第7話 選択肢は図書館一択
「おはよう、エリシア!今週は何をするの?」
週の初めの朝。私はベッドの脇に仁王立ちして、恒例となった台詞を口にした。
それから指を一本ずつ立てていく。
「一、魔法の授業を受ける。
二、図書館で勉強する。
三、中庭で休憩する。
四、騎士科の訓練を見学する。
五、気になる相手を探す。さあ、どれ!」
「二」
「……だよね」
わかっていた。わかっていたけれど、せめて一秒くらいは迷ってほしい。
授業が始まって一週間。学園の生活リズムが、ようやく見えてきたところだった。
午前中は必修の授業。魔法学、歴史、礼儀作法。午後は自由に使える時間で、生徒は思い思いに自習や鍛錬にあてる。
そしてゲームでは、この午後の過ごし方を週ごとに選ぶ仕組みになっていた。選んだ行動によって能力値が伸び、出会える攻略対象も変わる。
つまり私の役目は、ここで紬をうまく誘導すること。
なのに。
「図書館、今日もシリルさんが来いって言ってたから」
「シリル様ね。一応、名門一族の嫡男だからね」
「シリル様が来いって言ってたから」
言い直してはくれる。素直だ。素直なのに、選択肢だけは頑として変えない。
◇ ◇ ◇
二週目も、紬は図書館を選んだ。
三週目も図書館だった。
途中で一度だけ「城下町へ素材を見に行く」という、そもそも私が提示していない六番目の選択肢が追加されたけれど、それ以外は全部図書館だ。
図書館の奥の席では、毎日のようにシリルと紬が向かい合っている。机の上には魔法陣の写本と、紬の描いた結び目の図と、山のような計算用紙。二人の会話は日を追うごとに専門的になり、私にはもう一言も理解できない。
私は毎晩、ベッドの中でこっそり紬のステータスを確認していた。
『エリシア・ウィンスレット(ヒロイン)
魔力 13
学力 41
魅力 15
器用さ 999』
学力だけがぐんぐん伸びている。三週間で二十以上。ゲームならありえない成長速度だ。たぶん、シリルと毎日あの密度の議論をしているせいだと思う。
一方で魔力はたった一しか上がっていない。魅力に至ってはぴくりとも動いていない。
器用さは相変わらず九九九のまま。ただ最近、ときどき数字がちかちかと点滅するようになった。まるで上限を超えようとして、枠に押さえつけられているみたいに。
(これ、大丈夫なやつ……?)
好感度のほうも確認してみる。
『シリル・ルナティス 好感度 42』
図書館に通い詰めた成果がしっかり出ていた。出すぎているくらいだ。ゲームなら、四十を超えると個別イベントが発生し始める。
ほかの攻略対象はといえば。
『レオン・ヴァレンシュタイン 好感度 16』
同じクラスなので毎日顔を合わせる。毎日からかわれて、毎日紬に聞き流されている。それでなぜか上がっている。
『アレクシス・フォン・アルディア 好感度 19』
こちらはもっとわからない。紬は殿下とあれから一度もまともに話していないのだ。廊下ですれ違ったときに会釈したくらい。それなのに、すれ違うたびにハートがぽんと弾けている。
殿下、いったい紬の何を見ているんですか。
そして私は、ある重大な事実に気づいてしまった。
魅力が足りない。
ゲームの第四章、星祭りの舞踏会。ダンスに誘われるには好感度だけでは足りず、魅力が一定の値に達している必要がある。足りなければ、どれだけ好感度が高くても誰からも誘われない。友人として壁際で舞踏会を眺めるだけのエンディングに一直線だ。
魅力を上げるには、中庭での休憩か、礼儀作法の自主練習。どちらも紬が一度も選んでいない行動だった。
◇ ◇ ◇
「おはよう、エリシア!今週は何をするの?」
四週目の朝。私はいつもの台詞のあと、紬が口を開くより早く言葉を継いだ。
「今週は三番がいいと思うな!中庭で休憩!」
「二がいい」
「紬、聞いて。たまには外の空気を吸わないと体に悪いよ」
「図書館にも窓あるよ」
「そういうことじゃなくてね」
正面から攻めても無駄だ。十二年の付き合いでわかっている。紬を動かすには、紬の興味に訴えるしかない。
