1 獣人族
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「いつまで人族どもに飼われているつもりだッ!! 〝王獣の教え〟を忘れたかッ!?」
荒ぶる声が響く。年若い男……あくまで人族基準で見れば。
猛る男の頭部には獣の耳。その瞳孔は丸く黒々としており、その黒を縁取るような金色の虹彩。
顔にも体毛があり、鼻から口に掛けても、短いながら口吻がある獣のような造形。鼻の横付近からは、他の毛とは違う長い髭が何本か伸びていたりもする。
シルエットは人族と似ているものの、その細部にはかなりの相違がある。
人族にはない鋭い歯。牙。そして、その手指の先には、獣に近しい爪。人族では退化した名残りだと言われているが、尾てい骨付近にはそのまま獣の尾もある。
半人半獣の姿。いわゆる獣人族と呼ばれる、人族とは異種の者。吠え猛る彼は、狼系の獣人というところ。
「……ふぅ。ルイ殿よ。なにやら勘違いしておるようだが、我らは人生のほとんどを人族に隷属してきた身だ。今さら遥かなる王獣様の教えなどと言われても……どうにもなりはせんよ」
「なぜだ!? なぜ人族の奴隷として生きるッ!? なぜそれを受け入れているのだ!? 我々はお前たちのような者を解放するために立ち上がったのだぞッ!?」
吠える男をルイと呼び、諭すように応じるのは、髪や体毛に白い物が交じる老齢の男性。こちらもルイと同じような特徴を持つ獣人だ。
「……〝解放〟か。確かにその言葉には強い力がある。奴隷として生きるのではなく、己の人生を生きるのだと――そう思う時期がわしにもあった。しかしのう、ルイ殿よ。そなたらが殺した人族たちは、確かにわしらを奴隷として使役しておったが、実態は人族の使用人と変わらぬ立場だった。ただの使用人として傍に置いて下さっていたのだ……わしのような老いぼれも、半人前以下でしかない年端のいかぬ幼子もな……」
老齢の獣人は寂しげに零す。
幼き頃に〝獣人狩り〟に遭い、奴隷として人族の商人に買われた身ではあったが、彼は自身の境遇を受け入れていた。
若かりし頃には奴隷という立場への反骨心もあったが、人族の主人の下で奴隷として暮らす日々は……そう悪いものでもなかったと振り返ることができたから。あくまで結果論としてだが。
「それが卑劣な人族の手だと知らぬ訳もないだろう! 我らを懐柔するための方便だッ!」
ルイは叫ぶ。威嚇するように振るう。指先から肘までを覆う金属製の手甲を装着した右腕を。
「……理由がどうであれ、我らはこのままでよかった。解放など求めていない――わしはルイ殿らの活動に賛同はできぬ」
激しく温度差のある二人。系譜を同じくとする獣人同士ではあるが、その意見はまるで交わらない。
「惰弱なッ! 人族ごときに飼い馴らされてしまいおってからにッ! 王獣の教えを忘れた弱き者めッ!」
「……なんとでも言うがよい。わしらは貴殿らの手を取らぬよ、決してな」
真っ直ぐに、若き獣人を見据えて放つ。老齢の獣人は、それが自身の今際の言葉となることを理解していた。
「ッ!!」
大気を裂く音。一閃。鈍色の剣が通り過ぎた。
呆気なく、血飛沫と共に老齢の獣人の首が飛ぶ。ルイが無言で剣を振るった結果として。
交わらない意見の応酬の末、一方は強制的に、永遠に、沈黙を余儀なくされる。暴力という交渉によって。
〝王獣の教え〟に対する相違は、獣人ルイによっては、命で贖わなければならないものだった模様。
ただ、散々に人族への嫌悪を語っていた彼が使用したのは、その人族が伝えた技術による剣という皮肉。
命を支払った老齢の獣人は、その滑稽さを理解していたが、当の本人は気付かないまま。
同族の首を刎ねたルイ。その手を同族の血で染めはしたが、所詮は今さらという具合。
抜けるような空の下。吹き抜ける風と陽の光が、周囲に転がった多くの死体たちを撫でていく。
ルイたちは、獣人を奴隷として扱う商隊を襲撃し、護衛を含め、居合わせた人族のことごとくを殺し、隷属させられた獣人を解放するつもりだった。
が、あろうことか、ルイたちの同胞……獣人族たちは、武器を手に取り、人族と連携して襲撃に反抗して見せたのだ。
結果として、生き残ったのは獣人族の数名だけ。その一人が、先ほど首を刎ねられた老齢の獣人だった。
「なぜに分からん!? 〝王獣の教え〟こそが、我ら〝獣人族〟の正しき道なのだッ!」
目の前に横倒しになった、首なしの遺骸に向けてルイは吐き捨てる。己の正義を。
この世界において、確かに獣人族と人族の確執はある。一部の獣人は、人族の奴隷として扱われてもいる。
