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覆われた記憶

その正体は、人か、獣か。

廃旅館に残る記憶の蓋が

長い年月を越えて開かれる。

ミシッ ミシッ


廃旅館の最奥の客室。

私とありささんは大きな人影に追い詰められていた。

黒く揺れ、実体があるかもわからないそれは、

床や畳に沈み込んで大きな足跡を付けながら

ゆっくりと近づいてくる。


「美風ちゃん」

「はい…」

「私が気を引くから、その間に逃げなさい」

「へ?」

「いいわね!」

言うと、ありささんは客室の端に置いてあった

座椅子を持ち上げて構え、前に出た。

「ちょっとありささん!無茶ですよ!」

「このままだと2人とも危ないもの。

 まずどっちかが助かった方がいいじゃない」

「だからってありささんだけが盾になるのはだめです!」

ありささんは私の方を見て微笑んだ。

優しくも、有無を言わせない目。

そして進んでくる足跡をにらみつけた。


ありささんにはこの人影自体は見えていない。

足跡だけを見ながら囮になろうと言うのだろうか。

ありささんは思い切り座椅子を振り上げる。

でも私には、人影がそれに合わせて大きく腕を

振り上げるのが見えていた。

「だめ!危ない!」


ボゴォッ!


次の瞬間、人影の頭に霊石がめり込んでいた。

人影はよろめいて、部屋の壁に手をつく。

その背後には、霊石を構えた沖山さん。

「沖山さん!」

「…何勝手に動いてるんだ、お前ら」

すっごく不機嫌そうだった。やっぱり怒ってる。

「すみません…」

「あら、私が美風ちゃんを連れて散歩してたのよ?

 美風ちゃんを怒るのは違うんじゃないかしら」

ありささんはもう、いつもの口調と表情に戻っている。

「わかってる。お前が勝手に動いて、こいつが慌てて

 ついて行った様子くらい、簡単に想像できる」

「じゃあ、この話は終わりね?」

「おい…」

「沖山さん!その大きいの、来ますよ!」

人影は体勢を立てなおし、こちらを見る。


ウオオオォォォォ!


それは、大きな雄叫びを上げた。獣のような。

相変わらず表情はよくわからない。でも、一撃受けた事で

怒ったのは確かなようだ。

沖山さんは人影と私達の間に遮るように走り込んできて、

霊石を構えた。

「沖山さん、下の階にいたのは倒したんですか?」

「いや、近づいたら気配ごといなくなった。

 同じようなのが何体かいたが、どいつもこいつも

 キーキー鳴きながら跳ね回って、近づくと消えた。

 …きっと俺達のような侵入者を、確認したり、

 追い払ったりするための分身みたいな

 ものだったんだろう」

「解体業者さん達が遭った複数の幽霊っていうのは、

 それだったんですね」

「ああ。それで本体を探そうと色々見て回ってるうちに、

 二階からすごい音がしたんで飛んできたんだ」

「こいつが、その本体ですか?」

「たぶんな」

そんな、何かの群れのような動きをする霊もいるのか。

「あら、じゃあ私と美風ちゃんのおかげで

 本体を見つけられたのね」

ありささんがまたカラカラ笑う。

「お、ま、え…!」

「沖山さん!ひとまずこの大きい奴をなんとかしましょ!」

私はキレそうな沖山さんをなだめ、人影に集中させた。


人影はこちらを睨みつけてゆっくり近づいてくる。

「さっきの、あんまり効いてなかったみたいですね」

渾身の一撃が入ったように見えたが、そんなにダメージを

受けているようには見えない。

さっきとまったく変わらない動きで近づいてくる。

「このデカいやつ、悪い気を蓄えすぎて体積も密度も

 パンパンになってる。

 殴り続ければ削れるだろうが、一撃じゃ無理だ」

沖山さんはもう一度霊石を構え、人影に向かって振るう。

しかし。


ブオンッ


「うおっ!」

人影は腕を振り回し、沖山さんを殴りつけようとする。

沖山さんは体勢を変え、慌ててかわす。


バキィッ!


一瞬前まで沖山さんが立っていた場所に人影の拳が

めり込み、畳がへし折れ、えぐれていた。

「…当たったら死ぬな」

「…死にますね」

沖山さんの表情がちょっとだけ引きつる。

「沖山さん、こいつどのくらい殴れば倒せるんですか?」

「数発程度じゃ無理だな。2、30発くらい殴ればいけるか」

「そんなに!?」

「しかも今のを受けたらこっちは一撃で終わりだろう。

 簡単にはいかなそうだ」

沖山さんは背負っていたリュックを下ろすと、

私に放ってよこす。

「ひゃっ!」

慌ててキャッチする。けっこう重い。

「ちょっ!沖山さん!これ霊水の瓶たくさん入ってるじゃ

 ないですか!投げないでくださいよ!」

「いいから持っておけ!

