終わらない地獄【元男爵夫人】
どうして、こんなことに……。
妻を亡くして傷心している貴族を慰めてあげて、貴族の地位を手に入れたというのに。
下級貴族だったせいで生活は平民自体と大差はなかった。
私は昔から男に不自由したことはない。デイジーを生んだ一年後に夫と死別。
以来、ずっと娘と二人で力を合わせて生きてきた。
私に似て可愛く聡い娘。一緒にいるだけで幸せだった。
平民であるというだけで可愛い娘に苦労をかけたくない気持ちが強く表れる。
このまま底辺で終わるつもりはなく、男爵を利用して上の貴族と関わりを持つことさえ出来れば、私達は一生安泰。
不自由なく暮らせる……はずだった。
私がこんな店で娼婦として働くことになったのは、殿下のせいよ!
私の可愛いデイジーに王妃になれるなんて甘い言葉で囁いておきながら、王妃になれないなんて……。詐欺じゃないの!!
──これじゃデイジーが可哀想だわ!
弄ばれて、心に深い傷を負ったデイジーをみんなして責め立てる。
罰を受けるのは殿下一人のはず。
それなのに、ドレスや宝石代だけじゃなく、殿下が使ったお金まで私が返済しなくてはいけないなんて……。
「まさかマスターが足を運んで下さるとは」
「今はマスターじゃない」
「そうでしたね。失礼しました。リードハルム公爵家の執事長でしたかね」
客が待つ部屋に移動する途中、顔の良い男が従業員と話し込んでいた。
──ふーん。ここに来る客や従業員と違って、かなりイケてるじゃない。
男なんて所詮、女に弱い生き物。
ちょっと涙を見せてか弱さを演じれば男はイチコロ。
サービスで胸元を開けて、男の腕にしがみつく。胸を押し付けるのがポイント。
「助けて。無理やり連れて来られて、働けと脅されているの。助けてくれたら何でもするわ」
目に涙を溜めて上目遣いで見上げれば完璧。
「え……?」
男の私を見る目は厳しく鋭い。まるでゴミを見るかのような。
何なのよ、その反応。
私は美しいのよ。私が困っているのだから、男として助けるのが当たり前でしょ。
私を振り払っただけでなく突き飛ばしては、汚い物に触れたかのようにハンカチで拭いた。
「お前が生きられるのは借金のおかげだ。そのことを忘れるな」
「違う……!私達は騙されたのよ!被害者なの!!」
男は私の髪を掴んでは引っ張った。
「お前がバカな娘とアン様の悪口を言ってたのは知ってんだよ」
「わ、悪口なんて言ってないわ」
「会ったこともないアン様を不細工だの醜いだのと、散々侮辱してくれたそうだな。男爵家の使用人が全部、報告してんだよ」
な、なんてこと!使用人の分際で主人を裏切るなんて!!
お金を払って働かせてあげていたのに!
「お前らみたいな最底辺が、天使であるアン様を侮辱してんじゃねぇぞ」
男は私から手を離して、興味をなくしたかのように背を向けた。
「何でもするそうだ。お貴族様の相手をさせてやれ」
「いいんですか?」
「死ななければ何でもいい。ただし、これだけは忘れるな。万が一にも女が逃げたら、タダでは済まないぞ」
「も、もちろんですよ。いくら月日が経とうとも、我々のように裏で生きる人間が貴方様のことを忘れるはずないのですから」
店のオーナーがあんなに腰が低くなるなんて。本当に男は公爵家の執事長なの。
さっきの圧といい。陽の当たらない闇の世界で生きていた住人。
そんな人が公爵家で働いて良い暮らしが出来ているなら、私だって幸せになる権利があるはずよ!!
いいえ、なるのよ。幸せに!!
女の喜びは愛されてこそ。世界中の男は私を愛さなくてはならない。それは義務!!
みんな私の虜になってきた。私の美貌に落ちない男なんていないんだから。
だから……私に見向きもしないで行ってしまうあの男がおかしい。
「あーあ。やっちまったなぁ。あのお方は今や、リードハルム家に忠誠を誓った」
「そんなお方を敵に回すなんて、バカなことをしたもんだ」
「な、何よ!私は被害者なのよ!?」
「あのお方を怒らせた時点で、加害者なんなよ。オバサン」
「オ、オバサンですって!?この私をオバサン呼ばわりするなんて!!」
私の美しさや美貌はまだ若く、デイジーと並んで歩けば姉妹に間違われるほど若々しい。
その私をオバサンだなんて……許さない!!
「オバサンさぁ。睨んでくるのはいいけど、自分の状況をそろそろ理解したらどう?借金を返済するまであんたはこの店から出ることは出来ない」
「毎日毎日、客を取らないとな。自慢の美貌が失われる前に」
「リードハルム家への借金が完済したら次は、店への借金返済が待ってるけどな」
「…………え?」
「当たり前だろ?まさか衣食住がタダで支給されるなんて思ってたのか?生憎とここは、表ではなく裏に存在する店だ。常識が通用する場所じゃないんだよ」
「長く働けば働くほど、借金は永遠に増えていく。敵に回した相手が悪かったと諦めな」
「明日からは、ちょっとヤバめのお貴族様の相手もしてもらうから心の準備はしてとけ。安心しな。死にはしねぇから」
私が背負った額の借金を返すには何年働かなくてはならないのか。
貴族になって、贅沢をしたかっただけなのに。私の美しさを際立てるために宝石をあしらい、ドレスを身に纏う。
ずっと夢に見ていた煌びやかな世界。
デイジーが王妃になると知ったとき、私は天にも昇る気分だった。
国母の母として、私は多くの男に慕われる。誰も私を平民だとバカに出来ない。お高くたまった連中を見返してやる。
そんな思いを胸に抱いて、慎ましく生きていただけなのに。
気付けば私は、人間から商品に代わり、毎日のように働くことを余儀なくされていた。