それを憎々しく思う一派がいるのも当然と言えば当然のこと。
だが、同時に、獣人族の間にもそれぞれの考えがあり、すべてを一纏めにはできないのも確か。
いわば人の業。ある意味では、獣人族も人族も似たり寄ったりだ。
それぞれで思いや考えが違うのは当たり前。
リナニア王国という器を同じくする人族の同胞同士であっても、ごくごく当たり前に殺し合っている。
獣人族にしても、思想信条の違いで同胞が殺し合うのも……特にもの珍しくもない。
◆◆◆
バウフマン辺境伯領の中心地たる領都オーセル。
遺跡群から産出された魔石やオーブを各所に輸送するための起点であり、交易路の交わる要地。
ローネル・バウフマン辺境伯公は、妻と娘を含め、多数の犠牲者を出した襲撃について、高らかに『マルバ都市同盟の手に者によるもの』と宣言したため、各所で締め付けが厳しくなっているものの、それでもマルバ都市同盟との交易は続いている。当然にマルバだけでなく、リナニア国内の商隊たちも行き交い、賑わっている。
ただ、規模が大きな街ともなれば、どうあっても住民同士に格差が生まれ易くなってしまう。
自然と分かれていく。住む場所も、付き合う人々も。
成功者は成功者がいる場所へ。落伍者は落伍者同士が身を寄せ合う澱みへ。
スラム地区に軒を構える、日銭を握りしめた落ちぶれ共が飲んだくれている〝オーズの酒場〟は、落伍者の吹き溜まりであり、脛に傷持つ者らの社交の場。いわゆるところの非合法な裏社会にも通じる場所だ。
「あぁん? ヴァイスの野郎に用があるだぁ?」
陽も高く、流石にまだ店を開けてもいない時間帯。厳めしい顔つきの店主が、普段の客層とは少々毛色の違う来訪者の相手をしていた。
「ああ。『フリントの紹介で来た』と伝えれば通じると言われたのだが、そもそも件のヴァイスという者を知らないのでな。教えてもらえれば助かる」
オーズの酒場の店主――イアンは訝しげに来訪者を見やる。普段からゴロツキ共の相手をする以上、イアン自身も腕っぷしには少々の覚えがあり、五十を過ぎようかという歳ながらも、筋骨隆々な肉体を未だに維持している。
だが、目の前にいる三人の来訪者を相手に、腕っぷしに訴えるような真似はしない。できない相手だと彼は看破する。店に寄って来るゴロツキ共とはまるで違う。
特に口を開いている男。
上背はそれほどでもないが、ローブコートの上からでも分かるほどに厚みのある体。体型。地に根を生やしたかのような堂々たる立ち姿。体幹のぶれもない。
物腰や口調そのものは落ち着いているが、その眼光は鋭く、顔の剣傷も相まって、イアンは、まるで獰猛な獣を前にしたかのような緊張感を抱いていた。
戦いを生業とする者たちなのは間違いないだろうが、バールライラの砦に駐留する領軍の兵士たちとも少し違う。
「……ふん。まぁ、別に口止めをされてるわけでもないし、ヴァイスのことくらいは教えてやってもいいんだが……」
この来訪者たちを相手に〝偏屈な酒場の店主〟で応じるのが悪手なのを即座に理解したイアンだったが、それでも少し言い淀む。
「ん? あぁ、もちろん謝礼はしよう」
このような場には不慣れな様子ながらも、店主の様子を見た来訪者は〝相場〟について打診する。
スラム地区で無料で仕入れた情報など、まるで信用ならないものなのだと――来訪者の男も事前に聞き及んでいた。
「ああ……そうじゃねぇんだ。流石にこの程度で見返りなんざいらんよ。単にここ最近、ヴァイスのやつを見てねぇのさ。たまにフラリと姿を消すやつだったが、今回は姿を見ない期間がどうにも長い。街を離れるとも聞いてなかったし、もしかすると、なにか下手を打って、どこぞで野垂れ死んでるかもな」
イアンが言い淀んだ理由。来訪者の尋ね人である、ヴァイスの姿を最近は見ていない。提供できる情報がそれほどない。
オーズの酒場に出入りするような輩は、皆がそれぞれ、なにかしらの後ろ暗い事情を抱えているものだが、その中でもヴァイスは比較的金回りのよさそうなやつだった。
が、それが故に、どこでくたばっていてもおかしくはない。
なぜなら、真っ当に金を稼いでいたなら、わざわざオーズの酒場になど来ない。ヴァイスの金回りのよさというのは、身の危険を引き換えにしたものなのだろう――というのは、オーズの酒場に出入りする皆が思っていた。
「むぅ……そうなのか。ならば、そのヴァイスの住んでいる場所は分かるだろうか?」
「あぁ。あちこちを転々としていたようだが、いくつかは心当たりがある。まぁ、単に腹の調子でも崩して寝込んでるだけならいいんだが……おい! ギリアムッ! ちょっと来てくれ!」
イアンは呼び付ける。小間使いとして店に置いている少年を。