 危なくなったらそれ使ってお前らは逃げろ!」

沖山さんは改めて霊石を構えて人影と向き合う。

人影も、獣のような唸り声を漏らしながら、

沖山さんを激しく威嚇し始めた。


沖山さんが霊石を、人影が腕を振るい合う。


ブンッ


ブオンッ


バンッ!


バキッ!


沖山さんは人影の腕を避けながら、霊石を振るう。

でも、なかなか隙が見出だせず、踏み込む体勢になれない。

思い切った一撃は決められず、弱い当たりではなかなか

人影にダメージは入らない。

このままだと、沖山さんが先にへばってしまう。

(そうだ…)

私はリュックから霊水を一本取り出す。

瓶の蓋を開けると、中身をまるまる一本、

思い切り人影にかけた。

「えいっ!」


バシャッ


人影は一瞬動きを止める。

でも、それだけ。

また変わらない動きで腕を振り回す。


「だめですね…」

「効かないだろうな、こいつには」

「ですね…」

霊水は決定打になるようなものじゃない。

これまでの経験で私もわかっていた。

沖山さんも、試すまでもなくわかっていたようだ。

念のため、もう一度やる。


バシャッ


やっぱり人影は一瞬動きを止めるだけ。

なんか気になるものが当たった、くらいの反応。


(ん?)

私は気づく。

「沖山さん、効きはしないけど一瞬止まりますよ?」

「それがどうした」

「その間に殴れませんか?」

沖山さんは人影を見たまま一瞬考え、

それから私に目線を向けた。

私の意図を理解してくれたようだ。

「…よし、やるか」

沖山さんが言う。

「お前がこいつの足を止めろ。

 俺の動きに合わせろよ、いいな」

沖山さんが踏み込む。

人影が腕を振り上げる

「えいっ!」

私は霊水をかけた。


バシャッ


人影はまた一瞬動きを止める。


バゴォン!

ドゴォッ!

バコンッ!


その隙をついて沖山さんが霊石を叩きつける。

慣れた手つきで、怒涛の三連続。

人影はふらつきよろける。

しかしまた沖山さんに向きなおる。

「続けていくぞ!」

「はい!」

私は霊水をかける。

人影が止まる。


バシャッ


ドガッ!

ドガァン!

バキッ!


沖山さんの振り回す霊石が次々に人影にめり込む。

人影はフラフラと、また沖山さんを見る。

私は霊水をかける


バシャッ


ドガッ!

バキッ!

ボコッ!


バシャッ


ドゴッ!

バコッ!

メキッ!


私が霊水をかける。沖山さんが殴る。

その繰り返し。

次第に人影はボコボコ、フラフラになっていく。

でも、沖山さんも、私もわかっている。

霊水はあと数本。

それまでに倒しきれなければこの作戦は失敗なのだ。

だから沖山さんも、ハイペースで三連続での攻撃を

立て続けに放っている。

もちろん沖山さんの体力消費も激しい。

これはまぎれもなく、命のかかった戦いだった。


私達の様子を背後で見ていたありささん。

ありささんには、この人影は見えていない。

そのありささんが、つぶやく。

「あんたたち、餅つきでもしてるの?」


餅つき。


(霊水をかける…)

(霊石で殴る…)


(水…)

(杵…)


(明けましておめでとうごさいまーす!)


(…)


「ぶふっ…!」

私は吹き出す。ツボに入った。

そんな妙な例え方をされるとは思ってなかったし、

頭の中で思わずお正月風景まで浮かんだ。

私の霊水のタイミングがずれて、その隙に人影が

沖山さんにパンチを飛ばす。

沖山さんは紙一重でそれをかわすと、叫ぶ。

「ありさ!邪魔するな!」

すっごく不機嫌そう。

ありささんは妙なものを見る目で私達を見ている。

私は涙目で笑いをこらえる。

今、それどころじゃないはずなのに。


「立てなおせ!続きやるぞ!」

「はい!…ふふ…」

私は笑いを噛み殺しながら霊水を構える。


バシャッ


ドガァッ!

バキッ!

バコン!


