


「それはそうね」


 建物は一つではなかった。


 木の間に、少し離れていくつか建っている。


 石と木を組み合わせたもの。


 屋根が残っている建物。


 一部が傷んでいるもの。


 壁だけの部分が見えるもの。


 巨大ではない。


 町というほどでもない。


 でも、明らかに誰かが暮らすために作った場所だった。


「これ全部?」


「昔使われてた」


「全部、同じ時期に?」


「たぶん」


「エルネアも、たぶんって言うんだな」


「私だって、分からないことはあるよ」


「何でも知ってると思ってた」


「それは買いかぶりすぎ」


 エルネアが歩く。


 俺とハクアもついていく。


「村?」


「そこまで大きくないよ」


「何て言えばいい?」


「小さな生活区画、くらいかな」


「生活区画」


「住む場所と、作業する場所がいくつか集まってる」


「昔は何をしてた?」


「暮らして、作って、直して、食べて。普通の生活だと思う」


 少人数で暮らした場所。


 そんな感じらしい。


 俺は周囲を見る。


 今は静かだ。


 鳥の声。


 葉が揺れる音。


 それ以外に、人の気配はない。


「ほかの人は?」


 自然に聞いた。


 エルネアは少し前を向いたまま答える。


「いないよ」


「今は?」


「今は私だけ」


「昔は?」


「いた」


 短い答え。


 俺はエルネアを見る。


「家族?」


「家族だけじゃない。ここで暮らしていた人たちがいた」


「何人くらい?」


「時期によるよ」


「多い時は?」


「今の私には多いと思う」


「俺には、二人でも多い」


「ハクアを入れて?」


「ハクアは数え方が違う」


「じゃあ、私とユウマで二人?」


「そう」


「それでも多い?」


「今は慣れた」


「エルネアがよく来るから?」


 言ってから、少し変な言い方だったかもしれないと思った。


 エルネアも一瞬だけ黙る。


「……そう」


 それ以上は続かなかった。


 俺も聞かなかった。


 今は、それで十分だ。


     ◇


「こっち」


 エルネアが一棟の前で止まる。


 他より状態がいい。


 壁は石。


 一部に木が使われている。


 屋根も残っている。


「ここ?」


「うん」


「エルネアの家?」


「生活もしてるから、そう言ってもいいかな」


「研究拠点でもある?」


「研究もしてる」


「じゃあ、生活拠点だな」


「それでいいんじゃない?」


 エルネアが扉を開ける。


「入って」


「いいの?」


「いいよ」


「大事だから確認した」


「私も前に同じことを聞いた気がする」


「そうだったな」


 ハクアは入口の匂いをしばらく嗅いだ。


「どう?」


 エルネアが尋ねる。


 ハクアは答えない。


 それから、自分から中へ一歩入った。


「行くんだ」


「入っていいって言われたからな」


「ハクアの気持ちは?」


「嫌なら出る」


「それなら、たぶん大丈夫ね」


「たぶんじゃなくて、今は大丈夫だ」


「違いが分からない」


 俺も中へ入った。


     ◇


 最初に目に入ったのは。


「物、多いな」


「第一声がそれ?」


「だって多い」


「もう少し他にないの?」


「広い。明るい。俺の拠点より物が多い」


「結局そこに戻るんだ」


 机。


 椅子。


 棚。


 記録帳。


 重ねられた資料。


 小さな容器。


 採取袋。


 細かな道具。


 植物らしいものを入れたもの。


 壁際にも机の上にも、使う場所が決まっているように並んでいる。


「これ全部研究?」


「全部じゃない。生活のものもある」


「どれが生活?」


「布は寝具。あれは食器」


「食器まである」


「食べるからね」


「研究の合間に?」


「研究の合間じゃなくても食べるよ」


「そうなのか」


「ユウマは研究してる人間を何だと思ってるの?」


「ずっと机に向かってる人」


「食事は?」


「机で?」


「寝るのは?」


「机の下?」


「私を何だと思ってるの」


「研究者」


「研究者でも寝るよ」


「そうだった」


「納得するところ、そこ?」


 俺は部屋を見回す。


 机の近くは研究。


 少し離れたところは寝る場所。


 さらに、簡単な調理ができる場所もある。


「ここで食べる?」


「食べるよ」


「寝る?」


「寝る」


「研究する?」


「する」


「全部ここなんだ」


「大体は」


「風呂は?」


「ないよ。水場で済ませる」


「そこは俺と同じだな」


「そこだけ比べる?」


「大事なところだ」


 俺の拠点も、火や寝る場所、作業場所、物を置く場所が全部近くにある。


