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『魔法の使えない転生者、忌地の森をひらく』  作者: 森野余白
第七章「森の隣人」

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第91話 森の外

ハクアについて話した翌日。


ユウマはいつもの一日を過ごします。


そしてさらに翌日、エルネアが持つ身近な道具から、今までほとんど考えてこなかった「森の外」へ話が広がります。

 翌朝。


 目を覚ますと、ハクアはすでに起きていた。


 空き地の端に座り、森の方を見ている。


「早いな」


 白い耳がこちらへ向く。


「おはよう」


 返事はない。


 俺は火の方へ移動した。


 灰を崩す。


 残っていた赤いところへ乾いた葉を寄せ、細枝を重ねる。


 息を吹き込む。


 小さな火が戻った。


「よし」


 それから水を汲みに行く。


 戻って。


 食べるものを用意する。


 昨日まで乾かしていた草を触る。


「これくらいだな」


 一本を裂く。


 前より滑らない。


 繊維も切れずについてくる。


 昨日エルネアへ説明した、半分くらい乾いた状態。


 今日はちょうどよさそうだった。


「やるか」


 何本か裂く。


 細い繊維をまとめる。


 少しずつ撚る。


 全部を一度にやる必要はない。


 必要な分だけ作る。


 途中でハクアが森へ出ていった。


「行ってらっしゃい」


 昨日。


 エルネアにハクアとの出会いを話した。


 遠くにいたこと。


 魚を置いたこと。


 怪我をしていたこと。


 水を置いたこと。


 傷を水で洗い、服を裂いた布を巻いたこと。


 休める場所を用意したこと。


 少しずつ近づいてきたこと。


 思い返せば、随分前のように感じる。


「百日以上いるもんな」


 正確な日数は毎日数えているわけではない。


 それでも三か月以上経った。


 最初に目を覚ました頃とは、空き地の様子も随分違う。


 雨避け。


 火。


 棚。


 容器。


 石の道具。


 乾かしているもの。


 地図。


 そして。


 森へ消えた白い後ろ姿を見る。


「ハクア」


 今ではそれも、この場所にあるものの一つになっていた。


     ◇


 その日、エルネアには会わなかった。


 午前中は草の繊維を処理した。


 昼からは拠点の少し北側を歩き、落ちている枝を集める。


 夕方にはハクアも戻った。


「おかえり」


 白い身体が水を飲みに行く。


 俺は集めた枝を火の近くへ置く。


 普通の一日。


 最近、エルネアと会う日が増えた。


 でも。


 会わない日は会わない。


 それでいい。


 俺には俺の暮らしがある。


 エルネアには、エルネアのやることがある。


 火へ枝を一本足す。


「明日は何するかな」


 ハクアはすでに伏せていた。


 その日は、それで終わった。


     ◇


 さらに翌朝。


 少し風があった。


 雨避けの端に吊るしていた草がゆっくり揺れている。


「乾くな」


 朝のうちに水を汲む。


 戻ってから石の刃を一つ取り出した。


 昨日、繊維を裂く時に何度か使ったものだ。


 刃先を見る。


「少し鈍った?」


 指で慎重に触れる。


 切れなくなったわけではない。


 でも、最初より引っかかりが弱い。


 平らな石を持ってきて、刃先を軽く擦る。


 角度を変える。


 また擦る。


「こんなもんかな」


 何度やっても。


 金属の刃とは違う。


 当然だ。


 エルネアのナイフを思い出す。


 薄く。


 真っ直ぐで。


 植物を切った跡も綺麗だった。


「金属、いいよな」


 今まで何度か思った。


 初めてエルネアのナイフを見た時もそうだった。


 でも。


 ないものは仕方ない。


 石でできる範囲を使ってきた。


「斧とかあったらな」


 今度は腰の石斧を見る。


 木を切る。


 枝を払う。


 細いものなら使える。


 ただし時間がかかる。


 刃も欠ける。


 柄との固定も何度か直している。


「金属の斧なら、もっと楽なんだろうな」


 独り言を言いながら石を擦っていた時。


 森の方で枝が鳴った。


「ん?」


 ハクアが顔を上げる。


 鼻先がそちらへ向く。


「エルネア?」


 少し待つ。


 木々の間に銀色が見えた。


「やっぱり」


 エルネアが歩いてくる。


「こんにちは」


「こんにちは」


 肩には鞄。


 腰にはいつものナイフ。


 手には記録帳を持っていた。


