再会
神様、ありがとう――!
予約完了の通知が無事に届いたのを確認した私の頭の中は、そんな言葉で埋め尽くされていた。
あれだけ願っていた妹の誕生が叶わなかったあの日、私――神童凛の中で一度『神』という存在は完全に消滅していた。
それはもう、綺麗さっぱりと。
――神童。『神』が入っているだけでなく、『神のわらべ』、いわば『神の子』という名字を授かっていながらも――だ。
だが、神という存在を私はもう一度、信じてみることにした。
「神童さん、今日はなんだか表情が柔らかいよね」
「いつものキリっとしている表情もいいけど、これはこれでいいな」
「……可憐だ」
いつものように男性社員たちが遠くから私を窺い、コソコソとなにかを話しているけれど――まぁいいだろう。好きなだけ話すといい。
今の私は、青く晴れ渡った清々しい空の下で、ピクニックでもしているかのような最高の気分なのだから。
そう。世界が最高に輝いて見える。
それだけじゃなく、今夜のことを考えると自然と頬が緩んでしまう。
――それはもう、両手で顔を覆わないと隠しきれないほどの勢いで、だ。
神狩結愛に、やっと会える。
私のことを、覚えてくれているだろうか。
彼女との出会いは高校だった。
とはいえ、つるむグループがまったく違い、接点は皆無だった。入学初日に上の空だった私は、自己紹介のときの記憶すら残っていない。
そんな私たちが関わりを持ったのは、ある日の放課後だった。
立ち寄ろうとしたコンビニの前で男たちに絡まれている彼女を何気なく助けたこと――それが、お互いの存在を初めて認知したきっかけだったと思う。
何度も感謝の言葉をかけてもらったけれど、だからといって学校生活で急接近するわけでもなく、私たちは結局、連絡先すら交換しないまま卒業を迎えてしまった。
私の初恋も、そこで一度終わりを告げた。
……まぁ、それにはいろいろと理由があったのだけど。
「――よし、これで終わり――っと!」
この場では絶対に出さないテンションの声が、思わず口から零れてしまった。
さりげなく周りの様子を確認してみたけれど、どうやら誰にも気づかれてはいないようだ。
危ない。完全に浮かれてしまっている。
……気をつけよう。平常心、平常心。
いつも通りノルマを完璧に達成し、週明けに必要な契約書類の準備も滞りなく終えた私は、逸る気持ちを何食わぬ顔で抑えながら、帰りの身支度を整えていく。
――と、その様子を伺っていた男性社員が予想通り席を立ち、そのまま一直線に私の元へとやってくる。
「神童さん、この前こいつといい店を見つけてさ。このあと、一杯どうかな?」
いつの間にか、男がもう一人増えている。
後輩の肩を組んでいるのが声をかけてきた先輩社員で、気まずそうに肩を組まれているのが私の同期だ。
(……後輩をダシに使うような男と、わざわざ飲みに行きたいと思う女がこの世にいるとでも思っているのだろうか、こいつは)
今夜、レズ風俗を利用して初恋相手を買おうとしている女でも、そんな呆れた言葉しか浮かんでこない。
そもそも先輩社員も同期も顔こそ覚えているが、首から下げている社員証がなければ名前すら思い出せない。それくらいのモブ男なのである。
「せっかく声をかけてくださったのに、すみません。今日は先約があって――」
申し訳なさそうな表情と声色で完璧な謝罪を返すと、断られた癖に鼻の下を伸ばした先輩社員が「いいよいいよ、金曜だし先約があるよね。今度はもっと早めに声をかけるよ」とヘラヘラ言葉を重ねてくる。
「……お気遣い、ありがとうございます」
(……こいつ、本当に諦めが悪いな。……そろそろ、幼馴染の写真でも使って彼氏持ちのフリでも始めるべきか?)
――っと、こんなことをしている場合じゃない。
私は腕時計に目をやり時刻を確認すると、すぐさま席を立った。完璧な営業用の笑顔で別れの挨拶を告げ、そのまま颯爽と会社を後にした。
***
「この場所であってるよね……?」
スマホでやり取りした内容に視線を落としながら、改めて待ち合わせ場所の確認をする。
確認をする――というより、落ち着かない手持ち無沙汰を誤魔化すために、さっきから同じ画面の上で何度も指先を滑らせているだけだ。
私が今立っているのは、事前に指定されたホテルのロビー。
てっきりラブホテルだろうと思い込んでいたけれど、ここは静謐で洗練された空気が漂う、一目見て高級だとわかるグランドホテルだった。
こういった場所を利用する機会の少ない私には、『なんだか凄そうなホテル』という小並感あふれる感想しか浮かんでこない。
自分の語彙力がほとんど息をしていないけれど、今日ばかりは許してほしい。
なにしろ緊張しすぎて、自分が今どんな顔をして立っているのかさえ自覚できない状態なのだから。
ただ一つ救いだったのは、仕事柄スーツだったことだ。この格式高い空間から浮いていないことだけは、心底安堵している。
普段は神童道場の長女として、どんな相手の前でも冷静沈着を貫いてきたはずの私だけど、今は尋常じゃない速さで心臓が脈打っている。
バクバクと不規則に打ちつけられる鼓動が、耳の奥でうるさいほど鳴り響いて離れない。
(え、本当に来るよね……? 万が一、似ているだけの別人だったら? そもそも、私のことなんて覚えてないよね……?)
手汗で滑りそうになるスマホを握り締め、何度もロビーのエントランスに視線を送る。館内に漂う高級感のあるアロマの香りが、余計に緊張を煽った。
視界の端で、自動ドアが滑らかに開いた。
控えめなヒールの音とともに歩いてきたのは、清楚な白いワンピースに身を包んだ、息を呑むほど美しい女性。
どれだけ月日が流れても、見間違うはずもない。
ずっと胸の奥に焼きついて離れなかった、初恋の人――神狩結愛が、そこにいた。
ロビーの喧騒が、一瞬で遠のいていく。
歩みを進めていた神狩さんが、私の痛いほどの熱視線に気づいたのか、ふいに顔をこちらに向け、私の姿を捉えた。
ふたりの視線が、綺羅びやかな空間のなかで真っ直ぐに交差する。
神狩さんの色素の薄い瞳が驚きで大きく見開かれ、淡い色の唇が微かに震えた。
「――神童……さん……?」
途切れていた六年の歳月は、指名客とキャストという歪な形で再び繋がり、いまここで静かに動き出す――。
第2話! 読んでくださり、ありがとうございました!
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