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第56話:一目惚れ

20年前。

太郎と美香の出会いのお話。

美香はまだ知らなかった。

太郎との出会いが人生を大きく変えることになるなんて。

20年前。


美香と太郎が出会ったのは、葬儀屋だった。


美香はその葬儀社で受付の仕事を始めた。


静かな場所だった。


白い壁。

いつもどこかで線香の匂いがする。

悲しみの場所なのに、不思議と落ち着く空間だった。


太郎はその会社で働いていた。


搬送や式の準備をするスタッフ。


美香が初めて出勤した日。


受付カウンターで書類を整理していると、奥からドタドタと足音が聞こえた。


「すみません!」


振り返ると、黒いスーツ姿の太郎が立っていた。


髪は少し乱れていて、息も切れている。


「この書類、受付の人に渡すように言われて…」


美香は笑って答えた。


「私です」


太郎は一瞬固まった。


そして、なぜか何も言わなくなった。


ただ、美香を見ている。


「どうしました?」


そう聞くと、太郎は急に顔を赤くした。


「あ、いや…」


そして慌てて書類を差し出した。


「お願いします!」


それだけ言って、すぐ奥に戻っていった。


あとから同僚に聞いた話だけど。


太郎はそのあと、裏でぼんやり立っていたらしい。


同僚に「どうした?」と聞かれて、こう言ったそうだ。


「さっき来た受付の子…」


そして真顔で。


「好きになった」


みんなに笑われたらしい。


「お前、会ったばっかだろ」って。


でも太郎は本気だった。


それが、太郎の一目惚れだった。


それから太郎は、やたら事務所に来るようになった。


書類を届ける理由を作ったり。


コピーを頼みに来たり。


最初はすぐわかった。


「あ、この人また来た」って。


でも不思議と嫌じゃなかった。

むしろ、少しだけ嬉しかった。


葬儀屋という場所は、いつも悲しみに包まれている。


遺族の泣き声。

重たい空気。


そんな中で、太郎は少しだけ空気を軽くしてくれる人だった。


不器用で。

真っ直ぐで。

そして、優しい人だった。


美香はその頃、まだ知らなかった。


この出会いが、人生を大きく変えることになるなんて。


そして――

太郎を巡る、もう一人の存在。


真美が、やがて私たちの人生に深く入り込んでくることも。

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