無言の屋敷を歩くもの
かつての記憶を残す屋敷。
何もいないはずのその空間に
足跡が沈み込んでいく。
「ありささん、待ってください!」
廃旅館のロビーの階段をスタスタと上っていくありささん。
「沖山さんに怒られますよ」
「あら、ここはうちが持ってる物件なんだから、
彼に私を怒る権利なんて無いわよ?」
「でも、何かいたらどうするんですか」
「その時はその時ね。大体、彼が戻ってくるまで
ロビーで待ってるなんて時間がもったいないでしょ?」
ありささんはカラカラと笑う。
ロビーの階段は、木の手すりがついたおしゃれなもので、
幅も広かった。一度踊り場を挟んで折り返し、二階に続く。
上りきると、二階部分は少し広いホールのような空間に
なっていた。雰囲気は和風だけど、作りは洋館のようだ。
レトロな雰囲気。そこから、一階と同じように客室に続く
通路が伸びている。
一階よりも窓から光が多く入ってきて、通路は明るかった。
その分、壁や床は日に焼けてくすんでいるようにも見える。
通路の途中には、脇に置いていたと思われる用具入れ等が
倒れていた。そして、床はボコボコにへこんでいる。
「…なんかボコボコね」
「そうですね…
ねぇありささん、こんなどんどん進んで、
何しようとしてるんですか?探し物とか?」
「違うわよ。
しっかりした建物だけど、屋根が抜けてたり雨漏りしてる
ような事もあるから、一応その辺も見ておきたいのよ。
解体の時間とか見積もりとか、それだけで変わるのよ?」
ありささんは一度その場で辺りを見回すと、
客室の通路に向かってまた歩き出した。
「ありささん、戻りましょう?」
「あら、怖いの?」
「当たり前ですよ。沖山さんかいない時に何かと遭ったら
どうするんですか」
「ふふ、そうなったら美風ちゃん、怒られちゃうものね」
「そういう問題じゃないですってば」
私の顔を見て面白そうに笑うありささん。
「美風ちゃん、戻ってもいいわよ?」
「ありささんは?」
「私は行くわよ」
「…」
「でも私は霊とか見えないから、何かいたら大変だわ。
一人ではすごく危ないかも」
「…」
「霊が来てもわからないかも。あー、怖いわ」
「…」
ありささんはニヤニヤしながら私を見る。
「もー…」
私はため息をつく。
ありささんは私を見て、小さく笑った。
「大丈夫よ。ちょっと状態を見たらすぐ戻るわ。
だから少しだけ付き合って?」
二階の客室前の通路を進む。
ありささんは客室を一つずつ覗き込んで、窓や天井を
見回しながら進む。
「何だか、不思議な感じですね」
私はつぶやく。
廃墟。
以前はここに多くの人が来て、思い出がたくさん
生まれたんだろうか。
そのまま時間だけが過ぎて、建物は色あせて。
でも、なんだか温かな、懐かしい空気。
ちょっといいな、なんて思ってしまった。
「なんだか、ここを訪れた人達の色んな思い出が
まだ残ってるみたいですね」
「そうよ?空き家であろうと廃墟であろうと、
そこは元々、人がいた場所なんだから。
お化け屋敷でもなんでもないの」
ありささんが答える。
「まあ、思い出は思い出。
いつまでもこのままにはしておけないから、
使わないなら取り壊して、土地を使っていかないとね」
「まあ、そうですよね…」
そうやって街は少しずつ姿を変えて、過去から今までを
動いてきているのだろう。
「ところで、美風ちゃん」
「はい」
「なんか、音がするわね」
「へ?」
私はありささんを見る。その顔は、少し緊張を含んでいた。
2人で後ろを振り向く。
先程上ってきた階段の前のホール。
ミシッ ミシッ
音が聞こえる。
眺めていると、やがて通路の角から、全体的に黒っぽく
ゆらゆらと揺れる大きな男の人の姿が現れた。
身長は今にも天井に頭を打ちそうなほど大きく、体格もお相撲さんのように大きい。歩くたびに、その巨体のせいか
足が少し床にめり込んでいる。
その目はくり抜かれたように黒く、でもこちらを見ている
