絡みつく念
そこにいたものは何なのか。その手のあとは何なのか。
友人の腕に残る不安の痕跡。
その手を引いて向かったのは、やはりあの人のところだった。
「すみません、急に押しかけてしまって」
私は沖山さんに言う。
「少し急いでたもので。
でも良かった、沖山さんにすぐに会えて。
あ、この子は真壁さんって言うんです。私の友達」
真壁さんは申し訳なさそうに頭を下げる。
「でね、沖山さん。さっそく相談なんですけど…」
「待て。ひとまず待て」
沖山さんが私の言葉を止める。その目はとても不機嫌そう。
両手に持った洗剤も重そうだ。
「お前、今俺が何をしてるかはわかってるか?」
「…棚に洗濯洗剤ならべてますね」
「そう、バイト中だ。見ればわかるよな?」
ここはうちの町内にあるスーパー。沖山さんのバイト先。
昼休みに真壁さんの話を聞き、その放課後のこと。
私は彼女を連れて沖山さんに会いにきた。
今日はバイトだと知っていたので、直接ここに来たのだ。
売り場に商品補充をしているところだった沖山さん。
従業員用の緑色のエプロン姿がなんだかかわいい。
両手に持った洗剤のボトルには、部屋干しOKと書いてある。
「えーっと…
でね、沖山さん。さっそく相談なんですけど…」
「おい、だから待て。バイト中だって言ってるだろ。
急に来られても邪魔だ。話ならまた今度にしてくれ」
沖山さんは突き放すように言う。
「そんな事言わないで下さいよ。助けて欲しいんです。
私の友達がちょっと困ってまして」
「知らん。またお化けでも見たのか」
「はい、そうみたいです。
ちょっと変な症状も出ちゃってまして…」
「…まじか」
沖山さんは面倒くさそうにしながらも、
私の言葉に反応して、真壁さんを見た。
すると、沖山さんの顔つきが少し変わった。
真壁さんの全身を眺めて、視線が左腕に止まる。
「お前…その腕、見せてみろ」
「あ、はい」
真壁さんは少し驚きながらも、袖をまくる。
そこには、さっきの手のあとが浮かんでいる。
沖山さんはそれをじっと睨み、黙る。
私は話しかけた。
「ねえ沖山さん、これ、あんまり良くない気がして…
そのままにしない方がいいと思うんです。
やっぱり何か、悪いものですか?」
「…ああ、そうだな」
沖山さんはそうつぶやくと、真壁さんに聞く。
「なあ、お前、この腕痛むか?」
「少しだけ」
「そうか…
わかった、もうしまって大丈夫だ。ありがとう」
沖山さんは、そのまま何か考え始めた。
そこに、一人の女性が話しかけてくる。
「あら、沖山さん。
その子達はお知り合い?」
従業員用の緑のエプロン姿。
沖山さんよりも年上だろうか。綺麗な女性だ。
「店長、すみません。
まあ知り合いみたいなもんです」
「なにか困り事でもあったの?」
「はい、まあ…」
沖山さんは申し訳なさそうな顔をする。
その女性、店長さんは、優しくニコリと笑った。
「わかったわ。沖山さん、今日はここまでで良いから、
早上がりしたら?」
「すみません…」
「大丈夫よ、その子達が困ってるなら、助けてあげてね」
店長さんは沖山さんにそう言うと、
私たちにも優しそうな笑顔を向けてくれた。
「ありがとうございます」
沖山さんは店長さんに丁寧に頭を下げる。
私達も、それに倣って頭を下げた。
「…お前ら、少し待ってろ。
じいさんの寺で場所借りて対処する。一緒に行くぞ」
沖山さんは手に持っていた分の洗濯洗剤を棚に置くと、
後片付けをしてバックヤードに入っていった。
…
帰り支度を終えた沖山さんと3人でスーパーを後にする。
お寺までの道中、私は自転車を押しながら、
真壁さんから聞いた昨日の出来事を沖山さんに説明した。
「なるほどな。それはなかなか変なもんに遭ったな」
沖山さんは真壁さんの方を向く。
「お前…真壁さんって言ったか。あまり心配しなくていい。
腕についた手のあとはすぐ消せる」
「本当ですか?」
真壁さんは少し不安が和らいだようで、
ほっとした顔を見せる。良かった。
「それにしても沖山さん、
さっきの店長さん、優しい人ですね。
早退するのあっさり許してくれて」
「あの人は俺がこういう依頼受けてるの知ってるからな。
前園のじいさんとも知り合いだよ」
「そうなんだ」
「だからって、店に迷惑かけたのは間違いないからな。
今後はバイト中に邪魔しに来るなよ」
不機嫌そうな顔で言う。
でもそんな態度を取りながらも、
さっき沖山さんが真壁さんの腕を見てくれてた時