「今日は記録しながら?」


「少し前まで」


 エルネアは空き地の前で止まる。


「入っていい?」


「どうぞ」


 中へ入ってくる。


 ハクアを見る。


「こんにちは、ハクア」


 白い耳が動いた。


 エルネアも、もうそれだけで大きく騒がない。


 少し口元が緩む程度だ。


「何してたの?」


「これ」


 俺は石の刃を上げた。


「少し鈍ったから」


「研いでた?」


「研ぐってほどちゃんとしてるか分からないけど」


 平らな石も見せる。


「擦ってる」


 エルネアが近くへしゃがむ。


 俺の石刃を見る。


「これ、ずっと使ってるんだよね」


「同じやつじゃないけど」


 欠けたら作り直す。


 形が悪くなれば別の石を使う。


「何個目かは覚えてない」


「金属が欲しいとは思わない?」


 視線が自然にエルネアの腰へ向く。


「思う」


 即答した。


「特に最近」


「最近?」


「エルネアのそれ見てから」


 ナイフを指す。


「切り口綺麗だし」


「これ?」


 エルネアが腰の鞘へ触れる。


「普通のナイフだけど」


「俺には普通じゃない」


 俺の刃は石だ。


 エルネアの刃は金属。


 差は見れば分かる。


「そういえば」


 俺は少し考える。


「それ、どこで作ったの?」


「私が作ったわけじゃないよ」


「じゃあ誰?」


「職人」


「職人?」


「金属を加工する人」


 それは分かる。


 金属を熱して。


 叩いて。


 形にする。


 そういうものがあること自体には驚かない。


 俺がやったことがないだけだ。


「この森にいる?」


「いない」


 答えはすぐだった。


「じゃあ外?」


「外」


 その一言で。


 少し前から頭の中にあったものが、急に近くなった気がした。


 森の外。


 エルネアから、その存在自体は聞いている。


 人がこの森へあまり入らないこと。


 大陸共通文字が森の外でも使われていること。


 でも。


 具体的にどういう場所なのかは、ほとんど知らない。


「外って」


「何?」


「どんなところ?」


 エルネアが少し止まった。


「どこから?」


「……そこから聞かれると困るな」


「私も今そう思った」


 少し笑われる。


 俺は石の刃を横へ置いた。


「じゃあ、一個ずつ」


「ユウマが言う?」


「使えるから」


 エルネアも火から少し離れた、いつもの場所へ座る。


「何が知りたい?」


 俺は考える。


 森の外。


 最初に浮かんだもの。


「人が住んでる?」


「住んでる」


「たくさん?」


「場所によるけど、この森の中よりはずっと会うと思う」


「町とかある?」


「あるよ」


「町」


 言葉自体は知っている。


 人が集まって暮らす場所。


 家が並び。


 道があり。


 いろんなものがある。


 そのくらいのイメージはある。


「大きい?」


「それも町による」


「小さいところも?」


「ある」


 エルネアは少し考える。


「何十軒か建物が集まってるくらいの場所もあるし、もっと人が多いところもある」


「へえ」


 想像する。


 建物が何十。


 俺の空き地にある雨避けとは違う。


 エルネアの研究拠点の古い建物にも驚いた。


 それがいくつも並ぶ。


「道もある?」


「ある」


「森の獣道みたいな?」


「もっと歩きやすいところも多いよ」


 エルネアが笑う。


「人が何度も通るから」


「目印なくても行ける?」


「普通の道なら」


 それはかなり便利だ。


 俺は森を歩く時、木や岩を覚える。


 目印もつける。


 地面の状態も見る。


 外の道なら、人が通るための道そのものが続いているらしい。


「人と会う?」


「道なら会うこともある」


「知らない人と?」


「うん」


 少し不思議だ。


 この森で。


 三か月以上。


 最初に会った人がエルネアだった。


 だから、人と会うこと自体がまだ特別に感じる。


 外では。


 知らない人が歩いている。


「みんな何してる?」


「いろいろ」


「雑じゃない?」


「質問が広いの」


 言われて納得する。


「じゃあ」


 次。


「食べ物とかどうしてる?」


「買う人もいるし、自分で作る人もいる」


「買う」


 聞き慣れた言葉のはずなのに。


 今の俺には少し遠い。


「店?」


「店もあるし、市場もある」


「市場」


「食料とか、道具とか、いろんなものを売ったり交換したりしてる」


「交換も?」


「あるよ」


 俺は自分の周囲を見る。


 食べるもの。


 木。


 石。


