第13話 出し物は手作り雑貨工房
「来月、学園祭が開かれる」
朝の教室。担任の先生がそう告げた瞬間、教室中がわっと沸き立った。
「各クラスで出し物をひとつ決めること。期限は今週末だ。予算は学園から支給されるが、限りがあるので心して使うように。以上」
先生が出ていくと、教室はたちまち賑やかになった。喫茶店がいい、劇がいい、いや占いの館だ。あちこちで勝手な案が飛び交っている。
私は窓の外を眺めながら、ゲームの記憶をたどっていた。
第二章、学園祭の準備。ゲームでのヒロインのクラスの出し物は、喫茶店だった。ヒロインが給仕係を務め、攻略対象たちが客としてやってくる。紅茶をこぼしそうになったところを支えられたり、注文を取りながら目が合ったり。共同作業と個別イベントが次々に起こる、恋愛ゲームの醍醐味が詰まった章だ。
前の私なら、ここで全力で喫茶店を推していたと思う。紬に給仕服を着せて、殿下が来る時間を見計らって。
でも、温室で殿下に言われた言葉が、まだ胸の奥に残っていた。
彼女が何を好きになるかは、彼女が決めることだ。
「では、案のある人は手を挙げてください」
教壇に立ったのは、学級委員のクラリスさんだった。栗色の巻き毛をきっちりと結い上げた、しっかり者の伯爵令嬢だ。
「はい!喫茶店がいいと思います!」
「劇はどう?衣装とか作って」
「占いの館も楽しそう!」
黒板に案が書き連ねられていく。喫茶店に手を挙げる人が圧倒的に多い。やっぱり王道は強い。
そのとき、隣の席ですっと手が挙がった。
紬だった。
教室のざわめきが、少しだけ小さくなる。
実習室での一件から十日。紬は学園中の注目の的になっていた。魔力を糸にした編入生。植物を繕った治癒魔法の使い手。噂は日に日に大げさになって、廊下を歩くだけで遠巻きに見られるようになっている。
感心している人もいる。気味悪がっている人もいる。どちらにしても、紬に気軽に話しかけるクラスメイトはほとんどいなかった。
前世の教室と、同じだ。
「ウィンスレットさん、どうぞ」
クラリスさんに促されて、紬は立ち上がった。
「手作りの雑貨を売るのはどうですか」
教室が、しんと静まり返った。
「……雑貨?」
「はい。布小物とか、蝋燭とか、焼き物とか。作ったものを並べて売るんです」
誰も何も言わない。気まずい沈黙が広がっていく。
後ろの席から、レオンの呆れた声が飛んできた。
「地味すぎだろ。学園祭だぞ」
何人かが小さく笑った。紬は気にした様子もなく、ただ黙って立っている。
知っている。この空気を、私は知っている。
紬はこういうとき、自分から言葉を足さない。わかってもらえなければそれまで、と本気で思っている。それでも平気なのが紬だ。
でも、紬の作るものはこんなにすごいのに。誰にも知られないままなのは、もったいない。
気づいたら、私は立ち上がっていた。
◇ ◇ ◇
「ちょっと待って!」
教室中の視線が、一斉に私に集まる。
心臓がばくばく鳴っている。でも、この感覚には覚えがあった。前世で何度も味わった。紬と世界の間に、橋をかけるときの感覚だ。
「地味って言ったけど、レオン様」
私はくるりと振り返り、レオンの襟元を指さした。
「そのブローチ、エリシアが作ったやつですよね」
教室の視線が、今度はレオンに集まった。
レオンの外套の襟元には、赤銅色のブローチが留められている。炎の模様が彫り込まれた、火精の粘土の焼き物。紬が試作品として渡してから、もう一か月。
「毎日つけてますよね。一日も欠かさず」
「なっ……!」
「あれ、本当だ」
「レオン様、ずっとあれつけてたよね」
「え、手作りだったの?お店のだと思ってた」
ひそひそ声が教室中に広がる。レオンの顔が、みるみるうちに髪と同じ色に染まっていった。
「べ、別に!ちょうどいい大きさだったから使ってるだけで!」
「そうなんです。ちょうどいいんです」
私はにっこりと笑って、教室全体に向き直った。
「エリシアの作るものは、使う人のことを考えて作られてるんです。焼き物なのに襟が下がらないくらい軽くしたり、手袋の指先だけ温度を変えたり。お店で売ってるものより、ずっと丁寧で、ずっと丈夫」