真剣で優しい目をしていたのを私は知っている。
やっぱり、いい人だ。
…
お寺の前に着く。
「お前達は先に入っててくれ。
俺は荷物取ってくる」
沖山さんはそういうとお寺を通り過ぎて、
自分のアパートの方に歩いていった。
私達はお寺に入る。
「おや、美風ちゃんいらっしゃい」
境内にいた前園さんが迎えてくれる。
「こんにちは。
前園さんすみません、ちょっとお邪魔します。
この後沖山さんも来るので」
「沖山くんもか?彼は今日バイトじゃなかったかな。
…なるほど」
前園さんは真壁さんを見て、何か納得したようだ。
「なんか、場所借りたいだけみたいですよ」
「場所か、そうだな…」
前園さんは本堂の建物の横にある休憩所を指さす。
「休憩所を使っていいから、お上がりなさい」
「はい、ありがとうございます。
真壁さん、行こう」
「うん…
すみません、お邪魔します」
真壁さんは恐縮している。
きっとお寺にまで連れてこられて、
自分が思っていたよりも大きな話になってしまったと
感じているのかもしれない。
いつものおてんばはすっかり鳴りを潜めている。
「大丈夫。この住職さんは私の昔からの知り合いだから。
気楽にしてて」
「そうなんだ。なんかごめんね」
「大丈夫大丈夫」
前園さんは私達のやり取りを見て優しく笑うと、
お寺の事務室に戻っていく。
私達は休憩所に上がって、畳の上に腰を下ろした。
休憩所は少し古めの和室の部屋になっている。
窓は大きく開けられ、その下に置かれた昔ながらの
扇風機が首を振っている。
壁際には棚があり、その上には大きなやかん。
「美風ちゃん、そのやかんに麦茶入ってるから、
飲んでいいからね」
前園さんが事務室から声をかけてくれる。
「はーい、ありがとうございます」
私は返事をして棚からグラスをとり、
やかんに入っていた冷たい麦茶を注ぐと
真壁さんに差し出した。
「はい、どうぞ」
「ありがとう」
真壁さんはグラスを受け取ると、一口麦茶を飲む。
自分の分も注いで、私も飲む。
そのまま、休憩しながら沖山さんを待つ。
畳の感触をお尻に感じつつ、窓の外に広がる空を見上げる。
扇風機の風。やかんの表面に付いた水滴が一筋流れ落ちる。
「ここ、落ち着くね」
真壁さんが言う。
「このお寺、昔からの遊び場でね。
小学生の頃は近所の友達と毎日ここ来て遊んでたんだ」
「あー、いいね、そういうの。
うちは小学生の頃は親が転勤ばっかしてたから、
そんな昔からの場所とかないんだよね」
「そっか」
「海野さんの家もこの近くなの?」
「そうだよ、少し歩いたところ。
ちなみにさっきの沖山さんもここのすぐご近所さん」
「そうなんだ。
…あ、ほら、ちょうど戻って来たよ」
真壁さんが窓の外を指さす。
沖山さんがリュックを持って境内に入ってきていた。
私は窓から沖山さんを呼んだ。
「沖山さーん、こっちです」
沖山さんはこちらに気づいて、休憩所にやってきた。
「なんだ、本堂の方に行かなかったのか」
「前園さんがこっち案内してくれたんです」
「そうか」
沖山さんは休憩所に上がってきて、腰を下ろした。
「さて、そしたらやるか。
真壁さん、また腕を出してくれるか」
「はい」
真壁さんは袖を肩までまくり、手のあとを見せる。
沖山さんはリュックから、瓶を取り出した。
栄養ドリンクくらいの大きさの、透明の瓶。
「あ、これこの前の…」
それは沖山さんがあの影に使った、液体の入った瓶だった。
「そういえば沖山さん、これって何なんですか?」
「中身の事か?水だ」
「水?」
私は瓶を眺める。瓶いっぱいに入った透明な液体は、
確かに普通の水のようだ。
「ある山でとってきた湧き水でな、
そこの寺の偉い坊さんが念仏あげてくれた水だ。
この間みたいな悪い奴らにも効くし、今回も使える」
「へえ」
「ちなみに水自体は本当に普通の水だから、
喉乾いてたら飲んでもいいぞ」
「え…飲まないですよ」
「一本150円な」
「いいですってば…」
さすがに飲むのはなんだか抵抗がある。
沖山さんはその水を真壁さんに手渡して言う。
「ハンカチかなんかにこれを染み込ませて、
腕についた手のあとをよく拭いておけ。
じっくり馴染ませるように。それだけでいい」
「あ、はい」
真壁さんは渡された水をハンカチに染み込ませて、
言われた通りに腕を拭く。
「沖山さん、それだけでいいんですか?」
「こびりついただけの念だからな。これだけで十分だ」
「念…?