もうけっこう繰り返した

人影はその輪郭がボコボコになり、今にも崩れそうだ。

そして。

「沖山さん、次、最後の一本です!」

「よし、全力で叩き込む!」


バシャッ


私が最後の霊水をかけると同時に、

沖山さんは大きく踏み込む。


ドゴォォッ!


強烈な一撃。

そして返す刀でもう一撃。


パァァァン!


割れるような、砕けるような破裂音が響く。

その瞬間、それは動きをピタリと止める。

そしてその輪郭がひび割れるように砕けると、

ドロリと溶けるかのように崩れ落ち、消えていった。


…


「終わったな」

「はい、お疲れ様でした…」

肩で息をしながら言う沖山さんに、私は返事をする。

「何だったんでしょうね、今の」

「正体はわかってる。さっきこの部屋に来るまでに

 原因を見つけた」

「え、そうなんですか?」

沖山さんは息を整えると、部屋の出口に向きなおる。

「行くぞ、ついてこい。

 おい、ありさ。お前もだ」

沖山さんは部屋の端にいたありささんにも声をかける。

ありささんは少し何かを考えているようだったが、

沖山さんに呼ばれふと顔を上げた。

「あなたたち、すごいのね」

珍しい、感心してる。

と思ったら、その直後にはいつもの顔に戻っていた。

「でも、私の事呼び捨てにするのはやめて」


…


「こっちだ」

沖山さんの案内に従い、私とありささんはついていく。

一階に降りて、ロビーの奥、旅館の中庭に抜ける。

そして中庭の端っこ、植物に隠れた目立たない一角、

旅館の軒下に半分もぐりこんだような位置に、

蓋をされた古い井戸があった。

「井戸?」

ありささんが眉をひそめる。

「旅館の資料にはこんなものなかったけれど…」

「どうせ、もともとここにあったが撤去もせずに

 そのまま蓋をする形で建物が建てられた、

 そんなとこだろうな」

「沖山さん、こっちのこれは何でしょうか」

私は井戸の横にひっそり佇む小さな台を見つけた。

古いお皿や、植物のかすのようなものが残っている。

「そこに色々お供えでもして供養してたんだろ。

 化けて出ないように」

「…何がですか?」

沖山さんは視線を井戸に戻して、言う。

「その蓋開けてみろ。」

「えぇ…私が…?」

中身は絶対に良いものではない。

ここまでの流れで、それだけは私にもわかる。

「大丈夫だ、さっき俺も一度開けた。

 危なくはない。多分な」

「多分って…」

私は、恐る恐る井戸に近づいた。

ベニヤ板を重ねたような井戸の蓋をそっと持つ。

「ドジって落ちるなよ?」

沖山さんも私の真横に来る。ありささんも。


ズズズ…


蓋をずらす。中を覗くが、薄暗くて見えない。

沖山さんは懐中電灯を取り出し、中を照らした。


「え…」

「ひっ…」

ありささんの漏らした声と、私の上擦った声が重なる。

井戸の中は、数メートル下まで続いていた。

そして井戸の底にあったのは。

「骨…!?」

私は一歩下がって立ちすくむ。

これまでに私も霊や怨念など怖いものは何度か見てきた。

でも死体を見るとなるとまたそれは話が別だ。足がすくむ。

すると。

「あ、人の骨じゃないわね」

ありささんが言う。

「へ…?」

「そうだな。頭蓋骨も見えるが、人の頭の形じゃない」

沖山さんの言葉を聞き、私はもう一度、恐る恐る覗く。

確かに、頭蓋骨が見える。少し口元が出っ張ったような形。

よくあるガイコツのイラストや画像とは違う気がする。

「猿ね…」

「…しかもかなりでかい山猿だ」

ありささんと沖山さんが、骨を見ながら言う。

「猿…え、もしかしてあの大きな人影が、

 猿の霊だったって事ですか?」

「ああ。さすがに元からさっき見た霊のような

 巨体だったわけじゃないだろうがな。

 この骨をみた限り、猿としてはかなりでかいが

 せいぜい大人一人分くらいだ。その怨霊の悪い気が

 膨れ上がってあんな姿になったんだろう」

「なんでそんな事に…」

「まあ、推測にはなるが」

沖山さんが話し始める。


「昔、事故か、罠にかけたか何かでその大きな猿が

 この井戸に落ちた。それを見て人間達がそのまま蓋をして

 閉じ込めたんだろう。

 猿は昔から人の作物を荒らす迷惑者扱いだったからな。

 この大きさの猿ならこの辺りのボス猿でもあったろうし、

 人間側も逃がしてやるわけにはいかなかった。