 形はかなり違う。


 エルネアの方が、ずっとちゃんとしている。


 でも、やっていることは少し似ている。


「何?」


 エルネアが俺を見る。


「研究するだけの場所だと思ってた」


「寝ないと思った?」


「そこまでは。ただ、もっと研究だけの場所かと」


「ここで生活してるから」


「そっか」


 研究者。


 そういう言葉が先にあった。


 でも、エルネアも食べる。


 眠る。


 道具を置く。


 暮らしている。


 当たり前だ。


 なぜか今まで、そこまで具体的に考えていなかった。


「また変なこと考えてる?」


「エルネアもちゃんと暮らしてるんだなって」


「何その言い方」


「研究しかしてない感じだったから」


「失礼」


「ごめん」


「本当に?」


「本当に」


「じゃあ、どう見えてたの?」


「森の中で植物を見て、記録して、また植物を見てる」


「だいたい合ってるけど、それだけじゃないよ」


「建物を直したり、掃除したり?」


「道具を整えたり、水を運んだり」


「研究以外も多いんだな」


「暮らしてるからね」


「そっか」


 エルネアは少し睨んだままだった。


 でも、口元は少し笑っている。


     ◇


 机へ近づく。


「これ」


 記録帳が何冊もある。


「全部書いたの?」


「そう」


「多い」


「長く調べてるから」


「どのくらい?」


 聞いてから、エルネアが少しだけ止まった。


「それはまた今度」


「あ」


 深く聞きすぎたらしい。


「分かった」


「気になる?」


「気になる」


「でも、今日は場所を見る日」


「次に聞ける?」


「いつかね」


「覚えておく」


「そういうところだけ覚えてるね」


「大事だから」


「何が?」


「エルネアのこと」


 言ってから、少しだけ空気が止まった。


「……研究のことだ」


 慌てて付け足す。


「分かってる」


 エルネアはそう言ったが、少しだけ視線を逸らした。


 別の棚を見る。


 小型の容器。


「採ったもの入れる?」


「ものによる」


「生きてるものも?」


「短い間なら。観察したら戻す」


「戻す場所は分かるのか?」


「採った場所を記録してる」


「そこまで書くんだ」


「戻せなくなると困るから」


「研究って大変だな」


「ユウマは簡単だと思ってた?」


「見るだけかと」


「見るだけでも、見たことを覚えておかないといけないよ」


「俺は覚えてる」


「本当に?」


「覚えてることは覚えてる」


「じゃあ、今度試す?」


「前に見た植物の場所を当てるとか?」


「そう」


「それは嫌だ」


「どうして?」


「外れたら困る」


「やっぱり覚えてないんじゃない」


「そういう意味じゃない」


 エルネアが笑う。


 別の容器を指す。


「これも外?」


「外で手に入れたものもあるし、昔からここにあるものもある」


「この建物に残されていた?」


「そう」


「使う前に、いなくなったのかもしれない」


 エルネアの声が少し低くなる。


「そういうこともある」


 紙。


 容器。


 金属の道具。


 布。


 加工された木。


 昨日、外の町の話を聞いた。


 今、その一部が目の前にある。


「外に行ったら、こういうのがあるのか」


「同じものが全部あるわけじゃないけど」


「でも作った人がいる」


「そう」


「金属の道具も?」


「もちろん」


「斧も?」


「あると思う」


「石斧より使いやすい?」


「使った人は、木を切るなら石より楽だと言ってた」


「やっぱり金属いいな」


「まだ見てもいないのに?」


「話を聞いただけで分かる」


「本当に?」


「たぶん」


「そこは信用できない」


 俺は自分の腰の石刃へ触れる。


「ここでもそれ?」


「目の前にあるから」


 エルネアが笑う。


「いつか、実物を見せてもらえるかもね」


「町へ行けば?」


「うん」


「エルネアも行く?」


「必要なら」


「必要じゃなくても?」


「ユウマが行きたいなら、考える」


「町は人が多いから?」


「それもある」


「エルネアも人が多いのは苦手か」


「苦手というより、疲れる」


「俺も疲れると思う」


「まだ行ってないのに?」


「想像しただけで」


「それは早いね」


     ◇


 ハクアは部屋の中を走り回らなかった。


 入口近くで匂いを嗅ぎ、少し歩いて、また止まる。


 初めての場所だからか、いつもより慎重だ。


「大丈夫?」


 エルネアが小さく声をかける。


 ハクアの耳が動く。


 それでも、外へ戻ろうとはしない。


「嫌なら出る」


