10 せめてもの配慮
◆◆◆
スラム地区のとある宿。
訳ありの獣人を連れているということもあり、ダグラスたちはスラム地区の宿へと戻って来ていた。
宿の主人はイアンの顔馴染みであり、〝オーズの酒場〟や彼の顛末に思うこともあったため、口止めを含めて、受け入れについては問題なかった。
問題となったのは……。
「グゥルルゥ……ッ」
部屋の隅で唸るロルカンの子、ギリアム。その瞳には憎しみの火が猛っている。仇であるルイが目の前にいながら、手出しできない状況に歯噛みする。
「小っこいくせに気性が荒いねぇ。しばらくは我慢しなさいな」
小さな復讐者を嗜めるのはジュリア。しかも、言葉掛けだけではなく、〈猟犬〉を顕現し、物理的にもギリアムを押し留めていた。大柄な黒犬が彼のすぐ横に待機している。
「……ジュリア、あまり軽く言うな。その子は親代わりの恩人を殺されたんだぞ?」
生真面目そうな細身の青年――ブレイクがジュリアに苦言を呈する。ギリアムの怒りを、その憎しみを軽く扱うなと。
「あーはいはい。分かりましたよぉ。相変わらず真面目ちゃんね、ブレイクは」
そんなやり取りを横目に見やりつつ、ダグラスは促す。ヴァイスに。
「――で? つまるところ、ロルカンとしての貴殿ではなく、その腕がオーブ契約を果たしているというわけか?」
「あぁ。そういう理解で問題ない。正直なところ、俺とて理屈のすべてを理解してるわけでもないがな」
ダグラスたちの目的だったヴァイス。彼はまず、『魔法を使える獣人』のカラクリについて説明している。左腕を覆っていた、金属製の手甲を外した状態で。
手甲の下にあった彼の左腕……肘から先は、右と比べてずいぶんと体毛が少なく、その指先には、狼の系譜としての鋭い爪もない。
まるでただの人族の腕。
「俺が被検体となったのはもう二十年も前の話だ。当時の俺は一応の〝成功例〟だったようだが……契約できるオーブは無銘の低級でしかなく、肝心の魔法にしても、特別に優れていたわけでもない。結局のところ、あまりにも非効率だと判断され、その研究の試み自体が〝失敗〟だとされたよ」
ヴァイスは自らが被検体となった研究についてを語る。
そもそもは『なぜ人族だけがオーブを扱えるのか?』という、既存の現象に対する探究だったらしいが、ヴァイスが関わった時点では、『獣人がオーブを扱うためには?』という――〝あり得ないモノ〟への挑戦にすり替わっていたという。
結局のところ、当時の研究者たちは〝真っ当な解〟を得ることができなかった。
しかしながら……手柄を欲していたのか、それともただ単にやってみたかっただけなのか、主たる動機は不明ながらも、当時の研究者たちは悍ましき実験へと傾倒していく。
獣人がオーブを扱えないなら、オーブを扱える人族のパーツと入れ替えてみるのはどうだろう?
そんな子供の思い付きのようなものを実行に移したのだ。
手甲の下にあったヴァイスの左腕――肘から先は、オーブ適性がある人族のモノ。
獣人の腕を切り落とし、人族の腕に入れ替えた。
「――ちなみにだが、その腕の本来の持ち主は?」
「そっちは切り落とした俺の腕を移殖され、『人族が獣人特有の腕を十全に扱えるのか?』なんて実験に使われたらしいが……すぐに死んだと聞いた。ま、当時の俺の状況を考えれば、人族の実験体にしても、まともな来歴のやつじゃないのは間違いないだろうさ」
もはや過去のこと。多少の苦味はあれども、ヴァイスはさらりと吐き出す。
人体実験の検体として採用された当時のヴァイスは、当人が言うように真っ当な立場ではなかった。刑罰奴隷という身だ。
若かりし頃の彼は、まさに『獣人解放同盟』のような活動に身を投じていたのだという。
虐げられる獣人の解放を謳い、違法な奴隷商を襲撃するなどの過激な活動の末に捕えられ、命を命とも思わぬ非道なる人体実験の検体として扱われるという流れに飲まれた。
「……二十年も前に、獣人と人族を対象とした非道なる人体実験があったというわけか。で、最近になって、当時と似たような実験体が現れたと?」
ダグラスが先を促し、ヴァイスが静かに首肯する。