 草。


 全部自分で探した。


 作れるものは作る。


 作れなければ諦める。


 それが今の生活だ。


 外では。


 自分で作れないものを、誰かから手に入れられるらしい。


「じゃあ」


 エルネアのナイフを見る。


「金属の道具も?」


「売ってる」


 やっぱり。


「斧は?」


「ある」


「金属の?」


「あるよ」


 反応が早すぎたのか。


 エルネアが少し笑った。


「そこ?」


「そこ」


 俺は腰の石斧を取った。


「これで木切ったことある?」


「ない」


「時間かかるぞ」


 石斧を持ち上げる。


「細い木でも何回も叩くし、刃欠けるし、柄もずれる」


「金属の斧が欲しい?」


「欲しい」


 また即答する。


 今度はエルネアがはっきり笑った。


「そんなに?」


「三か月これ使ってから言ってくれ」


 石斧を見せる。


「かなり頑張ったんだぞ」


「それは見れば分かる」


 刃。


 柄。


 固定した繊維。


 何度も直した跡。


「金属なら、もっと切れる?」


「ちゃんとした斧なら」


「丈夫?」


「石よりは、かなり」


「いいな……」


 思わず声が出る。


 ナイフもいい。


 斧もいい。


 小さな刃物でも、今よりずっと作業が楽になるはずだ。


「鍋とかも金属?」


「ある」


「鍋」


 今度は火の方を見る。


 焼き物。


 樹皮の容器。


 火に直接かけられるものは限られている。


「欲しいもの増えるな」


「外の話、そこに行くのね」


「生活で使えるものが一番分かりやすい」


 町の大きさより。


 人の数より。


 今はそっちの方が想像しやすい。


「金属製品を作る人がいる」


「いる」


「それを売る店も?」


「ある」


「食べ物も?」


「ある」


「じゃあ、自分で全部作らなくていい?」


「外ではそういう暮らしの人の方が多いと思う」


「…………」


 少し黙る。


 それは。


 今の俺とはかなり違う。


 何かが必要になる。


 探す。


 試す。


 作る。


 失敗する。


 直す。


 それを繰り返してきた。


 外では、誰かが作ったものを手に入れられる。


「楽そう」


「全部が楽ってわけじゃないと思うけど」


「少なくとも斧は楽」


「斧から離れないね」


「欲しいから」


 エルネアがまた笑った。


     ◇


「そういえば」


 俺は少し考える。


「外にいるのって、人間だけ?」


「違うよ」


「アルヴェインも?」


「いる」


「エルネアみたいな?」


「私みたいな、が何を指してるかによるけど」


「耳」


 反射的に答える。


「また耳」


「分かりやすいから」


「まあ、アルヴェインもいる」


 エルネアは自分の耳へ一瞬触れた。


「ほかにも?」


「いるよ」


「どんな種族が?」


「それは今説明し始めると長い」


「じゃあやめる」


「早い」


「今日は外の話だから」


 俺は最近学んだ。


 一つの知らないことから、別の知らないことへ進むと終わらなくなる。


「人間以外も町に住んでる」


「そう」


「一緒に?」


「場所によるけどね」


「分かった」


 今はそれで十分だ。


 外には。


 町がある。


 道がある。


 市場や店がある。


 食料や道具を売ったり交換したりしている。


 金属を加工する職人がいる。


 人間以外の種族もいる。


 今まで。


 森の外という言葉だけだった場所に。


 少しだけ形ができた。


「エルネアは行ったことあるんだよな?」


「あるよ」


「よく行く?」


「たまに」


「たまに?」


「必要な時に」


 俺の視線が。


 ナイフ。


 衣服。


 記録帳。


 鞄。


 順番に動く。


「それも?」


「外で手に入れたものもある」


 やっぱりそうだ。


 エルネアがここで全部作っているわけではない。


「外まで遠い?」


 聞く。


 エルネアが少しだけ考えた。


「それは」


 そこで止まる。


「何?」


「ユウマの今の生活圏から考えると、簡単に行って帰れる距離ではないかな」


「そっか」


「道も知らないでしょう?」


「知らない」


 俺が一人で行こうとしても。


 今はどちらへ進めば森を出られるのかすら分からない。


 それに。


 外へ行く途中の水。


 危険。


 戻る道。


 何も分からない。


「今すぐ行くのは無理だな」


「一人では勧めない」


「行くなら?」


「まず道を知ってから」


「それはそうだな」


 俺自身もそう思う。


