第4話 私にだけ見える画面
本来なら感動で涙ぐんでいたと思う。聖地巡礼どころか、聖地そのものに立っているのだから。
けれど今の私はそれどころじゃない。
(見える……)
新入生の列に並びながら、私は目をごしごしとこすった。何度こすっても、それは消えてくれない。
壇上で式辞を述べる学園長の頭上。そのすぐ横に、半透明の小さな枠がふわりと浮かんでいる。
『セレスティア学園学園長 好感度 ——』
攻略対象じゃないからだろうか。数値の部分は横棒になっている。けれど、ゲームでおなじみのあのフォントで、あの枠で、間違いなく表示されているのだ。
視線を横にずらす。前の列の男子生徒。その隣の女子生徒。
『モブ男子生徒A』
『モブ女子生徒C』
(雑ぅ……)
思わず口を押さえる。名前すらないらしい。ゲーム内の扱いをそのまま突きつけられたようで、ちょっと切なくなってくる。
どうやら意識して誰かを見つめると、その人の情報が浮かび上がる仕組みらしい。ぼんやり眺めているだけなら何も出てこない。切り替えができるだけ、まだ親切設計と言えるかもしれない。
「陽菜、さっきから何してるの」
隣に立つ紬が小声で尋ねてくる。
「紬。あの学園長の頭の上、何か見える?」
「髪の毛が少ない」
「そうじゃなくて。字とか、枠とか」
「見えない」
やっぱりそうか。これは私にだけ見えているのだ。
「何か見えるの?」
「……あとで話す」
そのとき講堂がざわりと揺れた。
「在校生代表、アレクシス・フォン・アルディア殿下」
名前が呼ばれた瞬間、女子生徒たちの間から押し殺した悲鳴が上がる。壇上に姿を現した殿下は、さっき回廊で見たときと寸分違わぬ完璧な佇まいだった。
朗々と響く挨拶の言葉。学園の伝統と、貴族としての責務について。ゲームで何度も聞いた台詞が、生の声で耳に届く。
本来なら鼻血ものの光景なのに、私の目は殿下の頭上に吸い寄せられていた。
『アレクシス・フォン・アルディア 好感度 5/100』
五。
さっきの「+5」は見間違いじゃなかったのだ。
ゲームでは出会いイベントで正解の選択肢を選んでも、好感度は最大で三まで。五なんて数字は見たことがない。結界紐をほどこうとして案内まで断り、肩章の刺繍に夢中だったヒロインに、どうして五も入るのか。
(バグってる?この世界、バグってる?)
挨拶を終えた殿下が壇上から講堂を見渡す。その視線がある一点でぴたりと止まった。
私の隣。
当の紬はといえば、壇上なんて見ていない。壁に掛けられた巨大なタペストリーを、食い入るように見上げている。
「陽菜。あのタペストリー、つづれ織りだよ。あの大きさを手で織ったのかな」
「……今は前を見て、紬」
殿下の頭上で、ハートがまたひとつ、ぽんと弾けた。
『アレクシス 好感度 +1』
(なんで!?)
叫ばなかった私を誰か褒めてほしい。
◇ ◇ ◇
入学式が終わると、新入生は寮の部屋割りを確認するよう指示された。
掲示板の前は人でごった返している。人波をかき分けて自分の名前を探していた私は、ある一行を見つけて固まった。
『二〇七号室 エリシア・ウィンスレット ハンナ・ミレット』
「陽菜と同じ部屋だ」
後ろから覗き込んだ紬が、ほんの少しだけ声を弾ませる。
「よかったね」
「……うん。よかった。すごくよかった」
嬉しい。もちろん嬉しい。でもそれ以上に、頭の中でパズルのピースがかちりとはまる音がした。
思い出したのだ。
ゲームの中に、ヒロインと同じ部屋の女の子がいたことを。立ち絵はない。名前も表示されない。ただ毎週の初めに、画面の下にテキストだけが流れるのだ。
『同室の子「おはよう、エリシア!今週は何をするの?」』
行動を選ぶ前の決まり文句。ヒロインの行動選択を促すためだけに存在する、システム上の案内役。
(私、あれだ……)
ハンナ・ミレット。名前のないモブ令嬢の正体は、ヒロインの「同室の子」だったのだ。
◇ ◇ ◇
二〇七号室は、二人で暮らすには十分すぎる広さだった。
窓際に並んだふたつのベッド。作り付けの机と衣装箪笥。窓からは中庭の噴水が見下ろせる。
届いていた荷物をほどき終えると、私は紬をベッドに座らせ、自分も向かいに腰を下ろした。
「紬。さっきの話の続きなんだけど」
私はできるだけ順を追って説明した。人の頭上に情報が浮かんで見えること。それがゲームの画面とまったく同じ見た目をしていること。攻略対象には好感度が表示されて、殿下のそれが今日だけで六も上がったこと。
紬は黙って最後まで聞いていた。それから、こてんと首をかしげる。
「私のも見えるの?」
「やってみる」
私は紬の顔をじっと見つめた。
ふわり、と枠が浮かぶ。ほかの人のものより少し大きくて、項目も多い。
『エリシア・ウィンスレット(ヒロイン)
魔力 12 学力 18 魅力 15』
ここまではゲームと同じだ。初期値としては平均的な数字。ゲームではここから毎週の行動で能力を伸ばしていく。
ところが、枠はそこで終わらなかった。
『器用さ 999』
「……は?」
器用さ。そんな項目、ゲームには存在しない。しかも数字が桁違いだ。ほかの能力が十台なのに、ひとつだけ三桁。上限なんてあってないようなものだった。
さらにその下に、もう一行。
『治癒魔法 ???』
文字化けではない。伏せ字だ。ゲームでは得意分野として普通に表示されていた項目が、なぜか読めなくなっている。
「どうだった?」
「……紬、手先が器用だって出てる」
「ふうん。知ってる」
紬はあっさりうなずいて、トランクの中から小さな木箱を取り出した。蓋を開けると、色とりどりの刺繍糸がぎっしりと詰まっている。エリシアの母親の形見だという糸だ。
紬はその一本を指に絡め、うっとりと目を細めた。
「やっぱりいい糸。撚りが細かい。何を作ろうかな」
その横顔を見ながら、私はひそかに拳を握る。
好感度が見える。能力値が見える。おまけに私は、ヒロインの行動を毎週見守る「同室の子」だ。
これはもう、運命が背中を押しているとしか思えない。
紬が恋愛しないと言うなら、私がこっそり導けばいい。紬に気づかれないように、自然に、さりげなく。
ゲームの知識と、この目さえあれば。
「紬」
「ん?」
「これから毎週、聞くからね。今週は何をするのって」
「うん? いいけど」
不思議そうな紬に、私はにっこりと笑ってみせた。
見てなさい、紬。この朝倉陽菜——じゃなかった、ハンナ・ミレットが、絶対にあなたをハッピーエンドに連れていってみせるんだから!
窓の外では、星がひとつ瞬いていた。




