2 不可解な状況
◆◆◆
「ほぅ。では、ヴァイスという男もロルカンなのか」
「え、ええ。僕とは違い、ヴァイスさんは自由身分ですけど……」
当たり障りのない会話を交わしながら、石畳がところどころに剥がれた路地を歩くダグラス一行。
「ギリアムは奴隷身分のようだが……イアンはそこまで厳格ではなさそうだな」
幼き獣人族のギリアムの首には、奴隷身分を示す黒い布地が巻かれている。それは特殊な魔導具でもあり、当人や許可のない者が易々と外せないようになっている。無理矢理に外せば、追跡を促す呪術魔法が発動する仕組みだ。
「は、はい。実は……あまり口外するなと言われているんですが、僕ぐらいの若いロルカンが自由身分のままスラムにいると、奴隷商に捕まったりするので……親父さんには僕からお願いして、奴隷として登録した上で買ってもらったんです」
「ふむ。なるほど……ギリアムからすれば、むしろ自由身分でいる方が危険なのか……」
ダグラスは獣人族やスラムの実情には疎い。ギリアムとしては取るに足りない当たり前の話であっても、ダグラスにとっては生きた教材のようなもの。新たな学びを得ていた。
「話の途中で申し訳ないんだが、ダグラス隊長よ。もし、その目当てのヴァイスが見つからない場合、部隊の出立をどの程度まで遅らせるつもりで?」
新たな知識獲得に精を出すダグラスに、口を挟む者がいる。
オーズの酒場では口を噤んでいた同行者であり、三十路頃の顎髭を蓄えた大柄な男だ。
ダグラスと共にバールライラへと派遣された、サリーア直属の部隊に属する――レィズ副長。
一応、ダグラスが部隊長という形になっているが、実のところ、このレィズが部隊運営を取り仕切っている。
「ん? あぁ……フリント殿の指示ではあるが、別にどうしてもオーセルで資金調達をしなければ動けないというわけでもない。そこそこにヴァイスを捜索して見つからなければ、その旨をフリント殿に伝え、予定通りの出立でよいかと思う。むしろ、バウフマン領にだらだら留まる方が不味い……という風に考えているんだが、レィズ副長としてはどうだろう?」
ダグラスは己の考えを提示した上で、逆にレィズに問う。それはまるで、教師に対して採点を求めるような態度。
「――今のところ、隊長の考えで問題ないかと存じます」
レィズはにやりと笑みを浮かべながら、ダグラスの考えを肯定する。
「ふっ。レィズ副長から及第点が得られたか」
ダグラスとて分かっている。自分の考えや指揮が不甲斐なければ、副長が即座にそれらを挽回する仕組みになっており、日頃から彼は試されている。
サリーアが直々に集め鍛えてきた者たち。五十名からなるオーブ使いたちで構成された直属の部隊。
幼き頃から彼女に仕える従士レィズが、部隊の指揮とダグラスへの監視を任されている。
「はは。心配せずとも、ダグラス隊長は十分に及第点を超えていますよ。現場での部隊指揮という点はまだまだ未熟ですが……それを相殺にするほど、〝兵〟としてはデタラメに有用なのでね。バールライラでの実戦で、未だに部隊から離脱者を出していないのは、むしろ驚異と言えます」
もちろんレィズの忠誠はサリーアに捧げられているが……それでも、彼はダグラスのことを高く買っている。
バールライラ山中で、敵部隊に奇襲と離脱を繰り返すという特殊な運用ではあるものの、ダグラスは預かった部隊から離脱者を……死亡者や戦線復帰不可能なほどの重傷者を出していない。
また、奇襲の際には、自ら先陣を切って暴れ回るという勇兵ぶりを発揮する。その上で、そこらのマルバ兵を寄せ付けないほどに強い。
レィズをはじめとして、部隊の者たちがそんな隊長を気に入らないはずがない。
「ふっ。それはレィズ副長や各分隊長あっての結果に過ぎない。どうにも、俺は実戦の中で全体を観るのが苦手なようだからな。今の小隊規模ですら、副長の指揮がないと成り立たない。前線で剣を振り回している方が性に合っている」
「ま、規模の大きな――それも見通しのよい平地での合戦などであれば、確かにダグラス隊長は中隊以上の指揮官には向いていないでしょう。ただ、遊撃の小隊を率いて、敵軍に切り込んで攪乱するなどにはうってつけかと……」
「くく。微妙ではあるが、今の俺には至極真っ当な評価だな。さて、本題に戻るが……今のところ、ヴァイス捜索に入れ込んで、部隊の出立を遅らせるつもりはない。もっとも、最終的にはフリント殿の指示次第にはなるが……」