「あぁ、二年ほど前だ。ルイの野郎が目の前に現れた時は、流石に俺も驚いたぜ」
まるで己の過去と対面しているかのような、奇妙な既視感を覚えたヴァイス。ルイの右腕の手甲を一目見て、彼は諸々を察した。
悍ましき人体実験は続いていると。
当時の研究が終わっていないのか、別の誰かが引き継いだのか、あるいは、まるで無関係な誰かが新たに〝思い付いた〟のか。
ルイの存在と『獣人解放同盟』という組織を知ったヴァイスは、久しく連絡を絶っていた当時の恩人に――実験体であった自分に〝ヴァイス〟という名と新たな身分を与えてくれた、バルボアナ家に接触したのだという。
「――結局のところ、バルボアナ家がヴァイス殿を重用するのは、当時の罪滅ぼし的な意味合いが大きかったということでしょうか?」
元々はこちらから言い出したことではあるが、今回のヴァイス捜索にあたって、カティは多少の不自然さを感じていた。大貴族であるバルボアナ家が、獣人の密偵一人のために、あっさりと労力を割いて見せたという事実に。
だが、ヴァイスの話を聞き、ある程度は納得もいった。
その魔導研究を後援していたのが、他でもないバルボアナ伯爵家だったという話。
どこまでが真実かは分からないが、当時のバルボアナ家は、優秀な研究者たちへの支援として、詳細を知らぬままに金と場所を提供していたといい、その悍ましき実態を知ったと同時に研究への支援を打ち切り、ヴァイスのような生き残りの実験体を保護したのだという。
穿った見方をすれば、バルボアナは知らぬ存ぜぬを突き通し、〝一定の成果〟だけを手に入れたとも言える。
「さてな。ともかく、ヴァイス殿と……このルイとかいうやつは、似たような結果ながらも別ルートというわけだ。つまり、サリーア様やバルボアナ家が知りたいのは、ルイたちに処置を施したのが、一体どういう連中なのかということだろう。ま、おそらくすでに目星は付いているんだろうがな」
ダグラスはカティとは違い、バルボアナの動きに不自然さを覚えたりはしなかった。その鷹揚さは、あくまで大貴族としての余裕の範疇だろうと。
ヴァイスを保護できず、そのままダグラス分隊が全滅したとしても、バルボアナは、サリーアはなんら痛痒を感じない。
その程度で、次の一手が変わったりはしないはずだと見越している。
「バルボアナ家やサリーア様の深慮がどうであれ、我々は与えられた目先の命に従うまでですよ、ダグラス様。こうしてヴァイス殿の身柄を無事に確保した以上、ここから先は、素直にフリント殿に指示を仰ぐのがよいかと……」
ダグラスが勝手をしないように、ご丁寧に節目で楔を打つブレイク。そのような所作が、真面目ちゃんと言われる所以か。
「言われずとも分かっているさ。だが、フリント殿に話を通す前に、このルイとかいうやつの扱いについてが先だ」
ダグラスはちらりとギリアムに……イアンの養い子に視線を向ける。
「ッ!!」
がばりと音がしそうなほどの勢いで、ギリアムが顔を上げる。拘束され、未だに床に転がされて目覚めない仇から視線を外し、ダグラスを見つめる。その瞳に昏い期待を乗せて。
「……若様よ。気持ちは分からんでもないが、俺は反対だな。例のイアンってやつは、スラムで裏仕事の仲介をしてたんだろ? 所詮はいつ殺されてもおかしくない立場だ。そんなやつの復讐に関与する義理なんざないだろ? この獣人のガキがどうしてもやりたいってんなら、自分でやりゃいい。俺たちの用事が済んだ後にでもな」
どこか突き放すように口を挟むウィル。
「あー……私もウィルに賛成かな? そもそもこの獣人の処遇って、私たちで勝手にどうにかしちゃダメでしょ? 生きた証拠品みたいな扱いだろうしさ」
ジュリアが重ねるように、捕らえた獣人の処遇に言及する。現場担当の裁量を越える判断だと。
「ダ、ダグラスさんッ!! その男は親父さんを殺したんだッ! 報いを受けさせるべきだ! この俺の手でッ!!」
ギリアムが吠える。仇を討たせてくれと、この場の責任者として振る舞う、顔見知りのダグラスに向けて訴える。