 そのまま井戸の中で始末する事にしたんだろう」

「うわぁ…」

「だが人間側も、祟りや、化けて出たりするのは怖かった。

 だからその台に供え物なんかをして供養していた」

「祟り…昔の話あるあるですね」

「だな。だが年月が経って、供養する人間も居なくなり、

 この建物が建ってからは井戸は放置されていた。

 それで悪い気、この猿の人間への恨みが残り、溜まって、

 膨れ上がっていった。

 だが上に建ったのが旅館だ。来る人間が片っ端から

 旅行気分の浮かれた気をばらまいて泊まりにくるせいで、

 常時悪い気が抑え込まれてうまいこと封じられていた」

「あ、だから営業中は何もなかったのに

 後になってこんな事に…」

「そうだ。旅館の営業が終わって、泊まりにくる人間が

 いなくなった。それまで漂い続けていた浮かれた気も

 なくなった。結果、悪い気が漏れ出してあの人影になって

 歩き回っていた」

「あの人影、正確には猿影だったんですね」

「…くだらない事言うな」

「旅館でたくさんの人が楽しく過ごしている間、その下で

 ずっと人間への恨みを膨れさせていたんですね。

 …なんか、複雑な気持ち」

「そうだな…」

ありささんがため息をついて、つぶやく。

「まったく、迷惑な話だわ。

 …しょうがない。解体が終わったら、

 その骨も井戸から出してちゃんと供養してあげなきゃね」


…


その後、私達はありささんの車で帰路についた。

帰りの車内はとても賑やかだった。

勝手に動いたありささんに怒り、文句を言う沖山さんと、

動じず、むしろ沖山さんをからかい余計にブチ切れさせて

笑うありささん。

ちなみに私はもう心身ともにぐったりで、

2人とも元気だな、なんて思いながら

一人ウトウトと寝落ちていた。


…


後日、私と沖山さんはまた前園さんのところに呼ばれた。

「沖山くん、美風ちゃん、いらっしゃい。

 先日はご苦労だったね」

「まったくだ。あの女のせいでひどい目に遭った」

沖山さんは面倒くさそうに言う。

「まあまあ、あれからその新津さんがここに来て、

 君達宛にちゃんとお礼を置いていったよ」

前園さんはそう言うと、封筒を差し出し沖山さんに渡す。

なんだか分厚い。お金ではないのだろうか。

沖山さんが封筒を受け取り、中身を確認する。

そして、固まる。

「あのクソ女…」

「どうしたんですか…?」

沖山さんは引きつった顔で、黙って封筒を私に渡す。

受け取って、中身を見てみる。

「え…」

帯のついた札束。

つまり、100万円。

「沖山さん、これ、ちょ…」

「じいさん!あの女呼んでくれ!突き返してやる!」

基本沖山さんは、こういう依頼でほとんどお金を取らない。

前園さんからは仕事を受けたならちゃんと報酬まで

受け取るように、と言われているらしいけど、取るとしても

かかった実費くらい。

それが沖山さんの主義でもある。

それをあっさりこんな大金を渡されて、気に触ったようだ。

「沖山くん、受け取っておきなさい」

前園さんはにこにこしながら言う。

「彼女は仕事柄、今回の依頼に対する報酬の相場を

 しっかり理解していると思うよ?

 君の今回の働きをきちんと評価して、

 適正価格で支払ってきたんだ。

 今回くらいは素直に受け取りなさい」

「…」

沖山さんは不服そうな顔で黙る。

「それにね、ほら」

前園さんが封筒の表を指でつんつんとつつく。

見ると、お金と一緒にメモ書きが入っている。

「…?」

私は封筒からメモ書きを取り出し、開いた。

沖山さんと一緒に文面を覗き込む。

「…」

「…あいつ、やっぱり気に入らねぇ」

沖山さんは前園さんの方を見る。

「今回は受け取っておく。

 …ったく、本当に調子狂うな」

沖山さんは頭をかきながら言う。

前園さんはにこにこ。

「おい、お前今日この後予定は?」

「へ?特に無いですけど」

「じゃあ何か食いに行くぞ、付き合え」

沖山さんは封筒を自分のポケットに突っ込んだ。

「あ、はい」

私はメモ書きを改めて見る。


 沖山くんへ

 少し見直したわ。これはお礼よ。

 美風ちゃんにも何かいいものご馳走してあげてね。




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