フリントから『活動資金についてはヴァイスに話を通している』と言われたが、そもそもダグラスらの部隊はそこまで困窮しているわけでもない。王都へと戻る道中くらいであれば、特に資金不足、物資不足で悩まされるほどでもないのだ。
サリーアやフリントにとって、ヴァイスの重要度がどれほどかは分からないが、部隊としてはそこまでの痛手でもない。ダグラスもレィズも、そこは割り切っていた。
「あ、あの……まずは、ヴァイスさんが常宿にしていた場所に着きましたけど……」
ダグラスとレィズの会話が一段落したところを見計らい、おずおずとギリアム少年が声を掛ける。とりあえずの目的地への到着を知らせる。
「お、すまない。あー……ちなみになんだが、ギリアムもしばらくはヴァイスの姿を見ていないんだな?」
「え、えぇ。少なくとも、一月ほどは見ていません。念のために案内はしましたが……ヴァイスさんは、まだこの宿には戻って来ていないと思います」
「ふむ……先にフリント殿に確認しておくべきだったな。『ヴァイスに話を通した』というのが、一体いつ頃のことだったのやら……」
行方知れずとなったサリーア陣営の協力者。ギリアムやイアンの言が正しければ、『バウフマン領の変』の少し前から、ヴァイスは姿を消していたことになる。
「隊長、確か魔力のないロルカンは〈悪霊〉の起点にはできないはず。おそらく、フリント殿が直接やり取りをしているのは、また別の者なのでしょう」
「なるほど。フリント殿にしても、直接ヴァイスの実情を知っているわけでもないのか……」
この時のダグラスたちは、ヴァイスの捜索にそれほど力を入れているわけでもなかった。あくまでフリントからの指示で接触を求めただけ。
ヴァイスと接触できなければ、部隊をまとめて〝サンドラ〟を連れ帰るだけ。帰途に就くのみ。
そのように考えていた。
◆◆◆
『バウフマン領の変』の現場を知るダグラスとカティは、バールライラの砦に駐留する部隊とは合流せずに、領都オーセルに留まっていた。
当然ながら、暗殺された体になっているシリウスも同じくだ。流石に領軍の兵で溢れる砦へ赴くわけにもいかない。
むしろサンドラの護衛のために、副長であるレィズを含め、部隊から数名が街に来ているという状況。
スラム地区にある訳あり共の巣窟などではなく、ごくごく真っ当な富裕層の多い地区にて、宿を貸し切っている。もちろん、口止めありきで、それなりの金を握らせた上でだ。
「――なるほど。結局、ヴァイスの行方は分からずじまいということですか……」
広めの部屋にはダグラスとカティ、レィズの三人と、フリントの幻影が浮かぶ。
「寝床を四つほど案内してもらったが、当人の姿はなかった。ただ……その内の一つには、室内で激しく争ったと見られる痕跡と、見知らぬ獣人の死体が二つばかり放置されていた。死体の様子を見る限り、せいぜい数日前というところで、ヴァイスが姿を消したとされる一月も前ではなさそうだった」
ダグラスは淡々と伝える。ヴァイス捜しの一先ずの顛末を。
ギリアムの案内で訪れた最後の場所。スラム地区どころか、街の外れにある雑木林の中に建てられた一軒家。
かつては林業を生業とする者らの作業小屋だったらしいが、この場所での林業が廃れて放棄された後、住み着いた者たちが勝手に増改築を施し、今に至っているのだとか。
街に用事がない時は、彼はこの家で過ごすことが多かったらしい――というのはギリアムの言だ。
ただ、訪れた一行は、その家での異変をすぐに察した。
人の気配は感じられないが、開け放たれたままの扉から、野外へと腐敗臭が漏れ出ている。
あきらかに、そこそこの大きさの生き物が死んでいる。一行の頭に過ったのは、当のヴァイスが死んでいる光景だが、この時はまだ不透明だった。
「カティ、念のためにギリアムを守れ」
「はい。承知しました」
家の扉を注視しつつ、ダグラスは指示を出しながら慎重に歩を進める。
カティはギリアムの横に立ち、短槍を具現化して周囲を警戒する。
これほどの腐敗臭であれば、獣などが嗅ぎ付けてもおかしくはない。気配を殺し、家の中にナニかが潜んでいる可能性はある。
「隊長、まずは俺が先に行きますよ」
腰の短剣を抜き、逆手に構えるレィズがダグラスの前へ出る。
魔導士寄りである彼にとって、短剣はあくまで護身に過ぎない。すでにオーブを起動し、魔法を纏っている。