「……ギリアムは、本当にイアンによくしてもらっていたんだな。ふぅ……俺個人としては、諸々を見なかったことにして、ギリアムに仇を討たせてやってもいいんだが……カティ、この〝ルイ〟は〝筋書き〟に出て来るのか?」
ダグラス個人としては、特にギリアムの復讐を止める気はない。むしろ、イアンとは僅かながらも接点があったため、心情的にはどうしてもギリアムに肩入れしてしまう。
だが、同時に引っ掛かるモノもある。
ダグラス自身はそこまで重く受けてもいなかったが、つい先日〝サンドラ〟という実例ができてしまった。
「――はい。本筋には関わらぬ端役でしかありませんが……その名と姿には覚えがあります。それに、今の我々の立場を考えると、ウィルやジュリアの意見が真っ当かと……」
ギリアムの感情のままにこの場でルイを始末するというのは、〝原作〟云々というより、サリーアの私兵としての逸脱が大きいと見る。カティもウィルとジュリアに賛成という立場だった。
「ダ、ダグラスさんッ!!」
懇願する復讐者。彼は自分一人では仇を討てないというのも自覚している。ダグラスたちを力尽くで突破するなど不可能。〝許可〟を得る必要があると理解していた。だからこそ乞い願う。
そんな復讐者の姿を見て、ヴァイスが諭すように口を開く。ギリアムが望まない言葉を投げ掛ける。
「――ギリアム、巻き込んだ俺が言うのもなんだが、イアンの親父さんの仇を討つというのはあきらめろ。このルイの身柄はまだ〝使い道〟があり、この場で処分するには惜しいと思う連中がいる」
「ヴァイスさん!? どうしてッ!? こいつは親父さんを殺したのにッ!!」
当然の反発。使い道や価値など知らない。ギリアムからすれば、生かしておけない相手でしかない。
「聞くんだギリアム。このルイに価値を見出す連中がいるのは確かだが、同時にルイの命運もすでに尽きている。直接手を下す必要などない。もはやこいつに自由はなく、あくまでしばらく生かされるというだけだ。どうあっても、惨たらしく惨めに死ぬのは確定したとも言える。今はそれで納得してくれ」
「だ、だけどッ!!」
いつの間にかダグラスではなく、ヴァイスがギリアムとのやり取りの矢面に立っていた。若き同胞を説得する先達という形で。
「……ふむ。なるほどな。あの獣人が口走っていた、天然がどうのというのは――こういうことだったのか」
一歩引きながら、ロルカン同士のやり取りを見ていたダグラスが、ふと口走る。
「ごぶぅッ!?」
ごくごく自然な足取りで、床に這いつくばるルイを軽く蹴り飛ばしながら。
「えッ!?」
「なにを……?」
突然のダグラスの奇行に思わず振り向くヴァイスとギリアム。
ただ、カティたちは意に介さない。さも当然とばかりに、ダグラスの行動を肯定している。オーブ使いたちは気付いていた。
「ぐ……げぼ……ッ! ごほ! おほ……ッ!」
蹴りつけられたルイがむせるように咳き込む。つまるところ、彼は意識が戻っていた。密かに魔力を練り、場を脱するための行動を起こす……直前だった。
「あぁ、こりゃ確かに失敗作だわ」
「うん。ちょっと下手くそかな?」
ウィルとジュリアが無感動に吐き捨てる。
天然のオーブ使いたちには、ルイの意図は筒抜け。当人からすれば、寝たふりのままに突如として魔法を発動し、この場を脱するという目論見があったのだろうが――魔力の凝集があからさまで隠蔽できていなかった。
「――ブレイク、悪いがそちらから〈悪霊〉に呼び掛けてくれ。その間に、俺はこいつから少し話を聞いておく」
「……承知いたしました」
他の隊員と違い、ブレイクはギリアムに対して思うところのある様子だったが、だからといって己の意見を表明したりしない。粛々と命令に従い、上役であるフリントとの会談準備に取り掛かる。
「ごほ……ッ……! く……め、女神の恩寵を振りかざす矮小なる人族がッ!! じ、自由なる獣を傷付けた代償は、必ず貴様らの命で支払うことになるぞッ! 〝王獣の教え〟を思い知るがいいッ!!」
一方、密やかな脱出が不可能となったルイは、一転して吠え猛るが……もはや誰も彼の言い分など気にしていない。
「あが……ッ!?」
