第5話 異世界素材に夢中
「おはよう、エリシア!今日はお休みだね。何をするの?」
翌朝。カーテンを開けるなり、私は腰に手を当てて高らかに言い放った。
ベッドの上で身を起こした紬が、寝ぼけ眼でこちらを見る。
「……なんで急にエリシアって呼ぶの」
「様式美!ゲームの同室の子はこう言うの!」
「陽菜、朝から元気だね」
ふわあ、と小さくあくびをする紬。亜麻色の髪があちこちに跳ねていて、ヒロインの寝起きとはとても思えない。スチルなら絶対に没になる。
授業が始まるのは明後日から。今日と明日は、新入生や編入生が学園生活に慣れるための休日だ。
そしてゲームでは、この休日に行動を選べた。「学園を探索する」「部屋で休む」「城下町へ出かける」の三択。
狙うは三つ目。城下町の噴水広場で、攻略対象のひとりと出会えるイベントが発生するのだ。
「ねえ紬、城下町に行ってみない?お店とかいっぱいあるよ」
「行く」
即答だった。珍しく素直だなと思ったら、紬はベッドから身を乗り出して続けた。
「昨日の結界紐の紐、どこかで売ってるかもしれない。あと庭の木の樹皮。それから糸屋さんと、粘土を扱ってるところと、蝋燭屋さんと——」
「わかった、わかったから。とりあえず顔洗お?」
目的が完全に違う気がするけれど、出かけてくれるならそれでいい。
◇ ◇ ◇
王都の市場は、想像していたよりずっと賑やかだった。
石畳の大通りの両側に、色とりどりの天幕を張った露店がずらりと並ぶ。焼き菓子の甘い匂い。客を呼び込む威勢のいい声。荷馬車の車輪がゴトゴトと石を鳴らしていく。
ゲームでは一枚の背景画でしかなかった場所が、今は音と匂いと人の熱気であふれていた。
「すごい……!」
思わず歓声を上げる私の隣で、紬はすでに姿を消している。
「紬!?」
慌てて見回すと、三軒先の糸屋の前でしゃがみ込んでいる背中が見えた。早い。異世界に来ても、素材を見つける嗅覚は健在らしい。
「陽菜、これ見て」
追いついた私に、紬が毛糸の束を差し出してくる。淡い灰色の、ふわふわとした糸だ。
「霧山羊の毛糸だって。触ってみて」
言われるままに指先で撫でると、灰色だった糸がじわりと赤みを帯びた。驚いて手を離すと、ゆっくりと元の色に戻っていく。
「色が変わった!」
「触った人の魔力に反応するんだって。人によって色が違うみたい」
紬は自分でも糸に触れる。今度は糸がほんのりと若草色に染まった。紬の瞳と同じ色だ。
「お嬢ちゃん、目が高いねえ」
店主のおばさんが、にこにこと身を乗り出してくる。
「霧山羊は北の山にしかいなくてね。毛を刈れるのも年に一度きりさ。手袋にすると、つけた人の魔力で温まるんだよ」
「編み目を細かくしたら、温まり方も変わりますか」
「へえ? そりゃあ考えたこともなかったね。変わるかもしれないねえ」
「試してみます。これ、三束ください」
紬の財布の紐はあっさりとほどけた。
それからはもう止まらなかった。
蝋燭屋では、精霊樹の樹液を固めたという琥珀色の蝋に釘付けになる。湯せんにかけると水飴のように柔らかくなり、冷えると透き通ったまま固まるらしい。
「ジェルワックスみたい。中に押し花を閉じ込められるかも」
焼き物の露店では、赤茶けた粘土の塊を手に取ってじっと見つめる。
「火精の粘土。窯で焼かなくても、魔力を通すと固まるんだって」
「へえ、便利だね」
「便利すぎる。どうやって温度を調整するんだろ。魔力の量で変わるのかな。均一に通さないと割れそう」
ぶつぶつとつぶやきながら、紬は粘土の塊を両手で包み込む。もう半分くらい自分の世界に入っていた。
極めつけはガラス玉の露店だ。
