4 二手に別れて
◆◆◆
朝日を浴びながら、さる《《商隊》》が領都オーセルを出立しようとしていた。
仕立てのよい荷車に、より多く荷が積めるようにと工夫しながら積載していく。
輓獣として、馬と同等の大きさを誇るトカゲ型の魔獣――翼を失った陸生の竜種ドルンが用意されている。
穏やかで従順な性格を持ち、大荷物の長距離輸送では馬よりも優れる家畜化された魔獣だ。今はそのドルンたちの体にハーネスを装着している最中というところ。
「では隊長。一足先に俺たちは帰らせてもらいますが……ふっ。監視が緩くなるからといって、無茶をしてあっさり死んじまうなんてことにならんで下さいよ?」
レィズがにやりと笑う。元々、彼こそがダグラスの監視を担っていたのだが、この度は部隊を率いるという本業が優先された形だ。
「くく。サリーア様にとって、俺なんぞは使い捨ての駒に過ぎない。任を果たせればよし、果たせずに野垂れ死んでも、それはそれでよしというところだろうさ」
本音を交えた軽口を叩いて見せるダグラス。
サリーアはフリントを通じ、ヴァイス捜索の継続を求めた。同時に、シリウス改めサンドラの早急な移送もだ。
ダグラスとカティは居残りを立候補し、現地の協力者と共にヴァイス捜索を請け負うことになる。
当然ながら、外様のダグラスに白紙委任が与えられるはずもない。〈悪霊〉の起点となる者を含めた、三名の隊員が補助と監視のために居残り組に。
「――ダグラス殿に従士カティ殿。改めて礼を言う。貴殿らがいなければ、私はここにはいなかった」
出立の前に〝サンドラ〟が静かに頭を下げる。背中の中ほどまであった彼女の濃紺の髪は、今や首に掛かるほどに短く切り揃えられていた。
シリウス・バウフマンは死に、新たにサンドラとして生きるという……当人の中での一種の儀式だったのかも知れない。
「サンドラ殿がここにいるのはご自身の選択によるもの。今の貴殿に礼を言われる筋合いなど……俺にはありませんな」
ダグラスは〝サンドラ〟からの礼は受け取らない。彼が助けたのは、あくまでもシリウスなのだと線を引く。
「ふふ。貴殿の心遣いに感謝を。ただ、今この時だけは……特に従士カティ殿。貴殿には、シリウス・バウフマンの忠臣たる従士ジョナスを看取っていただいた。万の感謝を捧げても到底足りないが……ありがとう」
寂しげではあるものの、ふわりと微笑むシリウス。そっと腰に手をやる。そこにはあの時の従士ジョナスの剣が収まっている。魔導士である彼女にとっては実用品ではない。だが、それでも彼女は剣を佩く。その剣は誓約の証だ。
「サンドラ様。私は捻くれたダグラス様とは違い、素直に貴女様からの感謝を受け取ります。その上で、私からも謝罪を。あの時、ジョナス殿を助けられませんでした」
カティも静かに頭を下げる。それは彼女にとってのケジメ。なぜなら、カティはジョナスを助けることができたから。切り札である特殊オーブを使えば、瀕死のジョナスを救うことすらできた。その確信がある。
だが、彼女は切り札をジョナスのためには使わなかった。
「どうか気に病まないでくれ。ダグラス殿とカティ殿に非はない。あるはずもない。……裁かれるべきは者らは他にいる。この私を含めて……」
サンドラの瞳の奥には、昏い火が燻っている。身分を捨て、名を捨て、その素性さえ捨ててサリーアの臣になるのも、言ってしまえば、その昏い火で焼き尽くすためだ。父を。妹を。バウフマン家そのものを。サリーア陣営がバウフマン家と手を組むのを承知の上で。
「ふっ。サンドラ殿。俺は貴殿の征かんとする道を否定はしない。だが、やると決めたのなら……入念に準備し、そして決して怠らぬことだ」
「……ふふ。ダグラス殿からの金言、胸に刻んでおくとしよう。そして、改めてカティ殿に感謝を」
「……」
寂しげな微笑みと昏い焔を引きずりながらも、彼女はさっと踵を返す。
もう振り返らない。心が後ろ向きなまま、その身は前へと進む。〝サンドラ〟としての己の道を征く。まずは王都へ。慌ただしく準備をしている部隊の下へと歩き出す。
〝仮面のサンドラ〟
見送るカティはその名を知っている。故に胸中は複雑だ。
従士ジョナスの今際の言葉を伝えたことについても、彼女は後悔を覚えている。
『……シ、シリウスさ……まに……た……ちどま……るな……と……ジョ……ナスに後悔は……ない……と……』
サンドラとなった彼女にとって、従士ジョナスの遺した言葉は慰めではなく、ある種の呪いと化してしまったのかも知れない。
「……サンドラ様。どうかご武運を」
去り征くサンドラの背に、カティはそっと呟く。それが自己満足であることを承知の上で。
「カティ、所詮は〝巡り合わせ〟だ。サリーア様の下にいるなら、いずれまたサンドラ殿とは顔を合わせることもあるだろうさ」
