飲み過ぎ注意
人の体の半分以上は水分でできている。
つまり水分をどのような物から摂取するかは、
ある意味その人のアイデンティティ。
雲一つない青空の下、私は住宅街の道を歩いていた。
相変わらず今日も朝から暑く、少し歩いているだけで
汗が出てくる。
向かう先は沖山さんのアパート。
今日はまた沖山さんのところに行く約束をしているのだ。
…
ピンポーン
インターホンを押し、待つ。
数秒後、スピーカーから沖山さんの声が聞こえてくる。
「はい」
「こんにちは、美風です」
「ああ、ちょっと待ってろ」
「暑いので早くお願いします」
「…そうか、あと30分くらいそこで待っててくれ」
「暑いからインターホン越しの悪ふざけやめて下さい…」
カチッ
スピーカーが切れる。
少しして、ガチャッとドアが開く。
沖山さんだ。
「おはようございます。今日も暑いですね…」
「おう、そうだな。とりあえず入ってドア閉めろ」
玄関に入り、ドアを閉める。
沖山さんは先に奥に戻っていく。
私は靴を脱いで、向きを整える。
「あれ」
ドアの郵便受けが視界に入る。
チラシや封筒など、郵便物が複数溜まっていた。
「沖山さーん、郵便受け、なんかごちゃごちゃ入ってますよ?」
沖山さんに声をかける。
「あー、何日分かそのままだな、取ってきてくれ」
(毎日ちゃんと見なさい…)
多少呆れながらも、郵便受けの中をごそごそと取り出し、
抱えながら部屋に向かった。
部屋に入ると、エアコンの効いた快適な空間。
「あー、涼しい。
沖山さん、郵便物ここ置きますねー」
キッチンにいる沖山さんに言うと、私は郵便物を
テーブルに置いた。
エアコンの真下で頭から首筋にかけて冷風を浴びながら、
Tシャツの背中をパタパタとあおぐ。
「お前な、背中見えてるぞ」
沖山さんが緑茶の入ったグラスを持ってきて、
テーブルに置いてくれる。
「一応男の部屋に来てるんだから、
女子としてその辺、振る舞いとか、身だしなみとか
気をつけろ」
「あれ、私の事、女の子として見てるんですか?」
「見てない」
沖山さんは呆れ顔でソファに座る。
「でも沖山さん、
身だしなみなら沖山さんも人の事言えないですよ?」
「あ?」
「頭、いつもの寝癖ついてます。さっきまで寝てたでしょ」
「…」
髪の毛を押さえて黙る沖山さん。
私は緑茶を一口いただくと、いつも手伝っている沖山さんの
家計簿をつけようと思い、部屋を振り返る。
そして。
「…!」
私は見てしまった。
沖山さんの部屋のキッチンの脇。壁際。
大きなビニール袋に入った、
大量のコーラの空きペットボトルを。
両手を広げて抱えるくらいの大きなゴミ袋に、
満杯に詰め込まれている。
…先日運んできた霊山の水と同じくらいはありそうな量。
「…沖山さん、コーラ飲み過ぎですよ」
「暑いし、この一週間は少し多く飲んでたかもな」
「これ、一週間で…?
暑いからって飲み過ぎです、この量。もう体の水分、
全部コーラになってるんじゃないですか?」
「あー、そうかもな」
この人はなぜ太らないのだろう。
いつも通りの何でもないやりとりをしていると、
不意に、沖山さんが私の顔を見る。
「そういえばあれからもう、
その、怖い思いとかはしてないか?」
探るように聞いてくる。
「え?はい、大丈夫です」
「そうか、ならいい」
そう言うと、沖山さんはぷいっと視線をそらしてしまった。
「あー…沖山さん、もしかして霊山行った時私が話した事、
…まだ不安になる時があるって話、気になってますか?」
「…」
「あの、そんな大げさに考えなくて良いですよ?
別に毎日ビクビクしながら過ごしてるとか
そういうんじゃないですから。
たまーに、あの時の黒い影の事思い出した時に
鳥肌立つなー、くらいですからね?」
「本当か?」
「本当ですよ。もしお化けに遭うのが怖くて仕方ない
ほどだったら、駅の地下通路の時だって
あんな風に一緒について行ったりしませんよ」
「…」
沖山さん、けっこう心配性なんだろうか。
それともそんなに私はビビっているように見えてたのか。
「沖山さん、私そこまでビビりじゃないです」
胸を張って断言してみせた。
「…なら言うぞ。
絶対に振り向くなよ。
お前の後ろに今、あの黒い影と同じものがいる」
「…え」
背筋が寒くなる。
体が緊張して、動けない。
「…嘘、ですよね」
自分でも情けなくなる、かすれた声を絞り出す。
「嘘だ」
「…嘘。
え、嘘?」
私は混乱しつつも、恐る恐る振り向く。
「何にもいない…」
「だから嘘だ」
「…っ!
沖山さんっ!このっ…な…なっ!?」
なんて嘘をつくんだこの人は。
私は驚きと怒りとどうしようもない気持ちで引きつる。
「わかったわかった。悪かったって。
…でもはっきりしたな。
確かにお前は肝は座ってるし、そこまでビビりでもない。
でもあの黒い影だけは怖くてトラウマになってるだろ」
「う…」
沖山さんは冷静に言う。私は何も言い返せない。
「駅の地下で地縛霊を見た時は、
驚いてはいたが冷静で頭も回ってた。
それ以外の普段の振る舞いも普通だ。
だがこの間の霊山の森で何かがいる、と伝えた時、
あの黒い影を思い出した事でやたらビクビクしていた。
今、あの黒い影がいると聞いた時の反応も、明らかに
怖がり方が違った。
きっとあの黒い影だけは、相当苦手な部類だったんだろ」
窓の外を見ながら、淡々と言う。
その通りだった。
「…そうですよ。悪いですか?」
私は認める。
あの黒い影は、思い出すだけでもどうしても怖い。
「あの目と笑い声も、誰に相談していいか
わからなかった事も、本当に怖かったんですよ」
「…」
「でもね、沖山さん、私それでも負けませんよ」
「ん?」
沖山さんは私を見る。
「ああいうのが、きっと街中にはまだまだいるんですよね?
ならいつまでもビビってられないです。
だから私は知識や手段、対抗できる何かを持ちたい。
だから駅の時だって、内心少しは怖かったけど
沖山さんがそれを解決する姿には興味あって、
見ておきたかったんです。
あ、もちろんあの時は、沖山さんがちゃんと対応して
くれるか疑わしかったのもありますからね?」
「おい」
「私、沖山さんみたいに強くなりたいな、とも思います。
もしまたあの黒い影を見かけた時、今度は自分で
乗り越えられるようになりたい」
いたずらっぽく笑って見せる。
「お前、そんな事考えてたのか…」
「いけませんか?」
沖山さんも、口角を上げる。
「いいや。お前は霊感ある分またああいう事は起こりうる。
その心意気は良いと思うぞ。ただ、無理はするなよ」
「はい」
「じゃあ、今度あの霊石も貸してやるよ」
「はい。
…え?」
私は想像した。
あの霊石の付いた縄を振り回し、悪霊を叩きのめす自分。
「えーっと、あの霊石ハンマーはちょっとやめておきます」
「…何でそんなドン引きした顔してんだ。
あと変なネーミングやめろ」
「あれ、呼び方わかんなくて。
いいじゃないですか、霊石ハンマー」
そんなやりとりをしながら、
今日も私は沖山さんの家計簿をつける。
レシートには、今回もコーラがたくさん登場していた。




