夜に沈む、地下の小道
静かな夜の、寂れた暗がり。
溜まった空気をかき乱しながら、
それは走っている。
朝。
今日も私は自転車にまたがり学校に向かう。
見上げれば、そこには視界いっぱいの青い空。
そして、憎たらしい程の太陽の光。
(この日差しさえ無ければ、良い朝なのにな…)
そんな事を思いながら、私はペダルを踏む。
川沿いに出ると、水面に太陽の光が反射して輝いて見える。
暑いけど、いつも通りの朝。
学校に着いて、私は教室に入った。
教室の中はまだ人が少なく、生徒が数人いる程度。
「おはよー」
クラスメイト達と挨拶を交わして自席に座る。
鞄からハンディ扇風機を出して風を顔にあてながら、
今日の時間割に目をやった。
一限目は、数学。
(うわ、やだな)
朝から数学はちょっとやる気が起きない。
だからといって他の授業なら良いかというとそうでもない。
朝一の授業なんて何であっても嫌だ。
結局、毎日こうやって不満に思いながらも
授業を受けていくしかないのだ。
そこに、友人の優花が入ってきた。
「優花、おはよー」
「あ、美風、おはよ…」
「あれ?元気ないね」
「うん…ちょっとねー。
もうさ、朝からいい加減にしてほしいわ…」
「何かあったの?」
優花は浮かない顔をしている。というか疲れ果てている。
机に鞄を下ろすとため息をついて、私の横にやってきた。
「聞いてくれる?」
「いいよ」
私が頷くと、優花は話し始めた。
「隣のクラスの、真壁 真菜って知ってる?」
「うん知ってる。私、去年クラス一緒だったよ。
優花も放課後とか、よく真壁さんと一緒にいるよね」
「うん。あの子と私、使う電車が一緒でさ。
今日も二人で一緒に乗ってきたんだけど…
なんか今日は朝から変な相談してくるのよ」
「変な相談?」
聞きながら私は水筒を出してお茶を飲むと、
扇風機の風をおでこにあてて冷やす。
「なんかね、
昨日の夜に駅で心霊現象見ちゃった…
なんて言うのよ。
本人は真面目に話してるみたいなんだけどさ。
それ見てから腕が痛い、みたいな事も言うし…」
「へえ」
私はスカートを持ち上げて、足元をパタパタとあおぐ。
「私がホラー話苦手なのはあの子も知ってるはずなのに、
まったくもう…」
「大変だったねえ」
私は鞄から汗拭きシートを取り出し、
後ろ髪を少し持ち上げて首を拭く。
冷たくて気持ちいい。
「こら美風、真面目に聞きなさいよ」
優花が私の頬をつまんでくる。
「いたい…」
「あ、そうだ!
美風さ、真壁さんの相談聞いてあげてよ。
そういうの好きでしょ?」
「そういうのって、どういうの?」
「ホラー小説とか」
「別にホラーは読んでないよ…」
「とにかく。あっちにも伝えておくからさ、
昼休みにでもあの子の相談聞いてみてよ」
優花に肩をバン、と叩かれる。
こうして、私は真壁さんの相談を聞く事になってしまった。
昼休み。私は真壁さんと廊下にいた。
肩までの黒髪と切れ長の目。知的なイメージの彼女。
落ち着いた性格で、制服も着崩したりしない。
ちなみにバスケ部。
「お疲れ。真壁さんと話すの、ちょっと久しぶりだね」
「ごめんね海野さん、時間貰っちゃって。
荻原さんが、海野さんなら心霊現象に詳しいから
相談したらいいって」
荻原とは、優花の事だ、荻原優花。
そして私は別に心霊現象に詳しくなんかない。
(優花、適当な事吹き込んだな…)
「まあ、私でわかる事があれば聞くよ。
で、真壁さん、駅でなんか変なもの見たんだって?」
「あ、そうなんだよ。
…信じにくいと思うけどさ、ちょっと聞いてくれる?」
真壁さんは話し始めた。
「向こう岸のショッピングモールに映画館あるでしょ?