「ユウマはハクアのこと、よく見てるね」


「一緒にいる時間が長いから」


「私より?」


「比べるものじゃない」


「そう?」


「エルネアはハクアと一緒に暮らしてない。だから、俺の方が分かることもある」


「じゃあ、私の方が分かることもあるね」


「あると思う」


「例えば?」


「エルネアの場所でのハクア」


「それは確かに、私の方が今日から詳しくなるかも」


 少しして、白い身体は壁際の空いている場所へ伏せた。


「あ」


 エルネアが小さく声を出す。


「伏せた」


「伏せたな」


「気に入ったのかな」


「まだ一回目だから分からない」


「ユウマでも分からないことがある」


「俺を何だと思ってる?」


「ハクアの専門家」


「そんなものじゃない」


「でも、私よりは詳しい」


「それはそう」


 エルネアが少し嬉しそうに笑う。


「触らないの?」


「ハクアから来たら」


「分かった」


 エルネアは少し離れた場所にしゃがみ、ハクアを見ている。


「近くに行きたいなら、行ってもいいぞ」


 俺が言う。


 ハクアは動かない。


「今は行かないみたい」


「そのうち変わるかもしれない」


「その時は教えて」


「ハクアが自分で行く」


「そうだった」


 俺もそれでいいと思う。


     ◇


「外も見る?」


「まだあるのか」


「少し」


「見る」


「即答」


「気になるから」


 建物を出て、裏手へ回る。


「これ」


 小さく開けた場所。


 他の森より、植物の並びが少し違う。


「植えてる?」


「少しだけ」


「研究用?」


「それもある」


「食べられるものは?」


「あるけど、主に観察用」


「食べるために育ててるわけじゃない?」


「そう」


 エルネアが近づく。


「状態を見たいものを少し」


 広い畑ではない。


 食料を大量に作る場所でもない。


 小さな栽培区画だ。


「俺もこういうの作れるかな」


「何を育てるの?」


「分からない」


「先にそこからね」


「場所があれば、後から決められる」


「普通は逆だと思う」


「俺のやり方だ」


「分かってる」


 育てたいものがあるわけではない。


 単に、近くで食べるものが取れたら便利そうだと思っただけだ。


「すぐできる?」


「植物による。それに、土の状態も見る必要がある」


「水が多すぎるか、日が当たるか、ほかの植物と合うか」


「考えることが多いな」


「だから研究する」


「育てるだけでも研究なのか」


「育ち方を見て、記録する。それも研究」


「やっぱり記録するんだな」


「ユウマも記録したら?」


「覚えてる」


「本当に?」


「今度は本当に」


「じゃあ、試してみようか」


「今日はやめておく」


「記録した方がいいと思うけど」


「エルネアが記録してくれるなら」


「自分でしなさい」


 何でもそうだ。


 簡単に答えは出ない。


 その近くで、水の音がした。


「水もある?」


「あるよ」


 少し歩く。


 小さな水場。


 生活に使える場所だ。


「飲める?」


「煮沸すれば」


「そのままは駄目か」


「私は飲まない」


「じゃあ、駄目なんだな」


「そう判断していいと思う」


 水面に木々が映っている。


「だからここに?」


「理由の一つ。建物が残っていたこと、道があったこと、調べたいものが周囲にあること」


「研究するには便利?」


「便利というより、都合がよかった」


「一人で暮らすには?」


「静かすぎる」


 エルネアは水面を見た。


 昔、ここに人がいた。


 建物を作った。


 道も作った。


 水も使った。


 今は、エルネアだけだ。


「寂しくない?」


 聞いてから、少し踏み込みすぎたかもしれないと思った。


 エルネアは水面を見たまま答えた。


「慣れないと、ここでは暮らせないから」


「そうか」


「でも、誰かが来ると少し違う」


「俺たち?」


「うん」


 エルネアがハクアを見る。


「二人増えた」


「ハクアも一人?」


「一匹って言った方がいい?」


「どっちでも」


「じゃあ、二人分くらい静かじゃなくなった」


「ハクアはあまり喋らないけど」


「歩く音や、息をする音がある」


「それで?」


「それだけでも、誰かがいるって分かるから」


 白い耳が動いた。


「本人に聞く?」


「答えられないだろ」


「多分」


「使うな」


 エルネアが笑う。


「でも、今のは少し分かる気がする」


「何が?」


「静かな場所に、誰かがいる感じ」


「俺のところも、エルネアが来るとそうなる」


「私、そんなに音を立ててる?」


「喋るから」


「それはユウマもでしょ」


