第52話:太郎の覚悟
「離婚して陽菜を連れていく」
太郎の決断。
子供たちの運命もまた、大きく動き始めていた。
陽菜からの電話を切ったあと、太郎の手は震えていた。
「お母さんが知らない男と家にいる」
その言葉が頭の中で何度も繰り返される。
太郎はすぐに立ち上がった。
「帰る」
美香が不安そうに見た。
「大丈夫?」
太郎は首を振った。
「大丈夫じゃない」
そして言った。
「陽菜が危ない」
その一言で、美香の顔色が変わった。
「私も行く」
太郎は一瞬迷ったが、うなずいた。
二人は急いで車に乗った。
夜の道を、太郎はほとんど無言で運転した。
頭の中では、いくつもの嫌な想像が浮かんでいた。
真美。
あの狂った目。
知らない男。
そして陽菜。
家までの時間が異常に長く感じた。
やっと家の前に着いたとき、太郎の胸は激しく鼓動していた。
玄関の明かりがついている。
中から笑い声が聞こえる。
男の声。
そして真美の声。
太郎はドアを開けた。
リビングに入った瞬間、空気が凍った。
ソファに座っている男。
三十代くらい。
そして、その隣に真美。
酒のグラスを持っている。
二人とも太郎を見た。
真美は一瞬驚いた顔をした。
だがすぐに笑った。
「早かったね」
太郎の視線は男に向いた。
「誰だ」
低い声だった。
男は少し気まずそうに立ち上がった。
「えっと…」
だが真美が笑いながら言った。
「私の彼氏」
太郎の頭の中が真っ白になった。
「……は?」
真美は楽しそうだった。
「何その顔」
太郎は怒りで震えた。
「ふざけるな」
真美は肩をすくめた。
「だって太郎も浮気してるじゃん」
美香の方をちらりと見て、ニヤリと笑う。
太郎は何も言えなかった。
男は居心地悪そうに立っていた。
「帰れ」
太郎は男に言った。
男は真美を見た。
真美は笑った。
「今日は帰りな」
男は慌てて荷物を持ち、家を出ていった。
玄関が閉まる音。
静寂。
太郎は真美を見た。
「陽菜はどこだ」
真美はグラスを飲み干した。
「部屋」
太郎はすぐ階段を上がった。
陽菜の部屋のドアをノックする。
「陽菜」
小さな声。
「お父さん?」
太郎はドアを開けた。
陽菜はベッドの上で膝を抱えていた。
目が真っ赤だった。
太郎は近づいた。
「大丈夫か」
陽菜はうなずいた。
でも涙が止まらない。
「怖かった…」
太郎の胸が締め付けられた。
その時、後ろから足音がした。
真美だ。
ドアのところに立っている。
そして笑った。
「大げさ」
太郎は振り返った。
「陽菜の部屋に勝手に入ったのか」
真美は平然と言った。
「だって娘の部屋じゃん」
陽菜が震える声で言った。
「やめてって言ったのに…」
真美は冷たい目で陽菜を見た。
「何怒ってるの」
太郎の中で何かが切れた。
「もういい」
低い声だった。
真美は首をかしげた。
「何が?」
太郎は言った。
「離婚する」
空気が止まった。
真美の顔から笑顔が消えた。
「…へえ」
静かな声。
太郎は続けた。
「陽菜は俺が連れていく」
陽菜が驚いて太郎を見た。
真美はしばらく黙っていた。
そしてゆっくり笑った。
「そう」
不気味なほど落ち着いた声だった。
「いいよ」
太郎は少し驚いた。
だが次の瞬間。
真美は言った。
「その代わり」
目が狂っていた。
「美香とそのガキ」
太郎の背筋が凍る。
「全部バラす」
陽菜が困惑して太郎を見る。
「どういうこと?」
太郎は言葉を失った。
真美は笑っている。
「面白くなりそう」
そして静かに言った。
「太郎」
「あなたが幸せになるのだけは」
「絶対許さない」
その目は、完全に壊れていた。
そしてその夜。
太郎ははっきり悟った。
この戦いは、まだ始まったばかりだということを。
そして——
子どもたちの運命もまた、大きく動き始めていた。




