山とご飯とあの日の記憶
夏の陽気に山の空気。
霊山のふもとで、ご飯が来るまでちょっとした雑談。
「わぁ…もう完全に山の中ですね」
私は電車の窓から外の景色を眺め、沖山さんに話しかけた。
週末の土曜日。私と沖山さんはとある山奥に来ていた。
沖山さんが使っている霊山の水を補充するためだ。
私達の街から三時間以上かけて、乗り換えも三回ほどして、
やっと目的の霊山の近くまで来た。
電車が長いトンネルを抜け、周囲はすっかり山奥の景色。
「なんか、いかにも夏休みって感じで楽しいです」
私は沖山さんに視線を移す。
彼は呆れたような目で私を見ていた。
「楽しくない。
今日は水だけ受け取ったらすぐ戻るんだからな。
お前わかってるのか?」
「わかってますよ、ちゃんとお手伝いしますからね?」
「いいや、わかってないだろ。その格好」
私の服を指さして言う。
薄いオレンジのシンプルなワンピース。
そして麦わら帽子。ひまわりのイラストが付いた肩掛け鞄。
確かにどこからどう見ても観光気分丸出し。
「めちゃくちゃ浮かれてるだろ」
「えへへ、いいじゃないですか。少しくらい旅行気分でも」
「旅行気分は実際に夏休みに入ってから、
自分で勝手に味わってくれ」
「え、実際に夏休みですよ?」
「あ?」
「夏休みです、私。昨日から」
うちの学校は昨日から夏休みに入った。
このタイミングの私達高校生は、浮かれていていいのだ。
「…楽しそうだな」
「はい!」
「よかったな。だが今日は楽しい所なんて全く行かないぞ。
水抱えて帰るだけだ」
「はいはい、わかってますってば」
電車は山の中を進む。時刻はもうじき11時。
照りつける日差しに、山の緑が鮮やかに映えていた。
…
やがて電車は目的の駅に到着した。
沖山さんからは、目的地は山奥のマイナーな駅だなんて
聞いてたので、人のほぼいない小さな駅だと思っていた。
けど、それなりに大きくて人も多い。
霊山と呼ばれるだけあるかなり立派な山があるのと、
その下には大きなお寺、その周りで栄えてきた町並みも
あるので、観光で来る人も多いようだ。
駅前には旅館やホテル、お食事処やお土産屋さんもある。
「沖山さん、楽しいところありそうじゃないですか」
「無い。
日帰りで帰るから旅館もホテルも無関係。
水担いで帰るんだから土産なんか買ってる余裕もない。
つまり今日、お前が楽しめる場所は一つも無いんだ」
「うう…」
まあ、わかってはいた。けど、観光地みたいな景色を
目の前で見せられて自分達だけ何も無しなのは、悲しい。
「…まあでも」
沖山さんは私をちらりと見た後、
お食事処の店の並びを眺めながら言う。
「昼は食べなきゃならないしな。
せっかくだからあの辺の店でも入るか?」
「はい!」
…
私達は、駅の近くにあった和食屋さんに入った。
お品書きを見ると、地元の野菜、きのこなんかを使った
定食の名前が目を引く。山を越えた反対側から海の幸も
入ってきているようで、お魚料理も多い。
注文を済ませると、私達は窓の外を見ながら話す。
「今日はいい天気で良かったですね」
「ああ、めちゃくちゃ暑いけどな」
「でも山に囲まれてて、緑が多くていいところです。
ここには昔から来てるんですか?」
「最初に来たのは…高校の時だな」
「あの悪霊追い払ったっていう話の、その頃ですか?」
「そうだ」
私は少し気になって聞いてみた。
「沖山さんが危ない目にあったっていうその悪霊、
どんなのだったんですか?」
「ん?なんでだ」
「いえ、なんとなく」
沖山さんは窓の外を見ながら少し考えて、
またこちらを見た。
「髪の長い、古い着物姿の女だった」
沖山さんは話し始める。
「俺が高校の時に友人と川遊びに行った事があってな。
その時、河原で女が立ってるのを見かけたんだ。
…一瞬目に入っただけでヤバい霊ってのはすぐわかった。
すぐ目をそらして見てないフリして離れたんだが、
目をつけられたみたいでな。
地元に戻ってから、俺の周りに現れ始めたんだ」
「その河原にいた女の人がですか?」
「ああ。目は真っ赤で首の曲がった姿でな」
「うええ…もう怖いじゃないですか」
そんなお約束みたいな怖い姿で出るおばけもいるのか。
「後で聞いた話では、江戸時代にはその河原で
罪人の首を斬っていたらしい。
詳しくは知らんが、斬首に失敗すると綺麗に斬れずに
首がへし折れるらしいな」
「…わぁ、沖山さん、ご飯前に聞く話じゃないです」
「…お前が聞いてきたんだろ。止めるか?」
「あ、いえ、聞きます」
聞き始めてしまったものを途中で止められても、
気になってしまう。
「まあ、もちろんその頃の俺も怖くてたまらなかった。