「俺は必要なことしか言わない」


「本当に?」


「……たぶん」


「もういい」


     ◇


 少し休んでから、帰ることにした。


 日が傾き始める前に戻る。


「もう帰る?」


「暗くなる前に」


「まだ大丈夫だよ」


「大丈夫なうちに戻る」


「慎重ね」


「必要なことだ」


「はいはい」


 来た道を、今度は逆へ進む。


 エルネアが先。


 俺。


 ハクア。


 昔の道の跡を通り、歩きやすい場所を進む。


 やがて普通の森へ戻った。


 人工的な線が木々に隠れる。


「…………」


 何度か振り返った。


「気になる?」


「人が作った道が、森に戻っていく」


「草が生えて、木の根が出て、見えなくなるからね」


「人が使わなくなると、森になるんだな」


「森は、空いた場所を埋めるから」


「エルネアのところも?」


「少しずつ」


「手を入れなければ、いつか全部なくなる?」


「そうなるかも」


「エルネアがいる間は?」


「できるだけ残すつもり」


「研究のため?」


「それもある」


「それ以外は?」


 エルネアは少し考えた。


「ここが、私の帰る場所だから」


 その言葉が残った。


 ここには、人が暮らした跡が残っていた。


 今まで俺が歩いていた森とは少し違う。


「また来たい?」


「来てもいい?」


「もちろん」


「じゃあ来たい」


「建物が?」


「それもある」


「道?」


「それも」


「じゃあ、何が一番?」


「エルネアが暮らしてる場所だから」


 エルネアが少し黙った。


「……そう」


「変か?」


「ううん。変じゃないよ」


 割れ岩より先は、まだエルネアに案内されなければ歩けない。


 行ったことはある。


 でも、自分一人で安全に行って戻ってこられる場所ではない。


 まだ、俺の生活の道ではなかった。


     ◇


 割れ岩まで戻る。


「ここからなら分かる」


「本当に?」


「ここからは分かる」


「今度は信じていい?」


「うん」


 湿地。


 細沢。


 緩尾根。


 ここから先は何度も歩いた。


 三人で歩く。


 見慣れた場所へ戻っていく。


 しばらくして、エルネアが別れる場所で止まった。


「じゃあ、私は戻る」


「さっきのところに?」


「うん」


「俺たちも戻る」


「分かってる」


「なら聞くな」


「聞きたかっただけ」


「何を?」


「ユウマが、あの場所をどう思ったか」


 少し考える。


「気に入った」


「建物が?」


「それもある」


「道?」


「それも」


「じゃあ、何が一番?」


「エルネアがいたこと」


 言ってから、エルネアが黙った。


「……それは、場所の感想じゃないよ」


「でも、そう思った」


「そう」


 エルネアは前を向いた。


「じゃあ、また来て」


「うん」


「今度は、もう少しゆっくり見せる」


「今日も十分ゆっくりだった」


「まだ見せてない部屋もあるから」


「部屋もあるのか?」


「あるよ」


「次も行く」


「分かった」


 さっきまで、エルネアの帰る場所を見ていた。


 今まで、エルネアが帰ると言えば、森のどこかへ消えていくように感じていた。


 今日は違う。


 どこへ帰るのか、少しだけ知っている。


「じゃあ、また」


「うん。また」


 エルネアが歩き出す。


 数歩進んだところで、振り返った。


「ユウマ」


「何?」


「水、ちゃんと飲んでね」


「分かってる」


「火も消し忘れないで」


「分かってる」


「石斧の柄も、無理に使い続けないで」


「まだ使える」


「そう言うと思った」


「本当に使えるから」


「じゃあ、次に見た時に壊れてたら怒るよ」


「怒るのか?」


「心配する」


「それなら、壊れる前に直す」


「約束?」


「約束」


「分かった」


 銀色の髪が木々の間へ消える。


 俺とハクアは、自分たちの拠点へ戻る。


「帰るか」


 白い身体が先へ出る。


 エルネアには、エルネアの帰る場所がある。


 俺たちには、俺たちの帰る場所がある。


 今日は、その片方を初めて見た。


 そして。


 そこへまた行きたいと思った。

第92話を最後まで読んでいただき、ありがとうございます。


今回はユウマとハクアが、初めてエルネアの生活兼研究拠点を訪れました。


ただし、割れ岩より先はまだエルネアに案内された道です。


一度行った場所と、自分一人で安全に往復できる生活圏は別。


三者はそれぞれの帰る場所を持ったまま、互いの場所を知るようになりました。

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