ダグラスは吠える負け犬を無理矢理仰向けにし、無造作に胸辺りを踏み付ける。
「悪いな。俺は〝適切な尋問〟というのを知らん。聞かれたことにだけ答えろ。答えなければ痛い目に遭う。それだけだ」
「ぐぅッ!?」
ルイは己を踏み付ける人族の兵を見た。その瞳と真正面で相対し、奇妙な違和感を抱く。
そこには、彼が見慣れた獣人を見下す、驕った人族の排斥や嗜虐性を蓄えた危うい曇りなどはない。
ダグラスには、悍ましき実験体となった者への憐憫も、ルイ個人への興味も、獣人という種に対する蔑みもない。
あるのは、ただただ平坦なだけのナニか。
「お前は『獣人解放同盟』を後援する貴族家や商家の名を具体的に知っているか?」
「……ぐぅッ! 地獄に落ちろ! 弱者が!!」
「ヴァイスを攫ったのは誰の指示だ?」
「し、知るかッ!! クソがァァッッ!」
「その〝腕〟を付け替えたのは誰だ? 具体的な場所はどこで、いつ頃の話だ?」
「ガァァッッ……! く、くた……ばれ……ッ!!」
「この街での協力者は誰だ? ヴァイスをどこへ運ぼうとしていた?」
「ぐぶ……ッ……! こ、殺して……や……るッ!」
質問の度に、質問に答えない度に、ダグラスは踏み付ける足に圧を掛けていく。スラムのボロ宿のためか、すでにめきめきと嫌な音を立てて床板も割れはじめている。
拘束された上に、圧迫されるがままとなっているルイ。
魔法による強化にて身を起こそうともがいているが、胸元に乗せられた足はビクともしない。身を鎧うだけで精一杯。しかも、ルイの方は全力で魔法を使っているにもかかわらず、相手の人族は何食わぬ顔で圧を強めて来る始末。
残酷なまでの差が、これでもかと可視化されている。
「ん? どうやらここらがお前の〝全力〟か。ふむ……練度だけで見るなら、普通の従士より少々劣るというところか。わざわざ人体を切り貼りしてこの程度とは……ご苦労なことだ。ま、見世物小屋の奇術ショーとしてなら食っていけるだろうさ」
「ッ!! ぐ……ォォッッ! ご……ッ……!」
屈辱的に煽られながらも、ルイにはなにもできない。状況を覆せない。淡々と作業のように圧を掛けてくる、熱のない平坦な人族の瞳から目が離せないまま。
「ふっ。どうした? たしか――〝王獣の教え〟がどうのと喚いていただろ? 自由なる獣を傷付けた代償とやらは……一体誰が、いつ、どんな風に取り立てに来るんだ?」
「ぐ……が……ァ……ッ!」
不自由なる獣を、これでもかと煽るダグラス。ただ、その辛辣な言葉とは裏腹に、身動きの取れないルイに対しての嗜虐的な昏い悦びはない。特にどうということもない。まるで流れ作業のように、淡々と手順を進めるかのごとくだ。
「人族を敵視しているんだろ? ほら、遠慮するな。俺の足を食い千切るなりして脱して見せろ。それともなんだ、自由なる獣とやらは、自分より弱いやつにしか強く出れないのか?」
「ぐぅ……! き、きさ……まァッ!」
煽りながらじりじりと圧を増していくダグラスだったが……すぐに限界が訪れる。
「ぐぶぅゥッ!」
ルイの方が耐え切れなかった。
めきりという鈍い音とともに盛大に血反吐を吐き、不自由なる獣は再び意識を手放した。その視界に分厚い暗幕が掛けられてしまう。
「……ふん。この程度か」
完全に気を失ったのを確認した上で、ダグラスは獣人を踏み付けていた足をどける。掛けていた圧を抜く。
「「……」」
改めて、宿の一室に静けさが戻ってくる。ヴァイスとギリアムも、呆気に取られながらも、思わず一連のやり取りに見入ってしまった模様。
「……ふぅ。ダグラス様、あまりよろしくありませんね。虜囚を無駄に痛めつけるのは、色々と問題になりますよ?」
「――なんとでも言え」
馴染みの従士からの指摘に、不貞腐れたように応じるダグラス。もちろん、カティとて理解している。
尋問という体でルイをことさらに痛めつけたのは、ダグラスのせめてもの配慮だ。
諸々の事情により仇を討てない。
それを納得できない、ロルカンの少年に対しての。
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