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乙女ゲームのヒロインが「恋愛はしません、工房は開きます」と言い出したので、モブ令嬢の私は頭を抱えています  作者: 霜山ナイト


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第16話 騎士科からの大量発注

 四十七枚の依頼書が、机の上に積み上がっていた。


 教室にいたクラスメイトたちが、遠巻きにその紙の山を眺めている。ろくろの前の殿下まで、手を止めてこちらを見ていた。


「……四十七件」


 私は思わず声に出して数え直した。何度数えても四十七だ。減らない。


 学園祭まで、あと二週間。クラスの出し物の準備は、まだ半分も終わっていない。蝋燭の型は足りないし、刺繍の見本は必要な数の三分の一。体験用の手順書も、まだ一枚も書けていない。


 そこに、四十七件。


「本当にすまない」


 ユリウス先輩が、深々と頭を下げた。


「俺の飾り紐を直してもらったことが、騎士科中に広まってしまってな。断ってくれと言ったんだが、どうしても頼みたいと」


「先輩のせいじゃないですよ」


 そう言いながら、私は紬の顔をうかがった。


 紬は、依頼書の束を一枚ずつめくっていた。


 表情はいつもと変わらない。ただ黙々と、一枚読んでは机の上に置き、また一枚読む。置く場所が、少しずつ違っていた。左、真ん中、右。三つの山ができていく。


 最後の一枚を読み終えると、紬は顔を上げた。


「分けました」


「……分けた?」


「左が、すぐ直せるもの。十二件。糸を足したり、結び直したりするだけです」


 紬は左の山を指で叩き、次に真ん中の山を示した。


「真ん中が、材料が要るもの。九件。革紐を新しくしたり、金具を替えたり」


 そして、一番高い右の山。


「右が、本人がやったほうがいいもの。二十六件」


「本人が?」


 先輩が怪訝そうに眉を寄せた。紬は右の山から一枚を抜き取り、先輩に差し出す。


『剣の飾り紐の新規作成依頼(恋人の髪の色で) 騎士科二年 ロイド・ハーゲン』


「これ、恋人さんに見せるためのものですよね」


「……ああ。そう聞いている」


「だったら、ロイドさんが自分で作ったほうがいいと思います」


 紬は依頼書を見つめたまま、静かに言った。


「先輩の飾り紐、妹さんが作ったから大事だったんですよね。私が直したのは、壊れたところだけ。妹さんが作ったものだから、替えたくなかった」


「…………」


「だったら、ロイドさんの恋人さんも、ロイドさんが作ったほうが嬉しいと思うんです。下手でも」


 先輩は、はっとしたように紬を見た。


 それから、自分の剣の柄頭に下がる藍と白の飾り紐に、そっと指を触れる。


「……そうだな。その通りだ」


◇ ◇ ◇


「教えます」


 紬の提案は、それだけだった。


 すぐ直せる十二件は、紬が空き時間に片づける。材料が要る九件は、買い出しのついでに材料を揃えてから。そして残りの二十六件は、依頼主の騎士たち本人に、作り方と直し方を教える。


「放課後の、作業が終わったあとの時間に。この教室で」


 それを聞いたクラリスさんが、すかさず手を挙げた。


「待ってください。教室を使うなら、学園祭の準備に支障が出ないようにしないと」


「準備が終わってからにします。夕方から」


「材料費はどうするんですか。予算はもうほとんど残っていません」


 クラリスさんの指摘はもっともだった。蝋燭屋で値切って、糸屋で端糸をもらって、それでも予算はぎりぎりなのだ。


 そのとき、教室の後ろから声が上がった。


「取ればいいだろ」


 レオンだった。机に頬杖をついて、面倒くさそうに依頼書の山を眺めている。


「材料費と、手間賃。騎士科の連中から取ればいい。直してほしいって言ってきたのはあっちなんだから、ただでやる義理はねえ」


「手間賃……」


「教えるのだって手間だろ。一件につき銅貨五枚。材料が要るやつは、材料費を上乗せ」


 レオンはすらすらと数字を並べていく。


「四十七件なら、手間賃だけで銀貨二枚にはなる。それで学園祭の材料も買い足せる」


 クラリスさんが、目を丸くしてレオンを見た。


「……ヴァレンシュタイン様、計算がお早いんですね」

「公爵家の次男だぞ。帳簿くらい読める」


 ぷいとそっぽを向くレオン。耳がほんのり赤い。


 市場での交渉といい、このところレオンの意外な一面ばかり見ている気がする。何でもそこそこできる、と本人は言っていた。でも、そこそこできることを、ちゃんと誰かのために使えるのは、たぶん立派な才能だ。


「騎士科の連中には、俺から話をつけてやるよ」

「いや、それは俺がやろう」


 ユリウス先輩が一歩前に出た。


「騎士科のことは、騎士科の首席が責任を持つ。手間賃の取り立ても、俺が引き受ける」


 レオンと先輩の視線が、一瞬だけ交わった。


「……じゃあ、帳簿は俺がつける」

「頼む」


 短いやり取りだった。でも、なんだか妙にかっこよかった。


◇ ◇ ◇


 こうして、二年三組の教室に、夕方だけの「修繕教室」が開かれることになった。


 初日の夕方。教室に集まった騎士科の生徒たちを見て、私は思わず二度見した。


 大きい。全員、とにかく大きい。肩幅は私の倍くらいあるし、腕は私の太ももより太い。そんな人たちが十人以上、小さな教室の椅子にぎゅうぎゅうに座っている。


 そして、その全員が、細い糸を指先でつまんでいた。


「く……くぐらせて……引く……」


「おい、どっちの紐が上だ」


「知らねえよ、お前のほうが上だろ」


「あっ、ほどけた」


 剣を持てば一騎当千の騎士たちが、平結びひとつに悪戦苦闘している。太い指先で、髪の毛ほどの糸をつまもうとしては取り落とす。眉間に深いしわを寄せて、まるで決闘の最中みたいな顔だった。