事ははっきりわかった。
それはゆっくりと、一歩一歩、こちらに近づいて来る。
ありささんが口を開く。
「何あれ、床がへこんでいってる…」
「はい…あの人、重そうですもんね…」
「え?人?」
「はい…え?」
一瞬、2人で目を合わせて沈黙する。
「はい、あの大きな人が…って、あ…」
「…つまり、あそこに何かがいる、って事なのね?」
ありささんが通路の先を見ながら言う。
おそらくありささんにはあの大きな人影は見えていない。
床が勝手にへこんでいってるように見えているだけなのだ。
「教えて、どんなやつ?」
ありささんは真面目な顔で通路の先を見つめながら言う。
「天井ギリギリの身長の、大きな太った男の人みたいなのが
ゆっくり歩いてきます」
「近づいてきてるのね?」
「はい、でも遅いです。ゆっくり歩いて来てて…
…ちょっと歩き方はかわいいかも」
もっさり歩いてくる姿は、少しかわいかった。
目の前に倒れていた用具入れを見つけると、一度止まる。
どうやらまたぐ事ができないで困っているようだった。
「あ、かわいい」
「かわいいって何よ」
ありささんが拍子抜けした声を出す。
すると、その人影はゆっくり腕を横に振り上げると…
ドガアァァン!
腕を振り、その用具入れを力任せにはじき飛ばした。
用具入れは横にあった客室の中に吹き飛んでいき、
物が壊れる音、何かが割れる音が盛大に響き渡る。
「…」
私達は言葉を失う。
人影は、何事も無かったかのようにまた歩き始めた。
ミシッ ミシッ
直後、ありささんと私は示し合わせたかのように、
同時に後ろを向いてダッシュしていた。
「ありささん!やっぱりアレかわいくないです!」
「知らないわよ!」
無我夢中で走る。
やがて通路の突き当たりまでたどり着く。
そこには非常階段の扉があり、ありささんは開けようと
手を伸ばした。
ガチャッ ガチャガチャッ
「開かないわね…」
「非常階段なのに!?この非常時に…」
「廃墟に非常口の文句言っても仕方ないわ。
…こっちきて!」
ありささんは私の手を引いて、横にあった一番奥の客室に
かけこんだ。
バタンッ カチッ
部屋に入ると、ありささんはすぐにドアを閉め鍵をかける。
そして横にあった棚をドアの前に動かし始めた。
「手伝います!」
私も一緒に動かす。ドアの前に押しつけるように動かして、開かないようにする。
「これで大丈夫ですかね…」
「さあ。どうかしらね」
ありささんは私の手を引いて部屋の奥に上がる。
和風の落ち着いた、畳の客室。
ありささんは窓に近づいて、全開に開けた。
でも、隙間程度には開くけど、人が通れるほどは開かない
作りのようだ。
ここから外には出れなさそう。
「さっきの、ここに入ってくるでしょうか…」
「私はそいつを見てないから分からないけど、
私達を追ってきていたの?」
「はい、多分。なんか目元がはっきりしてなくて、
こっちを見ていたのか、何考えてるのか、
全然わからない顔してました。
ただ、のしのしこっちに歩いては来てて…」
「なにそれ、頭悪そうね」
「はい、頭悪そうでした」
その瞬間。
ドゴオオオン!
ドアの方から凄い音がした。
「うひゃぁ!」
「来たわね…」
見ると、ドアがひしゃげていて、外れかかっていた。
その隙間の向こうに、あの大きな人影が見える。
人影は腕を振り回し、ドアに叩きつける。
ドガアアアン!
ドアが外れて内側に倒れ、置いていた棚もベキベキに
折れて壊れた。
そして、その人影がゆっくりと部屋に入ってきた。
「…来てるのよね?」
へこんでいく床を見ながら、ありささんが引きつった顔で
私に聞く。ありささんからはきっと、ドアと棚が通路側から
つぶされるように壊れて、足跡がゆっくり室内に進んできて
いるのが見えているだけなのだろう。
部屋の端に追い詰められた私達。
目の前まで近づいてきている大きな人影。
私の頬を、冷や汗が流れた。