私は咳払いをひとつして、声の調子を変えた。
「そういえば、中庭の東側に大きな木があったよね。入学式の日に紬が見てた、樹皮が変わった木」
「……うん」
「あの木、この前の嵐で枝が何本か折れて落ちてたよ。庭師さんが片づける前なら、樹皮、取り放題かも」
紬の目の色が変わった。
「行く」
勝った。
私は心の中でガッツポーズをした。中庭には殿下がよく休憩に訪れる。ゲームでは、ここで選択肢を選べば殿下との個別イベントが発生するのだ。
◇ ◇ ◇
中庭の東の大木の根元には、確かに折れた枝がいくつも転がっていた。
紬は枝の一本を拾い上げ、樹皮を爪で軽くはがしてみる。外側の茶色い皮の下から、白っぽい筋がすうっと現れた。
「やっぱり。内側の皮、繊維になってる」
「繊維?」
「靭皮繊維。麻とか和紙の原料と同じ。水に浸けて柔らかくしてから、叩いてほぐすと糸になる」
紬はうきうきと枝を抱え上げる。休憩とは程遠い。どう見ても素材の採集だった。
まあいい。目的は殿下との遭遇なのだから。
ほどなくして、回廊のほうから聞き覚えのある足音が近づいてきた。規則正しくて迷いのない足取り。
来た。
私は素早く植え込みの陰に身を隠す。もう慣れたものだ。
「そこで何をしている」
ゲームと一字一句同じ台詞。入学式の日とも同じ台詞だ。殿下のボキャブラリーはこれしかないのだろうか。
紬は枝の束を抱えたまま、くるりと振り返った。
「樹皮を取ってます」
「……樹皮」
「この木の内側の皮から、糸が作れそうなので」
殿下は紬の腕の中の枝と、地面に散らばる樹皮の切れ端を見比べた。それから、なぜか少しだけ眉を寄せる。
「庭師に言えば、まとめて取っておかせることもできる」
「自分で取りたいんです。はがし方で繊維の長さが変わるので」
紬は枝を一本差し出し、樹皮の端を指でつまんでみせた。
「ほら。こうやって節に沿ってゆっくりはがすと、途中で切れないんです。急ぐと短くなっちゃう」
白い繊維が、ほつれることなく一本の長い帯になってはがれていく。
殿下はそれをじっと見ていた。驚くほど真剣な目で。
「……丁寧な仕事だな」
「ありがとうございます」
それきり殿下は何も言わず、しばらく紬の手元を眺めていた。やがて小さくうなずいて、静かに去っていく。
植え込みの陰で、私は殿下の頭上を凝視した。
『アレクシス 好感度 +3』
また上がった。樹皮をはがしているところを見ただけで。
そして紬のステータスに目を移す。
『魅力 15』
変わっていない。
中庭で休憩していないからだ。紬は休憩ではなく、作業をしていたのだから。
(そういう判定なの!?)
私は植え込みの中で頭を抱えた。
◇ ◇ ◇
その夜。
二〇七号室の机の上には、木桶に浸けられた樹皮の束と、完成したばかりの手袋が並んでいた。
霧山羊の毛糸で編んだ、淡い灰色の手袋だ。紬が指を通すと、糸がじわりと若草色に染まっていく。
「できた。シリル様の言ってた網目の通し方、編み目でも試してみたの」
紬は手袋をはめた手を私の頬に当てた。
温かい。指の先から手のひらまで、むらなくじんわりと温かい。
「すごい……全部同じ温度だ」
「編み目を細かくして、魔力が順番に通るように目の数を揃えたの。明日シリル様に見せる」
紬は嬉しそうに手袋を眺めている。
私はその横顔を見ながら、ちらりとシリルの好感度を思い浮かべた。四十二。この手袋を見せたら、たぶんまた跳ね上がる。
研究仲間として。恋愛とは無関係に。
「ねえ紬。来週は何するか、もう決めてる?」
「うん。四番」
私は思わず身を乗り出した。
四番。騎士科の訓練を見学する。
騎士科の首席、ユリウス・クロード先輩に出会える選択肢だ。年上で誠実で面倒見がよくて、困っているときに必ず助けてくれる、頼れる先輩。
「紬、ついに……!騎士科に興味が……!」
「騎士科の人たちが腰に下げてる剣帯。革紐の編み込みがすごく細かいの。近くで見たい」
私はゆっくりと椅子に座り直した。
知ってた。
うん。知ってたよ。




