第12話 編まれた治癒魔法
治癒魔法の実習は、週に一度、学園の西棟にある実習室で行われる。
白い壁に囲まれた広い部屋。窓辺の長机には、植木鉢がずらりと並べられていた。どの鉢の植物も、葉がしおれて茶色く変色している。茎が途中で折れてしまっているものもあった。
「本日は、実際に植物を癒やしてもらいます」
教壇に立つのは、治癒魔法を担当するマルグリット先生だ。白髪をきっちりとまとめた、穏やかそうな年配の女性。けれど眼鏡の奥の目は鋭い。
「治癒魔法の基本は、己の魔力を対象に注ぎ込み、本来の生命力を呼び覚ますこと。焦らず、ゆっくりと、水を注ぐように。よろしいですね」
生徒たちは二人ずつ組になって、植木鉢の前に立った。私の相手はもちろん紬だ。
ちらりと教室の後方に目をやる。レオンが隣の男子生徒と組んで、面倒くさそうに鉢を眺めている。その少し向こうで、ノアが頬杖をついてこちらを見ていた。
目が合う。ノアはにっこりと笑って、ひらひらと手を振った。
(見ないで……)
私はそっと視線を外した。留学生がやってきて一週間。ノアは何かと紬に話しかけてくるけれど、あの結び目について詳しく話したことは一度もない。ただ、ずっと見ている。それが余計に不気味だった。
「では、始めてください」
先生の合図で、実習室のあちこちに淡い光が灯り始めた。
生徒たちが鉢に手をかざすと、手のひらから柔らかな白い光があふれ出す。光はゆっくりと植物に染み込んでいき、しおれた葉がわずかに持ち上がる。うまい生徒は茶色い部分が緑に戻りかけていた。
私もやってみる。ハンナの身体には、ちゃんと魔力が宿っているらしい。手のひらがじんわりと温かくなって、小さな光が灯った。
でも、それだけだった。光は鉢の土の上でふわふわ漂うばかりで、植物にはまったく染み込んでいかない。
「むずかしい……」
「陽菜、力入りすぎ。肩が上がってる」
「えっ、そう?」
「うん。針に糸を通すときみたいに、もっとゆっくり」
言われたとおりに肩の力を抜く。光が少しだけ、葉の先に触れた。
「お、できた……かも?」
「うん。ちょっと元気になった」
紬の基準でちょっと、なので、たぶん本当にちょっとだ。
「じゃあ、紬の番」
紬は植木鉢の前に立った。
鉢の中の植物は、私が担当したものよりずっと状態が悪い。茎が途中でぽっきりと折れて、上半分が力なく垂れ下がっている。葉はほとんど枯れかけていた。
紬はしばらく、その折れた茎をじっと見つめていた。手をかざそうとしない。ただ、見ている。
「紬?」
「ちょっと待って。どこが切れてるか見てる」
それから、ゆっくりと両手を持ち上げた。
光は、灯らなかった。
代わりに紬の指先から、何かがするりと伸びた。
細い糸だった。
淡い若草色に光る、髪の毛よりも細い糸。それが何本も何本も、紬の指先から生まれては植物のほうへ伸びていく。
紬の指が動いた。
編み物をしているときと、まったく同じ動きだった。糸をすくい、くぐらせ、引き寄せる。指先の動きに合わせて、光の糸が折れた茎の周りに絡みついていく。編み目のように。いや、編み目そのものだ。
切れた茎の断面と断面を、光の糸が細かな目で縫い合わせていく。前世で紬が、穴の開いた靴下を繕っていたときのように。ダーニング、という繕いの技法だった。縦糸を張り、横糸を互い違いにくぐらせて、穴そのものを糸で織り埋めていく。
垂れ下がっていた茎の上半分が、ゆっくりと持ち上がった。
縫い合わされた継ぎ目から、緑色がじわじわと広がっていく。茎を伝い、葉へ。枯れかけていた葉が一枚、また一枚と色を取り戻し、ぴんと張りを取り戻していく。
最後に紬は、指先で何かを結ぶような仕草をした。光の糸の端をきゅっと引き締めて、そっと手を離す。
鉢の中には、青々とした植物がまっすぐに立っていた。
ただ、茎の折れていたところに、かすかな模様が残っている。若草色の、規則正しい格子模様。繕った跡だった。
「できた」
紬が満足そうにうなずく。
実習室が、しんと静まり返っていた。
◇ ◇ ◇
「ウィンスレットさん」
マルグリット先生が、ゆっくりと紬の前に歩み寄ってきた。眼鏡の奥の目が、植木鉢と紬の顔を交互に見ている。
「今のは、どうやったのですか」
「えっと……魔力を、糸みたいにして。切れてるところを繕いました」