従士であるカティの心中を察しながらも、ダグラスは割り切る。いかに現状が〝原作〟の流れに類似していようとも、実際に先の保障があるわけじゃないと。
「――それに、サンドラ殿と距離を置きたいと言ったのは、他でもなくカティだろうに」
そう。カティは望んだ。〝原作〟の重要キャラと離れることを。おあつらえ向きに、『獣人解放同盟』のあれこれやヴァイス捜索という名目が手に入った。だからこそ、彼女はダグラスに進言した。
『予定通り王都へと向かうのとは別に、ヴァイス捜索で人員を割くのをフリント殿に提案してみてはどうでしょうか? もちろん、私たちは捜索組です。バウフマン領での活動に危険はありますが……いくら巡り合わせと言い張ろうと、やはり〝仮面のサンドラ〟と行動を共にするのは得策ではないかと……』
結果として、カティの案はダグラスを通してサリーアに受け入れられた。それはサリーア陣営にとって、ダグラスらが思う以上にヴァイスの価値が高かったということでもある。
「ふぅ……どうやらダグラス様には、か弱い乙女の揺れ動く心の機微というものがお分かりにならないようですね」
「くく。まったくもって図々しいやつだな。誰がか弱い乙女だ。誰が」
か弱き乙女と粗忽な〝オーク〟はさておいて、状況は動いている。
レィズ副長が率いる部隊は商隊とその護衛に偽装し、準備ができ次第、一路王都へと出立する。
そして、領都オーセルに居残ったダグラス分隊は、引き続き〝ヴァイス〟の捜索に当たることに。
「――さてさて若様。お別れが済んだなら、俺らもとっとと動きましょうや。副長たちが出立するにはまだしばらく掛かりますし、別に部隊の姿が見えなくなるまで手を振り続け、涙ながらに別れを惜しむなんてガラでもないでしょう?」
怠そうに毒を吐きながら近付いて来たのは、二十代半ばながらも白髪交じりであり、黒髪が灰色のように見える男――ウィル。
「ふん。いちいち言われずとも分かってるさ。あと、何度も言ってるが、その若様はいい加減に止めてくれ」
毒気のある声を掛けられながらも、ダグラスは慣れた調子で返す。無駄と分かっているものの、呼び方についても注意を促す。
「えー? 若様がダメなら、昔みたいに坊ちゃんにしますぅ?」
「却下だ。普通に〝隊長〟とかでいいだろうが……」
重ねるように茶化す別の声。
声の主は、短めにまとめられた金髪と澄んだ碧眼を持つ若い女――ジュリア。
「それにしてもフリント殿……というかサリーア様は、よくこんな人選を許したものです。もしかすると、ダグラス様の離反を誘っているのでしょうか……?」
カティが思わず零す。
「ダグラス様が試されてるのは確かだろう。だとしても、ウィルやジュリアはともかく、俺はサリーア様の下を去る気はないがな。いかにダグラス様やカティが相手であっても、そこは線を引かせてもらう。俺は監視役に徹するまでだ」
また一つ別の声。カティに応じるように、落ち着いた声で監視役を明言するのは、肩ほどまで伸ばした艶のある黒髪を束ねた、細身ながらも兵士らしく締まった体型の男――ブレイク。
居残り組たる、ダグラス分隊の面々。
◆◆◆
オーズの酒場は、領都オーセルのスラムにおいて、脛に傷を持つ者や落伍者たちの社交場の一つ。
ただ飲んだくれているだけの連中とて、危険な取引やら黒い噂話の一つや二つは知り得てしまう。
だからこその暗黙の了解というものもある。
「よう、ずいぶんと久しぶりじゃねぇか。色々と人気者になっちまったようだが、お前さんがこうも堂々と〝昼間〟に顔を出すってことは……かなりヤバい状況のようだな」
カウンターの奥で木製のマグを片付けながら、店主イアンが来訪者に向けて声を掛ける。
〝オーズの酒場〟は、陽が傾きかけた夕方ごろに店を開ける。安酒を振る舞い、店内なら話の相手くらいはするが、店の外での無法不法について店主は関与しない。
だが、〝昼間〟の来訪となれば話は変わって来る。
「はは。今の取引先はずいぶんと気が短いようでな。ちょっとした意見の相違で、いきなり刃傷沙汰だ。しかもしつこい。まったく酷い目に遭ったぜ……」
来訪者はそう店主に応じる形でぼやきながら、ずかずかと開店前の店内へと踏み込み、どかりとカウンター席に座る。
「ふん……もとはと言えば、お前さんがあっちこっちに色気を出してるからだろうが。〝ルール〟を知らない新顔までが、お前さんを訪ねて来てたぞ? 『フリントの紹介』だと言っていたな。あぁ、例の死体はサービスで片付けといてやったぞ。得物の方は回収されちまったようだがな」
〝昼間〟の〝オーズの酒場〟は――店主イアンは、飲んだくれを相手にするのとは別の顔を見せる。
「いつもすまない。追手を釣り出すために敢えて放置していたんだが……思いの外に手練れの追手が掛かってな。逃げるので精一杯になっちまってた」