そしてそれがたちの悪い悪霊でな。前園のじいさんが
念仏唱えても、思いつく限りにお守りやら盛り塩やら、
十字架やら色々置いてみても何も効果がなかった」
「十字架だけ毛色が違いますね。吸血鬼じゃないんだし」
「…必死だったんだよ。何でも試してみるしかなかった。
俺はどちらかというと怖がりだったからな、
じいさんでもどうにもできないような奴なんだって
わかってからは、パニックになって毎日のように
色んな寺とか聖地なんかを駆け回った。
魔除けとか十字架とか、そういう何か効果のありそうな
ものを集めまくったよ。
じいさんが落ち着けって止めてくれたんだが、
あの時の俺は何も耳に入らなかった。
ちなみに俺が初めてここの山の寺に来たのもその時だな」
「はあ…」
こんなに神経の図太そうな沖山さんでも、高校の頃は
パニックになるほど怖がりだったのか。
「で、なかなか状況が変わらないまま、
ある日の夜、とうとうその女が俺の枕元に現れた。
…で、キレた」
「キレた?」
「俺がキレた」
「…」
神経が図太くなった瞬間だろうか。
「部屋の中にあった御守りとか塩とか、片っ端から
死にものぐるいでぶん投げた。基本的に何をぶつけても
あまり効果なかったけどな。
でも、ここの霊山でもらった水は少し効いて、
そいつが一瞬動きを止めたんだ。
これはと思って、一緒にもらってたこの山の霊石で
一か八か殴りつけた」
「わあ…大胆」
「キノコそば定食お待ち!」
「キノコ…そば?」
急に割り込んできたキノコそば定食。
見ると、横に大柄な店員さんが立っていた。
手にはおぼんに乗せた定食。注文していた料理が来たのだ。
「あ、はい。それ私です」
私が手を上げると、目の前にキノコそば定食が置かれる。
想像していた倍ぐらいの量がある。
「そっちのお兄さんのもすぐ持ってくるからね」
店員さんは威勢良く沖山さんに言うと、
カウンター裏に戻って行った。
「食ってていいぞ、ほれ」
沖山さんはお箸入れから割り箸を取ってくれる。
「ありがとうございます。じゃあ先にいただきまね。
あ…で、それから?」
私は話の続きを促した。
「ああ、そこからはもうケンカだ。
石を握った状態で殴ると、それがそいつに効いてな。
まあ俺の手も変に痛かったが、構わず殴り続けた。
その女もまさか生身の人間に殴られると思ってなかった
みたいでな。ものすごい顔して驚いてた。
向こうも俺の首に手をかけて掴みかかって来たが、
それをアッパーで殴り飛ばしてだな…」
沖山さんは少し愉快そうに言う。
何だか一気に話の雰囲気が変わった気がする。
「最終的にはその女、ボロボロになって逃げていった。
…あれからもう二度と現れてないな」
沖山さんが勝ち誇ったように言う。
「やっぱり沖山さんすごいですね。
普通は殴りかかるなんてバカな事…
いえ、殴りかかる勇気なんて出ないですよ」
「ちょっとバカにしたよな」
「えーっと…気のせいじゃないですかね、きっと」
普通は殴りかかるなんてバカな事はしないんです。
「…でも、やっぱ世の中変なものがたくさんいるんですね。
いつ何がいるか分からないんだなって。
今みたいな話聞くとやっぱり不安かも」
「ん?」
「私、初めて夕焼けの中であの影を見た時の事、あの怖さ、
未だに忘れられないですし。
あんなのまた急に見てしまうかもしれないっていうのは
やっぱり怖いです。
…目に見えるもの、全部が怖く思える時もあります」
正直、これはずっと思っていた。
急にあんなものに会ってしまい、霊感があるなんて言われ。
対策としてあのお水を持たせてもらったところで
不安は消えない。
ずっとお化け屋敷の中にいるような感覚だ。
それに、もし今私の視界に入っている人達の中に
人ではないものが混ざっていたとしたら。
そうだと気づく間もなくそれと急に目が合ってしまったら。
避けようがない。
(とはいえ…こんな愚痴聞かされても沖山さんも困るか)
「でもまあ、仕方ないですよね。私も頑張ります」
私は話を切り上げて、口調を明るく戻し、目の前にある
キノコそばを食べ始めた。
沖山さんは私の事を見つめている。
(え、キノコそば、食べたいのかな…)
そんな風に思っていると。
「…今日、帰る前に良いとこ連れてってやる。
そんなに時間かからないから付き合え」
「へ?…はい、いいですけど」
それだけ言うと沖山さんは、窓の外に見える山々に
目線を移した。
広く、向こうの山々まで広がる緑。
沖山さんの頼んだ天ぷらコロッケソースカツ丼が
運ばれてきたのは、そのすぐ後だった。
そのあまりのボリュームに、私も沖山さんも恐怖した。