昨日、私そこでレイトショーで映画観たのよ」
「へえ、何観たの?」
「炭酸畑」
「あー、いいな。あれ観たんだ」
先週から始まった新しい映画だ。恋愛物。
「で、映画観終わってちょっと甘い物食べたくなったから
ファミレスでアイス食べながらパンフとか見てたのよ。
でも時間すっかり忘れてて、気づいたら23時近くでさ…」
「え、それって制服のまんまで?」
「そう。パンフに夢中になりすぎて、なんとなく時計見たら
そんな時間でさ。怒られる前に急いで帰ったわ」
真壁さんはカラカラと笑う。
そう、この子はこういう子なのだ。
一見しっかりした真面目な人に見えるけど、
中身はおてんばそのもの。大胆な事も平気でやる。
制服姿でそんな時間に歩いてたら、
補導員に見つかって注意されてもおかしくない。
「でね、慌てて帰る事にして駅に向かったんだけど…
普段使う時とは違う入り口から入ったのと、
あと考え事しながら歩いてたのもあって
間違って自分の帰る方向とは反対のホームに
降りちゃってたのよ」
「あらら」
「気づかないままなんとなくホームの端までいって
電車待ってたんだけど、ちょっとしてから
自分が反対側にいる事に気づいてさ。
向かいのホームに渡るために、ちょうど横にあった
地下通路の階段使ったの」
この駅は、一般的な地下鉄の駅だ。
改札階には東西それぞれに向いた二つの改札口があって、
改札を入ると1番線、2番線に降りるエスカレーターがある。
片方のホームから向かいのホームに行くなら、
普通はこのエスカレーターで改札階に戻って、
改めて反対のエスカレーターを降りる事になる。
でも、実はエスカレーターとは別に、ホームの端に
線路の下をくぐるような作りの古い通路がある。
こちらはエスカレーターも無く薄暗く狭い通路なので、
この時の真壁さんのようにホームの一番隅っこにでも
いない限りほとんど誰も使わない。
真壁さんは、その通路を通ったようだ。
「階段降りて通路通ってたのよ。
他に誰もいなかったし、ぼーっと歩いてて。
…そしたらさ、なんか声が聞こえて」
「声…人の?」
「うーん、アアアアアー、みたいな叫び声。
最初はすごい遠くに微かに聞こえるくらいだったけど、
だんだん近づいてきて大きくなってきてさ。
反響してどこから聞こえてるのか分からなくて、
後ろを確認したんだけど、誰もいなくて。
でね…」
真壁さんは少し顔をこわばらせた。
「正面に目線戻したらさ、今まで誰もいなかったはずが、
目の前から人が走ってきてたのよ」
「いきなり?」
「そう、いきなり。
しかも全身オレンジ色に光ってて、
人っていうか、輪郭だけの人影みたいな感じかな」
(人影…)
私は一瞬、この間の影を思い出した。
「もう目の間まで来てて避けることもできなくて、
その人影に片手で横に押しのけられるような感じで
ドンッて腕突き飛ばされてさ」
「うわ…」
「私その場に尻もちついちゃったんだけど、
すぐに後ろを振り返ったのよ。
そしたらそれ、すごい速さで奥の壁に向かって
突っ込んでいって、壁の直前まで行ったとたんに、
倒れ込むみたいに崩れて、
あっという間に地面に吸い込まれて消えちゃった」
もしそれが本当なら、もちろんそれは人間ではない。
普通なら話の真偽から疑うような内容だけど、
私はこの間、真壁さんの話を嘘だとは笑えないような体験を
自分でもしている。
「何が起こったのかわからなくて
立ち上がってしばらくそのままいたんだけど…
一分もしないくらいかな、また遠くから
アアアアアって声が聞こえ始めてさ。
怖くなって慌てて戻って階段上ったのよ」
真壁さんはさっきと変わらない口調で話しているけど、
顔はこわばったまま。
「ホームに戻ったらそれからは何もなかったから
そのまま帰ったんだけど、あれなんだったのかな、って」
私は何も言えない。
沖山さんに聞いたら、何かわかるだろうか。
「でね、一番の本題はここからでさ」
真壁さんが続ける。
「これ見てほしいんだ。もし何とかできるなら、
助けてほしいんだけど…」
真壁さんは左腕の袖を肩までまくった。
…すると。
真壁さんの腕に、人間の手のひらの形に
火傷のようなあとがくっきりとついていた。
「オレンジのやつに突き飛ばされたとこなんだけどさ。
家に帰るまでは何ともなかったんだけど、
それからチリチリする感じの痛みがし始めて、
だんだんこのあとが出てきて濃くなってきてるんだよ。
あはは、どうすればいいかな、これ…」
真壁さんは困ったように笑った。泣きそうな表情で。
私は一瞬言葉を失っていた。
だが、我に返り、口を開いた。
「真壁さんさ、今日午後の授業終わったら、
私と一緒に来てくれる?
…部活は、悪いけど今日は休んで」
私の言葉に、真壁さんは静かに頷いた。