来訪者は言い訳を並べるようにぼやく。その赤黒い髪の間から、獣人特有の耳が突き出している。全体的にくだびれたような雰囲気を纏っているが、気怠げな瞳の奥には鋭さが宿る。人族で言えば、四十を越えようかという顔立ちの獣人族の男。
さらに特徴的なのは、その左腕。指先から肘当たりまでを覆う手甲を装着している。体毛に覆われた右腕とは、非対称な異質さが見受けられる。
「――なるほどな。その手練れの追手とやらは、まだ諦めてないってわけか」
「ああ。だから、イアンの旦那に仲介を頼みたくてな」
〝オーズの酒場〟の店主イアンの裏の顔。それは、非合法な依頼の仲介。あくまで仲介としながらも、昼間のイアンに頼みごとをして、解決できない問題はない――などと実しやかに囁かれているほど。
もちろん、相応の金とコネが必要になるのは当然として。
「まぁお前さんとはそこそこに付き合いも長いし、頼まれてやりたかったんだが……今回は無理だな」
イアンは来訪者の依頼を受け取らない。それなり以上に付き合いのある相手ではあるが、今回は残念ながら依頼を受けるわけにはいかない。
「ん? そりゃどういう……ちッ……先約かよ……ッ!」
男は気付く。店の奥からぬるりと現れた、武装した人影を見て察する。
後ろを振り返れば、いつの間にか、店の入口にも立ち塞がる人影がある。何人かが構わず店に入って来る。当然皆が武装した者たちだ。すでに囲まれており、来訪者は待ち伏せのある場所へと踏み込んでしまったわけだ。
「――同志ヴァイス。おとなしくついて来てもらおうか。いくらお前でも、流石にこうなってはどうにもならんだろう?」
カウンターの内側から、獣人の若人が宣告する。来訪者と同じように、指先から肘までの手甲を装着した男。彼の場合は右腕だ。
「……ルイか。ちッ、本当にしつこい野郎だな。まったく、イアンの旦那よ。ちょっと酷くねぇか? それこそ〝ルール違反〟だろ?」
多勢に無勢だと理解した来訪者――ヴァイスは、勢いに任せた力尽くを諦める。もはや、愚痴るように店主イアンを責めることしかできない。
「――なんとでも言え。さっきも言ったが、もとはと言えばお前さんが蒔いた種だろうが。こっちはなぁ……ちッ、ギリアムを人質に取りやがって。こんな野蛮な連中を連れて来やがったお前に、こっちこそ文句を言いたいぜ……ッ!」
思わず歯噛みするイアン。
〝オーズの酒場〟に限らずだが、暗黙の了解とは、言葉の通りそれを共有して了解する者たちの間で通じるもの。
目的のためには手段を選ばない。そんな連中に通じる自衛手段ではなかった。
「人質……くそったれが。おいルイ。ギリアムは生まれも育ちもこのオーセルだ。それに、流行り病で死んじまった両親に代わって面倒を見てくれてるのが、このイアンの親父さんなんだぞ? ギリアムは置いて行け。この親子に手を出すな」
来訪者たるヴァイスは、イアンのルール違反の事情を知り、嫌な汗が出る。目の前にいる獣人族の若人――ルイの狂信を知るが故に。
「ふん――なにが親子だ。この人族は、ロルカンの子を奴隷としていた。『誇り高き自由なる獣を縛る者は何人であれ赦されぬ』――同志ヴァイスよ、〝王獣の教え〟を忘れたのか?」
危険な香りを漂わせるルイ。相対するヴァイスはなおも食い下がる。
「はッ! そっちこそなにが〝王獣の教え〟だ! 原典が存在するかも怪しい、誰が言い出したかも分からない口伝などッ! そもそも『獣人解放同盟』だぁ? 笑わせるぜ。そんなにロルカンの奴隷を解放したいんなら、素直に金を払って所有権を買う方が手っ取り早いんだよ。武装強盗をさせられてる時点で、お前らも所詮は首輪付きだろうが……ッ!」
ヴァイスは悪様に吐き捨てる。〝王獣の教え〟を、『獣人解放同盟』の活動を否定する。
「くくく。同志ヴァイス。自分に悪意を向けさせようと必死だな。残念だが、そんな見え見えの挑発に乗るほど阿呆ではない。俺は〝王獣の教え〟を忠実に守るだけだ……ッ!」
しかし、ルイは乗って来ない。にやついた顔で腰の剣をゆっくりと抜く。
その様子を見て、どこか諦めたかのように溜息を吐き出すイアン。その目は真っ直ぐにヴァイスへと向けられている。願いを託すように。
「よせ……! 止めてくれルイ。俺の身柄を確保するのが、今回のお前らの目的だろ? なぜに無駄に血を流そうとする……ッ!」
「くく、無駄ではない。汚らわしき人族の血が流れるのはなァァッッ!!」
「止めろォォッッ!!」
ヴァイスの願いは届かない。
その日以降、〝オーズの酒場〟が開店することはなかった。
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