一方のダグラスは、いかにスラム地区といえど、流石に悪目立ちしてしまうため、具現化した〈無銘〉を持参していない。
もちろん、部隊の者は例の大剣がオーブ由来であり、具現化の出し入れが可能なのを知っているが、先の魔力遮断のこともあり、ダグラスは街では偽装を徹底したまま。
オーブの契約自体が途絶えた訳でもないため、大剣を持たずとも身体強化系の魔法は使えるが……少々心許ないというところ。
レィズが先を行き、その数歩後ろを保ちダグラスが控える。
元が作業小屋である以上、開け放たれた玄関口の扉以外の出入り口もあるはず。
それを踏まえて、レィズは先に声を掛ける。無用な争いを避けるために。念のために。
「我々はオーブ使いの兵だ! こちらに住むヴァイスに用があって来訪した! 逃げるなら追わん! 不要な戦闘は望まない! だが、やるというなら容赦はせんッ!」
周囲は静寂を保ったまま。
警告に応じる者はいない。動くモノもない。
相変わらず、腐敗臭が垂れ流されているだけ。
「――で、屋敷の中で死体を見つけたと?」
幻影のフリントが促す。
「ああ、その通りだ。人の気配がない屋敷内を物色させてもらったのだが……そこで若い獣人の死体を見つけた。一人は正面から袈裟斬りでばっさり斬られており、別の一人は背後から胸を貫かれ、剣が突き立ったままだった。おそらく、一人は戦闘の末に斬られ、もう一人は逃げようとしたところを後ろから刺されたのだろう。少々腐敗も進んでいたが、ヴァイスの顔を知るギリアムに確認してもらったところ、死体はヴァイス当人ではなく、その二人の獣人は、スラムでは見たこともない顔だという答えだった。あと、屋敷にはあきらかに獣が出入りした痕跡もあったが、死体は荒らされていなかったな。あくまで見立てだが、二人を斬った剣には毒でも塗られていたんだろう。獣ですら忌避するほどの……」
当時の様子について、その細部をフリントに報告するダグラス。屋敷の中には、腐敗臭の発生源である斬殺された死体が二つ。どちらもヴァイスではなかった。
「毒の可能性ですか……その剣の回収は?」
「ん? まぁ回収しろというならするが……とりあえず、厄介事の匂いしかしなかったため、俺たちは一通りの検分だけを済ませ、現場にあった物には極力触れないようにして撤収したのだが?」
ダグラスにしろレィズにしろ、目の前の不可解な状況に疑問はあったが、『自分たちの関与する問題じゃない』という共通の認識があった。前提として、ヴァイスなる人物がいようがいまいが、部隊の運用にそれほど影響がないというのもある。
死体となった獣人にしても、別に発見者であるダグラスたちが哀悼を捧げ弔ってやる義理もない。
これが行き倒れのような形であれば、流石に対応も違っただろうが……その死はあきらかに戦闘の結果によるものだ。勝者と敗者のどちらに対しても、詳細が分からぬ以上は下手に関与できないという危機意識をダグラスたちは持っていた。
だが、指示役であるフリントからは、少々趣きの異なる意見が出た。
〝現場〟に残された剣の回収を求めるというのは、この事件に関与する気があるというのと同義だ。
「――実のところ、ダグラス様たちに開示するつもりはなかったのですが……件の〝ヴァイス〟は、バウフマン領での情報屋とは別に、ここ数年で台頭してきた『獣人解放同盟』の調査を担ってもらっていました。サリーア様個人に留まらず、バルボアナ家からの正式な要請と支援によって――です」
サリーアやフリントからすれば、〝ヴァイス〟はただの情報源という価値だけに留まらなかった模様。現地採用の密偵であり、他の情報屋のまとめ役というところか。
「……ほぅ。〝ヴァイス〟は〝失いたくない駒〟というわけか。それにしても『獣人解放同盟』? 名前からすると、獣人が主体となった活動なり組織なりだろうか?」
「ええ。その構成員は獣人族が大半を占め、獣人の奴隷解放を謳って活動していますが……裏で糸を引いているのは人族です。あるリナニア貴族と商家のいくつかの関与が疑われています。ふぅ……こちらも〝争乱の予兆〟というやつですよ」
どこかくたびれたように溢すフリント。
「……」
『獣人解放同盟』という聞き慣れぬ名称に、その場ではカティが僅かに反応したのだが……ダグラス以外には気付かれなかった。
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