「あ、はい! どうしました、親父さん?」
店の裏でなんらかの作業していたと思われる、少々薄汚れた少年がぴょこりと顔を出す。その頭部には、人族には見られない獣の耳が生えていた。獣人の少年だ。
「魔石の選り分けは後回しでいい。この客人たちがヴァイスの野郎に用があるらしくてな、やつの寝床のいくつかを案内して差し上げろ」
「え? あ、は、はい! 分かりました!」
ギリアムと呼ばれた少年が、慌てたように来訪者たちの前へと飛び出して来る。
血の濃淡によってなのか、頭部にある耳と体の後ろでふりふりと揺れる尻尾以外は、人族の子とほとんど変わらない姿。
その姿を見やり、来訪者の男がぽつりと溢す。
「ほぅ……〝半獣〟か」
「ッ!」
「ち……ッ」
独り言のような呟きにぴくりと反応するのは、駆け寄って来た当のギリアム少年と店主のイアン。空気が少々冷える。ひりつく。
「――ダグラス様、今のはいけません。獣人族の方々に対して、我々人族側が〝半獣〟と呼ぶのは、かなり強い蔑称になります。〝ロルカン〟と呼称するのがより正式な礼儀となりますので、訂正の上で謝罪を……」
静かに後ろで控えていた来訪者の一人が――カティが、一歩前へ出て主に苦言を呈する。
たとえ、スラム地区の掃き溜めで小間使いをしている獣人が相手であろうが、初対面で、種族を貶める差別的な物言いは流石にいただけない。下手に敵を作るだけであり、現に店主のイアンも気分を害している。
「ん? そうなのか? ――あー……すまない、〝ロルカン〟の子よ。無知と恥を晒すようだが、非礼な呼称であることを知らなかった。こちらに君を貶める意図はない。不快な思いをさせて申し訳ない」
場の空気と従士からの指摘を受け、ダグラスは素直に頭を下げ謝罪する。彼からすれば、本当に差別的、侮蔑的な意味はなかった。ただ、獣人族が半獣と呼ばれているという偏った知識があっただけ。
なぜなら、リナニア貴族は獣人族と接する機会がほぼない。
奴隷として扱うために、獣人族の人身売買はリナニアでも横行しているが、基本的に獣人を売るのも買うのも平民層だ。獣人を護衛や小間使いとして扱うのは、小規模な商家、裕福な平民がほとんどだと言われている。
なにしろ、獣人族は魔導宝珠を扱えない。契約者になれない。
素の身体能力であれば、獣人族の方が人族より優れているのは事実だが、これが『人族のオーブ使い』と比べれば……オーブ使いが圧倒する結果になる。
それほどまでに、オーブや魔法による恩恵というのは大きい。だからこそ、リナニア貴族はわざわざオーブを扱えない獣人族を奴隷とするより、魔導の才がある人族の方を積極的に〝買う〟。
そして、そんなリナニア貴族と付き合いが深い大商家ともなれば、貴族に習って、獣人族よりも人族で周囲を固める。
結果として、リナニア貴族が獣人族を見る機会はほぼなくなり、実際にダグラスも、こうして獣人族と間近で接するのははじめてだった。
「え……あ、いえ、だ、大丈夫です……はい……」
ただ、そういったあれこれを知らぬギリアム少年は、あまりにあっさりと謝罪を口にされたことで、逆に焦ってしまう。感情のやり場に混乱が生じる。
「(あん? こいつは……この見た目で貴族なのか?)」
そして、ある程度にリナニア貴族を知るイアンは、獣人を取り巻く環境を知らぬ来訪者の正体を薄らと察する。見た目的には信じられないが。
「――ま、まぁなんだ。とにかく、このギリアムにヴァイスの寝床を案内させる。別にこっちにはいらんが、こいつには駄賃でもやってくれや」
「承知した。先の詫びを含め、案内に対して謝礼を渡すと約束しよう」
ダグラスがそう語る間にカティが前へ出て、硬貨を数枚カウンターに、イアンの前へとそっと置く。普段なら、スラムの酒場で扱わないほどの額を。
「……ふん。律儀なことだな」
「いえ、お互いに後腐れのない方が、なにかと都合もよいでしょう?」
「確かにそりゃそうだ。俺もギリアムも、あんたらには会っていないし、ヴァイスの野郎についてもなにも知らんということにしとくさ」
オーズの酒場に出入りする者には、皆それぞれに事情がある。この度の来訪者にしても、店主のイアンからすれば同じ。流浪の傭兵だろうが、大商家の護衛だろうが、はたまた貴族様であろうが……深入りはしない。
「ふっ。ではロルカンの子ギリアム、案内を頼めるだろうか?」
「あ、は、はい。では、僕の知るヴァイスさんの住処へ案内します」
こうして、ダグラスたちは、本格的なスラム地区散策へ。
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