これは、前世で紬が言った言葉だ。売ってるやつより丈夫。
「それに、ただ売るだけじゃありません。エリシアに教えてもらえば、自分でも作れるんです」
少しだけ、教室の空気が変わった気がした。
「お客さんにも作り方を見てもらって、簡単なものなら一緒に作ってもらう。見るだけの出し物じゃなくて、体験できる出し物。喫茶店なら他のクラスもやると思うけど、こういうのはたぶん、どこにもない」
言い切って、息をつく。
沈黙が落ちた。長い、長い沈黙。
駄目だったかな。そう思いかけたとき、教室の前のほうで、小さな声が上がった。
「……刺繍、教えてもらえますか」
声の主は、前の列に座る小柄な女子生徒だった。うつむきがちで、いつも教室の隅で本を読んでいる子。入学式の日、私の目にはその頭上に『モブ女子生徒C』と浮かんでいた子だ。
「私、刺繍が下手で。家庭教師にもずっと叱られてて。でも、ウィンスレットさんのハンカチ、すごく綺麗だなって、ずっと思ってて」
紬が、その子のほうを向いた。
「教えられます。刺繍は、針の入れる角度でだいたい決まるので」
「ほ、本当に……?」
「うん。名前、聞いてもいい?」
「エマ……エマ・リシャールです」
エマ。
その名前を聞いた瞬間、私の目の前にふわりと枠が浮かんだ。
『エマ・リシャール』
モブ女子生徒C、ではなくなっていた。
胸の奥が、きゅっと締めつけられる。この世界の人たちには、ちゃんと名前があるのだ。ゲームが名前をつけなかっただけで。私と同じように。
「僕も賛成」
教室の後ろから、軽やかな声が上がった。ノアだ。頬杖をついたまま、楽しそうに片手を挙げている。
「エリシアが作るところ、もっと近くで見てみたいしね」
「俺、陶芸やってみたい」
「蝋燭って自分で作れるの?」
「布小物なら私もできるかも」
ぽつぽつと、声が上がり始める。
クラリスさんが、黒板の喫茶店の横にもうひとつ案を書き足した。『手作り雑貨工房』。
「では、多数決を取ります」
◇ ◇ ◇
結果は、十七対十五。
僅差だった。けれど確かに、手作り雑貨工房が喫茶店を上回った。
喫茶店派の何人かは不満そうな顔をしていたけれど、クラリスさんが「決まったことは決まったこと。全員で成功させましょう」ときっぱり言うと、渋々うなずいていた。さすが学級委員だ。
昼休み。教室の窓際で、私はそっと紬のステータスを確かめた。
好感度も能力値も、特に変わっていない。ただ私の頭の中で、ゲームの第二章の喫茶店イベントが、ひとつ残らず消えていく音がした。
給仕服の紬を殿下が見て息をのむ場面も。紅茶をこぼしかけた紬をユリウス先輩が支える場面も。全部、なくなった。
私が、なくしたのだ。
でも不思議と、後悔はなかった。
「陽菜」
隣に紬がやってきた。手には作りかけの刺繍が握られている。たぶん、エマさんに教えるための見本だ。
「ありがと」
「え?」
「私だけだったら、たぶん通らなかった」
紬はまっすぐに私を見ていた。
「前もそうだったよね。加奈ちゃんたちのキーホルダーのとき。陽菜がみんなに見せてくれたから、注文が来た」
「……覚えてたの」
「覚えてるよ。陽菜はいつも、私とみんなの間にいてくれる」
言葉が出なかった。
紬は、ちゃんとわかっていたのだ。私が何をしていたのか。ずっと前から。
「……どういたしまして」
精一杯の強がりで、私は笑った。
紬はこくりとうなずくと、手元の刺繍に目を落とす。それから、ふと思い出したように顔を上げた。
「あ、そうだ。材料、全然足りないと思う」
「え?」
「クラス全員で作って、お客さんにも体験してもらうなら、今の材料じゃ全然。予算の範囲で、市場で買い出ししないと」
紬はちらりと教室の後ろを見た。
そこでは、レオンがまだ顔を赤くしたまま、友人たちにブローチのことをからかわれている。
「力持ちの人がいると助かるんだけどな」
その声が聞こえたのか、レオンがびくりと肩を震わせた。
「……おい。今、俺のこと見ただろ」
「見てないです」
「見ただろ!荷物持ちはもうやらねえからな!」
レオンの叫びが、昼休みの教室に虚しく響き渡った。