 紬は、その間をゆっくりと歩いて回っていた。


「力が入りすぎです。剣を握るときより、ずっと軽くで大丈夫」


「軽く……」


「卵を持つくらいです」


 ひとりひとりの手元を覗き込んで、短く助言する。殿下にろくろを教えたときと同じだ。手を添えたりはしない。ただ言葉で伝えて、本人の手に任せる。


 その隣では、ユリウス先輩が助手を務めていた。


 先輩は、紬から教わった八本組みをすでに習得していた。妹さんへのお揃いのブレスレットを見て、自分でも作れるようになりたかったのだという。騎士科の後輩たちが詰まると、先輩が実際にやってみせる。


「ここで二本ずつ入れ替える。焦らなくていい。ひと目ずつ確かめろ」


「は、はい!」


 首席の言葉に、後輩たちが背筋を伸ばす。訓練場での打ち合いとはまるで違う光景だった。


 教室の隅では、ろくろの前で殿下が黙々と器を引いている。王太子と騎士科の首席と、ずらりと並んだ騎士たち。誰が見ても、手芸教室とは思えない顔ぶれだった。


 私は帳簿をつけるレオンの隣で、依頼書の整理を手伝っていた。


「……なあ」


 レオンが、ペンを走らせながら小声で言った。


「あいつ、楽しそうだな」


 顔を上げる。教室の中央で、紬がひとりの騎士の手元を覗き込んでいた。


 赤毛の大柄な騎士。ロイド・ハーゲン先輩だ。恋人の髪の色の飾り紐を作りたいという、あの依頼の主。


 ロイド先輩の手元には、明るい蜂蜜色の糸で結ばれた飾り紐があった。お世辞にも上手とは言えない。結び目の大きさはまちまちで、途中で模様がずれているところもある。


「……駄目だ。全然、きれいにならない」


 ロイド先輩が、がっくりと肩を落とした。


「やっぱり、お前に作ってもらったほうが」


「ロイドさん」


 紬が、飾り紐を手に取った。光にかざして、ゆっくりと眺める。


「ここ、三段目。結び目が大きくなってますよね」


「ああ……力加減がわからなくて」


「でも、七段目からは揃ってきてます。手が覚え始めてる」


 紬は、飾り紐をロイド先輩の手に戻した。


「少し歪んでますけど、これはロイドさんの結び目です。恋人さんは、たぶん、そこを見ると思います」


 ロイド先輩は、手の中の飾り紐を見下ろした。


 大きな手のひらに載った、不格好な蜂蜜色の紐。それを、まるで壊れ物でも扱うように、そっと握りしめる。


「……もう一本、作ってもいいか。今度は、もっときれいに」


「はい。何本でも」


 紬の口元が、ほんの少しだけ上がった。


『ユリウス・クロード 好感度 +8』


 隣で後輩を指導していた先輩の頭上で、ハートが弾けた。先輩は、ロイド先輩と紬のやり取りを、穏やかな目で見守っていた。


◇ ◇ ◇


 修繕教室を始めて五日目。四十七件の依頼のうち、三十一件が片づいた。


 レオンの帳簿によれば、手間賃と材料費で銀貨三枚近い収入があったらしい。クラリスさんは帳簿を見て、珍しく満面の笑みを浮かべていた。これで学園祭の材料も、心置きなく買い足せる。


 そしてその日の夕方、教室にはいつもよりたくさんの人がいた。


 ろくろの前には、殿下。教室の中央には、騎士たちに囲まれたユリウス先輩と紬。帳簿の机には、レオン。


 そこへ、扉ががらりと開いた。


「……ここにいたのか」


 シリルだった。眼鏡の奥の目が、いつもより少しだけ不機嫌そうに細められている。


「三日、図書館に来ていない。検証の続きが止まっている」


「あ、ごめんなさい。こっちが忙しくて」


「…………」


 シリルは教室の中を見回した。殿下、騎士たち、レオン、それから机の上に積まれた依頼書の山。


 しばらく黙っていたかと思うと、つかつかと机に歩み寄り、依頼書の山を手に取った。


「この分類、非効率だ。作業時間ごとに並べ直せ。俺がやる」


「シリル様、手伝ってくれるんですか」


「早く終わらせて、図書館に戻ってこい」


 それから少しして、教室の後ろの扉にもたれかかる人影があった。銀の髪を後ろで束ねた、紫の瞳の留学生。


「へえ、賑やかだね。僕も混ぜてよ」


 ノアだった。


 教室の中に、攻略対象が全員そろっていた。


 殿下はろくろを回している。ユリウス先輩は騎士たちに組紐を教えている。レオンは帳簿をつけ、シリルは依頼書を並べ直し、ノアは楽しそうに紬の手元を覗き込んでいる。


 そして全員が、同じひとつの作業のために、同じ教室にいた。


 次の瞬間。


 私の視界いっぱいに、半透明の枠が一斉に浮かび上がった。


『共同作業イベント 発生条件を満たしました アレクシス』


『共同作業イベント 発生条件を満たしました ユリウス』


『共同作業イベント 発生条件を満たしました レオン』


『共同作業イベント 発生条件を満たしました シリル』


 四つの通知が、ぴこん、ぴこん、ぴこん、ぴこん、と立て続けに鳴り響く。


 さらに、最後にもうひとつ。


『共同作業イベント 発生条件を満たしました ???』


 私の目の前が、真っ白になった。


(全員同時って何!?)

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