店先に並んだ小さなとんぼ玉を、紬は息を詰めて見つめている。手に取ろうともしない。ただひたすら、穴が開くほど見つめている。
「紬?買わないの?」
「これは作り方を考えてる」
「作り方」
「芯に巻きつけて形を作ってるのはわかる。問題は火。バーナーなんてないし、炉は大きすぎる。でも火精の粘土が魔力で熱を持つなら、それを使って小さな炉が作れるかもしれない。あ、でも粘土そのものが固まっちゃうか。じゃあ先に固めた粘土で器を作って、その中で——」
「紬、お店の人が困ってる」
ガラス玉の店主が引きつった笑顔を浮かべていた。それはそうだ。商品を買わずに、目の前で製法の検討を始める客なんて迷惑以外の何物でもない。
私は紬の腕を引いてその場を離れた。両手にはすでに紙袋がいくつもぶら下がっている。半分は私が持たされた分だ。
(どうしてこうなった……)
城下町に来た目的は攻略対象との出会いイベントなのに、これではただの手芸材料の買い出しだ。
ふと前を見ると、ちょうど噴水広場が見えてきた。
ここだ。ゲームの背景で見たのと同じ、女神像を戴いた円形の噴水。
イベントが起こるとしたら、この辺りのはず。
「おい、そこの」
背後から声がかかった。
来た。
振り返ると、赤銅色の髪の少年が立っていた。仕立てのいい外套をさらりと羽織り、口の端を楽しげに吊り上げている。人懐こそうなのに、どこか意地の悪い笑み。
レオン・ヴァレンシュタイン。公爵家の令息で、ヒロインのクラスメイトになる攻略対象。
ゲームでは、ここで彼がヒロインをからかうところから物語が始まる。
私は即座に紬から二歩離れた。モブは背景。背景は空気。
「お前、昨日の入学式で壁ばっか見てた編入生だろ」
レオンは紬の前に回り込み、紙袋の山をじろじろと眺めた。
「田舎から出てきて、さっそく王都の市場で浮かれてるってわけか。迷子になる前に、首に紐でもつけといたほうがいいんじゃないか?」
ゲームと同じ台詞。ここでヒロインは「なっ……失礼ですね!」とむくれて、レオンが楽しそうに笑う。その掛け合いが彼のルートの魅力なのだ。
さあ紬。むくれて。
紬は、紙袋の中から霧山羊の毛糸を取り出していた。
「……おい」
「…………」
「聞いてんのか、編入生」
「すみません、今ちょっと撚りの数を数えてるので」
レオンの笑顔がぴしりと固まる。
紬は顔を上げないまま、指先で糸をほぐしては数え直していた。からかわれたことに気づいているのかどうかすら怪しい。
「……お前なあ」
レオンはむっとしたように眉を寄せ、紬の手から紙袋をひとつ奪い取った。意地悪な笑みが戻ってくる。
「こんなに抱えて歩いてたら日が暮れるぞ。持ってやろうか?なんてな——」
「ありがとうございます」
紬はようやく顔を上げ、残りの紙袋をすべてレオンの腕に積み上げた。
「は?」
「重かったので助かります。学園まで、よろしくお願いします」
ぺこりと頭を下げる紬。紙袋に埋もれて目を白黒させるレオン。
私は噴水の陰で、そっと両手で顔を覆った。
からかいイベントが、荷物持ちイベントに変わった。
◇ ◇ ◇
「明日、図書館で調べようと思ってます。魔力の通し方とか、そういう本があるかなって」
「……ふうん。変な奴」
レオンはそっぽを向いた。それでも、紙袋を抱える腕を緩めることはない。
『レオン 好感度 +2』
私は空を仰いだ。一番星が、やけにのんきに瞬いている。
図書館。明日の行き先は図書館。
ゲームでは、図書館に通うと出会える攻略対象がひとりいる。
学年首席の天才魔術師。人付き合いが苦手で、図書館の一番奥の席を定位置にしている、あの人だ。