「糸、ですか」
「はい。魔力って、糸みたいに見えないですか?」
紬は不思議そうに首をかしげる。
「手を出すと、指先からするする出てくるじゃないですか。だから編めるなって」
「……見えません」
先生の声は、かすかに震えていた。
「魔力は光として発現するものです。注ぎ込むことはできても、形を与えることはできない。少なくとも、私が四十年教えてきた中で、そのような者はひとりもいませんでした」
実習室のあちこちから、ざわめきが広がり始める。
「糸って言ったか、今」
「見えたよな? 指から何か出てたよな?」
「繕った跡、残ってるぞ……」
レオンが席から身を乗り出して、植木鉢の格子模様を凝視していた。口をぽかんと開けたまま、言葉も出ないらしい。
そしてノアは。
ノアだけは、驚いていなかった。
頬杖をついたまま、紫の瞳を細めて紬を見ている。口元にうっすらと笑みを浮かべて、誰にも聞こえないくらいの小さな声でつぶやいた。
「……やっぱり」
私にだけ、その声が届いた。
◇ ◇ ◇
放課後の図書館。いつもの奥の席で、シリルが珍しく本を開かずに座っていた。
実習室での一件は、半日で学園中に広まっていた。編入生が魔力で植物を繕った。魔力を糸にした。噂には尾ひれがついて、今では「魔力で植木鉢ごと編み上げた」ことになっているらしい。
「見せろ」
紬が席に着くなり、シリルは開口一番そう言った。
「何をですか」
「糸だ。魔力の」
紬は素直にうなずき、机の上に片手をかざした。指先から、若草色の光の糸がするりと伸びる。
シリルの目が見開かれた。
眼鏡を押し上げる。顔を近づける。光の糸に指先で触れようとして、寸前で止める。その一連の動きが、初めて結界紐を見たときの紬とまったく同じで、私は思わず笑いそうになった。
「……形を保っている。魔力が、自壊せずに」
「自壊?」
「魔力は放出されたそばから拡散する。だから術式で器を作り、その中に流し込む。魔法陣とはそのための器だ」
シリルは光の糸を見つめたまま、早口で続けた。
「だがお前の魔力は、器がなくても形を持っている。お前自身が、魔力に形を与えている」
「よくわからないですけど、糸だと思って扱うと、糸になります」
「では、粘土だと思って扱ったら」
紬の手が止まった。
それから、ゆっくりとかざした手のひらを上に向ける。指先から伸びていた光の糸が、くるくると手のひらの上で丸まった。紬の指が、それを包み込むように動く。こねる。押しつぶす。また丸める。粘土を丸めるときと、同じ手つきだった。
手のひらの上に、若草色に光る小さな球体ができあがった。
「……できた」
紬自身が、一番驚いた顔をしていた。
「火精の粘土を固めるとき、魔力を網目に通せって言われたじゃないですか。あのとき、なんとなくこういう感覚があって。でも、魔力そのものをこねられるとは思ってなかった」
「三週間前の助言が、こう返ってくるとはな」
シリルは椅子の背にもたれ、長く息を吐いた。それから、いつものように紙とペンを引き寄せる。
「仮説を立てる。お前の治癒魔法は、魔力を注いでいるのではない。魔力を素材として扱っている。糸として結び、編み、粘土として練り、固める。手で形を作るように」
「手芸みたいですね」
「……お前の言葉で言えば、そうなる」
シリルがペンを走らせる横で、紬は手のひらの光の球を、うっとりと眺めていた。
「これ、蝋みたいに溶かしたらどうなるんだろう。焼いたら固まるのかな」
「試すな。今は」
「はい」
素直にうなずきながらも、紬の目はきらきらと輝いている。新しい素材を見つけたときの、あの目だ。
私は書架の陰で、そっと紬のステータスを呼び出した。
『エリシア・ウィンスレット(ヒロイン)
魔力 15 学力 58 魅力 15 器用さ 999 治癒魔法 ???』
伏せ字のままだ。
そう思った瞬間、文字がかすかに揺らいだ。
『治癒魔法 結??』
一文字だけ、見えた。
結ぶ、の結。
すぐに伏せ字に戻ってしまう。けれど、確かに見えた。
ノアの「やっぱり」という声が、耳の奥でよみがえる。あの結び目には別の名前があると言っていた。隣国では、何かが知られているのだ。紬の力について。
光の糸を指先に絡めて遊ぶ紬の横顔は、どこまでも楽しそうだった。それが、なぜか少しだけ怖かった。