 知らない場所へ。


 知らないまま進む。


 これまで森の探索で、何度も避けてきたことだ。


 外だからといって変える理由はない。


「でも」


 エルネアが俺を見る。


「興味はある?」


「ある」


 今度は迷わなかった。


 町。


 道。


 市場。


 店。


 金属の斧。


「特に斧?」


「斧はかなり」


「そこは分かった」


 エルネアが小さく笑う。


 そして。


 少し間を置いて。


「ユウマは、外に行きたい?」


 聞かれた。


「…………」


 すぐには答えなかった。


 森の外。


 人がいる。


 道がある。


 自分で全部作らなくてもいい。


 金属の道具も手に入る。


 少し前まで。


 外についてほとんど何も知らなかった。


 そもそも。


 どこに人がいるのかさえ分からなかった。


「行きたくない?」


「いや」


 違う。


「見てみたいとは思う」


 それは本当だ。


 どんな町なのか。


 人はどう暮らしているのか。


 金属の道具はどのくらい便利なのか。


 知らないものは多い。


「じゃあ行きたい?」


「…………」


 もう一度考える。


 火。


 雨避け。


 棚。


 道具。


 水場。


 池。


 湿地。


 細沢。


 自分で覚えた森の道。


 そして。


 空き地の端で伏せているハクア。


 ここで百日以上。


 少しずつ作ってきた。


 最初は。


 ここしかなかった。


 どこへ行けばいいか分からなかった。


 だから。


 生きるためにここにいた。


 でも今は。


 少し違う。


 外があると知った。


 人が暮らしていることも知った。


 エルネアは、そこへ行ったことがある。


 いつか。


 道を知れば。


 俺にも行けるのかもしれない。


「今は」


 口を開く。


「まだいいかな」


 エルネアは何も言わない。


「興味はあるよ」


「うん」


「金属の斧も欲しい」


「それも分かった」


「でも」


 俺は拠点を見る。


「今すぐここを出たいとは思わない」


 外へ行けないから。


 仕方なくここにいる。


 今は、そうではない気がする。


「まだやることあるし」


 草の処理。


 道具。


 食べるもの。


 まだ行っていない場所もある。


 直したいものもある。


「ハクアもいる」


 白い耳が動いた。


「お前のこと言ったぞ」


 白い顔が少し上がる。


 それを見て。


 自然に笑った。


「だから、今はいい」


 エルネアを見る。


「いつかは行くかもしれないけど」


「うん」


 エルネアはそれだけ答えた。


「行けって言わないんだ」


「どうして?」


「外の方が普通なんだろ?」


「普通だから行かなきゃいけないわけじゃないでしょう?」


「…………」


 少し意外だった。


「それもそうか」


「ユウマがここで暮らしたいなら、今はそれでいいと思う」


「エルネアもここにいるしな」


「私は研究があるから」


「俺も生活がある」


「同じ?」


「大体」


「雑」


 いつもの返事が返ってきた。


 俺も笑う。


     ◇


 そのあと。


 エルネアは少しだけ記録を書いた。


 俺は石の刃をまた擦る。


 話していたのは森の外。


 でも。


 手の中にあるのはいつもの石だった。


「……斧」


 小さく呟く。


「まだ言ってる」


「だって欲しい」


「いつかね」


「いつか?」


 顔を上げる。


 エルネアは記録帳から目を離さない。


「外に行くことがあれば」


「…………」


 そういう日も。


 来るのかもしれない。


 でも。


 今日は違う。


「じゃあ今はこれでいいか」


 石の刃を持ち直す。


 擦る。


 削る。


 確かめる。


 いつもの作業。


 外には。


 町がある。


 道がある。


 人がいて。


 店があって。


 金属の道具もある。


 今日。


 初めて少し具体的に知った。


 それでも。


 明日の朝。


 俺はまた水を汲むだろう。


 火を起こす。


 ハクアと森を歩く。


 今は。


 その暮らしをやめる理由はなかった。

森の外には、町や道、市場、店、そして金属製品を作る職人たちがいます。


ユウマは外の暮らしに興味を持ち、特に金属の道具には強く惹かれました。


それでも答えは「今は、まだいいかな」。


外という選択肢を知った上で、ユウマは今の森での暮らしを選びます。

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