これ、いったい何なんですか?」
私が聞くと、沖山さんは説明してくれる。
「さっきの話を聞く限りでは、その地下通路にいたのは多分
強い怨念でも持った地縛霊みたいなもんだ」
「やっぱり幽霊なんですね」
「多分な。実際には見てないから知らん。
その腕についてる手のあとは、そいつにぶつかった時に
べったりなすられた、念の一部みたいなもんだろう。
だからその水で拭くだけで十分落ちるはずだ」
「…油汚れみたいに言いますね」
私は思わず言う。
沖山さんは真壁さんに向きなおる。
「数分間それで拭いておくといい。
あんまり強くこすると痛くなるからな。
ゆるく、ゆっくりでいい」
「はい、ありがとうございます」
真壁さんはハンカチで腕を押さえながら頭を下げた。
「まあどちらかと言うと、
問題はその地下にいた奴、本体の方だろうな」
沖山さんは面倒くさそうに言う。
「どういう事ですか?」
「ぶつかっただけでこんな風になるような
怨念ばら撒いてる奴が、その地下通路にいるって事だ」
「それは、嫌ですね…」
「まあ、これ以上俺らが何かするわけでもないし、
考えても仕方ないけどな」
沖山さんは荷物を片付け始める。
あれ。
「何もしないんですか?」
「ん?」
「駅のその人影。何とかしないんですか?」
沖山さんは片付けの手を止めて、怪訝そうに私を見る。
「…するわけないだろ。
真壁さんの腕が治ればそれで終わりだ」
「でも、真壁さんはこれからもあの駅使うんですよ?」
「…」
「このままじゃ心配じゃないですか」
「…まじで言ってんのか?
その原因まで何とかしろと?」
「はい、こんな話聞いてしまったわけですし、
元を何とかするまで終われないですよ。
沖山さん、助けてほしいです」
私がそう言うと、沖山さんは心底嫌そうな顔をする。
やらなくていい事には極力首を突っ込みたくない、
そんな感じだろうか。
でもあの駅は真壁さんや優花、他にもうちの生徒の多くが
毎日使ってる駅。友達がこれ以上危険な目に遭う可能性を、
放っておけない。
あと、私もたまに使うし。
私が引かないでいると、沖山さんは大きくため息をついた。
「…わかった。じゃあ一つ条件がある」
「条件?」
「まださっきの話を聞いただけだから、
実際に駅にいた奴が何なのかはわからん。
ただ、俺の予想では地縛霊の類の気がする。
地縛霊になるって事は、そこで何かそれ相応の出来事が
あったはずだ。それを調べてこい。
原因がわからないと、対処できない事だってあるしな」
「え…私だけでその通路調べろっていうんですか…?」
私はこわばる。
「違う。いいか?その通路には絶対に一人で行くな。
そうじゃなくて、ネットでも何でもいいから
あの通路で過去に起こった事件やら事故やらが
何かないか調べとけって言ってるんだ。
もし関連してる出来事がわかれば、
そいつを何とかするのは手伝ってやる」
「なるほど…わかりました」
さすがに一人で問題の地下通路に行くのは怖いし嫌だ。
でも調べ物なら大丈夫。いくらだってやる。
沖山さんは真壁さんの方を向き、腕の様子を見る。
「手のあとはどうだ?」
「はい。薄くなってきました。
強くこすってもいないのにだんだん落ちてきて。
浮かせて落とす、みたいな感じ。
すごいですね、これ」
「…油汚れみたいに言うな」
沖山さんは思わず言う。
「でもまあ、これでもう後はほっといても消える。
心配ならこの瓶もう一本やるから、持っとけ」
「はい、ありがとうございます」
「使わなかったら飲んでいいからな」
「ふふ、じゃあ余ったら飲んでみますね」
真壁さんは笑いながら言う。
いつもの元気が出てきたみたいだ。
そこに、前園さんも入ってきた。
「すまんね、遅くなった。
おや、もう終わったのかな?」
「じいさんか。大丈夫だ、もう終わった」
「そうか。それはよかった。
スイカを切ってきたから、食べて行きなさい」
前園さんの手にしたおぼんには、
三角に切られた美味しそうなスイカがたくさん。
みんなでいただくことにした。
私はスイカをかじりながら考える。
(あの地下通路で起こった出来事…。
あの駅、なんか大きな事故とかあったっけな…)
ぼんやり空を眺める。
青空の向こうには、真っ白な積乱雲が膨らんでいた。




