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第61話:死の淵から

「まだ死なないみたいだ」

長い人生たくさん失った。

でもまだ残ってるものがあった。

父と娘の時間は、もう一度ゆっくり動き始める。

冬の夜、床に倒れた太郎は、薄れていく意識の中で天井を見ていた。


胸の痛みは激しかった。

息がうまく吸えない。


「……陽菜」


小さくつぶやいた。


その時、玄関のチャイムが鳴った。


ピンポーン。


もう一度。


太郎は動けない。

声も出ない。


しばらくして、玄関のドアが開いた。


「お父さん?」


聞き慣れた声だった。


陽菜だった。


太郎はぼんやりとした意識の中で、その声を聞いた。


「お父さん!?」


足音が近づく。


次の瞬間、陽菜が叫んだ。


「お父さん!!」


陽菜はすぐにスマホを取り出し、震える手で救急車を呼んだ。


「父が倒れてます!息が苦しそうで…!」


数分後、救急車のサイレンが夜の住宅街に響いた。


――


病院の白い天井。


太郎が目を覚ました時、窓の外は朝だった。


胸には機械がつながれている。


そしてベッドの横に、陽菜が座っていた。


腕を組んだまま、椅子で眠っている。


太郎はしばらくその顔を見ていた。


小さかった頃の面影が、まだ少し残っている。


太郎は弱々しく笑った。


「大人になったな…」


その声で、陽菜が目を覚ました。


「お父さん…?」


目が合った瞬間、陽菜の顔がぐしゃぐしゃになった。


「バカ!!」


突然怒鳴った。


「なんで倒れるの!?」


太郎は少し驚いた。


陽菜は涙を拭きながら続けた。


「連絡もないし、電話も出ないし…!」

「久しぶりに帰ったら倒れてるし!」


怒りながら泣いている。


太郎はゆっくり言った。


「帰ってきたのか」


陽菜は鼻をすすった。


「たまたま…近くで仕事だったから」

「顔見ようと思って寄っただけ」


太郎は静かに笑った。


「運がいいな俺」


陽菜はまた涙を拭いた。


「ほんとだよ」


少し沈黙が流れる。


陽菜はぽつりと言った。


「死ぬかと思った」


太郎は天井を見た。


「俺もそう思った」


でも。

太郎は横を見た。


そこに陽菜がいる。


「まだ死なないみたいだ」


陽菜は小さく笑った。


「当たり前でしょ」


そして言った。


「まだ親孝行してないんだから」


太郎の胸が少し熱くなった。




長い人生。


たくさん失った。


美香も。

翔太も。

真美も。


でも。

まだ残っているものがあった。


娘。


太郎はゆっくり言った。


「陽菜」


「ん?」


「これからも、たまには帰ってこい」


陽菜は少し考えてから答えた。


「気が向いたらね」


でもその顔は、少しだけ優しかった。


太郎の人生はまだ終わっていない。


遅すぎるかもしれない。


それでも。


父と娘の時間は、もう一度ゆっくり動き始めていた。

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